紅茶の味噌煮込み

オックスフォード留学記

英米政治学Ph.D出願の記録⑪:進学先を決める

前回の記事はこちら

penguinist-efendi.hatenablog.com

前回は、合格が出てからいったい何が起こるのかについて書いた。出願までのプロセスについては事前に考えることも多いと思うが、実際に受かった後のことは「受かってから考えよう」と思って後回しにしていることが意外に多いと思う。というか私自身がそうだった。そのために、合否が出揃ってからの約1ヶ月は、毎日悩み通しの日々になってしまった。以下では、私や周りの経験、そして人から聞いた話などから、どのようにして合格校の中から最終的に1つの進学先を選べばよいのかについて考察したい。なお、ここで書くことはあくまで私の個人的意見であって、正解などは存在しないことを最初に断っておきたい。

  • 基準1:一番付きたい先生(複数)がいる

やはり、博士課程は第一義的には研究者としての訓練をしに行くところであり、必然的に誰に指導を受け、誰と一緒に研究するかという問題は非常に重要になる。そのため、一般的には、より自分が興味を持てるような研究をしていて、より自分と性格的にも合いそうに思える先生がいる大学に進学するのがベターな選択だと言えるだろう。

ただ、そういう先生が1人しかいないと、その人が何らかの事情で異動してしまうとどうしようもなくなってしまう。アメリカやイギリスでは院生も一緒に連れて行く、という場合もあるようだが、そんなに何人も連れて行けるわけではなく、自分がそれに選ばれるとは限らない。リスクヘッジのためにも、ファカルティは個人ではなく集団として比較したい。

  • 基準2:ランキングが高い

出願先の選択についての記事でも述べたが、やはりランキングやreputationというものは物を言う。こういうとものすごく夢のない、俗な話に聞こえるし実際そうなのだが、実際に自分の研究の意義を分かってくれる人はごく狭いサークルでしかないし、その外の人(アカデミア内外含めて)にとっては、大学の名前というのが1つのシグナルになる面はあるし、だからこそreputationによって優秀な人が集まることにもなる。また往々にしてランキングが高い大学はファカルティや資金も充実しているから、そういう意味でも、よりランキングが高い大学を選ぶというのも1つの立派な基準であろう。

  • 基準3:資金が豊か

Ph.D生活をする上で避けて通れないのが奨学金や研究費の問題である。資金力の弱い大学だと、まずTAなしのFellowshipが1年も与えられない場合がある(つまり1年目から負担の多いTAをしなければお金がもらえない)一方で、財政が豊かな大学では、TA義務がなしで5年間のFellowshipを貰えたりもする場合がある。大抵はこの中間の1~2年はFellowship、残りはTA義務と引き換えに給料、というパターンだろうが、その中でもできるだけ支援が充実している大学を選ぶというのは1つの手だ。給料だけではなく、フィールドワークや学会発表をする際の旅費などを毎年出してくれるような大学、あるいは6年目以降も支援を受けやすい大学だとなお良いだろう。そうなると、有名私立大学の方が、州立大学よりも概ね有利ということになる。自分が得たオファーを見比べて判断しよう。

  • 基準4:就職実績が良い

これはランキングとかなり相関していると思われるので独立した基準として挙げるべきかは微妙だが、一応挙げておく。博士課程は最終的なゴールではなく、研究者を目指す場合そこからどこかの大学に就職しなければならないわけであり、その際、その大学がどれだけ「就職に強い」のかが重要になってくるはずである。もちろん実際先輩と同じ道をたどるわけではないのだから、個人個人の問題ではあるのだが、一般的な傾向として、そのプログラムの卒業生が研究大学のAssistant Professorの職を得られているのか、それともみんなほとんどポスドクかあまり研究志向ではない大学の職になっているのか、はたまたそもそもアカデミアに就職実績がほとんどないのか、という点を把握しておくことは大事だと思う。こうしたplacement recordsは、大学のウェブサイトに公開されている場合も多いし、そうでなくとも合格者が頼めば大学の担当者が見せてくれるだろう。

  • 基準5:他の院生のレベルや相性

これも他の基準とかなり関係しているのでわざわざ挙げる必要もないかとは思うのだが、教員は大事とはいえ、日々一番多くの時間を過ごすのは同期や先輩・後輩といった仲間の院生である。周りのレベルが自分と合っていないと話も合わないし、物足りなさや逆に強い劣等感を感じてダメになってしまう可能性もある。さらに、例えば留学生が自分ひとりで他は全員アメリカ(イギリス)人となると、学部の交換留学なら「現地の生活に触れられる」という意味で良いかもしれないが、長い長いPh.Dでは悩みを共有できる人がいないという問題が容易に生じるだろう。また、ほとんどの院生がアメリカ政治をやっている大学で1人国際政治をやるのはきついだろうし、全員ガチガチの計量をやっているような大学で歴史的な研究をするのも周りと話が合わないだろう(まあそういうミスマッチなところに受かることはまずないとは思うが…)。1日2日訪問したくらいでレベルや相性が完全に分かるはずもないのだが、できるだけ多くの人と話して、そこで得た直感を大事にしたい。

