紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

博士号の取得、あるいは長旅の終わり

このブログの読者はほとんどが私のTwitterを見ている人だと思うので、既に知ってい(て「またかよ」と思ってい)ると思うのだが、一応「本拠地」であるこちらでも博士号取得の報告をしておこうと思う。

以前のポストで書いた通り、博士論文を提出したのは今年の1月15日だったが、それから1ヶ月と10日後の2月25日に、博論審査というものがあった*1。今書いていて気づいたが、審査日は10年前の東大入試と同じ日で、提出日はほぼセンター試験と同時期、そして公式に博士号取得が決まった日は、大学入試の合格発表と1日違いであった。全然気づかなかったが、なんだか大学入試と同じようなスケジュールで博士号取得に至ったのであった。

オックスフォードの、というかおそらくイギリス全体でほぼ共通ではないかと思うのだが、博論審査は指導教員以外の(博論全体の50%以上を読んでいない)学内教員1名と、学外教員1名によって行われる。直接指導に関わってきた教員は審査に関われないわけで、その意味では指導教員が主査になることもある日本のシステムや、博論指導のcommitteeが審査も行うアメリカのシステムとは異なる。ではまったくこちらがコントロールできる余地がないかというとそういうわけでもなくて、誰を審査員にするかは指導教員と本人が相談して、指導教員から本人にインフォーマルに連絡して了承を取り、その上で大学を通じて公式に申請を出す、という形になっている。私の場合は、アプローチも近く、以前からリサーチ・アシスタントや学内ワークショップなどでお世話になっていた(がまだ博論は読んでいない)Todd Hall先生を学内審査員に、そして歴史的国際関係論という分野で私の研究と関係する研究を行っている、ケンブリッジのJason Sharman先生を学外審査員としてお願いした。二人ともとても尊敬する研究者で、年齢的には比較的若手だが研究業績は超一流である。特に研究テーマの重なりが大きいJasonは私にとってスターであり、ロールモデルでもあるので、単に博論が通るか否かという以上に私にとって審査結果は重要だった。

いつも通り前置きが長くなってきたが、イギリスにおける博論審査結果は、主に3つに分けられ、割合の高いものからminor corrections、major corrections、no correctionsとなる。minorは軽微な修正(1ヶ月)の上再提出というもので、これが全体の7割ほど。majorはそれより根本的な修正(6ヶ月)が必要とされ、全体の2割ほど。そして残りの1割弱が修正なし、ということになる。理論的には「失格」というものもあるのだが、不正などがない限りそういうことには基本的にならないようだ。なお、割合の数字はネットで調べたもので、オックスフォードの公式の数字は公開されていないため、大体のイメージとして捉えて頂きたい。

私の場合、受給が決まっていた海外学振の規定で、4月1日までに博士号の取得が決まっている必要があったので、もし2月25日の審査でmajor correctionsという結果になると、自動的にアウトになってしまう厳しいスケジュールだった。結果的に、学振がコロナの特別規定で、博士号取得期限を延ばすというファインプレーをしてくれたので、それについては気にする必要がなくなったのだが、それが分かったのは提出後だったので、博論を書いている間は、とにかく早く出さないと&審査が上手くいかないと、路頭に迷うという危機感が強かったし、もし海外学振がダメになったとき用に他のポスドクへの応募も続けていた(まあこの辺は近日中に「政治学ポスドク応募体験記」という形でまとめたいと思う)。かなり綱渡りの計画だったわけである。*2

口頭試問の時点で、もう4月1日までという期限については気にしなくてよくなっていたわけだが、それでも早く取れるに越したことはないので、「何とか7割のminor correctionsに入れるように・・・!」と願いながら当日を迎えた。余談だが、オックスフォードではすべての口頭試問(viva)の日程をOxford University Gazetteという学内誌?に掲載しなければならないらしく、希望者はvivaを聴講することも可能らしい。実際には形骸化しているルールで、私のvivaも誰も聞きに来なかったが、フォーマルなルールを重んじるのはとてもオックスフォードらしい。

審査はもちろんバーチャルで行われるので、日本時間の19時にパソコンの前に座って、ドキドキしながらTeamsを開けると、Toddがいたのだが、アカデミックガウンをばっちり着ていたので驚いた。本来の口頭試問では、審査員も候補者もガウンの着用はもちろん、靴下の色までルールで決まっている(!)のだが、指導教員のRicardoに聞いたところ、バーチャルだから別に気にしなくていいよ、ということだったので私はワイシャツにジャケット、ノーネクタイという格好で参加していた。しかし予想外にToddがばっちりキメていたので、私も着たほうがいいのか聞いたところ、ガウン(sub fuscという)を着て、黒ネクタイを締めるようにとのことだったので、急いで父親から黒ネクタイを借りて、念の為持って帰ってきていたsub fuscを羽織って戻ったら、Jasonがごくカジュアルな服装でTeamsに入ってきた。どうやら、学外審査員については規定がないらしい。

そんなドタバタがあったところで、いよいよ審査の開始、ということになったわけだが、実は最初ToddがTeamsに映ったときから私は「おや?」と思っていた。というのも、何だかとてもニコニコしているのである。普段、ToddもJasonも、どちらかというととても真面目な人で、真剣な顔を崩さないイメージがあった(実際口頭試問中も真面目で真剣ではあったのだが)ので、審査が一通り終わった後ならまだしも、最初からこんなににこやかであることに驚いたのだ。最初に、二人が進め方を相談するということで、5分ほど退出を命じられたのだが、待っている間、(これは何か良い結果を期待してもいいかも・・・いや、しかしここで気を緩めてはいけない、これから論文をdefendしなければならないのだから・・・!)などと思っていた。

