紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

オックスフォードにおけるティーチング

新学期が始まって、1週間が過ぎた。と書くと、「1週間しか過ぎていないのか」と思われる方がいるだろうが、そうなのである。オックスフォードでは、3つの学期をMichaelmas、Hilary、Trinityと呼び慣わしているのだが、Michaelmasは10月~12月、Hilaryは1月~3月、Trinityは4月~6月と、各8週間しか授業がなく、年合計24週、つまり年の半分以下しか大学は授業を提供していないのだ。おまけにTrinityはほぼ試験のための期間でまともな授業はないから、実際はもっと少ない。本当に休みばっかりのぐうたら大学なのである。

授業を受ける必要のない私からすれば、基本的にいつが学期期間であっても関係ないのだが、今年は少々事情が違う。自分が授業を「する」側になったからだ。ティーチングを始めたのである。玄関のドアに「ティーチングはじめました」という暖簾をかけた方がいいだろうか。

オックスフォードにおけるティーチングとは

博士課程のプログラムといえば、特にアメリカなどでは、大学から給料を得る代わりにTAが義務である場合が多いと思うのだが(金持ち大学では、義務無しでずっとフェローシップが貰えるところもある)、オックスフォードではそのような生活保障的な制度はなく、お金は自分でどこかから獲得してこなければならない、ティーチングは義務ではないがやりたければやることはできる、というレッセ・フェールな仕組みが取られている。まったく素晴らしい大学だ。

さて、オックスフォードで言うティーチングとは、日本的なTAや非常勤とも、アメリカ的なTAとも異なる。ご存知の通り、オックスフォードの学部生は、授業(レクチャー)の他に、自分の所属するカレッジで1対2または1対1のチュートリアル(tutorial)を受講する。レクチャーでは教員からの一方向的なプレゼンテーションが行われるのに対し、チュートリアルでは、毎週essayを書いて、それを添削されるという、より実践的な指導が行われるわけである。講師(tutor)はカレッジがアレンジするのだが、各カレッジは何人か専属のフルタイムのスタッフを抱えていて、彼らが担当することもあれば、足りない部分をパートタイムの講師や博士課程の院生を雇うことで補って対応することもある。大きなカレッジほど、またそのカレッジが力を入れているプログラムほど、自前のスタッフが多くなっている。

上述の通り、ティーチングは義務ではなく、またオックスフォード自体が(特に学部生については)極めて分権的な組織である(カレッジの自立性が強い)ため、学部が博士課程の院生にティーチングを割り当てる、ということは基本的にしない。学部には一応、誰がどの教科を教えられるか、というデータベースがあり、そこに登録しておくと連絡が来ることもあるのだが、基本的には、自分でどこかのカレッジと契約を結ばなければならない。しかし、どこに空きがあるかという情報はオープンにはなっておらず、人づてに情報収集をするしかない。ティーチングを始めるまでに、まず高いハードルがあるのである。以下では、特に誰かの役に立つわけではないが、私の結構大変だった体験を共有したい。

ポジションの探し方

さて、オックスフォードでティーチングをしたいと思い立ったとき、まずすべきことは学部のシステムに登録することである。しかし、登録しただけでは、tutorの供給が非常に少ない授業以外、連絡が来る可能性はかなり低いと言わざるを得ない。そこで取るべき方策は以下の4つがある。

  1. 指導教員に頼る
  2. 他の教員や友達に聞く
  3. 授業担当教員に聞く
  4. 各カレッジの担当者に直接連絡する 

まずは、自分の指導教員に聞いてみるのが一番だ。教員しか知らない情報というのはたくさんあるし、指導教員自身のカレッジで空きがあれば融通してくれることもあるだろう。残念ながら私の場合、指導教員のカレッジでは既に今学期の授業の担当は決まってしまっているとのことで、このルートは無理だった。

次に、指導教員以外の知り合いの教員や、同じ博士課程の友人に聞いて回るという方法が有効である。やはりカレッジの側も、人物保証ができる人間を採用したいと思っているので、知っている人間の方が採用されやすく、よって完全なコネ社会が形成されている。私は、今学期の2つポジションの両方を、友人経由で得た。これについては後述する。

3つ目は、その授業のレクチャーを担当している教員に連絡するということが考えられる。カレッジがチューターを探す際、担当教員に誰か紹介してもらえないかと尋ねる場合があるからだ。担当教員に予め自分の存在を知らせておけば、運が良ければポジションを回してもらえるかもしれない。私の場合、教えられる科目の教員が交代するタイミングと重なって、次誰が担当するのかわからないという状況があったため、あまりこのルートは生かせなかった。

最後に、私見では最も大変なわりに効果が低いのが、各カレッジに直接連絡する、という方法である。政治学なら政治学で、各カレッジにチューターの割り振りをしている教員がおり、その人に連絡して空きがないか確認すれば、もしかすると採用してもらえるかもしれない。しかし、いちいち誰が担当か調べるのも手間であるし、向こうからすれば見知らぬ人間から突然メールが来るわけなので、なかなかこれが採用に結びつくことはないのではないかと思う。私も10個ほどのカレッジにメールを出したが、「空いたら教えるね」という返信は結構来るものの、色よい返事はもらえなかった。

探す過程で思ったのが、特に私のように、初めてティーチングをするという場合、実績がないので、カレッジの側から見ても、「こいつ本当に教えられるのか?」という疑問符がついてしまうことは否定できないだろう。しかし誰かに採用してもらえないことには実績も積めないわけなので、経験重視だが経験を積むことができない、という手詰まり状況が発生しないとも限らない。さらに、留学生(特にヨーロッパ外)の場合、英語できちんと教えることができるのかどうか、という疑問を相手に抱かれやすいという傾向はあるように思う。例えば私がイギリス人っぽい名前でメールを出していたら、カレッジから来る返事は変わっていただろうかと、有名な実験を思い出しつつ考えることがあった。

