紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

英米政治学Ph.D出願の記録 番外編③:オックスフォード政治学博士課程に来ない方が良い理由―2019年3月現在

前回の記事はこちら

前回の記事では、進学から1年半あまりが経って、オックスフォードに来てよかったと思う点を振り返ったが、今回は逆に、オックスフォードに来ることのリスク、不満な点を挙げていく。良い部分だけを強調して、すべてが薔薇色であるかのような幻想を与えないためにも、正直に悪い部分も開示したいと思う。

①指導教員と上手くいかないと非常に大変

数人の教員で構成されるコミッティーに指導を受けるアメリカのシステムとは異なり、イギリスの博士課程では、基本的に指導教員は1人である。2人指導教員を付けているひともちらほらいるが、1人の場合の方が多い。この点では日本と同じなので、我々にとっては馴染み深いシステムではある。

このシステムの難点は、指導教員と合わない場合に、非常な困難が待ち受けるという点である。指導教員がきちんと指導してくれないとか、自分の研究の方向性を認めてくれないとか、そうした問題が起きた時には、指導教員を変えるということを検討することになる。しかし、 イギリスの博士課程では、ほとんど授業などは履修しないので、他の教員とある程度以上の関係を築くのが容易ではない。指導は指導教員との一対一の関係がベースになるのだ。そのため、困った時に助けてくれる第二の教員がいない、という状況が起こりうる。

こうした事態を避けるために、うちの学部では、Departmental assessorが各院生に割り振られていて、この人がいわば「第二の指導教員」として、研究の進捗を見守るということになっている。オックスフォードの博士号を取るまでの過程には、Transfer of status、Confirmation of status、Vivaという3つの関門があるのだが、各関門において、2人のAssessorが必要になる。Departmental assessorはこのうちの1人として、審査プロセスを主導することになっている。一応このようなセーフティネットがあるのだが、指導教員を変えるというプロセスは、なかなか一筋縄ではいかないようだ。

私の場合には、今のところ、指導教員とは幸いにして非常にうまくいっている。必要なときにはアドバイスをくれるし、色々な人と繋げてくれるが、基本的に自分の研究の方向性を認めて、自由にやらせてくれる、自分にとって理想的な指導教員と言っていいと思う。東大での指導教員も、自分のロールモデルとなる人で、素晴らしい関係を維持できていると思う。

これを「幸運」と呼ぶこともできる。もちろん運の要素もあるのだが、それだけではなく、これは事前のリサーチの結果でもある。私は出願前に、指導教員候補と会うという目的だけで渡英している。LSEとオックスフォードの先生に会って話し、合いそうと思ったのが現在の指導教員だった。もちろん一回会ったくらいではわからないことも多く、どこかで賭けに出ないといけないわけだが、リスクを最低限にする努力は非常に重要だと思う。指導教員候補の訪問についてはこちらの過去記事に書いた。

②金銭的サポートが弱い 

博士課程の院生は、単なる学生ではなく、研究者でもあるのだから、相応の対価を得て生活できる状況に置かれるべきであると思う。特に学費が異常に高い英米の大学院では、学費が自弁となると非常に厳しい。学費相当額と、最低限の生活費の獲得が見込めるところに進学するのがベストだ。

その点では、オックスフォードを含むイギリスの博士課程はアメリカに大幅に遅れを取っている。アメリカでは、ある程度以上のランクのプログラムであれば、合格者は基本的に5年間は学費免除と保険、25000ドルから30000ドル前後くらいの生活費は支給される(TA義務の有無や金額など、条件は各大学によって異なる)のに対し、イギリスではそのような制度が整備されていない。一部の人には、ESRC(Economic and Social Research Council)やカレッジからフルファンディングが出たりすることもあるが、留学生にはハードルが高い場合も多い。それ以外の人々は、どこかから奨学金を獲得して来るしかない。これが非常に厳しい。

