紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

もう「学生」ではないということ

ケンブリッジに来て3ヶ月が経ったが、ちょうど旧年度の終わりに来たので、まだ学期中の大学というのを経験していない。それでも、ちょうど採点作業が終わって夏休みに入る前に、ケンブリッジにおける受入教員であるジェイソンや、その他の教員・ポスドクと結構会うことができた。海外学振という外部資金を受給している身分なので、「お客さん」扱いされないかという一抹の不安があったのだが、少なくともケンブリッジの政治国際関係学部には自前のポスドクというものがなく、学部に所属しているポスドクはすべて、外部資金かカレッジのJRFポジションを得ているので、そのような心配は杞憂だった。

むしろ驚いたのは、ケンブリッジの人たちが、すごくフレンドリーに、かつ対等に接してくれることだ。博士の院生が教員をファーストネームで呼ぶことなどをもって、「欧米のアカデミアは日本と比べてフラットだ」ということがよく言われるが、実際には日本と同様、教員と院生の間には厳然たる壁があると感じていた。学部の公式のイベントなどを除いて、教員とソーシャルな交わりが生まれることは稀だし、安易にソーシャルな関係を築くとハラスメントの温床になるという危機感が教員の側にもあるのかもしれない。また、指導教員という存在がいるので、それ以外の教員にとっては〇〇の学生、という遠慮が生まれるという面もあり得る。

しかし、ポスドクとしてケンブリッジに来て以来、周りが「学生」ではなく「(駆け出し)研究者」として、一応一人前の扱いをしてくれることが新鮮だ。まだ博士号を取って半年しか経っていないのに、扱いが大きく変わったことに驚いている。その変化がどういうところに見えるかというと、例えばメールを送って会いたいと言った教員が、じゃあパブで一杯飲みながら話そうかと気軽に言ってくれたり、学部に付属したセンターのaffiliateにならないかと向こうからメールをくれたり、ティーチングの話が来る際に、今までのようなチュートリアル(カレッジで行われる個別指導、ケンブリッジではsupervisionと呼ばれる)ではなく、大授業のサブコースのレクチャー、さらには修士課程のオプション授業を自分の好きなテーマで1つ教えないかというような話が来たりするようになった。また、ケンブリッジの政治国際関係学部では、IR & History Working Groupという、私がケンブリッジを所属先に選んだ理由の1つでもある研究グループ/セミナーシリーズがあるのだが、それに興味があるという話をしたら、じゃあもう1人のポスドクと一緒に運営をやらないかと誘われた。

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ケンブリッジの夏の風物詩、パンティング

まあ上記の一部は、教員の負担を軽減してくれる存在としてポスドクが便利、ということもあるのだろうが、私としても一定のティーチング/セミナー運営経験は、キャリアのためにも重要なわけで、需要と供給の一致というところだろう。ただ、レクチャーをしたり自分の授業を作ったりするのは初めての経験で、それを英語で教えなければいけないということには多大な不安もあり、今から戦々恐々としている。FBを開くと、知り合いで「ケンブリッジの公共政策に留学します」と書いている人がいたりして、そういう人たちが私の授業を取ることになったら何か変な感じだな、と密かに恐れている。まあこれも必要なステップということで、何とか上手くやれることを願う。

しかし何しろ10年も大学にいたので、自分がもう学生側ではないことにまだ頭が追いついていないところがある。今でも美術館や映画館では学生割引を使いたくなる。オックスフォードの学生証は期限が2022年4月までなのでまだ使えるし、ケンブリッジの大学カードは学生も教職員も同じデザインなので、その気になれば学生証として使えそうなため、誘惑が多い。私は博士課程のとき、「社会人」の知り合いに下に見た感じで「学生」と言われるのが何より嫌いだったのだが、いざstudentの身分を失うと、その利益も認識させられる。例えば学会の会費が、PhD studentでなくなった途端に激増した。色々な意味で、意識を変えなければいけないということだろう・・・。