紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

ラジオ体操の危機

毎日デスクでしかワークしていない私のような人間にとって、肩こりや首こりは職業病のようなものである。意識して運動をしない限り、普通に生きていると筋肉の緊張を取る動きがそもそも生じない。まことに自然に反する生き方である。

そうした身体への負担を解消するため、寝る前にはストレッチをしたり、週に1-2回は何らかの形で身体を動かすことにしている(つもりな)のだが、それに加えて私がかれこれ少なくとも5年は毎朝やっていることがある。ラジオ体操である。

日記も3日と続かない私だが、ラジオ体操は今ではやらないと身体がどうにも固くて仕方がないのでずっとやっている。ラジオ自体がいつまであるかわからない時代なのに、ラジオ体操などというものが今日まで存在しているのがそもそも驚きだが、Youtubeやインスタで様々なストレッチが公開されている時代に、自分がラジオ体操を何年も毎日やっているというのも、改めて考えると面白い。

別に子供の頃にそんなにやっていた記憶もないのだが、手軽な運動で身体をリラックスさせたいという欲求があり、何をするかと考えたときに、やはりラジオ体操は身近で覚えており、わざわざ他の体操を覚えたりするのが面倒だったので、経路依存的にやり続けている。しかし、平穏な毎日は、2025年4月1日に突如崩れ去った。

さすがに5年もやっていれば、ラジオ体操の順番などは身体に染み付いているのだが、だからといって無音でやるのも変だし、リズムを取るためにも何かに合わせてやった方が楽なので、私はいつもYoutubeに上がっているNHK公式の動画を再生しながら体操をしていた。単純計算でこれまで2000回近く再生しているのではないだろうか。

しかしその動画が、なんと年度初めに突如として削除されたのである。何の前触れもなく。といっても、NHKのチャンネル自体が無くなったわけではない。チャンネルは今も存続しているのだが、ラジオ体操の動画だけ(?)が年度替わりで削除されてしまった。まったくわけがわからない。

誰かから何かのクレームあるいは横槍が入ったのだろうかと考えたが、ラジオ体操がYoutubeに上がっていることに怒ったり、傷ついたりする人がいるなどということは考えづらい。そんな人がいるとしたら、一刻も早くラジオ体操をして身体と心の凝りをほぐした方がいいに違いない。

嘆いていてもなくなってしまった事実は変えられないので、私は代わりの選択肢を探す必要に迫られた。そこで最初に出てきたのが違法アップロードであろう謎の個人アカウントで、そんなチャンネルに収益を上げさせるわけにはいかない(それでも今80万回近く再生されている)。違法でない代替案を検討した結果、3つに絞った。1つはYoutubeにあるかんぽ生命の公式チャンネルの動画、2つ目はApple Musicに入っているラジオ体操の音声(選択肢多数)、3つ目はNHKの公式サイトにアップロードされている動画である。

①だが、なぜかんぽ生命が、と思っていたところ、「ラジオ体操はかんぽ生命の前身である逓信省簡易保険局により1928年に制定されました。」という一文が動画の概要欄にあった。知らなかった。どうやら「国民保健体操」なるものが前身らしい。しかしそう言われると、何か国策めいたものを感じてしまい、若干ラジオ体操への視線が変わってしまった。次に②だが、動き自体を覚えていれば映像は必ずしも必要ではなく、音だけ入っていればよいので選択肢になる。私は佐藤弘道お兄さんバージョンを使用してみた。最後に③は、わざわざブラウザを開いてアクセスするのが面倒なので、私は使っていない。サイトに上げるならなぜYoutubeに上げないのか、実に謎である。あるいは水面下でNHKとかんぽ生命の間でラジオ体操をめぐる血で血を洗う闘争があったのだろうか・・・?

代わりの選択肢が存在することで、とりあえずは石像化の危機を回避することができたのだが、原因究明と問題解決が待たれるところである。

 

四月になれば

気づけば年末からブログを更新していなかった。留学していたときはわりとこまめに更新をしていた記憶があるが、帰国後は頻度が落ち、そして頻度が落ちるとどうしても近況報告的な投稿が多くなってしまう。どうでもいい話を書くことが少なくなったのが少し寂しい。

もっと更新したいという意思はあるのだが、やはり忙しさが院生の時とは違う。その中でも今年の1-3月は特に忙しかった。というわけで今回も、近況報告的な投稿になってしまいそうである。

ペーパーとイベント

1月の末に自著の日本語版が出て、それに関連する諸々をやっていたのと、3月にある学会のためのペーパーと、それとは別に英語のブックチャプターを2本、3月までに書く必要があった。それに加えて、年度内に色んなイベントを済ませようと(自分も含めた)みんなが動いた結果、2-3月にやたらとイベントの仕事が増えた。その中には自分のブックローンチなども入っているが、センター関連の仕事も集中した。書いているだけでも忙しそうである。

