紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

競争と洗礼:論文出版こぼれ話①(Democratization)

10月13日付で、初の英語査読論文が出版された*1修士論文の問題意識を元に、大幅に修正しつつ書き上げたもので、博士論文との関係で言えば、関連テーマの「スピンオフ」という感じになるだろうか。投稿を開始してから2年弱が経ってやっとアクセプトされた、なかなか難産な論文であった。

Image may contain: text

https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/13510347.2019.1678591

これまで日本語では、既に何本か一応業績といえるものがあったのだが、英語ではまだ出せておらず、したがって英語のアカデミアでは存在しないも同然だった。もっとも、別にそれは院生としておかしなことではなく、イギリスやアメリカの政治学の博士課程では、博士号を取得するまでに査読論文が1本もない、ということは結構よくある

とはいえ、やはり業績があるか否かは、自分自身を、あるいは他人が自分を「研究者」として見てくれるかという点にも関わってくるし、また博士号取得後のアカデミア就職市場においても、 既に(良いジャーナルに、という但し書き付きではあるが)公刊された論文があることは、大きなプラスになることは疑いがない。なので、早い段階で1本目の英語査読論文が出ればいいなと、ずっと思っていた。しかし、その道程は決して平坦ではなかったし、その過程で色々と学びや反省があったので、ブログにまとめておきたい。なお、詳しい論文の内容については、別の媒体で紹介する機会があると思われるので、そちらに譲ることにする。

突然競争にさらされる 

それは一通のメールから始まった。今回出版された論文の以前のバージョンは、2018年のアメリ政治学会(APSA)で発表したものなのだが、私の海外学会デビュー戦でもあったその学会が近づいてきた6月のある日、「資源の呪い」界隈ではよく知られたあるアメリカの研究者から私のもとに、突然一通のメールが来た。

「君の発表のアブストラクトを読ませてもらったけど、実は自分も今似たようなプロジェクトを共著者と進めていて、同じくAPSAで発表予定なんだ、我々のアブストラクトを添付しておくね。発表を楽しみにしています。」大意としてそういう内容の文面を読んだとき、頭が真っ白になった。有名な研究者が私と似通ったプロジェクトを進めていて、しかもアブストラクトを読んでみると論文の中心的なメッセージまで同じである。私の論文の中心的な主張は、国家の存在が、石油と政治体制の関係に対して内生的であるというものだったのだが、彼らもほとんど全く同じ主張をしているのであった。「自分の研究の価値が失われるかもしれない」という危機感を覚えた。

この話を人にすると、「自分もそういう経験がある」という反応が返ってくることが多く、実際そうなのかもしれないのだが、しかし学会前にシニアの研究者から、直接メールで「同じような研究をやっている」という連絡をされることが、本当にそんなによくあることなのだろうか??一見フレンドリーな文面だが、一体彼らの真意は何なのか、彼らの論文が出てしまっても、自分の論文が出版される余地は残るのだろうか、自分の博士論文の新規性は失われてしまうのではないだろうか、そういうことを真剣に考えさせられた。(もっとも学会で会った際には、日米で同じことを同時期に考えていた物理学者(?)のエピソードを持ち出して、とても好意的なコメントをくれたので、良い人だなと思っているのだが、それでも論文の内容が重複することには変わりない。)

このメールが来たとき、私はちょうどアメリカのシラキュースで質的方法論のサマースクールを受けていたのだが、メールを読むと授業どころではなくなり、まず指導教員に相談のメールを送った。すると即座に返信が来て、電話しようということになり、私は講堂を抜け出して指導教員に電話をかけた。「指導教員」というものを「パトロール型」と「火災報知器型」に分けるとしたら、彼は間違いなく後者で、普段細かいところまで指導するタイプではない(そして私はそっちの方がいい)のだが、困ったときにはすぐに対応してくれる彼のことを、このときほど頼りに思ったことはない。相談の結果、可能な限り早くこの論文をワーキングペーパーとしてどこかに出し、かつできるだけ早い出版を目指すべきだということになった。

その後落ち着いてこの出来事について考えるにつれ、3つのことに思い至った。まず1つ目は、学会発表の段階で「ライバル」の存在を知ることができただけ、私はまだ幸運であったということである。雑誌の新規掲載アラートで同じような論文が送られてきたら、気づいたときにはもう手遅れである。私の場合、まだ向こうも出版していないので、少なくとも対応のしようがあった。まあ、その後Google Scholarから"resource curse"のキーワードで登録しているアラートが来るたび、ひやっとさせられたものだが…

