紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

オックスフォード、1年越しの卒業式

先月の最後の週末に、オックスフォードに行ってきた。卒業式に出るためである。

といっても、私がプログラムを修了し、博士号を取得したのは2021年の2月、1年も前のことである。なぜ今頃卒業式なのかというと、まずもちろんコロナということもある。2020年のコロナが始まった辺りから1年余りの間、卒業式は開催されていなかったはずで、それが再開されてからまだそんなに日は経っていない。

しかしそもそも、オックスフォード(他の大学も?)が面白いのは、日本みたいに春(か秋)に全員分の卒業式が1回あるという仕組みではなく、年に何回も卒業式は開催されていて、その中から自分が参加したい日を予約する、というシステムであるところだ。しかも、別に自分が修了した年に卒業式に出ないといけないという決まりもない。極端な話、例えば30年後に自分の子供と同じ卒業式に出る、なんてことも理論的には可能なはずだ。

このブログでも何度も言ったと思うが、オックスフォードやケンブリッジというのは極めて分権的な大学で、カレッジという単位が非常に高い重要性を有している。卒業式も、この日はこのカレッジとこのカレッジとこのカレッジ、という風にカレッジ毎に割り当てが決まっていて、自分のカレッジを通じて予約する。そんなわけで、私は2月26日の回を予約したのである。

本当は夏の気候がいい時に卒業したかったのだが、予約した時点では自分がいつまでイギリスにいるか不透明だったのと、卒業式は2人までゲスト用のチケットをもらえるので、両親が来られる時期にしようということで2月になった。ただ、結局両親は諸事情で来られなくなってしまったのが残念なところである。学部や修士のときは、実家が遠いということもあるが、「どうせまだ博士があるだろう、そっちが本番」ということで卒業式に来なかった両親だが、結局博士課程の卒業式にも出られなかった。ただ、コロナの特別措置か、当日はライブストリーミングがあり、親のみならず親戚も卒業式の様子を見てくれていたようである。便利な世の中だ。

ウクライナ侵攻の週末

そんなわけで私は式の前日、2月25日にオックスフォード入りして、友達数人とお祝いのディナーをして当日に備えることになっていた。ただ、正直なところこの日の私の気分は重く、とてもお祝いをしたいような心持ちではなかった。というのも、日付を見てピンとくる人もいるだろうが、この日はロシアによるウクライナ侵攻の翌日だったからである。

あからさまで正当化し得ない武力の行使による侵略が行われたことは国際政治を勉強している人間として大きなショックであったし、今後の世界の展望に対して不安にもなった。イギリスで勉強していれば、ウクライナという国にそれまで特別な関心を抱いていたわけでなくてもウクライナ人の友達は何人かできるもので、そういう人たちが悲痛なポストをSNSにしているのを見るのも心が痛む。欧米の一部のコメンテーターが言うように、この戦争が「『ヨーロッパ』で起きた」ということに特別な意味があるとは思わない(他地域での紛争を当然みたいに言うことには怒りを覚える)が、そうでなくてもこれは国際政治的に大変な出来事なのは疑いようもない。

そんな中で個人的なお祝いをしていてよいのだろうか、というような気分になっていたわけだが、オックスフォードに着いてまず親友のドミニクとその彼女のジャーナと話をしていると、多少は自分の卒業式のことに頭が戻ってきた。祝えることは祝えるうちに祝わないと、ということと、大変なことが起きたからといってそれが祝われるべきことを祝わない理由にはならない、ということを言われてそれもその通りだなと思った。

思い出の店でディナー

そうこうしているうちに7時が近づいてきたので、3人でディナーの店に移動した。私がこの特別な日のディナーの場所に選んだのは、Jee Sahebという、St. Antony's Collegeの近くのNorth Paradeというエリアにあるインド料理屋である。

イギリスのインド料理が美味しいということ、また日本でのインド料理の扱いとは違って、食堂的なものではないきちんとしたレストランが多いという話はどこかで書いたかもしれないが、私がオックスフォードの3年半で一番多く通った店が、このJee Sahebである。St. Antony'sの院生はたぶんほとんど皆行ったことがあるし、常連も多いと思うのだが、とりわけドミニクと私は週一回、日曜日にここで夜ご飯を食べることをルーティンとしていた。1年目にはヴィクターという、3人目のメンバーがいたのだが、彼が卒業した翌年以降は、その時々で違う人を加えたり、または2人で行ったりして、ずっと通い続けてきた店である。店長も私たちのことを認識してくれていて、行ったら握手してくれることを密かに自慢に思っていた。

その日は久しぶりだったので、店長に実は明日卒業するんですという話をして席についたら、ほどなく残りの参加者が来た。1人はゲルダというエストニア人で、私の2年目からの付き合い。彼女もカレッジの友達である。もう1人はカリムで、以前にもブログで言及したことがあると思うが、レバノン人でケンブリッジの博士課程に在籍中、今はパートナーがオックスフォードにいるのでオックスフォードに住んでいる。この4人が、今もオックスフォードにいる人の中では一番私が仲の良い友達で、彼らにお祝いしてもらえるということはこの上ない喜びだった。

オックスフォードで得たのは学問的な知見だけではなくて、むしろそれよりもっと私にとって重要なのは、そこで出会った人たちである。世界中から来た同年代の友達と毎日のように食事を共にし、くだらないことから真面目なことまで色んな話をしたことは間違いなく私の一生の財産で、こんな豊かな時間は、ここでなければ得られなかっただろうと思う。いつもはマンゴーラッシーばかり飲んでいたのに今日はお祝いということで頼んだワインで乾杯をするときに、つい胸が熱くなってしまった。みんなも楽しそうにしてくれて嬉しかった。いつも通りのエビとほうれん草のカレーを食べて、その後一軒パブに行ってから宿泊先に戻ると、仕事終わりに駆けつけてくれたパートナーが到着していて、無事当日を迎えられることになった。