アメリカ出張

3月の頭にアメリカに学会出張をした。International Studies Associationという、国際関係論では最大の学会で、ここ数年は毎年行っている。今年はシカゴで開催ということで、寒さを危惧していたが、それほどでもなかった。そういえば前回シカゴに行ったのは2017年で、英米の博士課程に応募してノースウェスタン大学に合格した際の大学訪問でシカゴ(近郊)に行ったのだった。それは2月末で、あまりの寒さに「ここは無理じゃないか」と尻込みしたのも、結局行かなかった理由の1つだった。

ISAでは自著のbook roundtableを企画した。book roundtableとはどういうものかというと、ある本に関して4-5人くらいの研究者が順番に評価とコメントを発表していき、著者がそれに応答する、というようなものである。こうしたパネルは毎年一定数、特に1冊目の本を出した若手研究者のものを対象に開催されているようだ。私の本が出たのはちょうど去年のISAの直前だったので、去年開くことはできず、今年の開催となった。出版から1年経っているのでちょっと時機を逸した感があり、始まる前はやめとけばよかったかな、などと思っていたのだが、やってみたらやはりやってよかったと思った。

私のパネルは最終日で、それまでに話した友人なども前日に帰ってしまう人が多かったので、人が来るのか本気で心配していた。実際、パネルが始まる5分前くらいまでほとんど誰も来ず、「終わった…」と思っていたら開始直前にわらわらと人が集まり、結局20人弱くらいは集まってくれた。1/3くらいは知り合いだが、そうでない人もかなりいて嬉しかった。

コメンテーターは豪華な面々を集めたつもりで、ケンブリッジのAyse Zarakol先生をはじめとして、Hendrik Spruyt先生、Iver Neumann先生など、知っているけど今まで読んでもらったことのない人たちにお願いした。全員が非常に温かいコメントと建設的なフィードバックや質問をしてくれ、お世辞はあるにしても、この人たちに評価してもらえるということは、少しは自信を持ってもいいのかな、と思わせてくれる体験だった。

その他にも友人や知り合いとキャッチアップできて楽しかったのだが、来年以降はあんまり開催場所が良くないこともあって、ISAに行くかは考え中。

日本でもブックローンチ

3月末には無理やりだが日本語版のブックローンチも行った。こちらは修士までの指導教員である藤原帰一先生に司会をお願いし、千葉大酒井啓子先生とアジ研の谷口友季子先生にコメントをお願いした。

本当はもう少し時間をかけて準備をしたかったのだが、年度末までの予算を使おうと思ったのと、あまり刊行から時間を空けてもやる気がなくなるので、思い切って急拵えで開催した。

このイベントも当日の議論が非常に面白く、酒井先生がオスマン帝国時代の統治と中東の国家形成の関係を指摘されれば、藤原先生が植民地国家の集権性とその後の国家形成の関係についてコメントされるという感じで、本自体へのコメントもさることながら、そこから派生する面白そうな問題が続出し、新たな研究の種が見つかった。谷口先生は方法論的な観点から本書を評価してくださり、比較政治学者の感想を聞く機会がこれまであまりなかったので非常にありがたかった。

色々な人に支えられてここまで来たのだな、と実感する機会が続いた。

四月になっても

そんなわけで、3月まで忙しくしていて、4月になったら一息つける…!と思っていたのだが、4月になったらなったで今度は来週ホストする予定のワークショップのロジが大変なのと、月末にはカリフォルニアの大学に出張して講演などをする予定になっているので結局あまり暇ではない。

森山直太朗の歌で「四月になれば」というのがあって、結局4月になっても4月になるだけという面白い歌なのだが、実際そうだ。新年度になったからといって、何が変わるわけでもないのである。そんなわけで今年度も頑張ろう。

- YouTube

 

2024年の読書

自分が本を書く側に回ったからか、あるいは研究費で本を買えるようになったからか、はたまた帰国してから簡単に本屋に行けるようになったからか、この1-2年ほどは読書熱、特に小説以外のノンフィクション、人文書の読書熱が圧倒的に上がっている。今年からはそれが高じて、同年代の色んな分野の研究者と編集者を誘って2ヶ月に1回ほど、人文書の読書会(とその後の飲み会、あるいはこっちがメイン)を開催している。これがまた楽しい。

とはいっても依然として小説もわりと読んではいるので、今年読んで面白かった本をノンフィクションと小説に分けて紹介したい。なお、自分の専門分野の本は除外している。

ノンフィクション編

前田隆弘『死なれちゃったあとで』中央公論新社、2024年

今年読んだ本で一番心に残ったのは、これかもしれない。タイトルの通り、筆者の周りで亡くなった人について、その前後の話とか回想を書いたエッセイ本なのだが、人の死ぬまでにも、死んでからにも色んなストーリーがあって、それを湿っぽくならずに、時にユーモアを交えながら、お涙頂戴に流れずにでも感情を揺さぶるような書きぶりで綴っている。筆者のことは全然知らなかったし、ただ書店でたまたま手に取っただけなのだが、予想外に忘れられない一冊になった。

トーマス・ジョイナー『男はなぜ孤独死するのか』(晶文社、2024年)

