紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

学会づくしの3月

「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」とよく言うが、と言おうと思っていたのだが、最近Twitterで、これは主に西日本で言われていることで、東日本では聞いたことがない人も多いという投稿があって、びっくりした。東日本では1-3月が過ぎる速度は遅いのか?

帰国してからのこの半年ほどは、「新しい」環境(以前学生として通っていた大学ではあるけど)で色々と慣れないこともあり、時間が経つのがかつてないほど遅かった。もう帰国してから3年ほど経ったような気がする。1・2月もアドホックな学務があったりして、同様に時間がゆっくり進んでいったのだが、3月になって少し加速した。

考えてみると、3月は大学関係の仕事が少なく、研究会や学会がいくつか入ったため、これまでのポスドク時代と近い生活スタイルになったのと、それらの学会が純粋に楽しかったから時間が経つのが早かったのだと思われる。

東北大学での国際ワークショップ

まず3月上旬には、東北大学(4月から東大社研)の東島雅昌先生に呼んでいただき、同先生とポスドクのAustin Mitchellさんが企画された、権威主義と歴史的政治経済学の国際ワークショップに参加させていただいた。仙台はなぜか2年に1度くらい行く機会のできる街で、街の景観や環境、食べ物とか諸々の面で日本の中では特に好きな都市の1つであるが、ワークショップ自体も大変に楽しかった。2日間にわたるワークショップが終わった時に、「ワークショップロス」に襲われたくらいである。

なぜそんなに楽しかったのかを帰りの新幹線の中で考えていたのだが、まず1つには、参加者が30-40代前半くらいまでの若手に限定されていたことがある。参加者の年齢に大きな差があると、いかに年長者が気を遣ったとしても、やはりどうしても気兼ねや緊張が生まれることが多い。20も30も年上の人の研究に、軽々に突っ込みを入れることはなかなかできないが、同世代だと気軽に質問したりコメントしたりすることができ、肩の力を抜いて参加できるというものである。

また、ワークショップが非公開だったのもよかった。もちろんアウトリーチとか、教育とかいった面では研究会を開かれた場にしていくことも大事だとは思うが、オーディエンスがいるとそれだけ人の目を気にするし、知らない人の前では言えないことも出てきてしまう。形式も型にはまったものになりがちだ。純粋に研究を高め合う場としては、クローズドなワークショップの方が向いていると思った。クローズドな研究会だと必然的に少人数にもなり、個々の発言機会と発言のハードルも下がっていっそう話しやすい。

それに加えて、1日目・2日目ともに、ワークショップの後には懇親会が開かれ、それがまたよかった。少人数なので一人一人とよく話せるし、同世代で英語なのでフランクな話ができるし、オーストラリアやシンガポール、台湾などの研究者からそれぞれの事情を聞けて興味深かった。日本にいながらにして海外の有力な研究者と知り合える、議論できるということを確認できたのが、一番の収穫だったかもしれない。今後のキャリアに希望の持てる機会だった。主宰者のお二人には感謝しかない。

モントリオールでのISA

続いて中旬には、カナダのモントリオールで開催されたInternational Studies Associationに参加してきた。ISAは国際関係論では世界最大の学会で、北米ベースなので毎年アメリカかカナダで開催される。去年は初めて対面で参加したのだが、世界滅亡後のシェルターみたいなナッシュビル郊外の異様な巨大ホテルでの開催で、相当特異な経験だった。今回はモントリオールというまともな都市での開催だったものの、3箇所のホテルに会場が分かれていてちょっとめんどくさかった。また日本の気温は既に20度近くまで上がっていたものの、モントリオールはまだ0度前後で、めちゃくちゃ寒かった。

こういった大規模学会で何をするのか、というのは研究者のキャリアの段階によって大きく異なる。まずこうした学会に参加し始めた大学院生は、個別に応募して、学会側が組むパネルに入れられ、「あんまり他の発表と関係なくない?」と思いながら"Every talk is a job talk"などと言い聞かせて大真面目に準備したのに、実際にパネルに行ってみると司会や討論者がバックレていたりして、聴衆3人、みたいな部屋で発表をすることになる。(初めての参加なら、これに加えて、大真面目に学会のポータルサイトにペーパーをアップロードしたら、自分以外誰もアップロードなんてしていないことに気づいて衝撃を受ける、というプロセスが入る。)各分科会の懇親会などに出て、他の大学の院生などと知り合ったりするも、えらい先生たちは一体どこにいるの?と不思議に思う。