旅立ちの儀式

当日は8時半に集合だったので、7時過ぎには起きて、荷造りと着替えをした。前日に受け取った博士課程用のガウンは、赤と青という謎の配色だが、ひと目見てオックスフォードと分かるという意味では良いのかもしれない。借りるというオプションもあったのだが、記念だし、以前オックスフォード出身の先生がオフィスのドアにこのガウンを掛けているのを見て憧れていたので、買った。ただ、ウール素材で349ポンド、ポリエステルでも199ポンドという価格設定には納得していない。このガウンは3つの店でしか扱っておらず、寡占市場で明らかに価格が高く設定されている。ちなみに、皇室で初めて海外で博士号を取った彬子女王のエッセイが出版されているのだが、それが『赤と青のガウン』というタイトルである。オックスフォード関係者でなくても、博士課程の大変な日々の様子などがよくわかるエッセイなので、結構おすすめ。

まあそれはそれとして、当日の朝はまずカレッジに行って登録を済ませ、そしてカレッジに来ていたプロのカメラマンに写真を撮ってもらうことからスタートした。私はオックスフォード生活で後悔していることがあって、何かというと、入学式に当たるmatriculationの日に、このプロのカメラマンによる個人写真を撮ってもらわなかったことである。最初と最後に写真を撮っていれば比べられたのにな、と思ったが、せめて最後はきちんと撮ってもらおうということで、一番乗りしてしっかり撮ってもらった。その他にも自分たちでたくさん写真を撮った。こういうのは絶対後から見返したくなるので、できるだけたくさん写真を撮っておくのがいい。

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集合時間になると、カレッジの学務主任的な人の誘導に従って、みんなぞろぞろと会場のSheldonian Theatreという建物に向かう。博士と修士ではまたルールが違うのだが、博士はこの時点ではアカデミックガウンを着ず、在学生が着るsub fuscという黒のガウンを着る。式の途中までこれを着て、途中で一旦退場し、赤と青のガウンに着替えて戻ってくるのである。ちなみに学部生や修士は出ていくともう戻ってこない。博士は大学幹部の後ろの一段高い席、修士は下の席の前の方、学部は下の席の一番後ろに座るようになっていたりと、学位のレベルによって卒業式における扱いがあからさまに違うのがちょっと面白かった。

式の内容は正直なところ、事前にほとんど何の説明もなかったため、卒業生も皆手探りでやっていた。式自体がほとんどラテン語で行われたため、だいたいみんなぽかんとしているのが可笑しい。自分の名前が呼ばれる瞬間だけは聞き取れたが、一瞬で終わってしまったので感慨を覚える暇もなかった。それでも式のハイライトは2回ほどあって、1回目は正面に座っているVice-Chancellor(オックスフォードのChancellorは名誉職なので、実質的な学長はVice-Chancelor)と2人の大学幹部の前に行ってお辞儀をする場面、そして2度目はDPhilガウンに着替えて、拍手の中再入場してくる場面だ。

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といっても、上記のように誰も式のマナーを説明してくれなかったため、最前列にいた私たちはVice-Chancelorの前に行っても何をしたらよいか分からず、随分まごついた。ただ実際のところ、多分学長も含めて誰も式のしきたりを完全には把握しておらず、おっかなびっくりやっているような印象を受けた。昔なら、学部から博士までオックスフォードで教育を受けて、その後オックスフォードに勤めて何十年という人も多かったのだろうが、今となっては多くの分野で特に採用にあたって内部出身者が優遇されるということもないし、教職員の中でもオックスフォードのシステムに慣れていない人が大多数だと思われる。そう考えると、伝統とは一体何なのかという疑問が浮かんでくる。

さて、バタバタしながらも無事に式が終わると、前日ディナーに来てくれたメンバーが、式場にも駆けつけてくれていて、ひとしきり写真を一緒に撮った。そこからカレッジに歩いて戻って、ランチはカレッジの食堂で特別のランチが無料提供される。こういう「タダ飯」に出会う度に、これまで支払った学費や寮費を少しずつ取り返している(が全然足りない)気分になるのは、さもしい大阪人の性なのだろうか。料理は大変豪華で、特にローストビーフが美味しかった。

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ランチの途中で、カレッジのトップであるRoger Goodman先生(日本研究者)が、スピーチをしたのだが、彼自身もSt. Antony’sの出身であるというところから、カレッジに誇りをもたせるような見事なスピーチで、それを聞いていると自分は卒業したんだ、オックスフォード生活もこれで正式に終わりなんだとしみじみ思った。あの日々はもう戻ってこないと思うと、正直悲しい。

オックスフォードでの3年半は、大変なこともあったけど、間違いなくこれまでの人生では最良の時間だった。青春というものが小説や映画の外にも実際にあるとしたら、私にとってはこの時間こそがそれであったといえるだろう。去年博士号の取得が決まった時点で実質上私のオックスフォード生活は終わっていたのだが、それに正式にピリオドを打つ卒業式というイベントは、一生に一度しかない、これまた味わいの深い経験であった。今後の人生においても、the best is yet to comeだと思い続けたいけれど、オックスフォードの時間をこれからもずっと思い出し続けるだろうということは、疑いようがない。