紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

文献ノートの取り方問題:日本語で取るか英語で取るか

論文は先行研究の積み重ねの上に成立するものであって、論文を書くには論文や本を読まねばならない。そして読んだ文献を引用しなければならない。分野や引用形式にもよるだろうが、「~ということが従来言われてきた(Takahashi 2010; Tanaka 2011; Suzuki 2013)」みたいな引用方法の場合は、最低限大雑把にその論文が何を言っているものか覚えていればいいとしても、直接引用をする場合やもう少し詳しい議論の内容を引用するなどという場合には、論文の内容について詳しく記録を取っておかないと書く時に出典を探してあたふたすることになる。そこで文献ノートを作成する必要が出てくる。

しかしどうやって文献ノートを作成すればいいのかということは、大学の授業では普通教えてくれない。少なくとも自分の場合、大学院に行ってもそういうことを誰かから教えてもらったという記憶はない。ではみんなどうやっているのかということは自分にも分からない。知りたい。なので今回はまず自分がどういう風に文献ノートを作成しているのかを公開して、他の人の反応を待ちたいと思う。

色々と試行錯誤してきて、一応自分にとって論文を書く上でどういう情報が必要になるのか、ということは大体わかっている。自分の流れは、重要だと思う箇所に線を引きながら文献を読む→読み終わる→Evernoteに線を引いた部分をメモする、というもので、ページ数は必ず記録するようにしており、内容もできるだけ原文に忠実に載せるようにしている。手間はかかるが、どうせ一回読んでもすぐに忘れてしまう文献の内容を後日参照するには、重要な部分をできるだけ見やすい形で詳細に記録しておく必要があると思う。

ちなみに、文献ノートの作成に使用しているEvernoteとはこちら。おそらく研究者界隈ではこれを使っている人が比較的多いのではないかと推察するが、もっと便利なものがあればぜひ知りたい。というか、こういったサービスが無かった時代、もっと言えばパソコンが無かった時代にはどうやってノートを取っていたのか、想像するだけで恐ろしい…。便利な時代に生まれてよかった(?)。

だが、最近ノートの取り方に大きな変化があった。日本語から英語にノートを切り替えたのである。自分が普段読む文献は基本的にすべて英語で、日本語の文献を読むことはかなり稀である。そのため、ノートを日本語で取るというのは当然のことではない。というのも、日本語が母語で英語が母語でない自分のような人間にとっては、日本語でノートを取った方が、後日参照する際にぱっと見て理解しやすいという面がある一方、日本語でノートを取るには英語の原文を訳さないといけなくなり、余計な時間がかかってしまうという問題がある。つまり、ノートテイクの時間と、後日の理解にかかる時間がトレードオフの関係にあるのだ。これをいかに解決するかというのが悩ましい。

従来は、やはり現在の苦労を忍んで未来の自分を楽にしてやろうという殊勝な心であくまで日本語でノートを取っていた。例えばこんな感じ。

f:id:Penguinist:20180404024634p:plain

これは大事な文献だったのでかなり細かくノートを取っている方だが、大体これが従来の自分のテンプレート。ページ数を書き、内容を書き、特に重要だと思う内容は太字にする。内容の日本語は、ほぼ原文の逐語訳になっていると思われる。多分日本語がおかしいところが結構あると思うのだが、さすがに清書している時間がもったいないのでそれは基本的に放置するようにしている。どうせ原文は英語であり直接引用には使えないので、内容が大まかに分かればよくて、引用するときは原文を参照すれば良いのだ。

