紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

気まぐれなまぶた

今日は少し寒かったが、ここ数日春のような陽気が続いていた。外を歩いていてもふとした瞬間に春の匂いが漂ってくるような気がして、つい深呼吸してしまう。先週末は湯島天神の「梅まつり」に行ってきたが、桜ほど派手ではなく、淡い梅の花が裸の枝に小さく咲いているのを美しいと感じると、自分も大人になったなあと思えたりする。今週は仕事からの帰り道に花屋の前を通りがかると、今度は桃の枝が売られていて、後先考えずについ買ってしまい、家に持って帰って花瓶がないことに気づいて、適当な容器に暫定的に挿している。

春になるのは嬉しいのだが、春は同時に花粉の季節でもある。私は大学生の時に花粉症を発症し、それなりに重い症状があったのだが、留学中は3月に日本にいることが少なく、イギリスにはスギ花粉はそんなに飛んでいなかったために、その辛さを忘れていた。今年はそもそも例年より花粉が多いらしいが、6年ぶりということも加わって、かなりのダメージを受けている。

こうなると、3月を「日本にいたくない月リスト」に追加したくなってくる。このリストには、他には6月半ばから7月半ばの梅雨の季節があり、8月もできれば避けたいと考えている。理想的には、4月から梅雨入り前までは日本、梅雨から8月いっぱいまではイギリスないしヨーロッパにいて、9月から11月までまた日本、12月だけクリスマスのためにヨーロッパに行って、1月から3月は日本を飛び越して東南アジアかオーストラリアあたりに逃げたい。

まあそう思い通りにはいかないのが人生というものだろうが、最近特に私の思い通りにならないものに、「まぶた」がある。どういうことかというと、毎日一重になったり二重になったりするのだ。よく疲れている時に一重の人が二重になったりするということはあるし、私もそういう経験はあったのだが、大概は一日経てば戻るものである。

しかし今回は、年末あたりからかれこれ2ヶ月以上も、日によって①両目一重、②右だけ二重、③両目二重を1:2:1くらいの比率でランダムに繰り返している。先週末から今週を例に取ると、土日は①だったが月火は②になり、水木は③、金曜は③から昼寝をしたら②になった。両目が揃っていれば一重でも二重でもどっちでもいいのだが、左右非対称になると自分でも違和感があるので、どっちかにしてもらいたいものだ。

他人の顔など、自分が思うほど人は見ていないというのは確かだと思うのだが、まぶたの違いというのは思いの外気づかれるもので、年始に高校のテニス部同期とテニスをするのが恒例になっているのだが、数年ぶりに会った同級生に開口一番「二重にしたのか」と聞かれて閉口した。「なった」ではなく「した」と思われるのは癪なので、今後もあらぬ疑いをかけられないようにここで釈明しておきたいと思う。

なぜこういうことになるのか気になったので調べていると、どうやら、加齢に伴ってまぶたの脂肪が薄くなるために、一重が二重になるらしく、そういうケースは意外によくあるようだ。昔の生物の授業で、一重と二重は遺伝的に決まっている、みたいなあやふやな知識を教えられていたので、加齢でこれが変わりうるとは知らなかった。しかしそうなると、私はこれ以上若くなることはないので、現在を移行期として、これから徐々に両目二重になるのだろうか?気になるところである。

しかしまだ30歳になったばかりなのに、加齢って・・・。梅の花を愛でる感性を得るために、払わなければいけない犠牲ということだろうか。まあ日本は若いと特に軽んじられやすい社会なので、歳を取るということは、案外悪くないのかもしれない、と言い聞かせておくことにする。