私の場合、まず採用して頂いていた2つの国内財団の奨学金のうち、1つに無理を言って、3-4年目に支給時期をずらして頂いた。例外的な措置を認めてくださった当該財団には、本当に頭が上がらない。しかし、この2つだけでは、1・2年目の生活費分がまだ足りなかった。そこで、政治国際関係学部にメールを出して、「足りない分の生活費だけでいいから出してほしい、貰えなかったら他に行くしかありません」と再三せっついた結果、DPIR Studentshipという奨学金をもらえることになったのだ。この3つの奨学金のうち、どれが欠けていても、オックスフォードに来ることはできていなかった。特にDPIR Studentshipが決まったのは、アメリカの大学院の返答期限の1日前とかだったので、オックスフォードに行きたいと心の中では思っていても、資金が獲得できていないという状況が精神的にかなり辛かった。

だから、イギリスの博士課程に行きたいと思っている人は、出願の1年前から血眼になって奨学金を探さなければならない。少なくとも資金的な面では、アメリカの大学院に行く方がよっぽどスタンダードな選択肢であり、「本当にイギリスでなければいけないのか」を受験前に考えてみる必要があると思う。例えば、アメリカのトッププログラムでは大体フルファンディングが用意されるということすら知らずに、イギリスの博士課程に応募しようとする人を見ることが時々ある。これは、とてももったいない。海外大学院受験はとにかく情報収集が全てで、その努力を怠ってしまうと、そのつけは必ず自分に回ってきてしまうことになるので、注意したい。

③トレーニングが弱い

前回の記事では、オックスフォードを含むイギリスの博士課程では、概ねトレーニングは修士課程の間に済ませているとみなされ、博士に入ってからは基本的に博士論文の研究に最初から本腰を入れることを求められる。最近はそれでも、少しは方法論などの授業を履修させようという動きもあるようだが、アメリカの2年間のみっちりとしたコースワークと比べれば、何ということはない。例えば、私の所属コース(国際関係論)では、統計の授業が1つ必修になっていたが、introductionかintermediateのどちらかを履修すればよく、前者はせいぜい重回帰程度しかやっていないと思う。私は後者を履修したが、それでも、ロジット/プロビット、生存分析、パネルデータ、空間分析などのそれだけで1つの授業になりそうなものを毎週きわめて表面的にカバーするだけで、これだけできちんと分析手法が身につくとは到底思えない程度であった。

研究に集中できるということは、前回書いたようにメリットでもあるわけだが、一方で、研究上必要なベースが身に付いていなくても、研究を始められてしまうという点は、問題でもある。まあ、コースワークをやったからといって、それが必ずしも研究能力が高いということを意味するわけではないが、 やはり政治学の諸研究に関する知識とか、方法論とか、そういった「引き出し」が多いことは、研究上有用であると思うから、既にそれが一定以上身に付いていると自己判断するか、自分でそれを補う努力ができるという場合以外では、イギリスの博士課程に進学することはリスクとなりうるのである。

④アカデミックな院生ばかりではない 

私がもう1つオックスフォードに対して不満に思っている点は、コーホートである。昨年の記事で、私が所属しているプログラムの修了者の就職状況を調べたことがあるのだが、その結果わかったのは、博士号取得者のうち、アカデミアに就職するのはおそらく半分かそれ以下であるということだった。他の人達は、国際機関やシンクタンク、政府関係や民間に就職し、アカデミアを離れる。

これはいわば、院生の進路に多様性があって、色んなタイプの人と出会えるということであり、将来的にも何か役立つことはあるのかもしれないのだが、同時に、アカデミアに対する熱の入り方が違うという意味では、デメリットでもある。つまり、アカデミア就職を考慮していない人は、基本的に博士論文だけを書きに来ているので、ジャーナルに論文を投稿しようとか、学会で積極的に発表しようといった考えがあまりない人が多い。なので、そうした人との間では、あのジャーナルのどの論文が面白かったとか、あのカンファレンスに行くとか、来るべきジョブマーケットにどう備えるか、といった話があまりできない。もちろん、アカデミア志向の人も半分はいるわけだが、日本にいたときの所属先では、周りのほとんどが研究者志望で、様々な情報交換ができたことを思えば、こちらのコーホートにはそうした点で物足りなさを感じることが多い。そうした事情もあって、私はIQMRのような、他大学のアカデミア志向の院生と会える機会をできるだけ逃さないようにしたいと思っている。

