紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

コロナ禍のイギリスからの帰国と隔離

一体誰が、「コロナ禍」などという言葉を使い始めたのだろう。少なくとも私は、今まで日常で「禍」という漢字が入った言葉を用いた記憶はほとんどない。「コロナ禍」というのは、「新型コロナウイルスが流行しているこの社会の状態」というのを、字数制限のある新聞で簡潔に言い表すために「災禍」などの熟語からの類推で生み出されたものだと思うが、口にするたび何かむず痒いような気持ちになる。最近は、コロナの状況下、ということで「コロナ下」なる双子の兄弟まで生まれているようだ。

こんなことを絶えず考えているような人間なので、行き着く先は、という感じで最近イギリスで博士号を取ってしまった。以前に書いたように、口頭試問はオンラインで行われることが分かっていたので、博論提出から3週間あまりして、ロックダウン中のイギリスから日本に帰国することにした。

帰国まで:飛行機の予約と検査

イギリスからコロナ下(さっそく使ってしまった)で帰国しようと考えると、実に多くのハードルがある。まず、日本まで行く飛行機を見つけて予約すること、次に出国前の検査、そして帰国後の隔離。現在はそれに加えて、イギリスからの出国にそもそも制限がかけられているようなので、そちらにも対応しなければならないようだが、私が帰国したのは2月の上旬なので、まだその問題はなかった。

飛行機の確保と帰国後の隔離の問題は繋がっていて、帰国後すぐに公共交通機関を使うことは禁じられているので、2週間ホテルで隔離するか、家族などが迎えに来てくれる範囲なら迎えに来てもらって家で隔離、ということになる。私は2週間ホテル隔離は高額だし辛そうだったので、関空に飛んで実家で隔離したいと思っていたが、British Airwaysは2019年に開設したばかりの関空ーロンドン直行便をコロナのせいで停止していたので、関空への直行便がなかった。東京に降りてしまうとそれ以上移動できないので、国外の経由便を探すわけだが、不幸なことにイギリスは変異株の大元と見られていたから、多くの国がイギリスからの入国をトランジットも含めて厳しく制限していた。なんとか飛べそうだったのが、エールフランスのパリ経由便か、エミレーツのドバイ経由便だった。

しかし、ある日なんと日本航空が、2月から期間限定で週1便だけ、ロンドンと関空の間に臨時便を飛ばすと発表し、ちょうど私が帰る予定の週末が第一便だったので、急いでそれを予約した。どういう経緯でそれが決まったのか分からないが、本当にありがたいことである。

さて、帰国日と便が決まると、次はそれに合わせて、新型コロナの検査を受けて、陰性証明を入手しなければならない。どこで検査を受けるのか、という問題が出てくるわけだが、イギリスでは、街中のクリニックなどで検査を行っている機関があり、そうしたところで検査が可能になっている。しかし価格は高額で、200ポンド近くかかる場合が多い。また、日本が要求しているフォーマットに合わせて証明を出してくれるか不安だった。

色々調べた結果、私が選んだのは、ヒースロー空港での検査だった。ここでは、PCR検査なら99ポンドから、LAMP法なら89ポンドから(私のときは79ポンドだったような気がする)受けられて、さらに予約画面に行くと分かるが、LAMP (Japan)という選択肢があり、日本の要求項目に合わせた検査証明を発行してくれる。PCRは結果が出るまで最大48時間かかるのに対し、LAMPは90分以内に結果が出るので、そういう意味でもLAMP法を選択するのが良いと思う。

というわけで、フライト3日前にヒースローへ出向き、検査をしてきたのだが、この時期に国際移動する人がそもそも少ないからか、待ち時間もほとんどなく、スムーズに進み、陰性証明も問題なく取得できた。

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ターミナル片隅の検査場。いかにも仮設という感じだが、効率的で非常にスムーズだった。

その後、フライトの遅延というアクシデントはあったが、無事搭乗にこぎつけることができた。予想通りというか、空港は本当にがらんどうで、「人類が滅んだ後も動き続ける空港」感が満載だった。また、JALの機内もまた空っぽで、一列丸ごと占領でき、快適なフライトを楽しめた。これに慣れてしまうと、またいつか満席のエコノミーに詰め込まれて12時間飛ぶことを考えるとげんなりしてしまう。まあ、経済のためにはそうした状況に戻ることが大切なのだが。

