紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

捕鯨、優生思想、同じ顔―腸が煮えくり返った話

「人生山あり谷あり」と言うが、生きていれば良いことも悪いこともある。そういえばこの山あり谷ありというのはどういう意味だろう。山が良いことで谷が悪いことなのか、あるいはここには出てこない、歩くのが楽な平地だけではなくて、登るのが難しい山や上がってくるのがしんどい谷もあるよという意味なのか。今ひとつはっきりしない。

いずれにせよ、言いたいのは、全体としては楽しい私の留学生活の中にも、少しは悲しいことやムカつくことがあるということだ。今日はこの1年半弱の留学生活であった、「腸が煮えくり返った」3つの出来事について書きたい。

  • エピソード①:捕鯨問題に関する「友人」のFB投稿

日本が国際捕鯨委員会IWC)を脱退し、商業捕鯨を再開するというニュースは、国内のみならず世界各地で報道され、国際的には圧倒的に批判の声、国内的には賛否両論が巻き起こった。私は捕鯨問題に関しては完全に素人なので、その内容についてここで立ち入ることはしない。

ある日何気なくFacebookを見ていると、日本のIWC脱退に関するニュースをシェアしているアメリカ人の友人(カレッジが同じ)のポストが目に入った。

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上の画像は少しわかりにくいが、The Guardian(イギリスの新聞)の記事がシェアされていて、"commercial barbarism" と書いてあるのが彼自身がそれに付したコメントである。これを見た時に私は、barbarism(野蛮)とは穏やかではないな、と思った。他の価値観を持っている人間を簡単に「野蛮」と、それも誰でも見られる形で言い捨てるのは、私には到底できることではない。ただまあ、扇情的な言葉を使う人というのはいるので、彼に対して抱いていたイメージとは異なるが、そういうこともあるのかな、という程度であった。

しかし、そのポストに付いているコメントを見て、私は凍りついた。

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1つ目のコメント「パール・ハーバー以来日本がしでかした最悪のことだ」、それにぶら下がっている投稿者のコメント「マッカーサーが必要だ」、3つ目のコメントはいいとして、最後が一番ひどい。日本政府の決定を批判するのではなく、「日本人」全体を差別的な言葉で貶める、これは明らかにヘイトスピーチである。このポストの投稿者である私の「友人」がこれに対してその後どうしたかというと、あろうことかこのコメントをlikeして肯定的なコメントを返していた(その画像は残っていない*1)。

何がショックで、また腹が立ったかというと、このポストをした彼は、日頃とてもフレンドリーな人間で、特別親しくはないにせよ、私も「良いやつ」だと思っていたからである。それにこの本人も、FBを見る限りコメントしていた人々も、アメリカの超有名校を卒業し、ある程度国際的な経験を有しているはずの人々であって、そのような人々からこのような言葉が出てくるということもまた衝撃であった。

普段にこやかに会話をしている相手が、胸の内に、自分が含まれる集団へのヘイトを抱えているというのは、考えるだに恐ろしいことである。「そんなもんだよ」と言う人もいるだろうが、そうやってニヒルに捉えることはこの瞬間の私にはできなかった。これが腸が煮えくり返ったエピソードその1である。

2つ目の事件は、昨年私のカレッジ(St. Antony's)のFacebookグループで起きた。カレッジ内にはRowing(ボート競技)のチームやサッカーチーム、そして私も一応所属しているが全然活動していないビール醸造委員会など、いくつかのサークルがあるのだが、あるとき何人かの学生がディベートソサイエティを作ろうと動いていた。説明するまでもないと思うが、ディベートは、あるテーマについて、2つのグループが対立する立場から討論を行うというものである。これ自体は思考力やパブリック・スピーキングの能力を鍛えるのに役立つし、歓迎すべき動きではあったのだが、彼らが最初のディベートのために選んだトピックが最低であった。

ある日、そのグループの主催者らしき院生が、FBのグループにポストしたのは、"This house believes eugenics is the way forward." という内容。This house believes ~ というのは、議会での討論を模した論題の書き出しで、eugenics is the way forwardというのは、「優生学が我々の進むべき道だ」というような意味であろう。

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私は、優生学/優性思想とは何かという学問的な議論は踏まえていないが、さしあたり、「生殖管理を通して『より良い』人間を生み出そうという考え」という風に理解したい。このような考え方は世界各地で見られ、ナチスの政策が最たる例として挙げられるが、日本でも、かつて存在していた強制不妊の制度の問題が昨年メディアで報道されたのが記憶に新しい。障害を持つ人々、あるいは「劣った人種」などを淘汰して、「優秀な」人間を残していこうという発想である。当然何が「より良い」人間かなど誰かに判断できるはずはないし、このような考え方は決して容認されるべきものではない。

話をディベートに戻すと、この主催者も別に自身が優生学を信じているわけではさすがになかっただろう。しかしそれを「討論」の対象として相応しいものだと思い込んだことが、彼らの決定的な間違いであり、それによって私のみならず、カレッジの多くの人々の腸が煮えくり返り、吹きこぼれた腸に引火してこのFBポストは「炎上」した。結局主催者は謝罪、イベントはキャンセルされ、その後ディベートソサイエティ自体が立ち消えになった。

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しかし、何より暗澹たる思いになったのは、少なくない数の人が、主催者を擁護するコメントを書き込んだことである。彼らの論調を要約すれば、「優生学がひどいものなのは理解していて、誰もそんなものは望んでいない。しかし、そういうものについても目を背けずに議論することが必要なのではないか。」というもので、一見それらしく聞こえる。確かに、異なる意見に対して耳を貸すのはリベラルな秩序のあり方だろう。