少し段階が進んでポスドク、若手教員くらいになると、自分で一緒にやりたい研究者に声を掛けて(あるいは掛けられて)パネルを組織し、パネル単位で応募することになる。取りまとめの手間はかかるが、実際に自分に興味のあるテーマでパネルを組むことができて、分野の他の研究者と知り合うことができ、徐々に顔が広くなってくる。聞きに来る人も少し増え始め、少なくともパネルのメンバーよりも聴衆のほうが多くなってくる。自分の大学院時代の友達や、過去に知り合った研究者などに、1年ぶりに再会して話し込む、などということも増えてくる。

シニアの研究者になってくると、もはやペーパーは発表しない。声を掛けられてラウンドテーブルでちょこっと話すことはあるが、それでプログラムに名前は載せておいて、あとは旧知の人たちとひたすらキャッチアップして研究の相談をしたり単に旧交を温めたりするようになる。パネルが行われる部屋にはほとんど出入りせず、会場周辺のバーやカフェに高頻度で出没する。

私はというと、今第一段階はなんとか終えて真ん中の段階であり、これからもそうであろうと思う。去年ポスドクであった時に初めて自分でパネルを組織して、今回その本番であった。私が最近やっている日本近世の主権領域秩序というテーマに関連して、東アジアの歴史的国家形成というタイトルで関係する研究者に声をかけてパネルを組んだ。私自身この分野の新参者であるので、最初はあまり知り合いがおらず人集めに難航したのだが、人伝に集めた発表者は結果的に全員非常に面白い研究をしていて、パネルを作ってよかったなと思った。今後それこそワークショップに呼んだり呼ばれたりすることがあるだろうと思う。

ISAはもちろん学会であって、研究発表の場なのだが、上でも触れたように、実は一番重要なのはそれ以外の時間で、私もランチやらコーヒーやらディナーやら、色々と予定を入れて人に会った。オックスフォードやケンブリッジを出ていると、やはりこういった大規模学会に来る人も多いので、学会会場で一緒になる知り合いの数もそれなりに多い。そして知り合いがまた新しい人を紹介してくれたりする。こういうところが、規模の大きな海外のPhDを出たことのメリットだなと思う。学会は実力主義とはいっても、実際には個人的なネットワークが重要であることは日本も海外も変わりないので、知り合いが多いことは武器になる。

ただ、単に知り合いが多いだけでは当然限界がある。色んな人に名刺を配っても、相手が読むような媒体に研究を発表していないと、自分の名前は相手には残らない。素晴らしい社交能力を持っていれば、友達にはなれるかもしれないが、学会のネットワーキングは別に単なる友達を作るのが目的ではないだろうから、やはり研究を出していて初めてネットワーキングの意味があるというものだろう。

なので、同世代の友達を各地に増やしたい、という動機で他分野の人とレセプションなどでsocializeすることはあるものの、特に友達になるという感じではない他分野の人と顔を合わせても、社交する気にはあまりならないのが正直なところである。

学会というのはそれ自体「部分社会」であるが、学会の中にもたくさんの部分社会があって、私はISAに行っても安全保障系のパネルに出ることはないし、国際政治経済のパネルに出ることもほとんどない。国際関係理論のレセプションに行ったら、ほとんど誰も知り合いがいなくて驚いた。でも歴史的国際関係論のパネルやレセプションに行くと、だいたい知っている顔が並んでいる。そういうものである。まあ、安保とかIPE系のところに行くとアメリカの人が多くて、歴史的国際関係論に行くとイギリス・ヨーロッパ・オーストラリアの人が多い、という違いもあるのだけれど。

カナダはかつてトロントに交換留学していた時に住んだことがあるのだが、気候は別にして(イギリスも人のことは言えないし)、多様性や寛容さといった面ではやはり他の追随を許さない心地よさがある。トロントの多様性と比べるとロンドンも比較にならない。一方で、街並みの美しさや、様々な国へのアクセスなどを考えると、やはりカナダは分が悪いとも思う。飛行機で2時間飛べばスペイン、という立地には勝てない。すべてを満たす国や都市というのはないのだろう。

しかし3月は久しぶりに日本の日常を離れて国際的な気分に浸ることができて、とてもリフレッシュできた良い月だった。花粉さえなければもっといいのだが。