紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

長旅の(とりあえずの)終わり(?)

東京でこの記事を書いている。

ブログの方では発表していなかったのだが、この度自分が学生時代を過ごした東京大学に職を得ることになり、それに合わせて本帰国した。博士課程のためにオックスフォードに旅立ったのが2017年のちょうど今頃であったから、その間一時帰国などあったにせよ、都合5年間イギリスを拠点に生活していたことになる。その前の6年あまりは関西から出てきて東京で過ごしていたわけだから、だいたい5・6年周期で人生に転機が訪れていることになる。新しい仕事も最初の任期が5年なので、またその後で再び拠点を変えることがないとはいえない。分からないけど。

最終的に東大に戻ることを選んだものの、ポスドクになってからの1年間は日本と海外の両睨みで就職活動をしており、帰国を決めた経緯とか、海外での面接体験などは改めて記事にしたいと思っている(書けないことの方が多いけど)。今回は簡単な報告と、イギリスを去って日本に戻ってきたことへの雑感、というような話に留めようと思う。

Twitterなどを見ていても、在英何十年みたいな人は結構いるので、私がイギリスにいた5年間という期間は、自慢するほどの期間ではないだろうが、同時に海外在住期間の分布というのはおそらく最初の1年間に大半のobservationが集中していて、そこから長い裾野が広がるright-skewedな分布だと思うので、全体から見ればやはりかなり長い方にはなるのではないかと思う。

何より私の実感として、この5年間というのは自分の中身をかなりの程度変えてしまうような、そんな重みを持つ期間であった。25歳の誕生日を迎えてすぐ渡英し、30歳の誕生日の後帰国したわけだから、20代後半をすべてイギリスで過ごしたことになる。渡英前の自分と今の自分は全然違う人間なような気がしていて、なのに今、渡英前の自分が過ごしていた東大に戻ってきていることに正直言えばまだ違和感がある。今のキャリアの段階に比して非常に恵まれたポジションを与えてもらったことに対する大きな喜びはありつつ、日本に戻ってきていること自体に戸惑いもあるのだ。まあ何といってもまだ帰ってきたばかりである、これから時間が経てば再び日本になじんでいくのだろうとは思う。

5年前には、日本からイギリスへと、確かな方向性を持って旅に出たわけだが、今となってはどちらが旅の起点で、どちらが終点なのか分からなくなった。今も自分のベースはイギリスにあって、日本に旅に出ているような気分ですらある。

この奇妙な感覚は、帰国が近づいても、「自分がイギリスを離れて日本に本帰国する」という実感が最後までいまひとつ湧かない、という形でも表れた。もちろんしばらく会えなくなる友達に一人ひとり別れを告げる過程で、感傷的な気分になり、イギリス生活の終わりを意識することは何度もあった。しかしそれがどうも、自分の人生における一大転機とか、1つの大きな区切りであるという意識に結びつかないのだ。イギリスでの生活と日本での生活は継ぎ目なしに繋がっているような感覚があって、今でもドアを開ければロンドンの街が広がっているのではないかという錯覚に陥る。こうした出来事自体が初めてなのだから、こうした感覚も初めてである。

でもこの感覚を、忘れたくはないとも思う。もちろん日本にいるのにイギリスにいるように生活していては単なる社会不適合者だが、日本で生きることしか想像できない自分にも戻りたくない。これはどちらがいいとかそういうつまらない話ではなくて、いつでもその気になればまた大きく環境を変える決断ができるような、そしてどこにいても自分は一緒だと思えるような、そういうフラットな心構えで居続けたいということだ。実際そうするかどうかは別として、そういう気持ちでいたいということ。

私は帰国前最後の一週間をケンブリッジの所属カレッジで過ごしたのだが、チェックアウトする際に、手続きしてくれたカレッジのポーター(フロント係/コンシェルジュ的な人)が、”See you next time”と言ってくれた。さよならではなく。何気ない言葉だが、それが印象に残った。次来るまでの、しばしの別れ。だからこれは「長旅の終わり」ではなく、「長旅の(とりあえずの)終わり(?)」なのである。

まずはこれからの東京生活を、楽しみたいと思う。

このケンブリッジののどかな風景は、また懐かしくなるだろう。