だが、このコメントをした人々が分かっていないのは、単に話題にすることと、賛成側と反対側を設けてディベートすることは、全く異なるということである。優生思想などというものは、そもそも賛成の余地のないはずのものであるのに、ディベートの主題になった途端、反対意見と賛成意見は同じ重みをもって扱われ、議論の余地のあるもののように見せられてしまうことになる*2。これがもし、「優生学に基づく人権侵害が起こらないようにするのはどうすればいいか」という主題でのディスカッションであったら、このような問題は起こらない。その点を深く考えず、また"eugenics"をきちんと定義せず(主催者はひょっとするとgenetic engineering(遺伝子工学)を念頭に置いていたのではないか、という指摘もされていたが、両者は別物であって、そんなこともわからないような人間にこのようなディベートを主催する資格などない)、さらに最低限これがディベートに値する問題かどうかを議論の対象とすることすらせずに*3、「優生学が我々の進むべき道だ」などという主題をぶち上げてしまう鈍感さと愚かさに、目がくらむような思いがした。そしてこれを擁護するコメントをした人々の中に、自分の「友人」も何人か含まれていたことで、一層嫌な気分になった。

  • エピソード③:「日本人も中国人もみんな同じ顔だ」と言われる 

最後は、もう少し個人的なエピソードである。去年と比べると、今年はあまり新しい友達を作る気分にならないというのは、以前の記事で少し書いたが、それでも今年新たに仲良くなった友人は何人かいる。その中にエストニア人の女性がいて、特に何のバックグラウンドが重なっているわけでもないのに気が合って、よく一緒にいたのだが、彼女とカレッジのパーティーに行った際に事件は起こった。

2人で話していると、同じカレッジの1年目のイタリア人の学生(男)が近寄ってきて、会話に加わった。彼とは私も以前に少しだけ話したことがあり、特に興味もないが害もない、言っては悪いがその他大勢の1人という程度に認識していた。適当に話をしていたが、他の友達がいて少し話したかったので、2人を置いてその場を離れた。

その後しばらくして2人は話を終えたようで、また私はそのエストニア人の友達と話し始めたのだが、彼女によると、そのイタリア人の学生が私についてどうも差別的なことを彼女に言ったらしい。何かというと、彼が彼女に、「彼(私)は中国人?」と訊ね、彼女が「違う、日本人」と答えると、それに対して、"It doesn't matter. They all look the same."(「日本人でも中国人でもどっちでもいい。みんな同じ顔してる。」)と言ったらしいのだ。

まあこれはもう清々しいほどに明快な人種差別であって、わざわざ説明するまでもないだろう。もちろん「中国人と一緒にするな」というようなそれ自体差別的な下らないことを言いたいわけではなくて、ある集団の人々を一緒くたにしてその中での差異や個性を無視して貶めるという行為を問題にしているわけである。

これも今振り返れば、レベルの低い人間がいるもんだな、という風にしか思わないが、それを聞いたときはやはり腸が煮えくり返った。直接言われていたら頭からビールをぶっかけるぐらいのことならしていたかもしれない。

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ぶっかけるならやはりギネスだろう。

あとから聞いたところによると、どうもこの男は私の友達に懸想していたらしく、何回かデートに誘ったりしていたみたいで、私がよく一緒にいることに嫉妬して逆恨みでそのような暴言を吐いたようだ。そもそも彼女は長年付き合っているパートナーがいるので、私に八つ当たりするのはお門違いも良いところだし、そもそも彼に可能性は1ミリもないわけだが…本当に下らない。

  • 腸が煮えくり返った時にどうするか

ここまで3つの腸が煮えくり返ったエピソードを長々と紹介してきたわけだが、いずれの場合でも、腸が煮えくり返った時にどのように対処するか、という問題に悩んだ。例えば1つ目のエピソードで、この投稿に対してコメントをして彼の問題点を指摘することもできただろうが、それで何か解決しただろうか?より激しい反発を引き起こし、自分も消耗させられるだけではないだろうか?しかしじゃあ何もしないでいいのだろうか?何が正解か判断するのは難しい。この件の場合は、直接コメントするのは避け、粛々と正式の手続きに則ってなすべきことをしたが、いつもそのような窓口があるとは限らない。

以前にも、オックスフォードでの人種差別に関するワークショップについて記事を書いたが、今もこうした場合について何がベストな行動なのか、という点について納得のいく答えは出ていない。

  • 最後に一首

最後に、最近読んだ歌集に今回の記事にちょうどいい短歌が載っていたので、「オチ」ということで紹介して終わりたい。

 

五臓六腑がにえくりかえってぐつぐつのわたしで一風呂あびてかえれよ ― 望月裕二郎

 

*1:その後FB社がしかるべく対応し、差別的なコメントを削除したため。

*2:少し話は違うが、Oxford Unionという、歴史ある学生自治会が、ドイツの極右政治家Alice Weidelや、トランプの顧問であったSteve Bannonを講演に呼んだ際、話す機会を提供することで彼らのヘイトに満ちた発言にcreditを与えることになると大きな反発が起きた。
https://www.theguardian.com/world/2018/nov/02/far-right-german-politician-pulls-out-of-oxford-union-event
https://www.bbc.com/news/uk-england-oxfordshire-46240655

*3:例えば死刑制度なども、ある人にとってはそもそもディベートの俎上に置くことすら許せないようなことであるだろうし、何がディベート可能なことか、というのはこれはこれで議論の対象となりうる。