しかし、渡英後、読む文献の量がさらに増える中で、これをやるのにかかる時間が惜しくなってきた。そこで、迷ったのだが結局、とりあえず期間限定で英語でのノートテイキングに切り替えることにした。その結果以下のようになった。

f:id:Penguinist:20180404044042p:plain

ページ数を書いて、内容を書いて、特に重要な部分を太字にするという構成は変わっていないが、内容の部分は英語の原文をそのままコピー&ペーストすることにした。文章を引用する時にいちいち原文を参照しなくてもここから切り貼りできるのと、翻訳している時間が圧倒的に削減できるためである。ただその結果、コピペが楽なので、そこまで重要でないことでも一応載せておこうということになって、日本語の時よりも内容が増えて分かりにくくなったかもしれない。そして何より、やっぱり自分には日本語と比べて、パッと見たときに頭に入って来にくい。「確かあの文献にこんなことが書いてあった」というときに、最初からノートを読んでいかないと目的地にたどり着けない可能性が高い。後からかかる時間が増えてしまったわけである。

そこでまた考えた結果、「英語の抜き出しの前に、日本語の見出しを一言つける」という苦肉の折衷案を取ることにした。このような感じ。

f:id:Penguinist:20180404045249p:plain

これが自分の現時点でのノートの取り方についての1つの答えである。見出しを付けることによって、その部分が何についてなのか、雑にでも分かるようになった。一方見出しを付けるのにかかる時間は、一言一句訳している時間に比べれば圧倒的に短いので、日本語でノート全体を作成するよりもかなり時間の削減にはなる。しかしこれはとりあえずの局所最適解でしかないので、そのうちもっと良い方法を思いつくかもしれない。それより何より、他の人がどのようなノートを取っているのかぜひ知りたいです。きっと自分のやり方よりもよっぽど効率的でかつ実用的なやり方があるに違いない!

一応、以下にまとめとして自分が文献ノートを取るにあたって気をつけている点について箇条書きでまとめておきたい。

 

自分なりの工夫

  • ページ数を必ず記入する。後で引用する時のため。
  • 見出しを日本語で書き、内容を元の英文からコピー&ペーストする。
  • 特に重要な部分を太字にする。
  • Abstractがある場合は、そこのコアの主張と結果の部分を抜き出してノートの最初に載せておく。後で見直したときここだけ読めば大要がつかめるように。f:id:Penguinist:20180404050550p:plain
  • 自分の気付きや反論などを、「改行+矢印」の後に書き入れておく。矢印の後の部分は自分の言葉、それ以外は元の論文の言葉という区分になるように。f:id:Penguinist:20180404050714p:plain
  • ノートの末尾に「文献」という欄を作って、その論文ないし書籍が引用している、重要そうな文献を記録しておく。f:id:Penguinist:20180404050428p:plain

 

本文化と論文文化

研究者として、研究成果を発表して世に問うのは最も中心的な仕事である。自分も良い研究をして、できるだけ多くの読者を獲得したいと思っている。だが、その研究をいかなる媒体で発表するかという点においては、分野やアプローチによって大きな隔たりがある。具体的には、大きく分けて本文化と論文文化という2つがあるように思う。

例えば自然科学において、最新の研究成果が書籍として発表されることはまずあり得ないだろう。本になるのは教科書か、一般向けの概説書くらいなもので、あとはすべて雑誌への掲載が研究発表の媒体となっているはずだ。

人文社会科学の多くの分野では、本文化と論文文化が混在していて、どちらも発表先として重視されている。ただ、経済学などは自然科学に状況が近く、専門的な研究成果が本として出版されることはほとんどないという。他の分野については、その度合いに差があって、例えば政治学社会学などでは、博士課程の在籍中にも(量より質とは言われるが)論文の出版をすることが望ましいと考えられているし、博士論文の代わりに3つの雑誌論文程度の長さの論文を提出することで博士号を取得できる制度が多くの大学で整備されつつあり、オックスフォードでも一部の院生はこれを利用している。他方で、博士論文を書籍として出版するのが目標であり最初の成果であるとされている分野も多いだろう。

自分の観測する限り、政治学においては、まだ多数派的見解では「博士論文を提出した後、数年後に書籍として出来るだけ良い出版社から出版する」というのがゴールとされているような印象を持っている。論文を出すのも推奨されているが、それには必ず「沢山のそれなりの論文よりも、1つの素晴らしい論文の方が上」という留保が付けられる。そういう場合、本文化と論文文化の折衷案(?)として、本の出版に先駆けてまずその内容を切り取ったものを雑誌論文として投稿する、というパターンがよく見られる。もっとも、方法論を専攻する人やかなり高度な計量分析を使用する研究をしている人にとっては、これは当てはまらないだろう。そうした人々の多くがモノグラフではない論文ベースの博士課程をやっており、書籍の出版は眼中にないと思われる。

