紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

2020年に読んだ小説

さてさて、年の瀬である。とはいっても今年の場合は、「もう終わるのか」ではなく「やっと終わるのか」、あるいは「いつ始まったのか」というのが正直な感想である人も多いことだろう。それくらい異常な年であった。

私にとってもめちゃくちゃな年で、留学中というのに3月から8月まで5ヶ月も日本の、しかも奈良の実家の半径2キロ圏内にいて、そこからイギリスに移り、ロックダウンの中を「散歩」を主な生きがいとして暮らしていた。博論の執筆に捧げた1年でもあった。清々しいほどに他にすることのない1年で、博論の進捗という意味では、「何かを犠牲にして」研究している、というもどかしさを抱かずに済んだのである意味いいのかもしれないが、決して楽しい1年ではなかった。

そんな異常な年でも、毎年恒例の行事のなかには通常通り行われるものもあり、このブログにもそうした行事が1つある。「今年読んだ小説のまとめ」である。2019年は特殊な事情もあり、読んだ小説の数がかなり多かったので、四半期ごとにまとめたのだが、今年は大した数を読まなかったので、2018年までの、1年に1記事のスタイルに戻った。

さて、2020年に私が読んだ小説は、合計38冊であった。ペーストしては10日に1冊。過去数年の記録を見てみると、2017年が89冊、2018年が68冊、2019年が94冊であったので、この4年で最少、そして去年の半分以下の数字である。本読みとしては反省すべき結果になってしまった。面目ない。家にいる時間が長かったことを考えれば、読んだ小説の数が減ったのは一見不思議なことに思えるが、私の場合移動時間に小説を読むことが多かったので、移動時間というものが概念ごと消滅してしまうと、必然的に読む数も減るのであろう。加えて、ロックダウン/博論執筆中の他の娯楽も編み出していたので、小説にかける時間が減ったということもある。

日付 タイトル 著者
1/8 バイバイ、ブラックバード (双葉文庫) 伊坂 幸太郎
1/8 ジョン・マン 4 青雲編 (講談社文庫) 山本 一力
1/24 神戸・続神戸 (新潮文庫) 西東 三鬼
1/24 伊豆の踊子 (新潮文庫) 川端康成
1/24 向田理髪店 (光文社文庫) 奥田英朗
1/24 ジョン・マン 5 立志編 (講談社文庫) 山本 一力
2/16 トップリーグ (ハルキ文庫) 相場英雄
2/16 クジラアタマの王様 伊坂 幸太郎
3/23 双風神 羽州ぼろ鳶組 (祥伝社文庫) 今村翔吾
3/31 黄金雛 羽州ぼろ鳶組 零 (祥伝社文庫) 今村翔吾
7/2 てんやわんや (ちくま文庫) 獅子 文六
7/10 帰郷 (集英社文庫) 浅田 次郎
7/15 風の市兵衛 (祥伝社文庫) 辻堂 魁
7/23 雷神 風の市兵衛 (祥伝社文庫) 辻堂 魁
7/23 帰り船 〔風の市兵衛〕 (祥伝社文庫) 辻堂 魁
8/2 月夜行 〔風の市兵衛〕 (祥伝社文庫) 辻堂 魁
8/2 天空の鷹 風の市兵衛 (祥伝社文庫) 辻堂 魁
8/11 風立ちぬ(上) 風の市兵衛 (祥伝社文庫) 辻堂 魁
8/11 風立ちぬ(下) 風の市兵衛 (祥伝社文庫) 辻堂 魁
8/18 五分の魂 風の市兵衛 (祥伝社文庫) 辻堂 魁
8/18 風塵 上 風の市兵衛(9) (祥伝社文庫) 辻堂 魁
8/18 風塵 下 風の市兵衛(10) (祥伝社文庫) 辻堂 魁
9/1 半席 (新潮文庫) 青山文平
9/4 童の神 (ハルキ文庫 い 24-7 時代小説文庫) 今村翔吾
9/28 くらまし屋稼業 (時代小説文庫) 今村翔吾
10/3 総理の夫 原田 マハ
10/10 パーマネント神喜劇 (新潮文庫) 万城目 学
11/29 春はまだか くらまし屋稼業 (時代小説文庫) 今村翔吾
12/6 夏の戻り船 くらまし屋稼業 (時代小説文庫) 今村翔吾
12/6 秋暮の五人 くらまし屋稼業 (時代小説文庫) 今村翔吾
12/13 花唄の頃へ くらまし屋稼業 (時代小説文庫) 今村翔吾
12/13 冬晴れの花嫁 くらまし屋稼業 (時代小説文庫) 今村翔吾
12/14 信長の原理 上 (角川文庫) 垣根 涼介
12/17 信長の原理 下 (角川文庫) 垣根 涼介
12/19 光秀の定理 (角川文庫) 垣根 涼介
12/21 大鳳(上) 羽州ぼろ鳶組 (祥伝社文庫) 今村翔吾
12/21 大鳳(下) 羽州ぼろ鳶組 (祥伝社文庫) 今村翔吾
12/30 室町無頼(上) (新潮文庫) 垣根涼介