2つ目は、有名な研究者が着目するような新規性の高いことに、同じように気づけたということは、それ自体自信を持っていいことだということである。それは実際、自分の研究に一定の価値があるということを意味するわけで、もしそういう発見が一回できるなら、たとえ今回うまくいかなかったとしても、次の研究でもまた良い発見ができるに違いない、そう考えて気持ちを落ち着けた*2

最後に3つ目は、完全に同じ論文というのは存在しないということである。私のケースでは、中心的な主張は同じであったが、それによって何を示したいかが異なっていた。彼らの場合、示したいことは、statehoodがendogenousな国々を除けば、石油が政治体制に与える負の平均的因果効果は消える、ということで、議論の対象は、石油が政治体制に与える効果全体であった。これに対して私が知りたかったのは、石油が「どのように」政治体制に影響を与えるのか、という因果メカニズムの方であり、彼らとは目的が異なったのである*3

いずれにしても、私の論文が出た時点で彼らの論文はまだ出ておらず、何とか滑り込ませることができて、心底ほっとしている。とはいえ、恐らく彼らの論文の方が、「ランクの高い」ジャーナルに掲載されることは、客観的に見て間違いないと思うし、学界に与えるインパクトはそちらの方が大きいだろう。既に有名大学出版社と書籍化の契約も結んでいるらしい。しかし、少なくとも私がこのアイデアを持っていたということは、これで誰も否定できない事実として残るわけであり、院生の身で諦めずにやり切って、なんとか当初の目的を達成できたことには、満足してよいのではないかと思っている。

方向性に迷う 

論文を改訂する中で、色々なコメントを頂いた。多くの人からコメントを貰うと、当然だがお互いに食い違うものも出てくるし、自分の考えと違うことを言われることもある。そうした相互に矛盾する、あるいは自分にとってしっくりこないコメントに対して、どう向き合うかというのは難しい問題だ。相手が目上の研究者であったり、論文の当落を左右する査読者であったりする場合には、特に気を使うことになる。

この話は最近、比較政治学会のニューズレターにも書かせて頂いたのだが、今回の論文に対するコメントの中で、一番どうしようか迷ったのは、「国家の存在が石油によって左右されているということは分かったが、それを変数として回帰分析に組み込んだ場合、石油と民主主義の相関がどのように変わるのかを検討する必要がある」という指摘であった。確かに、現行の「資源の呪い」研究においては、計量分析によって石油と民主主義の間の関係を検証する、というスタイルが大多数を占めており、また上記の「ライバル」はこういう形で論文を書いているので、学界のトレンドを加味しても、その俎上に載せるのが、客観的に見て「最適戦略」であることはどうしても否めない。

私も、一度はこの助言を考慮して、既存研究のデータセットをそのまま用いて、新たな変数だけ加えて再分析する、ということをやってみたのだが、上記の研究者とは異なり、思っていたような結果は出なかった。そこでモデルをまた組み直して再分析を繰り返すか、ということを考えたのだが、結局やめてしまった。

なぜやめたかというと、この研究に関する限り、私の関心は石油が政治体制に与える平均的因果効果にはなかったからである。少し前に流行ったフレーズを使うと、要するにそういう方向性は、Marie Kondoの言葉を借りれば、私にとって"spark joy"しなかったのだ。

どのジャーナルに出すかという問題

論文を書いたら、どのジャーナルにそれを投稿するのか、という問題が発生するのだが、ここでも今回は沢山のことを学んだ。この論文は、上記の通りDemocratizationという雑誌に掲載されたのだが、Democratizationというのはどんな雑誌だろうか。

他分野と同じく、政治学においても、「トップジャーナル」と呼ばれる幾つかの雑誌を頂点に、学術誌にもランク付けがゆるくなされている。もっとも、明確な基準があるわけではなく、人々の共通理解が緩やかに形成されている、という程度である。最近人口にも膾炙しつつある「インパクトファクター」という数値もあるが、少なくとも政治学においてこれは正直あまり信用できるものではない。

政治学の中でトップに君臨しているとされるのは、American Political Science ReviewとAmerican Journal of Political Scienceであろう。その他にJournal of Politics、British Journal of Political Scienceなどが、一応政治学全体を扱うトップジャーナルとされている。その他に、私の関連分野である国際政治学ならInternational OrganizationやInternational Security、比較政治学ならComparative Political StudiesやComparative Politics、さらにはWorld Politics(この雑誌は国際政治学も比較政治学も載る)などが、上記の雑誌に劣らず上位に位置付けられている。