特にこの話にオチはないのだが、自分の場合は、やはり今後数年の目標として、博士論文を提出した後、それを良い書籍にしたい、というところに大きな目標がある。その過程でもちろん論文は出すだろうが、それはあくまで露払いであって、本番は書籍だ、という価値観を持っている。そういう意味では、自分は本文化に近いところに位置しているのだろう。論文程度の分量で言えることは限られていて、本格的な研究テーマは書籍になるような分量が必要だと考えている。しかし論文は出さないといけないので、論文にする研究はそこまで広がりがないもの、あるいは大きなプロジェクトの一部ということになる(というほど今の段階で沢山プロジェクトを持っているわけではないけど)。

ただ、読み手としての立場からみると、上述の「今後書籍になるものの一部」という論文を読んでも、消化不良感を拭えないことが多い。本来300ページ程度の本になるもののエッセンスを30ページくらいにまとめているわけだから、スケールの大きさに反比例して細部は粗くなり、それだけ読んでも全体を把握できたという気にならない。本物はその次に出される書籍であって、論文を完結編としては見ない。そういう論文を読んでいると、ついつい、商家の店先で「てめえなんざ相手にしてねえ、主人を出せ主人を」と番頭に怒鳴る破落戸のような気分になってしまう(藤沢周平池波正太郎山本周五郎の読みすぎ)。

質的研究と量的研究が対立しながら分離しつつある現在の政治学の状況を見れば、いずれ政治学は投稿先の雑誌が別々になってしまうのみならず、媒体も前者が書籍中心、後者が論文中心という風に完全に2つの文化に分かれてしまうのだろうか、などということを最近考えていた。このようにアウトプットの仕方が多様な状況では、業績評価の基準も難しくなるだろう。他の分野の話も色々と聞いてみたい。

 

オックスフォードカレッジ紀行①:St. Antony's College

以前の記事で「これから色んなカレッジを順番に紹介していきます」などと言ったにも関わらず、結局その後1ヶ月近くも更新していなかった。というかブログの更新自体にかなり間が空いてしまっている。博士課程1年目の終わりに出す研究計画書のドラフトを春休み中に書き上げたいと思っていて、結構集中してやっているため、なかなかブログに手が回らず。

いずれにせよ、やっと今日思い立ったので、第一回、紹介するのが一番楽な自分のカレッジ、St. Antony's Collegeを紹介したいと思う。まず、名前はAntonyであってAnthonyではないことに注意されたい。他のカレッジの人も含めてあまりによくされる間違いだし、地図などにも誤記されているのを見かけたことがある。なお、頻繁にカレッジ入口の壁の"St. Antony's College"の字からAとnが剥がれ落ちるので、St. tony'sになってしまうこともある。Aとnがなくなった場合の対処法としては、お隣のSt. Anne's CollegeのAとnを剥ぎ取ってくるのが一番手っ取り早い。しかし、そもそもうちのAとnがなくなったのはSt. Anne'sに取られたからだという可能性も否定できない。

同カレッジは、1950年に、Antonin Besseというフランス人商人によって設立された、かなり新しい部類に入るカレッジである。歴史の長い有名カレッジとは違い、院生だけが所属できるカレッジで、かつ専門分野は社会科学と一部の人文科学に限定されている。なので比較的専門の近い院生が集まることになる。新しいカレッジは全般的に市の中心部から離れた場所に散財しているものなのだが、St. Antony'sもご多分に漏れず中心部よりはかなり北に位置している。スーパーに買い物に行ったりするには10~15分歩かなければいけない。