友達に紹介してもらう 

私は、夏の間に上記の4つの方法を同時並行で試してみたのだが、結局2つ目の方法が一番効果があり、2つのポジションを回してもらうことができた。まずは、自分のコーホート(同じ学年の人々)に、来年度ティーチングをしたいのだが、どういう風に探せばいいか、空きポジションの情報を知らないか、ということを聞いて回り、色々とアドバイスをもらった。聞いた相手は皆、彼ら自身も自分がティーチングをスタートした時は誰かに聞いたということもあって、とても親切に教えてくれ、そのうちの何人かは他の人にも聞いたりしてくれた。やはり持つべきものは友、である。

結局、コーホートの1人から、Stanford Houseという、スタンフォード大学の学生がオックスフォードに留学に来るプログラムを紹介してもらい、1つ目のポジションが確保できた。続いて、Facebookの、学部の博士課程のグループに投稿していたポストに対して、今年博士号を取得して引き続きオックスフォードでポスドクをしている知り合いから反応があり、彼がこれまで担当していた学生を回してもらうことができ、Sarah Lawrence Programという、アメリカのリベラルアーツカレッジからこれまた交換留学生が派遣されてくるプログラムで2つ目のポジションを得た。 

面白いのが、オックスフォードでは色々なカレッジが他国の大学と協定を結んで交換留学プログラムをホストしているのだが、こうした交換留学生を教える場合、彼らはオックスフォードの試験を受けなくていいため、(良い成績を取らせろという)講師に対するプレッシャーが弱く、また給料は派遣元の大学から出るのだが、その額はオックスフォードの学生を教える場合よりも格段に高い。さらに、カレッジの側は自前の学生と比べて、あまり交換留学生を重視しないため、おそらく講師のセレクションも緩くなっている。結果的に、我々講師にとって、交換留学生を教えるのは、①プレッシャーが弱い+②給料が良い+③ポジションを得やすい、という三拍子揃った「おいしい」職になっているのである。オックスフォードの、自らの知名度を生かしたあくどい(?)ビジネスの恩恵を、我々も図らずも少し享受していることになる。

ティーチングは予想以上に面白い

大学生の時、私は東大生のご多分に漏れず、塾講師のような「教える系」のバイトをやっていたのだが、そちらは正直あまり楽しく思えなかった。なので、ティーチングに関しては、将来のためにやるべきだとは思いつつ、自分が楽しめるかはあまり自信がなかったのだが、初週を終えてみて、思っていた以上に自分がティーチングを面白く感じていることに気づいた。

今教えているのは、国際政治(IR)の入門コースと中東政治のコースで、毎週学生のエッセイにコメントして、1時間のチュートリアルでそれについて議論する、ということをしている。まだ1週目なので、これから考えも変わるかもしれないが、大教室ではなく1対1の個別指導であるため、学生との距離感が近く、相手の反応を容易に知ることができるのがまず良い。まあ、大教室は大教室で、大勢を相手に話すのも結構好きではあるのだが。さらに、相手が私が教えている科目について、強い興味を持っているという事実も大きいだろう。大学時代のアルバイトでは、嫌々勉強している子もいたが、そうした学生を教えるのと、意欲的な学生を教えるのでは、こちらの気持ちも違ってくる。また、教えることで自分の理解が深まるという側面もあり、加えて、学部生のエッセイではあっても、時には唸らされるような良いポイントもあったりして、こちらも勉強になることがある。最初の準備には時間がかかったが、今のところ、週2時間のチュートリアルと、添削時間程度の負担なので、無理なくやっていけそうな感じがしている。

英語でネイティブを教えるということ

私はまだ日本でTA以外に大学で教えた経験がないのだが、日本で日本語で教えることと、イギリスで英語で教えることを想像して比較した場合、後者の方が格段にハードルが高く感じられる。当然のことだろう。母語である日本語と外国語である英語の間は、いくら英語の運用能力が向上したといっても、越えられない壁がある。その点では、日本出身で海外の大学で教えている教員の方々は、非常に尊敬する。並大抵のことではないと思う。

今回、2人の英語ネイティブの学生を、チュートリアルという形ではあるが教えることになって、正直かなり怖気づいていた。留学生だから、またアジア人であるからナメられないかと、いらぬ心配をしており、また自分にこの授業を教える資格があるのだろうか、という気持ちにもなることがあった。日本であったら堂々と対応できたであろうことに関して、こちらでは自分の能力を低く、相手の能力を高く見積もってしまっている自分を意識していた。

これは、自分がその立場に相応しくないと思い込んでしまう、いわゆるインポスター症候群というものに当たるのだろう。日本では最も下駄を履かされたカテゴリに属するであろう私が、こうした感情を抱くことはあまり多くないが、日本でも留学生や女性といったカテゴリの人たちが、同様の感情を味わっていることは想像に難くない。

こうした色々なことを考える機会になるという意味でも、ティーチングは有意義のようだ。あまりやりすぎると、本分である博士論文の方がおろそかになってしまうので、ほどほどにというところだが、継続して教えていきたい。来学期は既に、オックスフォードの学部生1人に中東政治を教えることが決まっており、さらに別の交換留学プログラムを教えることになるかもしれない。

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教えているプログラムの1つが無料フォーマルディナーに招待してくれた。