紅茶の味噌煮込み

オックスフォード留学記

研究発表にコメントするのは難しい

オックスフォードというところは、とにかく毎日随所で大量のセミナーが開催されており、興味があるものに全部行こうとすると生活が回らなくなる。私は今年は少々セーブしすぎた感があり、それほど多くに行ったわけではないが、それでも学部で開催されるものを中心にそれなりの数のセミナーやワークショップに顔を出してきた。

そこでいつも感じるのが、「研究発表に対して気の利いたコメントや質問をする」ことの難しさである。大体のセミナーというのは発表者が話した後、討論者がいる場合はその人がコメントして、最後にフロアから質問を受け付ける、という形になっている。そこで手を挙げて、良い質問をするというのが、英語の場合は特にだが日本語でも自分ではまだ上手くできる気がしない。

といっても、人の研究にコメントすること全体が苦手というわけではない。例えば「この原稿を読んでコメントして」と言われたらきちんとコメントできる自信はある程度ある。また、研究発表で事前にペーパーが共有されるものであれば、まあ何とかなると思う。同様に、自分が討論者だと事前準備をしなければならないので、しっかり読み込むことになるし、そうすればそれなりのコメントはできるだろう。

私がまだ苦手なのは、その場でのプレゼンテーションのみの発表に対してフロアからコメントや質問をするということである。研究発表の場での質問やコメントというのは、「AはBですか?」という一文で済まされるものではなく、大抵の場合、「発表ありがとうございました。あなたが言っているのはこういうことだと思いますが、私はこういう点について聞きたいと思います。これというのは誰々も書いているようにこういうことだと思いますが、あなたはこういう風に主張しています。この相違についてどう思いますか?」というような感じで、前置き+バックグラウンドの共有+本題、みたいな形で構成されている。

何が難しいかというと、まず第一に直接の質問文ではない部分を関係ある形で知識の片鱗を見せながらしかし長々と喋りすぎずにまとめる、という作業が難しい。ともすると自分の場合、質問文にほんの少し付け加えただけで終わってしまう。結果自分の意図が十分伝わっていない場合もある。

第二に、引き際が難しい。相手が自分の質問に応答して何かイマイチ違うかな、という時にどこまで食い下がるのか。あんまり突っ込みすぎて空気の読めないやつだと思われても困るが、逆に本来の意図が伝わらずにしょうもない質問をするやつだと思われるのも嫌だ。

第三に、他の人の質問とかぶっているのではないかと余計な心配をしてしまう。というのも、他の質問者の声が小さかったり、自分の英語力の問題で聞き取れなかったり、その人のプラスアルファの部分の話が長すぎて本題がどこかわからなくなってしまったりした場合、その後に自分が質問して、それと同趣旨だと受け取られると困るな、という気になってしまうのである。

こういうことを言うと、「そんなことは関係ない、好きなように質問ないしコメントすればよい」と言って頂くこともあるのだが、事はそう単純ではないと思うのだ。つまり第四に、大抵の研究発表の場において自分は質問しやすい立場にない、ということがあるのだ。どういうことかというと、大体セミナーというのはどこかの研究所が主催していて、シリーズ化されており、参加する「常連さん」も決まっている。そういう人が前の方に陣取っていて、始まる前に発表者と談笑していたり、質問の際に内輪ネタを入れてきたりするわけである。その場に自分のような「一見さん」が行くと、なかなか議論に入って行きづらい。

さらに年功序列的な側面も無視できない。これは別に「お前は新入りだから黙ってろ」と言われるなんていうわけではないが、やはり教員と院生の間には発言に対する心理的障壁の高さに差がある(例えば議論の途中に割り込むことのハードルが教員の方が低い)し、院生の中でも、シニアになればなるほどその場に知り合いも増えて、「ホーム感」を出せるようになり、結局発言がしやすくなるように思われる。ステレオタイプでは日本の方がそういう空気が強いように考えられていると思うが、イギリスでもそう変わらないように私は思う。

まあ結局、そのようなことを考える必要はないし、したいときにコメントすればよいのだ、ということは頭では分かっているのだが、私のような「ジャパニーズ」なヒラ院生は、無駄に自制してしまうことも多々あるのである。まあ努力しているうちに徐々に気にならなくなるだろうし、言っている間に自分も年を取るので、問題にならなくなってくるのではないかとは思うが…。

しかし、「コメント全般が苦手というわけではない」というところから、何なら出来るかを考えているうちに、重大な事実にたどり着いてしまった。つまり、自分の興味関心に近いことなら上記の理由も関係なく質問やコメントができるような気がする、ということである。とすると結局問題は自分の興味の範囲なのかもしれない、と考えるとこちらの方が困ったことであるようだ。