このカレッジが特殊なのは、カレッジ内に日本研究所、中東研究センター、アフリカ研究センターといった地域研究のセンターが設置されていて、国際関係論と地域研究に強い点である。手元にある資料によれば、現在政治国際関係学部に所属しているIRの博士課程76人のうち、24人がSt. Antony'sに所属している。カレッジは全部で38あることを考えれば、この割合がいかに高いかが分かるだろう。日本人研究者でもこのカレッジ出身の方は数多くおられて、ちょっと考えただけでも政治学関連で10人近く思いつく。 

専門分野を反映してか、非常に国際的で、イギリス人の割合は限りなく低い。学部生がいないのである程度落ち着いた雰囲気で、フレンドリーな人が多く、ソフト面では非常に満足できるカレッジであると思われる。もっとも、財政面ではあまり恵まれておらず、奨学金やグラントなども弱いので、その点ではあまり満足できないかもしれない。また、写真で分かるように、建物は図書館を除いて現代的で、いわゆるオックスフォードの通俗的なイメージとはかなり異なるだろう。というわけで、人が訪ねてきた時に自分のカレッジを案内する優先度はかなり低くなる。

というわけで以下写真集。以前に載せたものもあるかもしれない。

f:id:Penguinist:20171025000239j:plain

中庭

f:id:Penguinist:20180323034408j:plain

食堂

f:id:Penguinist:20180323034426j:plain

コモンルーム

f:id:Penguinist:20180323034434j:plain

唯一自慢できる建物、元教会の図書館

f:id:Penguinist:20180323034419j:plain

マタタビ学の世界的権威


 

政治学におけるポスドク事情:キャリアセミナーまとめ

約1ヶ月ほど前に、学部で“The Academic Career Path: Postdocs”と題したポスドクについてのワークショップがあった。オックスフォードは以前はこういうキャリアセミナーみたいなものもなく、さらにアメリカのトップ校では当たり前のようにウェブサイトで公開されている卒業生の就職先(placement)を公開していなかったばかりか、そもそも記録すら取っていなかったという杜撰な状況だったらしいが、徐々にそれは改善しつつあり、今では年数回こういったアカデミアでの就職についてのセミナーが開催されている。今回はポスドクについてであったが、そこでの話が非常に参考になったのでメモを残しておこうと思い立った。セミナーを取り仕切っていたのはDavid Rueda教授である。この人はコーネルPh.D.

かつて政治学ではPh.Dを終えた後にポスドクを経ることは稀で、すぐにassistant professorやlecturerといった職を得るか、あるいはアカデミアに残れないかのどちらかだったのが、近年ではその間にポスドクを挟むのがかなり一般的なことになっているという。なお、その普及の度合いについてはアメリカとヨーロッパでは異なり、ヨーロッパの方が遥かにポスドクが一般的であるらしい。

特にヨーロッパでPh.Dを取った研究者にとってポスドクが重要である理由は、第一にアメリPh.Dと就職市場で競争するためであるという。ヨーロッパでは3-4年が一般的な博士課程だが、アメリカでは最低5年、普通は6,7年かかるわけだから、アメリPh.Dは一般的により長い時間をかけて博士論文を書き、業績を積み上げてくると考えられる。従って、ヨーロッパPh.Dにとっては、彼らにキャッチアップするために差分の2・3年が必要になるということらしい。ポスドクの期間で、博士論文を書籍として出版し、論文を執筆し、ネットワーキングに勤しむことで、テニュアトラックの仕事への応募に備える。

なお、アメリカにおいても、近年assistant professorの職を確保しておきながら、研究に集中する1年を得るためにポスドクを取る人が増えているという。勝者総取りの世界のようである。というか、アメリカでもポスドクが一般的になってしまうとキャッチアップできなくなるのではないか。

テニュアトラックの仕事と同様、ポスドクも非常に競争率が高いらしい。特に有名なポスドクのポジションはその傾向が顕著で、例えば例として挙げられていたのが、Nuffield CollegeのPostdoctoral Prize Research Fellowship(PPRF)というポスドク。今年の採用は300人の応募者の中からたった2人だったとのこと。300人から、"no-hopers"を除いていって、20人から30人に絞り込まれ、5-7人が面接に呼ばれたとか。最終的に採用されるかどうかは自分の努力ではどうしようもないところがあるから、いかにしてこの20-30人に残るかを考えることが大事だという。