  • しかし・・・本当にそれだけで決められるのか?:「その他の条件」の重要性

ここまで書いてきたのは、極めて合理的な、もっともらしい(実際もっともな)基準であった。博士課程を、研究者としての修業の場として捉えた場合、上記のような基準が判断を左右することは疑い得ないだろうし、自分も意思決定のプロセスで上記のようなことを考えるように言われた。

だが、本当にこうした学問的な条件だけでみんな意思決定ができるものだろうか。もしそうだとすれば私にとっては驚きである。もちろん、ハーバードに受かったのにだれも知らないような大学に行きます、という人がいたらそれはあまりに極端だ。でも、博士課程の進学先は、研究者としてのトレーニングを受ける場所であると同時に、今後何年もの時間を過ごす場所でもあるのだから、純粋に学問的な条件だけで決めるのが正しいことだとも思えない。研究者には一定数、衣食住に関心のない人というのがいて、そういう人は純粋に合理的に判断できるのだろうが、自分がそうではないなら、「その他の条件」も最大限考慮して良いのではないかと思う。研究面でアンハッピーな場所に行ってしまうと、日々の生活もアンハッピーになってしまうだろうが、その逆もまた然りである。

往々にして、自分が人にアドバイスする時には、理屈で原則的なことを言ってしまうものである。私にも覚えがある。しかし振り返って自分が同じような決定をした時のことを(忘れていなければ)思い出してみると、実は自分も、(後付けの理由はあっても)完全には合理的に説明しきれないような要素によって決断をしていたりするのだ。人がくれるアドバイスは相互に矛盾していることも多いし、最終的に決定を下すのは自分である。またその責任を負わなければいけないのも自分である。あの人がこう言っているからこうすべきなんだろうと考えて無理やり自分を納得させようとしても、抑圧された不満はふとしたきっかけで噴出する。まあもちろんそうなったっていくらでもやり直しはきくのだと思うが、やっぱり自分の決断だと自信を持って言えることが第一ではないだろうか。

ではどういう「その他の条件」が重要だと思うかというと、1つは住みたい街であること。最寄りの空港から車で2時間、日本に帰るには乗り継ぎ2回、大学の周りには鹿と猪、ごくたまに人、みたいな街に、たとえプログラムが魅力的でも住む気になれるだろうか?私には無理だ。あるいは寒さに弱い人に極寒の地の大学は向いていないだろうし、逆に年中サーファーがワイワイやっている土地にインドア派の人間が住むのは厳しいだろう。幼いころに住んでいたことがあって何となく親近感がある土地にもう一度住んでみたい、というような場合もあるかもしれない。一日24時間研究をやれる人なんていなくて、みんな生活というものがあり、その生活の環境によってその人の精神状態は大きく左右され、研究の進捗が精神状態に影響するのと同じように研究面以外の要素による精神状態の変化が研究の進捗にも影響する。だから実は、住みたい街に住むというのは研究面でも重要だと思う。

そして、そこで新生活を始めている自分を想像してみて、楽しそう、すぐにでもやりたいと思うことができたら、そこが自分の行くべき場所だと思う。そういう風に思えるということは、素晴らしい先生がいたり、周りの院生がすごくフレンドリーで研究関心も合ったりというような研究上の理由もあれば、昔から憧れていた大学だったり、大好きな街であったりというようなもう少しふわっとした理由であるかもしれない(なのでこの基準はそれ自身では特に意味を成さないのだが)。理詰めで自分を他の大学に行かせようとしてもどうも決めきれないというような時には、やはりその場所に何か自分を強く惹きつけるものがあるのだ。それを大事にしてみるというのも1つの生き方だと思う。研究に全身全霊を尽くすというのは素晴らしいことではあるが、研究が人生の全てではないということは、留学を目指す高い志の熱に浮かされている時期にこそ、認識しておいて損はないと思う(と留学直前の人間が言うのも何か変ではあるが…)。

  • 自分の進学先決定の経緯

次に、私自身がどういう風に進学先を決めたのかを簡単に書きたいと思う。私は数の上ではアメリカ中心に受けたし、周りで留学する人の雰囲気も、まずアメリカありきな感じであった。ただ、推薦状を書いてもらった先生の1人から、イギリスの大学院を受験するのはおすすめしないと言われ続けながらも、イギリスの大学も捨てきれずにいた。結局自分が迷った時の常として「両睨み」の作戦を取り、どちらも受験した上で受かったところの中から合格後に考えよう、ということでとりあえず色々と受けてみることにした。その結果、アメリカの出願はそれほどうまくいかなかったが、結局ノースウェスタン、ブラウン、オックスフォードからは博士課程のオファーをもらった。