⑤事務が非効率

最後に、オックスフォードは事務があまり能率的ではない。これはうちの学部だけかもしれないが、他の学部の話も聞くと大差はないようなので、全大学的な問題である可能性もある。私の学部では、信じられないことに、博士課程の事務は1人が全部担っていて、この人がちょっと偏屈な人で、返事をすぐくれる時とくれない時があったり、連絡漏れがあったりすることが多い。また、事務の人の入れ替わりが頻繁で、この博士の担当者以外はよく人の出入りがある。当然人が変わると引き継ぎの関係でそこに非効率が生じる。

一番事務の問題を感じたのが、入学時、最初のオリエンテーションの日まで、自分たちがどういった授業を取り、どれが必修で、どれだけ単位を取らなければいけないかといったことが一切説明されなかったことである。オリエンテーションでも説明は要領を得ず、教員も人によって言うことが違うし、事務担当者もよくわかっていないという、カオスな状況が生まれていた。

オックスフォードの非効率性の大きな要因の1つは、カレッジと学部という2つの枠組みが複雑に絡み合っていることだ。例えば奨学金をとってみても、カレッジから支給されるもの、学部から支給されるもの、そして大学全体で募集されるものもあり、一元的な管理というものが全くなされていない。カレッジというのはオックスブリッジの特徴的なシステムで、コミュニティという面から見れば私は大好きな制度なのだが、効率性という面から見れば問題もある。「この1000年何をやってきたんだ」と思わされることもしばしばである。

 

英米政治学Ph.D出願の記録 番外編②:オックスフォード政治学博士課程に来た方が良い理由―2019年3月現在

1月は行く、2月は逃げる、3月は去るなどと昔から言うが、今年もあっという間に2ヶ月が過ぎ、3月になってしまった。留学組にとって1月下旬から4月前半の時期は、毎日そわそわする落ち着かない時期である。というのも、出願した大学院から合否が送られて来て、キャンパスビジットに行き、進学先を決めるのがちょうどこの時期だからである。自分の元にも、知り合いからぽつりぽつりと素晴らしい結果や、悔しい結果の連絡が来ている。2月が終わったということは、アメリカの大半の大学の「合格メール」の多くが送り終わったということを意味し、3月に来るメールは良くてwaitlist(補欠)、大抵は不合格という厳しい結果になる(もちろん例外はあるし、イギリスは結果が出るのが3月という場合も多い)。メンタルを大いに削られる時期である(この時期のことについては、こちらの記事こちらの記事を参照)。

運良く幾つかの大学に受かったという場合、その中から自分が今後数年間を過ごす大学を選ぶことになるわけだが、その決断は簡単な場合もあるものの、大体の人は大いに迷うことになる。ではどういう基準で選べばいいのかということは、一昨年以下の記事に自分なりの考えを書いた。

この記事の中で述べている、私が合格した3校の中からオックスフォードを進学先に選んだ理由を抜粋すると、以下のようなことを書いている。

結局自分は「アメリカの最先端」の研究動向とはどこかずれているし、アメリカで就職したいという思いはまったくなかったので、アメリカではなくイギリスに行く、という選択には抵抗はなかった。また、これは本来重視すべきではないのかもしれないのだが、修士の2年間で自分の研究関心とか、その政治学の中での位置などについてある程度考えてきたと思っており、こだわりもそれなりに強い自分にとって、それを一旦リセットしてまた2年間学生としてコースワークをする、というアメリカのPh.Dに行くことを想像すると、ちょっとしんどいというか、避けたいなという思いがあった。そんな中で、オックスフォードの先生が、Skypeで話した際に(嘘か本当かわからないが)「君はトップ合格のうちの1人だ。オックスフォードではPh.Dの院生を単なる学生ではなく研究者として扱うからぜひ来た方がいい。」と熱心に誘ってくれたこと、そしてオックスフォードの一員になり、あの街に住んでみたいという理屈では説明しにくい感情によって、最終的にはオックスフォードに行くことにした。