作者別では、今村翔吾が11冊、辻堂魁が10冊、あとはバラバラ、という感じである。今村翔吾も辻堂魁も時代小説で、これに青山文平を加えた22冊は時代小説、そして垣根涼介のうち3冊は歴史小説・1冊は時代小説なので、実に全体の3分の2が歴史関連、ということになる。前から何度も言っているように、私は時代小説が大好きで(前までは「ここ数年のブーム」、とい言っていたのだが、何年も言い続けているのでそろそろ恒久的なものと認めてもいいだろう)、普通に暮らしていても、「あー時代小説が読みたい」という喉が渇くかのごときカジュアルな欲求を感じる。

しかし問題は、優れた時代小説の書き手というのは、そもそもがそうそう現れない上に、時代小説特有の事情として、優れた書き手が現れる可能性は時が経つにつれて下がっていくという問題がある。あくまで仮説だが、真に迫った(と読者に感じさせる)過去を舞台にした小説を書くためには、(映像や文字の資料の少ない時代ほど特に)その時代にできるだけ近い時代を実際に身を以て体験していることが必要になってくる。しかし時代小説が主な対象としている江戸時代を生きた人は既に絶滅しているわけで、また一・二世代前にそうした人がいて、直接話を聞いたりその時代の名残の中で生きてきた、という人々も確実にいなくなりつつある。明治期以降に生まれた小説という媒体の歴史的発展と、上記の時代的条件を考え合わせれば、大正末期から昭和に書かれたものに最も優れた時代小説が集中する、というのが私の仮説で、ここに山本周五郎池波正太郎、そして藤沢周平などが当てはまる。なので、文章の質、描写や言葉遣い、背後にある価値観の時代との適合性などを見ると、今後これらの書き手に匹敵する時代小説家は現れないのではないかと、私は半ば諦めているのである。そして、これらの作家の作品を(無計画にも)ほぼ読み終えてしまった私としては、これから何を読めばいいのか、わからなくなっているのである。

ただ、何年もこの問題と向かい合ってきたので、対策も一応は考えている。それは、「時代小説に求めるものを変える」ということである。つまり、その時代の描写が真に迫っているかとか、時代小説の歴史性に関する評価軸を大幅に緩め(諦め)、純粋にストーリーの面白さだけで評価するということである。エンターテイメントとしての時代小説、というか、単に舞台が江戸時代であるだけの普通の小説、と考えれば、読めるものも増えてくる。

辻堂魁は多く読んだ割には正直あまり強くおすすめできるようなものはなく、風の市兵衛シリーズも途中で読むのをやめてしまった。一方、今村翔吾は、ぼろ鳶組・くらましや稼業の両シリーズが読んでいて安定して楽しい。シリーズが続いていくうちにだんだん一作一作が小粒になってきて、新鮮味がなくなってきた面はあるものの、エンターテイメントとしての現代時代小説、という意味では、素晴らしい書き手だと思う。もちろん、山本・池波・藤沢などとは、まったく別のジャンルとして認識しなければならないが。

