紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

英米政治学Ph.D出願の記録 番外編③:オックスフォード政治学博士課程に来ない方が良い理由―2019年3月現在

前回の記事はこちら

前回の記事では、進学から1年半あまりが経って、オックスフォードに来てよかったと思う点を振り返ったが、今回は逆に、オックスフォードに来ることのリスク、不満な点を挙げていく。良い部分だけを強調して、すべてが薔薇色であるかのような幻想を与えないためにも、正直に悪い部分も開示したいと思う。

①指導教員と上手くいかないと非常に大変

数人の教員で構成されるコミッティーに指導を受けるアメリカのシステムとは異なり、イギリスの博士課程では、基本的に指導教員は1人である。2人指導教員を付けているひともちらほらいるが、1人の場合の方が多い。この点では日本と同じなので、我々にとっては馴染み深いシステムではある。

このシステムの難点は、指導教員と合わない場合に、非常な困難が待ち受けるという点である。指導教員がきちんと指導してくれないとか、自分の研究の方向性を認めてくれないとか、そうした問題が起きた時には、指導教員を変えるということを検討することになる。しかし、 イギリスの博士課程では、ほとんど授業などは履修しないので、他の教員とある程度以上の関係を築くのが容易ではない。指導は指導教員との一対一の関係がベースになるのだ。そのため、困った時に助けてくれる第二の教員がいない、という状況が起こりうる。

こうした事態を避けるために、うちの学部では、Departmental assessorが各院生に割り振られていて、この人がいわば「第二の指導教員」として、研究の進捗を見守るということになっている。オックスフォードの博士号を取るまでの過程には、Transfer of status、Confirmation of status、Vivaという3つの関門があるのだが、各関門において、2人のAssessorが必要になる。Departmental assessorはこのうちの1人として、審査プロセスを主導することになっている。一応このようなセーフティネットがあるのだが、指導教員を変えるというプロセスは、なかなか一筋縄ではいかないようだ。

私の場合には、今のところ、指導教員とは幸いにして非常にうまくいっている。必要なときにはアドバイスをくれるし、色々な人と繋げてくれるが、基本的に自分の研究の方向性を認めて、自由にやらせてくれる、自分にとって理想的な指導教員と言っていいと思う。東大での指導教員も、自分のロールモデルとなる人で、素晴らしい関係を維持できていると思う。

これを「幸運」と呼ぶこともできる。もちろん運の要素もあるのだが、それだけではなく、これは事前のリサーチの結果でもある。私は出願前に、指導教員候補と会うという目的だけで渡英している。LSEとオックスフォードの先生に会って話し、合いそうと思ったのが現在の指導教員だった。もちろん一回会ったくらいではわからないことも多く、どこかで賭けに出ないといけないわけだが、リスクを最低限にする努力は非常に重要だと思う。指導教員候補の訪問についてはこちらの過去記事に書いた。

②金銭的サポートが弱い 

博士課程の院生は、単なる学生ではなく、研究者でもあるのだから、相応の対価を得て生活できる状況に置かれるべきであると思う。特に学費が異常に高い英米の大学院では、学費が自弁となると非常に厳しい。学費相当額と、最低限の生活費の獲得が見込めるところに進学するのがベストだ。

その点では、オックスフォードを含むイギリスの博士課程はアメリカに大幅に遅れを取っている。アメリカでは、ある程度以上のランクのプログラムであれば、合格者は基本的に5年間は学費免除と保険、25000ドルから30000ドル前後くらいの生活費は支給される(TA義務の有無や金額など、条件は各大学によって異なる)のに対し、イギリスではそのような制度が整備されていない。一部の人には、ESRC(Economic and Social Research Council)やカレッジからフルファンディングが出たりすることもあるが、留学生にはハードルが高い場合も多い。それ以外の人々は、どこかから奨学金を獲得して来るしかない。これが非常に厳しい。

私の場合、まず採用して頂いていた2つの国内財団の奨学金のうち、1つに無理を言って、3-4年目に支給時期をずらして頂いた。例外的な措置を認めてくださった当該財団には、本当に頭が上がらない。しかし、この2つだけでは、1・2年目の生活費分がまだ足りなかった。そこで、政治国際関係学部にメールを出して、「足りない分の生活費だけでいいから出してほしい、貰えなかったら他に行くしかありません」と再三せっついた結果、DPIR Studentshipという奨学金をもらえることになったのだ。この3つの奨学金のうち、どれが欠けていても、オックスフォードに来ることはできていなかった。特にDPIR Studentshipが決まったのは、アメリカの大学院の返答期限の1日前とかだったので、オックスフォードに行きたいと心の中では思っていても、資金が獲得できていないという状況が精神的にかなり辛かった。