決断を下した時は、その時手に入る限りの情報に基づいてその時点で最適だと思われる選択をしたわけだが、実際に進学してみると、行ってみなければ分からない色々な事情が見えてくる。なので今回は、決断をした時点から約2年を経て、改めて自分の選択を検証するというか、オックスフォードに来て良かったことと悪かったことを正直に述べたいと思う。事前に思っていた通りだったこともあれば、想像と違ったこともある。今回は、今後政治学の博士課程に留学を検討している人を読者として想定し、その人達にオックスフォードをおすすめする理由について書く。次回は、逆にオックスフォードをおすすめしない理由について書く。これはオックスフォードを想定している人のみを意識して書いているわけではなく、進学先を決める上で、こういう要素もあるのだという一例を示したいという思いがある。

①学際的で枠にはめられることがない

もしあなたが「自分の研究が政治学なのか◯◯学なのか分からない」と思っているならば、オックスフォード政治国際関係学部(以下DPIR)は博士課程をやるのに適した場所かもしれない。歴史的な研究、地域研究に近い研究、国際政治の理論的あるいは哲学的な研究をやりたいという人を、「政治学」という枠に押し込めようとする圧力は、DPIRには「今のところ」存在しないと考えて良いと思う。流行りの研究であろうと「時代遅れ」の研究であろうと、それを受け入れる懐の深さはあると思う。ただ、これはPoliticsよりもInternational Relationsの方により言えるかもしれない。DPIRの博士課程はDPhil in PoliticsとDPhil in International Relationsの2つに分かれていて、別のプログラムとされているのだが、Politicsではナッフィールドカレッジ所属の研究者を中心に、「アメリカの最先端」に近い方向に標準化される傾向がある。 

また、オックスフォードでは学部とカレッジという必ずしも重なり合わない2つの仕組みがクロスしているため、自分のディシプリンとは異なる分野の教員・院生との交流の垣根が低い。カレッジから送られてくるメールには、毎日のように中東研究センターや中国研究センター、アフリカ研究センター、歴史学部といったところのセミナーの案内が載っているし、専門の違う院生と毎日カレッジの食堂で話すこともできる。学際的な幅広い交流の中から、他分野の知見を研究に活かすことを考えたり、自分の分野の常識が他の分野には当てはまらないことに気付かされたりして、自分の視野が広がっていくことを感じることができる。

②自分の研究に集中できる

もしあなたが「TAを義務として課されずに研究に集中したい」あるいは「自分はコースワークをこれまでに積んできたし、自分の研究テーマを既に確立している」と考えているならば、DPIRは良い選択かもしれない。イギリスの人文社会科学系の博士課程では、アメリカの多くの大学院とは違って院生にTAやRAをすることは要件として課されていない。EU圏外の院生にとって、オックスフォードの博士課程に進学するということは、どこかからフルファンディングを受け取っているということを意味するので(オックスフォードの奨学金が充実しているという意味では決してなく、むしろ真逆、つまりフルファンディングでなければ普通の院生に年300万以上の学費+カレッジ費を払えるはずがないのだ!)、TAと引き換えに給料をもらって生活する、という必要がない。週20時間をティーチングに捧げる必要なく、自分の研究を行うことができる。

さらに、IRのプログラムでは1年目の1学期目に3科目、2学期目に2科目、3学期目に1科目を履修すればいいだけで、あとは自分の研究に集中できるし、Politicsのプログラムではそもそも必修授業というものがなく、極端な話まったく授業を履修する必要がない。研究時間は十二分に確保できると言って良い。

