紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

「ちちんぷいぷい」に捧げるレクイエム

おそらく関西圏に住んだことのない人には何のことかわからないだろう。「ちちんぷいぷい」とは、TBSと同系列の毎日放送MBS)という関西ローカルの放送局によって、1999年から22年間ものあいだ放送されてきた、午後の情報番組である。アクの強い同時間帯の他局の番組とは一線を画す、ゆるやかで穏やかな、私に言わせれば関西の「良い面」を体現するような、「ほんわか系情報番組」であった。

1992年生まれの私にとって、「ちちんぷいぷい」は、物心ついたころから当たり前のように放送されていた、いわば日常そのものだった。小中高と、学校から帰ってきてテレビをつけるといつも放送されており、つい面白くてテレビの前に長居してしまう、そういう番組だった。出演者の穏やかな笑いを生むかけあい、各コーナーに出てくるごく普通の人々の日常にあるドラマや歴史、あるいはドラマのない日々のあれこれ、その総体が、毎日色んなことがある我々の暮らしの中に、ほっと一息つく時間を与えてくれたのである。大学に入って上京してからは、この番組を見ることもできなくなったし、平日の午後に家でテレビを観るということ自体、あまりなくなってしまったが、未だに記憶に強く残っている番組である。

極めて残念なことに、その「ちちんぷいぷい」が先週をもって放送終了してしまい、名古屋から全国に拡大した「ゴゴスマ」なる番組に取って代わられた。これまでにも、放送時間や司会者の変更など、細かな変化はたびたびあったし、その変わり方に首を傾げることもあった。だがそれはあくまで、番組の継続を前提としたマイナーチェンジであり、ちちんぷいぷいそのものが無くなってしまうなどということは、想像したこともなかった。22年間も同じ番組が続くこと自体、変化の早いテレビ業界では異例のことなのだと思うが、この番組だけは、極端な話、私が老人になってもまだやっているような気がしていた。

もっとも、MBSの看板番組とも言える「ちちんぷいぷい」を終了するというのは、同社にとっても苦渋の決断ではあったに違いない。朝日新聞に、同番組終了に関する記事が掲載されており、そこには終了に至る苦しい背景が記されている。

この記事で挙げられているのは、予算削減と需要の低下、という2つの要因である。

5115回目のきょう、なぜ番組は幕を下ろすのか。背景には、新型コロナの感染拡大による局の収益悪化がある。(中略)

視聴者の好みも変わった。裏番組の「情報ライブミヤネ屋」(読売テレビ)をはじめ、近年は時事問題を中心に、MCや各界のコメンテーターらの論評する情報番組が台頭。19年には、「ぷいぷい」が長年つづけていた同時間帯視聴率1位の記録も途絶えた。

まあ、結局外部から何を言っても内情が分からないので仕方がないのだが、1点目の新型コロナによる収益悪化というのは、分かるにしても、一時的なものではないのだろうか。テレビ業界全体の衰退という中長期的傾向はあるにせよ、すぐにテレビ局が不要になるような話ではないのだから、1-2年のうちにパンデミックが終われば、比較的早期に収益状況は復旧するとは考えられないのだろうか。

それよりも残念なのが、2点目の「視聴者の好みの変化」という理由である。確かに、最近はここで挙げられている「ミヤネ屋」をはじめ、威勢のいい司会者が時事問題をバッサリと斬っていく、というような趣向のワイドショーが、増えているように私も感じる。それらが高視聴率を誇っているということは、そうした番組に需要があるということなのだろう。だが、それだからこそあえて独自路線を維持し続けるという判断には至らなかったのか。上記の「ちちんぷいぷい終了」の記事は、「なぜ近年上記のような番組が台頭する中で、MBSはほんわか系情報番組を維持し続けるのか」という、「短期的なトレンドに流されないMBSの理念」を紹介する記事にもなり得たはずだ。結局、私が勝手にMBSの良いところだと思っていたものは、同社にとっては大した価値もないものだったのだろう。

私が東京に出て驚いたことの一つは、「ほんわか系情報番組」がほとんどないことであった。東京の午後は、日焼けした不遜な中年男が分かったような顔をして、時事問題に偏った決めつけを行う番組で主に構成されている。ゆるやかな時間が流れ、過度にウケを狙ったり押し付けがましかったりしない情報番組は、存在しないと言っても過言ではない。ちちんぷいぷいを代表として、関西にはそうした番組が多少なりとも存在している(いた)。(反面、見る気にならない関西ローカルの番組も数多くあるが。)

例えば平日の朝10時前からフジテレビ系列の関西テレビで放送されている「よ~いドン!」などが良い例だ。この番組の「となりの人間国宝さん」という名物コーナーでは、円広志月亭八光といったタレントが関西の街を歩き、そこで出会う一般の人と、軽くツッコミを入れながらふれあいつつ、その人たちのこだわりや、半生について聞いていく。まったくもって人を快い気持ちにさせてくれる愛すべき番組である。ちょうどいい記事があったので載せておく。

私にとって、「ちちんぷいぷい」という番組は、半可通の司会者や評論家、コメンテーターがむやみに断定的な口調で結論ありきの「議論」をするような救いようのない番組からの、安全な避難場所、safe havenであった。大げさな言い方をすれば、社会への肯定感を高めてくれる番組だったのである。他のワイドショーとは真逆の存在であり、だからこそ意味があったのだ。

返す返すも、ちちんぷいぷいがなくなってしまったのは残念である。将来「学者」としてワイドショーでコメンテーターをしたいとは全然思わないが、白状すると、ちちんぷいぷいにだけは、いつか出てみたいという密かな夢を持っていた。もっとも、国際政治研究者のコメンテーターなど必要としないところが、この番組の良さでもあるのだが。せめてその後継番組が、「ほんわか系情報番組」であることを祈りたい。