紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

イギリス飯マズ論争の交通整理

人は老いる。花は散り、季節はめぐり、ネロとパトラッシュは天に召される。世の中には避けられない運命というものがあることは、私のような若造の言を俟たないのだが、そうした運命のひとつに、「イギリスに留学すると言うと『ご飯が美味しくない』と言われる」、というものがあることは、よく知られている。

それはもう、圧倒的である。東京オリンピックの公式種目に「(日本において)国名を出してから飯がマズいと言われる時間」を加えれば、イギリスは間違いなく金メダルを獲得し(2秒台、ひょっとしたら1秒台を狙える)、それによって大英帝国の威信は回復し、満足した国民はブレグジットを考え直してくれるだろう。

ただ、これを喜ぶわけにはいかない。心ない人々の言葉に、隠れて悔し涙を流した在英邦人、あるいは在日イギリス人は数多いはずだ。これからイギリスへの留学を考えているものの、食べられるものがなかったらどうしよう、もしくは、日本に帰って人にバカにされたらどうしようと、心配で夜も眠れない学生もいるかもしれない。そうした人たちの心を、なんとか楽にしてあげたい。私は日夜考えてきた。

といっても、私が反論するまでもなく、実は「イギリス料理は実はマズくないのだ」という言説は、意外に各所に見られるTwitterなどでも時々出回っているが、もっとも代表的なものは、林望イギリスはおいしい』であろう。イギリスに滞在した作家・文学者が書いたエッセイで、イギリスにもこういう食文化があって、こういう美味しいものがあるというようなことが書かれている。イギリス自体の食文化ではなくても、イギリスで食べられる多種多様な各国料理(特にインド料理)が美味しいという意見も、よく見かける。なので私はここで「イギリス料理にはこんなに美味しいものがある」ということを主張するつもりはない。

イギリスはおいしい (文春文庫)

イギリスはおいしい (文春文庫)

  • 作者:林 望
  • 発売日: 1995/09/08
  • メディア: 文庫
 

というかそもそも、私は「イギリス飯マズ」に対して直接的に反論する気はない。むしろ私がここで言いたいのは、イギリス飯マズ派と、イギリスジツハ飯マズクナイ派の議論が、噛み合っていないということである。私には、両者が実は別のことについて議論していて、お互い藁人形論法に陥っており、実際には、両者の主張は両方正しく、矛盾もしていないように思える。

どういうことか。まず、イギリス飯マズ派の主張は、「イギリスの飯はマズい」ということである。何を当然のことをと思われるかもしれないが、これにもう少し言葉を補うと、「イギリスの飯は(平均的にみて)(他国、特に日本よりは遥かに)マズい」ということではないだろうか。つまり、彼らは、国全体で食べられるもののクオリティの全体的な平均を比べて、イギリスにおけるそれが、他国よりも有意に劣っている、という主張をしているのである。

それでは、イギリスジツハ飯マズクナイ派の主張はどうだろうか。彼らの反論は、たいてい以下のような形式をとる。「イギリスの飯はマズいと言われているが、そんなことはない。○○や✕✕のような、世にも美味しい食べ物がイギリスにはあるからだ。」この主張が何を意味しているのかというと、要するに、彼らは「イギリスにおける美味しい食べ物」を例示しているのである。彼らの分析の中心にあるのはあくまで個別事例であり、全体の傾向とか、母集団の平均値だとかには関心はない。全体はいざ知らず、「イギリスにも美味しいものはある」ということが言いたいのだ。

両者の違いはもう明らかになったであろう。イギリス飯マズ派は、全体の平均に関心があり、イギリスジツハ飯マズクナイ派は、個別事例に着目している。下のテキトーな図で言うと、飯マズ派は、赤線で書いた平均値が、イギリスにおいて日本(ないし任意の他の国)よりも低いことを主張しており、飯マズクナイ派は、青で塗った、「美味しいイギリス料理」の存在を熱心にアピールしているのである。我々政治学を学ぶ者にとってはお馴染みの、定性的研究と定量的研究の争いを思い起こされる方もいるだろう。

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こう考えれば、実は両者は同じ世界を想定している可能性が高いということがわかるだろう。それにもかかわらず、飯マズ派は飯マズクナイ派が「イギリスは全体の平均が他国よりも低いわけではない(あるいは高い)」という主張を行っているものだと勘違いし、逆に飯マズクナイ派は、飯マズ派が「イギリスの食べ物はすべてマズい」と主張していると勘違いして、その結果相互に傷つけ合い、両方が枕を濡らしているのである。なんとも悲しい結果ではないか。飯マズ派と飯マズクナイ派の平和な共存のために、私が一肌脱ごうと思ったのも無理はない。

もっとも、この分布は私が考える双方の主張であって、実際には、両者が同じことについて議論している可能性がないわけではない。つまり、「イギリスのすべての食物がマズい」と主張する「飯マズ原理主義者」、ならびに「イギリスの食べ物の平均値は他国よりも高い」という「飯ウマ原理主義者」の存在の可能性である。しかしながら、飯マズ原理主義者に対しては、スコーンとか、チキンティッカマサラとかを投げつければいいわけであるし、まともな味覚と感性を有する者なら、およそイギリスの食べ物が平均的に他国よりも美味しいなどという荒唐無稽な考えを維持することはできないであろうから、この可能性についてはそこまで気にする必要はないだろう。

こうして世界に秩序が戻り、イギリス関係者に心の平安がもたらされた。これで我々は、「イギリスは平均的に他国よりもご飯が美味しいとは言えないが、イギリスにも美味しいものはある」と胸を張って生きていくことができる。どういたしまして。

最後に一点だけ注釈を加えたい。上の図では右に日本を当てはめたが、これがすべての国に置き換え可能なわけではない。というのも、例えば、イギリスとそのかつての植民地(いわゆるsettler colonies)であるアメリカ・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド南アフリカ等の間に、そんなに食文化の違いがあるのか、私は疑問である。カナダ料理がイギリス料理より美味しいと、自信を持って言えるだろうか?私はカナダに住んだこともあるが、カナダ料理といったらフライドポテトにグレービーソースとチーズをかけた、プティーンという、ふざけてんのか?というような炭水化物と脂質の塊しか思いつかない。(いやしかし極寒の夜にふとあれが食べたくなるのだ。)

これらの国については、日本や中国、フランスといった国々とは異なり、イギリスよりも平均的なクオリティが高いというコンセンサスが存在するとは想定し難い。したがって、イギリス「だけが」このように扱われるという事実についてのイギリス関係者の不公平感は解決されていないのだが、しかしこれは、「イギリス飯マズ論争」本体とは少し別の論点になり、本稿の射程を超える。今後の研究課題としたい。