紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

政治学におけるポスドク事情:キャリアセミナーまとめ

約1ヶ月ほど前に、学部で“The Academic Career Path: Postdocs”と題したポスドクについてのワークショップがあった。オックスフォードは以前はこういうキャリアセミナーみたいなものもなく、さらにアメリカのトップ校では当たり前のようにウェブサイトで公開されている卒業生の就職先(placement)を公開していなかったばかりか、そもそも記録すら取っていなかったという杜撰な状況だったらしいが、徐々にそれは改善しつつあり、今では年数回こういったアカデミアでの就職についてのセミナーが開催されている。今回はポスドクについてであったが、そこでの話が非常に参考になったのでメモを残しておこうと思い立った。セミナーを取り仕切っていたのはDavid Rueda教授である。この人はコーネルPh.D.

かつて政治学ではPh.Dを終えた後にポスドクを経ることは稀で、すぐにassistant professorやlecturerといった職を得るか、あるいはアカデミアに残れないかのどちらかだったのが、近年ではその間にポスドクを挟むのがかなり一般的なことになっているという。なお、その普及の度合いについてはアメリカとヨーロッパでは異なり、ヨーロッパの方が遥かにポスドクが一般的であるらしい。

特にヨーロッパでPh.Dを取った研究者にとってポスドクが重要である理由は、第一にアメリPh.Dと就職市場で競争するためであるという。ヨーロッパでは3-4年が一般的な博士課程だが、アメリカでは最低5年、普通は6,7年かかるわけだから、アメリPh.Dは一般的により長い時間をかけて博士論文を書き、業績を積み上げてくると考えられる。従って、ヨーロッパPh.Dにとっては、彼らにキャッチアップするために差分の2・3年が必要になるということらしい。ポスドクの期間で、博士論文を書籍として出版し、論文を執筆し、ネットワーキングに勤しむことで、テニュアトラックの仕事への応募に備える。

なお、アメリカにおいても、近年assistant professorの職を確保しておきながら、研究に集中する1年を得るためにポスドクを取る人が増えているという。勝者総取りの世界のようである。というか、アメリカでもポスドクが一般的になってしまうとキャッチアップできなくなるのではないか。

テニュアトラックの仕事と同様、ポスドクも非常に競争率が高いらしい。特に有名なポスドクのポジションはその傾向が顕著で、例えば例として挙げられていたのが、Nuffield CollegeのPostdoctoral Prize Research Fellowship(PPRF)というポスドク。今年の採用は300人の応募者の中からたった2人だったとのこと。300人から、"no-hopers"を除いていって、20人から30人に絞り込まれ、5-7人が面接に呼ばれたとか。最終的に採用されるかどうかは自分の努力ではどうしようもないところがあるから、いかにしてこの20-30人に残るかを考えることが大事だという。

また、ポスドクにはプロジェクトベースのもの(特定の研究課題に関連した人を採用してその研究に従事させる)と、自分の好きな研究をさせてもらえるものの両方がある。このあたりは基本的な情報なのだと思うが、自分はよく知らなかったので参考になった。

  • 採用において重要な要素

まず、自分ではどうしようもできないことの例として、採用側の候補者への需要や、他の応募者のレベルやテーマなどが挙げられていた。逆に自分でコントロール出来る要素の筆頭は、もちろん研究内容であり、その重要性をカバーレター等で上手にアピールすることが必要になるという。また、20-30人に残るための一番の近道が、パブリケーションである。既に出版されたものがあれば、それが能力の証明になるし、場合によっては採用側がそれを読んだことがあるかもしれない。そして、もう一つ重要なのが、推薦状だ。有名な先生が強い推薦状を書いてくれればかなり有利になるらしい。この点についてはオックスフォードの院生は不利で、なぜなら指導がアメリカのようなCommittee制ではなく、1人または2人の指導教員による個人指導であるため、3通の強い推薦状を確保するのが難しい場合が多いためである。それを揃えるためには、早くから戦略的にネットワーキングを行う必要があるのだろう。また大学院出願の時と同じような問題が出てくるとは厄介な話だ…