もっとも、注意しなければいけないのは、ティーチング経験は将来アカデミアで就職するために重要なものであり、避けるべきものではないということである。私も3・4年目にはTA(といっても大人数クラスを教えるのではなく少人数のチュータリング)をするつもりでいる。ただそれをやらなければお金がもらえないという状況と、それをオプションとして自分の好きな時に選択できるというのでは場合が異なる、という話である。

同様に、自分がこれ以上コースワークを必要としておらず、研究テーマを確立しているという自己認識は、まずは疑ってかかるべきである。3・4年しかないイギリスのPh.Dにおいて、研究テーマを変えてゼロから新しいことをやるのは非常に難しい。自分が考えている研究テーマが博士論文になるものかどうか、慎重に検討し、自分が方法論や各分野の知識について、自習できる範囲以前の基礎的な能力を身に着けているかを問うてみる必要があることは強調しておきたい。とはいえ、完全に博論が書けると入学時点で確信できるはずがないし、知識の習得には終わりが無いから、どこに進学しようが、どこかで「学習」に専念する段階に区切りをつける必要があるのは確かだ。

③早く終わる&居住要件が緩い

以前の記事にも書いたが、イギリスの博士課程は、アメリカのそれと比べて、コースワーク部分にあたる2年分だけ短い。日本と同じく、3年の標準年限で修了するという人はあまり多くはないが、4年くらいでだいたいみんな終わっている印象だ。また、コースワークがないか1年目で終わるので、その後は特にどこに住んでいても問題ない(ただ、合計2年間は住んでいないといけないというルールがあったと思う)。

なので、極端な話、1年目だけオックスフォードに住んで、2・3年目は日本に帰国し、4年目にオックスフォードに戻って博論を書き上げる、というようなこともできるわけなのだ。こうした自由度の高さは、例えば日本にパートナーがいる、とか、日本で何か仕事をしなければいけない、というような人にとっては理想的だろう。全体的に、オックスフォードを含め、イギリスの(政治学)博士課程は「博士論文を書きに行くところ」と考えるのがよいだろう。

知名度・ネットワーク・機会がある

あまりこういう要素を強調するのははしたないと思うのだが、やはりオックスフォードに行く利点の1つに、その知名度があることは否定できない。 結局、各専門分野における各大学の評価の高さを正確に知っている人など、その分野の専門家以外にはまずもって皆無であるし、専門分野の研究者であっても、正直あまり他国の事情には明るくないという人も多いのではないかと思う。同じ研究者同士の評価は当然、業績によってなされるべきであるし、そうなっていると思うが、 それ以外の場で人と関わる際に、エクストラの印象を相手に与えられる、という、生々しい側面があるのは否めない。そればかり気にするのはつまらないことだと心から思うが、所詮人が知っている世界の範囲は狭いので、自分の住んでいる世界の外の人に対する有効なシグナルとして、オックスフォードは機能すると思う。

もっと実用的な利点としては、例えばフィールドワークをする際に、大学の名前を持ち出せば、信用してもらえる可能性は少し上がるのではないかとも思われる。知名度があるということは、色んな場面で役立つということを、カタールでも実感している。結局話を聞いてもらえるか、信用してもらえるかは、自分の中身によるわけだが、最初のハードルを乗り越えやすくする、門前払いを防ぐ、というような効果は間違いなくあるはずだ。

それに加えて、オックスフォードには、国内外から色んな研究者が集まってくるので、講演を聞きに行ったりする機会が沢山ある。各学部や研究所から毎日山ほどイベント情報のメールが送られてくるので、行きたいものに全部行くのは到底無理なほどである。

また、アラムナイのネットワークも各国に存在するので、日本のアラムナイイベントに参加したり、第三国にフィールドワークなどで行った際にも、現地のアラムナイに連絡を取って会ったりすることができる。私もカタールで、カタール人で初めてのオックスフォード生だったというアラムナイに会った。