また、ポスドクにはプロジェクトベースのもの(特定の研究課題に関連した人を採用してその研究に従事させる)と、自分の好きな研究をさせてもらえるものの両方がある。このあたりは基本的な情報なのだと思うが、自分はよく知らなかったので参考になった。

  • 採用において重要な要素

まず、自分ではどうしようもできないことの例として、採用側の候補者への需要や、他の応募者のレベルやテーマなどが挙げられていた。逆に自分でコントロール出来る要素の筆頭は、もちろん研究内容であり、その重要性をカバーレター等で上手にアピールすることが必要になるという。また、20-30人に残るための一番の近道が、パブリケーションである。既に出版されたものがあれば、それが能力の証明になるし、場合によっては採用側がそれを読んだことがあるかもしれない。そして、もう一つ重要なのが、推薦状だ。有名な先生が強い推薦状を書いてくれればかなり有利になるらしい。この点についてはオックスフォードの院生は不利で、なぜなら指導がアメリカのようなCommittee制ではなく、1人または2人の指導教員による個人指導であるため、3通の強い推薦状を確保するのが難しい場合が多いためである。それを揃えるためには、早くから戦略的にネットワーキングを行う必要があるのだろう。また大学院出願の時と同じような問題が出てくるとは厄介な話だ…

  • 就職市場に出るタイミング

セミナーで出た質問の中で、オックスフォードは3年で修了させようとするが、4年目をやることについてどう思うかというものがあったが、これに対する回答が面白かった。回答した教授の言葉を引用すると、"it doesn't make sense to get you out in three years"とのことで、大学の公式な方針としては早めに出そうとしているが、早く終わること自体には何の価値もないということだった。さらに興味深かったのは、オックスフォードではMPhil(2年間のリサーチマスター)を経た博士課程の院生は、標準年限が2年になるのだが、LSEが、「うちに来ればもう1年残れるよ」と言ってオックスフォードMPhil出身者を引き抜くということが起こっているらしい。正直なところ、学部3年+修士2年+博士2年という最短ルートで良い博士論文を書くのは相当困難であろうと思うので、オックスフォードの現在の促成栽培システムにも変化が求められているのだろう。

また、就職市場に出るのは、アピールできる成果が準備できた時にするべきであるということだった。大学院出願の時も同じだが、一回試しで限定的に応募してみて、翌年本腰を入れて沢山出す、というパターンもあるそう。ただし、お金の問題もあるので永遠に先延ばしにすることはできない。

  • 雑感

セミナーでは、Rueda教授の他に、オックスフォードPh.Dでハーバードでプリドク中、今秋からイェールでポスドク予定という人と、ハーバードPh.Dでオックスフォードでポスドク中という人の2人が来て自分の経験を話してくれた。当然のように名前を検索してCVやPublicationなどを見てみたわけだが、2人とも既刊論文こそあまりないが、working paperやグラントの獲得歴、教歴、発表経験などずば抜けていて、正直お化けのようなCVである。特に前者は同じ大学でそれなりに関係のある分野をやっている人なので興味深く見ていた。オックスフォードの院生は結構みんなのんびりしているという印象があったのだが、一部にはこういう人がいるようだ。自分が数年後このようになろうと思ったら、かなり頑張らないといけないだろう。自分の強みが何か、どの部分でアピールできるようにするかを戦略的に考えなければいけない。やはり第一は良い論文を出版することだろうと思う。

(参考―オックスフォードPh.Dの人のCV:http://www.allisonhartnett.io/assets/HARTNETT_CV_January2018.pdf、ハーバードPh.Dの人のCV:http://www.soledadprillaman.com/pagecv

