紅茶の味噌煮込み

オックスフォード留学記

オックスフォードと人種差別

今週は学期の7週目であり、今学期も残すところあと2週間程度となった。12月半ばから1月初めまでは日本に帰国する予定でいる。トロントに交換留学していた時は帰国しなかったのだが、年末年始を外国で過ごすと何か気持ちが切り替わらないというか、しっくりこないのだ。

それはそうと、先週末にカレッジでRace Workshopというものがあった。これはオックスフォード1年目の学生が必ず受講しなければならない1・2時間程度の講習で、数週間前にはSexual Consent Workshopというものもあった。学生の差別やハラスメントに対する意識を高めようという大学側の試みである。

こういう「強制参加」のイベントというのは、通常楽しくもないし時間を取られるので、適当にやって早く帰ろうぜ、となるのが人情だが、前回のSexual Consent Workshopも、今回のRace Workshopもかなり興味深く、かつ参加者もかなり真剣に取り組んでいたので印象に残った。

Race Workshopは、Graduate Common Room(GCR:学生自治会みたいなもの)の担当者が人種差別についてプレゼンをし、ディスカッションをする形式であった。人種差別といっても、あからさまな差別というよりは、日常のふとした発言が相手を不快にさせるというような"micro-aggression"について理解を深めようという内容が主である。興味深かった内容を順番に紹介していきたい。

まず最初に非常に違和感を覚えたのが、ethnic minorityの呼称である。イギリスでは、マイノリティを表す単語として、Black and Minority Ethnic (BME) またはBlack, Asian and Minority Ethnic (BAME) という言葉が使われているらしい。これはうちのカレッジやオックスフォードだけで使われている単語ではなく、イギリス政府も使っている正式な呼び方だという(詳しくはまだ調べていないので、誤解があればご指摘頂きたい)。

この呼び方、意味が分からないのが、なぜわざわざ"Black and"とか"Black, Asian and"などと言わないといけないのかという点だ。minority ethnicにアフリカ系もアジア系も入っているはずなのに、その中からこれらを取り出さなければいけない理由がまったく分からない。これらのカテゴリが何か特別であるかのような印象を与えるし、他のエスニシティの人からすれば、自分たちが軽んじられているように見えるのではないだろうか。未だにこのような呼称が使われていることは単純に驚きであった。

  • オックスフォードにおけるマイノリティ

次に驚きだったのが、オックスフォード大学内におけるBAME(統計もこの概念に拠っているので、一応ここではこの呼称を受け入れることにする) の割合の低さである。

BAMEが占める割合は、学部生の20%、教員の6%、職員の9%に過ぎないという。大学院生に占める割合はもっと高いと思われる*1

が、これはやはり世界をリードする大学としては悲しい数字であろう。もっともイギリス人だが白人でない人が、一般に自分をBAMEに含めるものなのか分からないのでこの数字をどのように受け止めるべきかは正直よくわからない。それにしても、学部生や職員において割合が低いのはまあある程度理解できないことはないが、研究者の卵としては、教員における割合の低さは極めて残念なことである。公式には差別はなくとも、アカデミアは実際には平等とはかけ離れていて、政治学でも非白人がメソドロジーや自国以外の研究をすることは少ない。別にそれを妨害されるというわけではないが、アメリカ人がアメリカに関係ない文脈でアフリカを研究していても変に思われないのに、日本人が日本に関係ない文脈でアフリカを研究していると「理由」を求められるのはストレスフルである。特にIR(国際政治)などは顕著で、IRで有名な理論家を挙げていくと、ほぼ100%が白人(アメリカ人orイギリス人)男性である。

  • カテゴライゼーションの問題

ワークショップの途中でインド系の学生から出たコメントが面白かった。彼女はアメリカで学部をやって院からイギリスに来たのだが、アメリカでは「アジア人」と言えばまず東アジア人が想定されるのに対し、イギリスでは南アジア人がまず出てくると言っていた。自分もオックスフォードに出願する際にエスニシティを選ぶ欄があって、日本人という括りが見つからず"Other Asian"というカテゴリを選ばざるを得ず、驚いた記憶がある。カテゴリが作られる段階でそれを作る人間の恣意が入り込んでおり、統計は「客観的」な数字ではありえない。

また、BAMEでない人=白人ということになるが、白人の中にも当然多様性があり、例えば東欧出身の人などはBAMEと同じような障壁を感じているのではないかと思う。白人をひとまとめにして彼らは恵まれている、と言うのも問題だろう。 

  • どこからがmicro-aggressionか 

ワークショップでは、こういう行動は人を不快にさせる可能性がある、という実例が幾つか挙げられたのだが、どこまでがOKでどこからがmicro-aggressionなのか、という問題は簡単ではない。同じことを言っても、言い方や相手との関係性によって受け止め方は変わってくる。ある人にとってはジョークであっても別の人にとっては非常に不快な言動かもしれない。結局、絶対的な基準などはなく、もし過ちを犯してしまった場合にはお互い指摘し、指摘されたら謝って改めよう、というのが結論だったが、一度こういうことが起きてしまうと、相手と気まずい関係になってしまうこともしばしばである。相手を不快にすることを恐れすぎて踏み込んだ関係を築けない、ということになってしまうこともある。オックスフォードに来てから、自分が不快になったこともあるし、振り返るとこれはダメだったなと反省していることもある。特に自分が深く考えずに何かを言ってしまった後には、ひどい自己嫌悪に陥るのが常である。

  • 日本人の名前はどうでもいい?

ワークショップの配布資料にはmicro-aggressionの具体例として幾つかのシナリオが載っていたのだが、そのうちの1つが、日本人を間違えて中国人だと言ったことを指摘されて、「どっちも一緒でしょ」と言ってしまう例であった。この例自体をここで論じたいわけではなくて、この配布資料にある問題があったことを述べておきたい。というのも、その配布資料のシナリオでは、当該日本人は女性とされていたのだが、その名前がAkiraというのだ。確かに、北斗晶のように女性で「あきら」という名前の人はいる。しかし、あきらと言ってまず思い浮かぶのは男性であろう。この人がトランスジェンダーだというような別の設定が入っているのなら話は別だが、そういうわけではなかったし、この名前が用いられたのは恐らく単に資料を作った人がランダムに日本人の名前を持ってきただけだと思う。最初はこれを面白いと思ったが、考えてみれば、このワークショップが人種差別を問題とするものであるはずなのに、その資料が「日本人の名前はどうでもいい」と言っているようで非常に残念に思われた。

  • 被害者意識

ワークショップの中で人種の問題について色々と考えている自分に対して少し皮肉な気持ちにもなった。日本では、日本人で男性で比較的恵まれた環境に育った「強い」立場だったゆえに大して差別の問題に対して何もしてこなかったのに、自分の立場が弱い場所だと急に意識が高まり差別を糾弾するようになるのか、というわけだ。自分が弱い立場にない問題についても考えていかねばならないなと、当然のことを今更認識した次第である。

 

自分のカレッジが極めて国際的で、伝統的なオックスフォードのイギリス人社会とは全然違うこともあり、ここまでの生活で明確な差別を受けたことはないのだが、一歩外に出ると差別はすぐそこにあるのだと改めて気付かされる興味深いワークショップであった。 

*1:プレゼンでは大学院生の数字は出てこなかった。これの最後のページを見る限り40%くらい?

https://www.ox.ac.uk/sites/files/oxford/OU_GAO_Statistics_2015-6.pdf