⑤楽しい

最後に、オックスフォードの生活は純粋に楽しい。 カレッジという仕組みが存在することで、分野や国籍を超えて沢山の友人を作ることができ、ソーシャルに充実した生活を送れるだろう。留学中に日本人とどれくらい関わるかというのは、人にもよると思うが、オックスフォードには日本人留学生も一定数おり、定期的にイベントが催されているので、孤独感を味わうことは少ないはずだ。

それに加えて、オックスフォードはロンドンから電車で1時間ほどなので、大都市が恋しくなったら気軽にロンドンに足を運ぶこともできる。とはいえ、私は大阪・東京という大都市に住んでいたくせに、ロンドンの雰囲気はそこまで好きではなく、研究上の必要からロンドンに行って、オックスフォードに帰ってきた際などは、心から安心するようなタイプなのだが…

また、長期休暇の際など、旅行に行こうとなった場合にも、イギリスならば選択肢は非常に多い。ヨーロッパの魅力は、近距離にそれぞれ異なる魅力を有する国家がひしめいているところで、すなわち、早く安く外国に旅行ができるのだ。これは北米に行ってしまうと決して味わえない旨味で、私がトロントに留学していた際には、「どこまで行ってもカナダかアメリカ」という現実に打ちひしがれていたことを考えると、イギリスはありがたい。

あと、来てから実感したのは、友達が日本や他の国から訪ねて来てくれる頻度が高いということだ。これは、オックスフォード自体が観光地であるのに加え、ロンドンから近いため、ロンドンに仕事や旅行で来た人が気軽に立ち寄りやすいという要因がある。まあ、友達が来やすいのでオックスフォードに進学します、などというちゃらんぽらんな人はさすがにいないと思うが。

ワーク・ライフ・バランスについては、人それぞれ考えがあると思うが、個人的には、研究は人生の一部でしかなく、たとえ数年であっても、研究だけのために人生の楽しみを犠牲にしたくはないと考えている(もちろん、やるべきことはやった上で)。素晴らしい研究をするために、数年間は研究以外をシャットアウトして没頭する、という修行僧的な姿勢は本当に尊敬するのだが、自分はそんなに身体が強いわけでもないし、「生臭坊主」として、現世利益を楽しみながら研究を行っていきたいと思う。オックスフォードを選んだ背景には、そうした考えもあったし、今のところ、その選択は間違っていなかったと思う。

 

今回はオックスフォードのおすすめできる点を列挙してきたが、次回は一転、問題点を指摘したいと思う。 こっちも沢山ある(苦笑)。

カタールの観光名所

カタールでは、他のイスラーム諸国と同様、土日ではなく金曜日と土曜日が休みであるという話は以前の記事でもしたが、週末には大学から人が消え、キャンパス内を結ぶシャトルバスも走っていないので、通常通りオフィスで仕事をする、というのが難しい状況に置かれる。今回の「フィールドワーク」には、現地の生活を体験するという大義名分もあるので、せっかくだから毎週末観光をしようと決めた。ただ残念なことに、カタールには正直言ってあまり大した観光資源がなく、主だった観光名所は3週間目くらいで早くも制覇してしまった。なので今回は数少ないカタールの観光スポットをご紹介したいと思う。

スーク・ワキーフ

最初に紹介したいのは、市内中心部にある市場、スーク・ワキーフ(Souq Waqif)。近代都市ドーハにおいて、古いアラビアの香りを残した(風に演出された?)市場である。食品や衣料品、土産物屋に加え、レストランやカフェも集合していて、ペットショップが立ち並ぶ区画や、デーツ専門店などもある。ドーハで観光といえば真っ先にここが浮かんでくるだろう。

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イスラーム美術館

お次はイスラーム美術館(Museum of Islamic Art)。スーク・ワキーフから歩いて行ける距離にあり、海にせり出た形になっている。周辺は緑地になっていて、市民の憩いの場として機能しているようだ。その名の通り、イスラーム美術を展示する美術館で、イランやトルコ、エジプトなどから収蔵品を集めている。後で紹介する国立図書館と並んで、建築がとても綺麗なのだが、惜しむらくは見た限り、カタールの品は1つもなかったことだ。まあ、湾岸地域はイスラーム世界にとって、ほとんど文明の周縁地域であったので、仕方ないといえば仕方ないのだが…