そうして呼び戻されると、相変わらずにこやかなToddが、「これからコメントをするけど、最初に言っておくと、我々は二人とも、この博論は素晴らしい出来だと思っているので、リラックスして臨んで大丈夫だよ」と言ってくれたのである。引き継いでJasonも、「これは素晴らしい本になると思う。博論というのは読むには退屈なものだけど、これは非常にreadableで読んでいて面白い。自分は外部審査員として報酬を貰っているが、貰っていなくてもこの論文は読むだろう」ととんでもなく褒めてくれたので、この時点でもう執筆過程の産みの苦しみとか、書いているうちに自分で自分の論文の出来が分からなくなって不安になる気持ちとか、審査がダメだったらどうしようとかいう弱気が雲散霧消して、こういうのが「天にも昇る心地」なのか、と思うような気分になった。すでにして泣きそうである。内容について褒めてくれたのも当然嬉しかったし、non-nativeとして、reader-friendlyで本にするのにあまり時間がかからなさそう、という評価を二人から貰えたのも嬉しかった(もちろん実際に時間がかからないかはこれからの自分の頑張り次第ではあるのだが)。もうこれは純然たる自慢になってしまうのでここに注意報を発令しておくが、今回は大目に見ていただいて、後日届いた審査レポートの第一パラグラフを読んでみてほしい! 

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この後論文の問題点の指摘が始まり、自分でもここ突っ込まれるかな、と思っていたところを突っ込まれたので、今後書籍化を目指すにあたっての課題が明らかになった。どのコメントも、きっちり読み込んでくれたのだな、と思えるようなコメントで、非常に役に立った。 

そうして1時間と少し経ったところで、二人が用意してくれていたコメントが出尽くし、Toddがおもむろに、「おめでとう。これからレポートを学部に出して承認されないといけないけど、我々としては修正は要求しないつもり」だと言ってくれて、ここにno correctionsでの審査突破が事実上決定した。上記のように、minor correctionsになってくれーと願っていたので、それ以上のno correctionsという結果は、まさに望外であった。もう修正しなくていい、これで博論は終わりなんだと思うと、信じられないような、終わってみればあっけないような、そんな気持ちで、二人にお礼を言ってTeamsを切った後、しばし放心状態になった。

Vivaが始まる前に、頭を英語に切り替えるために親友のドミニクに電話をして少し話していたのだが、放心状態から我に返ったらまた彼に電話して合格を報告すると、我が事のように喜んでもらって嬉しかった。 それから部屋を出て両親にも合格を報告し、遅めの夕食をとったのであった。Dr. Mukoyamaの誕生である。

バーチャルで行われたvivaは、やっぱり(体験していないのでわからないけど)対面で行われるそれよりも、現実感に乏しいところはあった。しかし博士号を取得したという喜びは、対面であろうとオンラインであろうとこの上ないもので、vivaからちょうど1ヶ月経った今でも、審査員の二人からもらった言葉や、その後色んな人に報告した時にかけてもらった言葉などを思い返すと、えも言われぬ晴れやかな気持ちになる。忘れられない瞬間になったし、きっとこれからも研究が上手くいかないときにこのvivaのことを思い出すことになると思う。これまで途方も無い情熱と労力をかけてきたのだから、それだけ喜びが大きいのも当然で、これは遠慮せず掛け値なしに喜ぶべきものだと思う。もちろんここまでたどり着けたのは、研究上のアドバイスをくれた指導教員その他の研究者、資金を援助してくれた諸々の財団、支えてくれた友人や家族などのおかげであり、それらへの感謝は忘れないようにしなければならない。

とにもかくにも、私は無事にこの時を迎えることができた。博士課程への進学は誰にでも勧められるような類のものではまったくないが、私と同じく既にその道を進んでいる人には、その先にはこんなに素晴らしい瞬間が待っているよ、と伝えたい。もちろん道はここで途切れてはおらず、この先の道は私もまた自分で切り開いていかねばならないのだが。

なお、心配してくれた人がいるので書いておくが、博士課程が終わっても、ブログをやめる予定は今のところない。副題は「オックスフォード留学記」から、「ケンブリッジポスドク日記」に変わる予定だが。

 

*1:このスケジュールについてとある東大の先生に言ったら、「東大ではありえない早さで驚きました」と言われた。

*2:ちなみに、国内学振向けに同様の措置(博士号取得期限の延長)が発表された時点では、海外学振についてはこの措置の適用がなされていなかった。なので学振に「国内学振に認められた措置は、海外学振についても認められるべきではないでしょうか」というようなメールをして、検討しますという回答を頂き、その後実現した、という経緯を踏んだ。ついでに言うと、そもそも海外学振は、開始時期が4月から翌2月の間で自由に選択できるというのに、博士号取得期限は4月1日で一律なのは、非合理的だと感じる。フェローシップの開始までに博士号が取れていれば、何も問題ないのではないだろうか?この辺りも、いずれ問い合わせしていきたいと思う。