今村翔吾が掛け値なしに素晴らしいと思ったのは、上記のシリーズ物ではなく、『童の神』である。舞台は江戸時代ではなく平安時代で、人の命が軽く、怪異と人間がごたまぜになっていたような時代で、朝廷の支配に抵抗する「童」と呼ばれる民を題材にした作品。他にないようなスケールの大きさ、ストーリーの巧みさで、大作ながら一気読みできる。読後感は、泣けるとか、前向きになれるとかそういうものではなく、とにかく圧倒される感じ。私が研究で国家建設や国家による支配の浸透などを扱っているために、題材にシンパシーを感じたのかもしれない。いずれにせよ、今年読んだ小説のベスト3に確実に入るので、読んでいただきたい。

童の神 (時代小説文庫)

童の神 (時代小説文庫)

 

もう一つ確実にベスト3に入るのが、万城目学『パーマネント神喜劇』。神社にいる「神様」を主人公にした連作小説で、『鹿男あをによし』や『鴨川ホルモー』と同じく、これもユーモア小説で、最初から笑わせてくれるのだが、それだけではないところがこの小説の良いところ。ネタバレになるので言わないが、後半に入るとその意味がわかる。笑っていたはずが、最後には泣ける小説になっている。期待以上に良い一冊だった。

パーマネント神喜劇 (新潮文庫)

パーマネント神喜劇 (新潮文庫)

  • 作者:万城目 学
  • 発売日: 2020/04/25
  • メディア: 文庫
 

最後の1つは迷う。上の2つに比べると、これだと確実に言えるものがない。強いて言えば、川端康成伊豆の踊子』だろうか。去年も書いた気がするが、私はそもそも「文豪」のような小説があまり得意な方ではなく、「好きな小説家は太宰です」とか「三島です」とか言う人に「本当にわかって言ってるの?」という失礼な疑念とむずがゆさを感じていたのだが、近年、こうした「古典」的な小説の良さが徐々に分かるようになってきた。といいつつ、大して読んでいないので、博論を出して余裕ができたらもう少し読もうと思う。 

伊豆の踊子 (新潮文庫)

伊豆の踊子 (新潮文庫)

 

さて、ここまで高評価の小説ばかり挙げてきたが、どうしても文句を言いたい小説が1つある。原田マハ『総理の夫』である。私は「ブクログ」で読書メーターをつけているが、 そこで今年唯一、5段階中1の評価をつけたのがこの一冊である。それくらいひどかった。原田マハといえば、『楽園のカンヴァス』などのキュレーターとしてのバックグラウンドを生かした美術関連の小説、そして『カフーを待ちわびて』や『キネマの神様』など、スタンダードな恋愛小説や人間ドラマが有名で、こうしたジャンルの作品は実際クオリティも高く、私も愛読していたのだが、近年は浅いストーリーでやたらとお涙頂戴しようとするような作品が増えているように感じ、少し遠ざかっていた。しかし、女性総理を主人公にした小説ということで、面白そうだし久しぶりに読んでみるかと思って手に取ったら、正直ショックだった。まずパロディのような安易な登場人物の名前、現実の日本政治の出来事をモデルにしているようだがちぐはぐな政治状況の描写、そして繰り出される驚くほどに浅いセリフの数々・・・。日本の将来を救うためにリベラルな首相が打ち出した起死回生の政策が、消費増税って。あまりにも取材が足りないというか、題材に著者の力量がまったく追いついていない。Amazonブクログなどを見る限り、この小説が世間では高評価を受けているらしいのも、信じられない思いである。まあ私が政治学などを専門にしているから、描写の粗さに我慢ができない、ということなのだろうが・・・。

以上で今年の読書の振り返りは終わり。来年は「読む作家の多様化」を目標としたい。色々なジャンルにチャレンジしつつ、時代をさかのぼって名作も読み進めていければ、と思う。