紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

無理矢理記事を書く

11月も今日で終わりである。月の終わりに際して、私には1つ気にかかっていることがあった。

今月は2本しかブログ記事を書いていないのである。ブログ右の「月別アーカイブ」を見て頂ければ分かるが、2018年になってから私は毎月少なくとも3本の記事を執筆してきた。3を上回ることは稀だが、下回ったことは未だかつてなかったのである。しかし今月は忙しかったのか、月末になるのにまだ2本しか書いていない。こうした場合に書き手が取る対策は1つ、無理やりもう1本書くことである。

これを堕落と見る向きもあるかもしれない。野党勢力からは厳しい批判を既に受けている。国民の皆様からのお叱りは甘んじて受けよう。しかしながら、私はこの3本目の記事を書く理由を隠すことなく明らかにしており、少なくとも圧倒的なほど誠実であることを忘れないで頂きたい。

さて何を書くかという話だが、実は書くべきネタはかなりストックされているのだ。私は何かどうでもいいことを思いつくたびに、Evernoteにメモする習慣をつけており、それが積もりに積もって現在約50個溜まっている。しかしそれらは書くのに手間がかかりそうなものが多く、月の最終日になって急ごしらえで書けるものはない。

策に窮した私は、ご覧の通りの最終手段をとることにした。つまり、「記事を書く」という記事を書くのである。この記事の目的はただ1つ、今月の記事の本数を3にすることである。

しかし、書いていて気づいたのだが、この方式を採用すれば、無限に記事を書くことができる。次は「記事を書くことについての記事を書く」ことについての記事を書くことができるし、その次は「『記事を書くことについての記事を書く』ことについての記事を書く」ことについての記事を書くことができる。

ここで読者諸氏に覚えて頂きたい教訓は、本来手段であるはずのものを自己目的化することは避けるべき、ということである。 

日本時間では既に日付が変わっているのだが、はてなブログはこの記事をイギリス時間でカウントしてくれるのだろうか、という一抹の不安を抱きつつ、筆を擱くこととする。 それではまた来月。

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昨日行ったロンドンのチャイナタウン。記事の内容とは全く関係がない。