  • 就職市場に出るタイミング

セミナーで出た質問の中で、オックスフォードは3年で修了させようとするが、4年目をやることについてどう思うかというものがあったが、これに対する回答が面白かった。回答した教授の言葉を引用すると、"it doesn't make sense to get you out in three years"とのことで、大学の公式な方針としては早めに出そうとしているが、早く終わること自体には何の価値もないということだった。さらに興味深かったのは、オックスフォードではMPhil(2年間のリサーチマスター)を経た博士課程の院生は、標準年限が2年になるのだが、LSEが、「うちに来ればもう1年残れるよ」と言ってオックスフォードMPhil出身者を引き抜くということが起こっているらしい。正直なところ、学部3年+修士2年+博士2年という最短ルートで良い博士論文を書くのは相当困難であろうと思うので、オックスフォードの現在の促成栽培システムにも変化が求められているのだろう。

また、就職市場に出るのは、アピールできる成果が準備できた時にするべきであるということだった。大学院出願の時も同じだが、一回試しで限定的に応募してみて、翌年本腰を入れて沢山出す、というパターンもあるそう。ただし、お金の問題もあるので永遠に先延ばしにすることはできない。

  • 雑感

セミナーでは、Rueda教授の他に、オックスフォードPh.Dでハーバードでプリドク中、今秋からイェールでポスドク予定という人と、ハーバードPh.Dでオックスフォードでポスドク中という人の2人が来て自分の経験を話してくれた。当然のように名前を検索してCVやPublicationなどを見てみたわけだが、2人とも既刊論文こそあまりないが、working paperやグラントの獲得歴、教歴、発表経験などずば抜けていて、正直お化けのようなCVである。特に前者は同じ大学でそれなりに関係のある分野をやっている人なので興味深く見ていた。オックスフォードの院生は結構みんなのんびりしているという印象があったのだが、一部にはこういう人がいるようだ。自分が数年後このようになろうと思ったら、かなり頑張らないといけないだろう。自分の強みが何か、どの部分でアピールできるようにするかを戦略的に考えなければいけない。やはり第一は良い論文を出版することだろうと思う。

(参考―オックスフォードPh.Dの人のCV:http://www.allisonhartnett.io/assets/HARTNETT_CV_January2018.pdf、ハーバードPh.Dの人のCV:http://www.soledadprillaman.com/pagecv

そして、たとえオックスフォードやLSEであっても、イギリス有名校のPh.Dアメリカ有名校のPh.Dに比べると平均的に見て就職の際の競争力が低い、というのは厳然たる事実のようだ。それは1つには最大のマーケットであるアメリカの就職市場の閉鎖性(ほとんどアメリPh.Dしか採用しない)が理由になっているわけだが、年限の短さや財政支援の手薄さ、トレーニングの緩さなどが作用して、就職市場に出る時点での業績が平均的に低くなってしまうというのも大きな理由であると思われる。もちろんこれは平均で見た差であって、任意のアメリPh.D取得者とイギリスPh.D取得者を比較すれば必ず前者の方が能力が高いなどということを意味するわけではない。長く大学院にいても成果が出ない人もいれば逆もいるし、奨学金は外部から獲得することが出来るし、沢山論文を読んだからといってそれだけで良い論文が書けるようになるわけではない。しかし平均すると差はあるのだろうというのは自分がオックスフォードで半年ほど過ごしてみて感じたところではある(アメリカのPh.Dを経験していないので、そちらをちょっと過大評価している可能性は否定できないが)。自分はそういう全体的な違いがあることは知っていて覚悟しつつ、それは努力次第で克服できると思ってこちらに来たわけだが、果たしてそれがどうであるのかは、数年後に身をもって体験することになるのだろう。とりあえず今は一歩一歩進んでいくしかない。

なお、上記は政治学についての話なので、他の学問領域では事情は違うはずである。また、政治学の中でもPolitical Theoryの分野では、上記とは状況も異なるのではないかと推察される。