だから、イギリスの博士課程に行きたいと思っている人は、出願の1年前から血眼になって奨学金を探さなければならない。少なくとも資金的な面では、アメリカの大学院に行く方がよっぽどスタンダードな選択肢であり、「本当にイギリスでなければいけないのか」を受験前に考えてみる必要があると思う。例えば、アメリカのトッププログラムでは大体フルファンディングが用意されるということすら知らずに、イギリスの博士課程に応募しようとする人を見ることが時々ある。これは、とてももったいない。海外大学院受験はとにかく情報収集が全てで、その努力を怠ってしまうと、そのつけは必ず自分に回ってきてしまうことになるので、注意したい。

③トレーニングが弱い

前回の記事では、オックスフォードを含むイギリスの博士課程では、概ねトレーニングは修士課程の間に済ませているとみなされ、博士に入ってからは基本的に博士論文の研究に最初から本腰を入れることを求められる。最近はそれでも、少しは方法論などの授業を履修させようという動きもあるようだが、アメリカの2年間のみっちりとしたコースワークと比べれば、何ということはない。例えば、私の所属コース(国際関係論)では、統計の授業が1つ必修になっていたが、introductionかintermediateのどちらかを履修すればよく、前者はせいぜい重回帰程度しかやっていないと思う。私は後者を履修したが、それでも、ロジット/プロビット、生存分析、パネルデータ、空間分析などのそれだけで1つの授業になりそうなものを毎週きわめて表面的にカバーするだけで、これだけできちんと分析手法が身につくとは到底思えない程度であった。

研究に集中できるということは、前回書いたようにメリットでもあるわけだが、一方で、研究上必要なベースが身に付いていなくても、研究を始められてしまうという点は、問題でもある。まあ、コースワークをやったからといって、それが必ずしも研究能力が高いということを意味するわけではないが、 やはり政治学の諸研究に関する知識とか、方法論とか、そういった「引き出し」が多いことは、研究上有用であると思うから、既にそれが一定以上身に付いていると自己判断するか、自分でそれを補う努力ができるという場合以外では、イギリスの博士課程に進学することはリスクとなりうるのである。

④アカデミックな院生ばかりではない 

私がもう1つオックスフォードに対して不満に思っている点は、コーホートである。昨年の記事で、私が所属しているプログラムの修了者の就職状況を調べたことがあるのだが、その結果わかったのは、博士号取得者のうち、アカデミアに就職するのはおそらく半分かそれ以下であるということだった。他の人達は、国際機関やシンクタンク、政府関係や民間に就職し、アカデミアを離れる。

これはいわば、院生の進路に多様性があって、色んなタイプの人と出会えるということであり、将来的にも何か役立つことはあるのかもしれないのだが、同時に、アカデミアに対する熱の入り方が違うという意味では、デメリットでもある。つまり、アカデミア就職を考慮していない人は、基本的に博士論文だけを書きに来ているので、ジャーナルに論文を投稿しようとか、学会で積極的に発表しようといった考えがあまりない人が多い。なので、そうした人との間では、あのジャーナルのどの論文が面白かったとか、あのカンファレンスに行くとか、来るべきジョブマーケットにどう備えるか、といった話があまりできない。もちろん、アカデミア志向の人も半分はいるわけだが、日本にいたときの所属先では、周りのほとんどが研究者志望で、様々な情報交換ができたことを思えば、こちらのコーホートにはそうした点で物足りなさを感じることが多い。そうした事情もあって、私はIQMRのような、他大学のアカデミア志向の院生と会える機会をできるだけ逃さないようにしたいと思っている。

⑤事務が非効率

最後に、オックスフォードは事務があまり能率的ではない。これはうちの学部だけかもしれないが、他の学部の話も聞くと大差はないようなので、全大学的な問題である可能性もある。私の学部では、信じられないことに、博士課程の事務は1人が全部担っていて、この人がちょっと偏屈な人で、返事をすぐくれる時とくれない時があったり、連絡漏れがあったりすることが多い。また、事務の人の入れ替わりが頻繁で、この博士の担当者以外はよく人の出入りがある。当然人が変わると引き継ぎの関係でそこに非効率が生じる。

一番事務の問題を感じたのが、入学時、最初のオリエンテーションの日まで、自分たちがどういった授業を取り、どれが必修で、どれだけ単位を取らなければいけないかといったことが一切説明されなかったことである。オリエンテーションでも説明は要領を得ず、教員も人によって言うことが違うし、事務担当者もよくわかっていないという、カオスな状況が生まれていた。

オックスフォードの非効率性の大きな要因の1つは、カレッジと学部という2つの枠組みが複雑に絡み合っていることだ。例えば奨学金をとってみても、カレッジから支給されるもの、学部から支給されるもの、そして大学全体で募集されるものもあり、一元的な管理というものが全くなされていない。カレッジというのはオックスブリッジの特徴的なシステムで、コミュニティという面から見れば私は大好きな制度なのだが、効率性という面から見れば問題もある。「この1000年何をやってきたんだ」と思わされることもしばしばである。