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砂漠ツアー

市内中心部から離れて観光する時間があるのなら、砂漠ツアーはとてもおすすめだ。私が体験した観光の中では、一番楽しかった。旅行会社を通じて現地ツアーを申し込むと、ホテルまで4WDの車で迎えに来てくれて、ドーハから南下し、サウジとの国境付近まで向かう。砂漠に入る前にタイヤの空気を抜きがてら休憩し、その間にラクダ乗り体験がセットになっていることが多い。目玉は砂漠を縦横無尽に走り回るdune bashingで、これが超爽快。砂漠をバックに写真撮影するのもいいだろう。

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カタール国立図書館

私がいるEducation Cityの中にあるカタール国立図書館(Qatar National Library)も、観光スポットというか、写真スポット(?)になっている。というのも、この建物の建築は圧倒されるほど美しいからだ。オックスフォードにある図書館は、歴史を感じさせる美しさを有するものが多いが、こちらは現代的な建築としての美しさである。建築は詳しくないのだが、OMAという事務所が設計したらしい。ちなみに、Education City全体のマスタープランは、日本人建築家の磯崎新が担当したとのことだ。会員証がないと本は借りられないが、中には誰でも入れるし、カフェなども利用できる。市内中心部からは車で20分ほどかかるが、足を伸ばしてみてもよいかもしれない。

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ここで挙げた観光名所を全部回るには、2泊3日もあれば十分だろうと思われる。もしカタールに行ってみようという酔狂な人がいれば、 参考にして頂ければ幸いである。

夢のフシギ

僕には夢がある。希望がある。そして持病がある。

そういうアフラック的な話をしたいのではなくて、夜寝ている間に見る夢の話だ。誰しも夢は見ると思うが、私は人と比べても夢をよく見る方だと思う。そしてその内容を比較的よく覚えている。

その夢について、長年不思議な経験をし続けている。何かというと、私は生まれてから中3まで大阪の生家に住んでおり、そこから奈良に引っ越して、さらに大学進学を機に上京したのだが、夢に出てくる「自分の家」は、必ず生家なのだ。何年たってもそれは変わらない。100%生家。カナダに留学していたときも、イギリスに留学している今も、夢での家は生家。

別にその家が特別好きだったわけではない。狭くて古い家であった。今の実家のほうがよっぽど良い環境であり、気に入っている。それなのに、夢で新しい方の家が出てきたことは未だかつてないのである。

普段生家のことを思い出すことはまずない。なのにたまに、生家の最寄り駅の線路沿いを不審者に追いかけられて家を目指して逃げ、家の玄関の引き戸を閉めようとするが閉まらない、というような変な夢を見ることがある。不思議なことに、それをずっと繰り返していると、夢の中で生家が出てきたとき、「あーまた設定この家だよ。変だなあ。」などと意識のどこかで思っているのだ、寝ているのに。最近はさらに「もうこの家住んでないし、そもそももう存在しないんだけどな」などと思っている自分を意識しながら夢を見ている。

同じような変な夢はもうひとつある。今になってもう一回大学受験をさせられるのだが、受験の記憶はもうないから苦戦して成績が低迷する、という夢である。この夢についても、ある時から、「もうこの大学に受かっているのだから、これで不合格になったとしても関係ない」という新設定が加わったのである。じゃあそんな夢見せるなよ、と思うのだが、なぜか定期的に見る。よっぽど大学受験がしんどかったのだろうか。

夢というのはフシギなものだ。

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夢を食べるというバク。変な夢を食べてほしい。

 

カタール日記 Week 2:世界一退屈な街?