そして、たとえオックスフォードやLSEであっても、イギリス有名校のPh.Dアメリカ有名校のPh.Dに比べると平均的に見て就職の際の競争力が低い、というのは厳然たる事実のようだ。それは1つには最大のマーケットであるアメリカの就職市場の閉鎖性(ほとんどアメリPh.Dしか採用しない)が理由になっているわけだが、年限の短さや財政支援の手薄さ、トレーニングの緩さなどが作用して、就職市場に出る時点での業績が平均的に低くなってしまうというのも大きな理由であると思われる。もちろんこれは平均で見た差であって、任意のアメリPh.D取得者とイギリスPh.D取得者を比較すれば必ず前者の方が能力が高いなどということを意味するわけではない。長く大学院にいても成果が出ない人もいれば逆もいるし、奨学金は外部から獲得することが出来るし、沢山論文を読んだからといってそれだけで良い論文が書けるようになるわけではない。しかし平均すると差はあるのだろうというのは自分がオックスフォードで半年ほど過ごしてみて感じたところではある(アメリカのPh.Dを経験していないので、そちらをちょっと過大評価している可能性は否定できないが)。自分はそういう全体的な違いがあることは知っていて覚悟しつつ、それは努力次第で克服できると思ってこちらに来たわけだが、果たしてそれがどうであるのかは、数年後に身をもって体験することになるのだろう。とりあえず今は一歩一歩進んでいくしかない。

なお、上記は政治学についての話なので、他の学問領域では事情は違うはずである。また、政治学の中でもPolitical Theoryの分野では、上記とは状況も異なるのではないかと推察される。

 

オックスフォードカレッジ紀行⓪:前置き―カレッジという制度

最近忙しく、ブログの更新が滞ってしまっていた。書き続けなければ埋もれてしまうだけ(書き続けていても埋もれてしまうけど…)なので、時間を見つけて何かしら書いていきたいと思う。

さてこのところ少々堅めの話題が続いていたので、今回はソフトなテーマで記事を書いてみたい。オックスフォードといえば、「カレッジ」という独特のシステムがあることは以前の記事でも書いた。ちょうどハリー・ポッターのグリフィンドールやスリザリンのようなもので、学部生にとっては生活と勉強両方の場であり、院生にとってはコミュニティ的な要素を持つ。学部生は入試の出願自体、大学ではなく各カレッジに出すことになっていて、院生は出願の際希望するカレッジを1つだけ選ぶことができる(が、そこに入れるとは限らないし、また希望を出さず割り振ってもらうという選択肢もある)。

いずれにせよ、カレッジという制度はオックスフォードを理解する上で欠かせない要素である。カレッジ毎に敷地があり、寮や食堂やスポーツ施設などがある。財政的にも各カレッジは個別に運用されていて、豊かなカレッジと貧しいカレッジが存在する。たしか豊かなカレッジの筆頭であるSt. John's Collegeは、その所有する敷地だけで(あるいはケンブリッジにある姉妹カレッジの敷地と合わせるとだったか、うろ覚え)オックスフォードからケンブリッジまで(直線距離で70kmほど)繋げられるという話を聞いたことがある。また、All Souls Collegeのように、独自の選抜試験を設けて毎年わずか10人程度のフェローだけを受け入れる、という謎に包まれたカレッジもある。

しかし、観光でオックスフォードに来ても見ることができるのは、38あるオックスフォードのカレッジのうち、せいぜい2つか3つ程度ではないだろうか(それ以上見ても退屈というのもある)。しかも、カレッジによって一般公開している時間はまちまちだし、入場料を取られることもままである。外部の人にとっては、カレッジの中を知るのはかなり難しい。

そこで、今回から、自分が訪れたオックスフォードのカレッジを順番に紹介していきたいと思う。留学期間はまだまだ先が長いし、そんなに頻繁にカレッジ巡りをしていられるほど暇なわけでもないため、更新頻度がどれだけのものになるかは正直分からないのだが、長い目で見て頂ければ幸いである。第一回目は、自分が所属するSt. Antony's Collegeを取り上げる予定。