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帰国後:隔離と健康報告

さて飛行機は関空に降り立ち、いよいよ未知の領域、帰国後の隔離に直面することとなった。改めて説明すると、イギリスなど、変異株の流行が進んでいる国々から帰国する場合は、陰性証明を持っていても、帰国後3日間は、全員空港近くのホテルに強制的に収容され、健康観察が行われることになっている。なので、自宅隔離が可能になるのは、到着日を0日目とした3日目に、上記のホテルをチェックアウトしてから、ということになる。

今ではTwitterで「#隔離メシ」などで検索すれば帰国後の隔離状況について様々な情報が手に入るが、2月の時点では、上記の措置が取られてから日が浅かったこともあり、どこのホテルに収容されるのか、どういったオペレーションになっているのかなど、ほとんど事前には分からなかった。唯一分かっていたのは、帰国後の隔離に関するルールを守らなければ、「氏名公表などの措置がありうる」と政府が発表していたことだけであった。

おそらく、罰金などの具体的な罰を科すことが法律的に難しいから、苦肉の策としてこうした(実行するつもりはたぶんない)脅しをかけたのだと思うが、とはいえこれは、国家が「私刑」を抑止力として認識し、それにお墨付きを与えることであるから、このニュースを目にしたときは心底ぞっとした。公式に私権を制限することに対してハードルが高いのは、本来民主国家として望ましいことではあるのだが、それによってかえって法的根拠が明確でない「グレーゾーン」のルールが乱発されることになっているのは、コロナ禍の日本の特徴かもしれない。

上記のような理由でかなり警戒心を高めて帰国したのだが、実際の空港などでの私の体験は、良い意味で予想を裏切るものだった。検査結果が出るまでに必然的に時間がかかることを除けば、現場のオペレーションはとてもスムーズだったし、「何で帰ってきたんだお前」的な雰囲気も感じなかった。現場の係員の人はかなりフレンドリーで、特にホテルにいた係の人たちはこちらが恐縮するほど腰が低かった。もっとも、他の人の体験はまた違うかもしれない。

なので割と気持ちよく隔離生活をスタートしたのだが、宿泊したホテルは、部屋はとても良かったものの、最近話題になっていたように、支給される食事の内容には後から考えれば問題はあったように思う。朝はコンビニのパンやヨーグルト、昼夜は弁当という形だったのだが、昼と夜の弁当のメニューがほとんど毎回同じで、揚げ物偏重、野菜がとても少ないという内容だったためだ。イギリスからの帰国ということもあって(イギリスの飯がまずいか否かについては以下を参照)、一食目の弁当は非常に美味しく感じたのだが、次の日には変化のなさに飽きてしまった。

とはいえ、私はその時点では、「まあタダだし、文句は言えないな」という小市民的な気持ちでいたのだが、後で隔離メシに対する議論をTwitterで見て、こうやって自分が耐えられたからといって受け入れてしまうのもよくないなと反省した。

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隔離メシ・朝

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隔離メシ・夜

3日間の強制隔離を終えると、残りはホテルを出て自宅あるいは自分で確保した場所で隔離を続けることになった。毎日健康状況を報告しなければならないのだが、これがLINEで報告したり、メールが来たり、自動音声の電話がかかってきたり、複数チャンネルで重複しながら連絡が来るので、多少面倒だった。とまあこのような形で、私は2週間の隔離を終えたのであった。

気になったこと

隔離のプロセスの中で気になったのは、空港やホテルの現場で働いているこの検疫要員の人たちが、どこから来たのかということだった。このような業務はコロナ以前には当然なかったものだから、ずっとこれに携わっている人たちのはずはなく、どこかの会社が業務委託を受けて派遣しているのだと思うが、どうなっているのだろう。私が見た限りだと、若くて今風な見た目の人が多く、外国出身と思われる人も多かった。ベトナム語?らしき手書きの案内板があったり、隔離中に一度電話がかかってきたときのオペレーターもどうやら日本語ネイティブではないらしかった(みんな日本語はめちゃくちゃ上手いけど)。非日本語話者への対応のためなのかとも思うが、どこにこんな人材がいたのだろうと気になった。

もう一つ忘れられないのは、強制隔離の期間中、部屋のすぐ外の廊下に24時間警備員が座っていたことである。見た感じ警察官ではなく、民間の警備員だったと思うが、いつ見ても誰かいるのでびっくりした。勝手に出ていったりするのを防ぐためだとは思うし、実際そんな人は発生していないと思うが、仮にそれでも出ていこうとする人がいた場合、どういう措置をとるのだろうか。強制的に引き留める法的根拠はあるのだろうか。権力が、「自主」という皮を被ってふんわりと行使されていることがかえって恐ろしいように思われた。