しかし、今回の論文のような比較政治の分野においては、私のように質的研究を行っている研究者が投稿して、現実的に掲載される可能性のある雑誌はどんどん減少している。上記のAPSRやAJPSに純粋な質的研究が掲載されることは、ほぼないと言ってよい(し、国際政治が基本的な専門だからということもあるが、自分もAPSRやAJPSやJOPは必要な時以外ほとんど自分からは読まない)。上に挙げた雑誌の中で、比較政治で純粋な質的研究を比較的頻繁に掲載する傾向があるのはComparative Politicsくらいで、あとはComparative Political StudiesやWorld Politicsに、割合は減少しつつも一定数掲載される程度である*4。もっとも、国際政治の場合は事情が異なり、特にヨーロッパ系の雑誌を中心に質的研究が掲載される雑誌はたくさんある。

というわけで、今回の論文は初めWorld Politicsに、次にComparative Politicsに出したのだが、残念ながらリジェクトとなってしまった*5。リジェクトはよくあることとはいえ、やはりまだそのクラスの雑誌に採択されるには実力不足だったということだろう。

そして次にどこの雑誌に出すのか、という問題に直面したのだが、もう少しトップジャーナルにこだわろうにも、上記の事情から、現実的に出せそうな雑誌がほぼなく、またトップジャーナルほど投稿数が多く、査読に時間がかかる傾向があることから、上に書いたような競争がある状況では、待つことによる心理的負担も無視できなかった。

そこで、トップジャーナルの下の、second-tierのジャーナルに出すことにした。これらの雑誌は、例えばPolitical Geographyなら政治地理、Political Psychologyなら政治心理、選挙ならElectoral Studiesといった具合に、トップジャーナルと比べるとより限定された範囲の特定のテーマに特化したものが多く、そのテーマに関係する研究者にはよく読まれているが、トップジャーナルのように分野の全員が読むわけではない、というものである。

今回の論文は主に「民主化」についてのものであったので、その名の通り民主化関連の雑誌であるDemocratizationに出すことにした。関連分野ではJournal of Democracyという雑誌があり、そちらの方が一般には有名なのだが、こちらは論文の長さも短く、学術論文というよりは各国の民主主義事情の紹介といった側面が強い、政治体制版Foreign Affairs的な雑誌なので、選択肢には入らなかった。Democratizationはどこかの学会や大学が出している雑誌ではないのだが、今のエディターはハイデルベルク大学の人で、Editorial Boardを見ても、ヨーロッパの大学の人が多く、北米よりはヨーロッパの方で知られているのだと思う。

特にDemocratizationを選んだ理由としては、査読のスピードが早いという評判があったこと(実際、最初の査読は投稿から1ヶ月半で返ってきた)、質的研究を多く掲載していること、最近評価を上げており活発に出版していること、などがあった。ただ、Studies in Comparative International Developmentという、ブラウン大学のWatson Instituteという研究センターが出している雑誌は、インパクトファクターなどの数値上ではかなり低いものの、研究者内での評判は高く、特に途上国を扱っている比較政治研究者がこぞって論文を掲載する良いsecond-tierの雑誌である(インパクトファクターが信頼できない1つの事例)ことをDemocratizationに投稿した後に知ったのだが、もし事前に知っていたらそちらに出していた可能性も高い(もっとも、査読が遅いという噂はあった)。あとは、Perspectives on Politicsも、質的研究を一定程度載せるトップジャーナルの1つであるので、次回以降検討したい。なお、今回私は特定の地域に特化しない政治学の雑誌に投稿したが、強い地域的な関心を持っている場合は、地域研究のジャーナルに論文を出すことも考えられるだろう。

どの雑誌が良いのかとか、自分に合っているのかというのは、結構大切な問題であることを今回の経験から学んだ。こうした情報はオープンにはならない性格のものなので、質問できる人がいることが重要である。いずれにせよ、今回の経験は学びが多かった。これを生かして、次回はさらに上を目指したいところだ。

 

*1:正確にはまだオンラインで出ただけで、紙バージョンは先になる。

*2:ちなみに、上記の研究者ではないが、別の人もまた、私の論文と酷似したタイトルの論文を今年の2月に出している。こちらは最近「こういう論文を出しました」というメールを送ったらとても親切に対応してくれて嬉しかった。https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/21534764.2018.1546930

*3:とはいえ、結局彼らの学会報告論文は公開されず、メールで送ってくれるよう頼んでも返信がなかったので、詳しい内容は出版されるまでわからない。

*4:この辺りの話は粕谷祐子先生の論考を参照:https://ir.ide.go.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=50220&item_no=1&page_id=39&block_id=158

*5:前者は、3ヶ月も待たせたくせに結局デスクリジェクト(コメントが貰えずにただ落とされること、通常1週間ほどで届くはず)だったので、今後投稿される方は気をつけられたい。