ブラウンの教員は魅力的で、エマ・ワトソンが行っていたこともあり日本でも結構知られているが、(変わりつつあるみたいだけど)どちらかと言えば学部生の教育に特に力を入れている大学であり、政治学の博士課程は規模が小さくそれほど知られていないこともあって、まず選択肢から抜け落ちた。残るはノースウェスタンとオックスフォードである。

しかしここからが難しかった。ノースウェスタンは、アメリカの政治学の中では珍しく、今でも歴史的・質的なアプローチを取る研究者が多く、James Mahoneyという定性分析の方法論で有名な先生がおり、他にも同様のアプローチを取る研究者がかなり揃っている。今のアメリカではある意味傍流であるため、ランキングでは20位前後をうろうろしているが、私にとっては関心にドンピシャのプログラムであった。合格後に連絡を取っていた2人の先生(上述のJames MahoneyとHendrik Spruyt)は共に非常に感じがよく、この人達の下で博士論文を書けば良いものができそうだ、という気がした。ただ一方で、訪問の時に会った院生のレベルや、大学での授業やセミナーなどの充実度、大学周辺の環境などの面では、あまりしっくりこなかった。ここで5,6年暮らしていくと考えると、あまり気持ちが上向かないようであった。一方でオックスフォードは、政治国際関係学部の規模が大きく、博士課程の院生も各学年30人くらいはいるようで、ヨーロッパの学界のハブだけあって様々な研究者が発表をしに来る。私の指導教員になる人は、面談した感じ自分の研究を評価してくれていて、性格的にも合いそうに思えた。大学周辺の環境が素晴らしいのは言うまでもないだろう。そこでの生活を想像すると気分が浮き立った。ただ、アメリカではなくイギリスに行くというのはあまりメジャーな選択ではなかったから勇気がいるし、自分はこれまであまりヨーロッパの研究者の研究に触れてこなかったから、向こうの様子がよくわからない。また、ノースウェスタンの指導教員候補と比べて、オックスフォードの指導教員候補はまだ若く、国際的な知名度もそれほど高くなかった。

こういうどっちを選んだらよいか分からない状況に直面し、沢山の人に相談をした。直接の知り合いではなかった人にも人に紹介してもらって相談をし、様々な有益なアドバイスを頂いた。それによって考えるべき点は明確になっていったが、ノースウェスタンを勧める人とオックスフォードを勧める人の割合は半々くらいで、アドバイスが決定に直接作用する、ということはなかった。実は、途中までオックスフォードからファンディングが出るかわからなかったので、出なかったら問答無用でノースウェスタンに行くことになっていたのだが、どうも心のどこかではファンディングが出なくてもオックスフォードに行きたいと思っていた節がある。

結局自分の関心は「アメリカの最先端」の研究動向とはどこかずれているし、アメリカで就職したいという思いは特になかったので、アメリカではなくイギリスに行く、という選択には特に抵抗はなかった。また、これは本来あまり重視すべきではないのかもしれないのだが、修士の2年間で自分の研究関心とか、その政治学の中での位置などについてある程度考えが定まったと思っており、こだわりもそれなりに強い自分にとって、それを一旦リセットしてまた2年間学生としてコースワークをする、というアメリカのPh.Dに行くことを想像すると、ちょっとしんどいというか、避けたいなという思いがあった。そんな中で、オックスフォードの先生が、Skypeで話した際に(嘘か本当かわからないが)「君はトップ合格のうちの1人だ。オックスフォードではPh.Dの院生を単なる学生ではなく研究者として扱うからぜひ来た方がいい。」と熱心に誘ってくれたこと、そしてオックスフォードでこの先の数年間を過ごしたいという理屈では説明しにくい感情によって、最終的にオックスフォードに行くことを決定した。

  • 進学先相談の過程でもらった名言集

最後に、私が進学先について沢山の人に相談してもらったアドバイスの中から、特に印象に残っているものを幾つか紹介したい。いずれも、今後心に残っていくであろう、至言である。

①「そのような状況だとおそらく正しい選択というものはそもそも存在せず、選んだ道が結果的に正しくなるよう頑張るしかない気がします。」
→オックスフォードの進学先の先輩の言葉。2つの大学の間で決めきれずに悩んでいた自分にとって、「どちらかの選択肢は間違っている」と言わず、「これからの努力にかかっている」という未来志向のアドバイスは非常に響いた。とてもお気に入りの一言。

②"Unfortunately, there is no algorithm for selecting the right graduate program. It is partly a 'gut feeling' decision."
→結局選ばなかったノースウェスタンの先生の言葉。迷っていることを伝えた時も、うちは良いあっちはダメだ、ということを言わず、迷うのは当然だし、うちを選ばなかったとしても納得できると言ってくれる度量の広さに感銘を受けた。これも、「どっちを選んでも間違いではない」と安心させてくれた。