カタールはドーハでの「フィールドワーク」生活も、もう3週間近くが経過しつつある。こちらでは、土日ではなく金土が週末なので、日曜日に大学に行くとついつい月曜日感覚になってしまう癖が抜けない。月曜日は火曜日感覚、火曜日は水曜日感覚・・・とずれていくので、ふとした瞬間に「あ、今日はアポイントメントがあったのに忘れてしまった!」と真っ青になった後に「いや、それは明日だった。」と気づくということを何度も経験しており、大変心臓に悪い(これを書きながらまた一回その勘違いが発生した)。

前回の記事では、新しい環境に満足している旨を書いた。

penguinist-efendi.hatenablog.com

2週目になっても生活は相変わらず快適だが、慣れてくると問題点も少しずつ見えてくる。真っ先に思い浮かぶのが、食事の単調さである。私が住んでいる大学のゲストハウスは、Education Cityという、カタール政府肝いりで作られた欧米の大学のブランチキャンパスが集まった地区の中にあるのだが、この地区は市内の中心部からは離れており、外食をするにもUberで20分ほど遠出をしなければいけないので、基本的に寮の食堂か、大学の食堂で食事をしている。寮の食堂はビュッフェ形式で、そう言うと聞こえは良いのだが、その内容が毎日ほとんど変わらない。米、温野菜、豆系の煮物、パン、パスタ、魚、チキン、ビーフと並びも決まっていて、マイナーチェンジはあってもほとんど同じ料理なのである。味自体は悪くないのだが、さすがに毎日食べていると飽きてくる。そのせいか、というか間違いなくそのせいで、現地の学生はあまり食べに来ず、広い食堂は毎日閑散としている。こういうところにも潤沢なはずの予算をもっと注ぎ込めばいいと思うのだが…

もう1つの問題は、娯楽の少なさだ。ドーハといえば「世界一退屈な街」というフレーズが「悲劇」の次くらいに連想されるという人も多いと思うが、その下馬評に間違いはなく、実際にドーハの娯楽といえば、ショッピングモールに行くというのが最大のもののようである。ドーハには数多くのショッピングモールが存在し、国民一人当たりショッピングモール数では世界トップクラスではないかと思われる。ところで、ドーハは世界一退屈な街である、という言説はいつどこで生まれたのだろう。オックスフォードの友達に英語でthe most boring cityと言ったら何で?と聞かれた。英語で"Doha  the most boring city"などと検索しても、あまり出てこない。日本だけなのだろうか?

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ヴェネツィアを模したショッピングモール。この運河は実際に舟で渡れるらしい。

その他で印象に残っているWeek 2の出来事といえば、インタビューのためにお会いしたカタール人の方の車(BMW)がとんでもなく豪華だったことだ。外観からして只者ではない車なのだが、内装も高級感に溢れていて、車に詳しくない私でもモノの違いが一目でわかるような車だった。高級車だと普通なのかどうか、中産階級の出身なのでわからないが、車が動き始めるとシートベルトが自動で調整される、という機能もついており、また凸凹の多いドーハの道路を走っていても衝撃がほとんど伝わらない。車に限らず、バッグであるとか、(私が見た範囲の)カタール人の人が所有しているものは、おしなべて高級で驚く。同じ豊かな産油国でも、例えばブルネイに行った時に見たものと湾岸を比べると、歴然とした差があるように思える。

もう1つの出来事は、なんといってもサッカー、アジアカップの決勝戦カタールvs.日本であったことだ。結果はご存知の通り、カタールが3-1で勝利したわけだが、私は市内中心部にはいなかったものの、大学の近くでのパブリックビューイングに行った。応援は大層なもので、老若男女、旗を振りながら熱心にカタールを応援していた。興味深いのは、選手もそうだが、観ている人々も、明らかにカタール人ではない人々が大いに盛り上がっていたことだ。「国民」「ネイション」とは何かを考えさせられる光景だった。

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サッカーのパブリックビューイング

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そういう日常生活における体験も、またフィールドワークの意義の1つなのだろう、という都合の良い解釈をしていたら、また一週間が過ぎた。