紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

樹液酒場の作法

いいか少年。クワガタやカブトムシが好きだと言うんだったら、一度は虫採りに出かけないといけない。ペットショップやホームセンターで買ったり、外国産の虫を売っている専門店に行ったりするのも楽しいもんだが、それだけじゃ本当の虫好きとは言えない。自分の手で捕まえてこそ、本当の喜びが得られるってもんだ。

わかるかい少年。どこに行ったらいいかわからないって?じゃあお兄さんが簡単なことを教えてあげよう。おじさんって言うな。まだ27だ。

クワガタやカブトムシがどこにいるのか、意外と知っている人は多くない。漠然と「森」にいると思っている人が大半だろう。実はな、彼らは案外我々の近くにいるんだ。何も遠くの山まで泊まりがけで出かけていったりする必要はない。鬱蒼と生い茂った森の深くよりも、神社や公園、田んぼの周りの林、そういった人の手がある程度入った場所に、彼らは暮らしていることが多い。「里山」なんていう言葉を聞いたことがあるかい。

ただな、上野公園の桜並木にクワガタを探しに行ってもダメなんだ。クワガタやカブトムシが付く木というのは、ある程度決まっている。まず分かっておかないといけないのは、スギとかヒノキみたいな、「針葉樹」という区分の木には、まず彼らは寄り付かないってことだ。こういう木からは、彼らが好む樹液が出ないし、幼虫の餌にもならない。家を建てるのには必要だけど、虫採りにとっては無用な木なんだ。昔お兄さんが家族旅行に行ったときには、泊まるホテルに段々近づいていくにつれて、針葉樹林と広葉樹林を通り過ぎるたびに一喜一憂し、杉林で虫採りを試みている親子連れを見るたびに憐憫の一瞥を投げかけたものだよ。

じゃあどういう木に集まるのかというと、色々あるんだが、代表的なのはクヌギとかコナラという木だ。椎茸栽培の原木に使われたりする木だが、幹がゴツゴツして、葉はギザギザ、秋になるとドングリがなって葉の色が変わり、冬には葉っぱが落ちる。例えばこういう木だ。

f:id:Penguinist:20190909045419j:plain

といっても、クヌギやコナラがあったら必ずクワガタやカブトムシがいるかというと、そういうわけではないんだ。虫たちが集まってくるためには、「樹液」というものが出ていないといけない。これは木の中に住んでいるボクトウガというガの幼虫が木を傷つけることによって、中から染み出してくる液体が発酵したものだと言われている。近づいてみるとわかるが、甘酸っぱいような独特の匂いが結構強く出ているもんだ。この樹液を虫たちは餌にしているわけだな。この樹液が出ている木を探さないといけない。

難しすぎるって?人生は困難に満ち溢れているものだ。そんなにすぐに諦めてはいけない。大丈夫、何度もチャレンジしていると、だんだんクワガタやカブトムシがいそうな場所、というのが分かってくる。大事なのは、林に自分を溶け込ませることだ。深呼吸して周りの音に耳を澄ませ、周りを見渡し、匂いを嗅ぐ。そうすると、昆虫の羽音や樹液の匂いに気づくことができ、時には蝶が導いてくれることもある。

f:id:Penguinist:20190909050649j:plain

こうして出会う、虫たちが集まる場を、「樹液酒場」と虫好きたちは呼んでいる。昆虫たちが一心不乱に樹液を舐める有様を、夜な夜な大人たちが集う酒場に喩えた呼び方だ。 実際、クワガタやカブトムシの「子供」は土や木を食べているわけだからな、未成年立入禁止という意味でも酒場と同じじゃないか。

クワガタやカブトムシを採る方法は、樹液酒場に行くことだけではない。夜中に外灯を見て回ったり、自分でライトトラップやバナナトラップなどを仕掛けて、人工的に採集することもできる。でもやっぱり、クワガタ・カブトムシ採集の醍醐味は、樹液酒場に違いない。 

ここからは、樹液酒場の作法をいくつか教えるぞ。まず、採集のシーズンは、我々がイメージする「夏」よりも少し早い。5月頃から少しずつクワガタやカブトムシは現れ始め、6・7月頃にピークを迎え、8月になると段々減ってくるぐらいだ。なので早い時期から採集に出かけてみるといい。学校をずる休みしちゃダメだぞ。

そして、採集に行く時間は夜か早朝がおすすめだ。クワガタやカブトムシは基本的に夜行性だから、昼間はあまり出てこない。昼間に出てくるのは、カナブンやハナムグリの類や、夜に酒場に行っても蹴散らされてしまうような小さなクワガタやカブトムシが中心だ。昼間っから酒を飲んでいる人間にろくなやつはいないと言われるが、それと同じようなもんだろう。

そういえば少年、角のない甲虫を見たら何でも「カナブン」と言う無知な人がいるが、ああいう人間になっちゃいけないよ。本物のカナブンは普通の市街地にはいないから、大体そういう人が目にしているのはドウガネブイブイシロテンハナムグリなんだ、覚えておくといい。だけどな、何でもカナブンと言う人をいちいち訂正していると、それはそれで煙たがられるもんだから、注意が必要だ。

f:id:Penguinist:20190910052039j:plain

昼間に集まる虫たち。真ん中だけがカナブン。

f:id:Penguinist:20190910052024j:plain

カマキリは樹液ではなく樹液に集まる虫を狙っているのだろう

それから、林の中に入るときは、暑くても長袖長ズボンで行かなくちゃいけない。林の中には沢山蚊がいるし、他の虫に刺される危険性も高い。特に気をつけないといけないのが、スズメバチだ。こいつらも樹液に集まってくるんだが、知っての通り刺されると命に関わる。スズメバチが集まっている木を見たら、たとえそこにカブトムシもいたとしても、撤退するのが吉だ。写真なんか撮っている場合じゃないぞ。

f:id:Penguinist:20190910052031j:plain

それから、クヌギやコナラには、木の皮がめくれてスペースができていたり、幹に空洞ができていて、そこにクワガタが隠れていたりするが、樹皮を破壊したりしてはいけないぞ。住む家を追われる悲哀は、君も想像すればわかるだろう。

f:id:Penguinist:20190910053300j:plain

こんなところが大体の作法だ。学校の友達にも教えてやるんだぞ。女の子も男の子も関係ない。ちなみに、お兄さんの写真にあまりクワガタやカブトムシが写っていないのは、スケジュールの関係で「8月下旬」の「昼間」に採集に行ったからだ。大人の事情ってやつだ。この時期になると、足元には鳥に食われた沢山の死骸が転がっていて、夏の終わりを感じさせられるものだ。それでは採集を楽しんでくれ。

f:id:Penguinist:20190910051843j:plain

鳥に食われた死骸