私は一人の時間が絶対に必要なタイプで圧倒的にintrovertなのだが、同時に寂しくなるのはすごく嫌いで、孤独についてはひどく恐れている。5年間をイギリスで過ごして親しい友達もできた後に帰国すると、かつては話が合った日本の友達と合いにくくなっていたり、あるいはライフステージが進んでなかなか会えなくなったりしていて、ソーシャルな繋がりの形成や維持に難しさを感じていた。

そんな中で出会ったのがこの『男はなぜ孤独死するのか』という、なかなか衝撃的なタイトルの本なのだが、これはよくある危機感を煽るだけのくだらない本とか、何の根拠もない説教垂れ流し本とかとは違って、心理学者による、実際の研究成果に基づいた確かな本である。男性の自殺率や孤独の確率が高いのは、生育過程で対人スキルが発達しないまま大人になったり、仕事の成功を追求するあまり人間関係を疎かにしてしまうからといった、まあ当然といえば当然な説明なのだが、エビデンスを与えられると対策も考えやすい。

これを読んでから会う人会う人に「最近孤独死しないためにソーシャルな繋がりを頑張って作ってるんだよね」ということを言っていたら苦笑されたが、年寄りになってから始めても遅いのである。上記の読書会なんかもその一環と言えなくはない。

しかしこうして並べてみるとなぜか「死」についての本が多くて、今も中公新書の黒木登志夫『死ぬということ』を読んでいるのだが、別にまだ50-60年以上死ぬつもりはなくて、むしろ生きるために読んでいる。ただ、今年父方の祖母が亡くなって祖父母が全滅したので、自然と死について考えることが多くなったのかもしれない。

宋恵媛、望月優大『密航のち洗濯』(柏書房、2024年)

日本社会における多様性に学問的というよりは一般的な意味での関心があり、難民支援協会がやっている「ニッポン複雑紀行」の記事に注目していたのだが、そこから出た本がこちら。ファミリーヒストリーであり、政策とか歴史をマクロに記述するのではなく、1つの家族にフォーカスして、そのストーリーを語る中で政策や法律の話が出てくる、という形式になっていて、単に勉強になるだけではなく読み物として純粋に面白い。小説のPachinkoと一緒に読むとより面白いかもしれない。前述の読書会でも取り上げた。

本筋ではないが、本書で取り上げられている尹紫遠は、朝鮮人初の歌集を刊行した人物らしいが、本書に出てくる彼の短歌も素晴らしいものだった。

 

小説編

テイラー・ジェンキンス・リード『女優エヴリンの七人の夫』

大女優の回想録を書くことになった記者を主人公として、過去と現在が徐々に交わりつつ愛というものを真正面から扱った小説。今年はあまり小説を新規開拓しなかったのだが、その中で印象に残ったのはこれだろうか。

北方謙三水滸伝』『楊令伝』『岳飛伝』シリーズ

今年の前半は、小説は北方謙三の『水滸伝』と、その続編にあたる『楊令伝』『岳飛伝』シリーズばかり読んでいた。それだけでも19+15+17=51冊もあるので、読破するのにさすがに時間はかかった。もともと私は小説に関しては、これと決めた人を片っ端から読んでいく「焼畑読書」をやるタイプなので、水滸伝シリーズを読んでいる間は次に何を読むか悩まなくていいし、またある程度面白いことが分かっているので当たり外れに一喜一憂しなくてもよくてたいへん楽であった。

私はずっと時代小説が好きなのだが、藤沢周平池波正太郎山本周五郎といった最上の書き手はあらかた読み通してしまって、最近の書き手は確かに面白いものはあるのだが、やはり今風のエンタメ小説の一環として書かれている感じがあって、藤沢や池波の小説と同じようには楽しめない。同じノリで楽しめるものを探していて、たまたま今頃になって水滸伝と出会ったというわけである。

まあこれだけ長くなると、さすがに惰性になってくる部分はあるし、時代設定もあって登場人物がほぼ男ばっかりとか、言い出すとあまりよろしくないような側面もあるのだが、やっぱりこのジャンルは好きで身体が求めている。

北方版『水滸伝』は、もちろん設定や人物に本家と共通点はあるのだが、基本的にオリジナルバージョンであって、『楊令伝』とか『岳飛伝』はほぼまったくのオリジナルである。今年イギリスに滞在していたときに中国人の友達に水滸伝(英語ではWater Margin)を読んでいる、という話をしたが、ああそうなんだ、という程度の反応だった。

司馬遼太郎に手を出す

上記と同様に時代小説の(主観的)枯渇を受けて、ついに手を出したのが司馬遼太郎だった。私が好きなのは、時代設定は歴史的だが登場人物等はまったくのフィクションという「時代小説」であって、実在の歴史上の人物を扱う「歴史小説」は守備範囲外だったのだが、そうも言えなくなった。

司馬遼太郎はずっと私の出身地(中学の時に引っ越したが)である大阪の東大阪市に住んでいたことから、最寄り駅の近くには司馬遼太郎記念館というものがあり、縁があったのだが、筆者が「筆者」として突如語り出す独特の文体に抵抗もあって読んでこなかった。しかしなんでわざわざ好き好んで出身地でもない東大阪のようなごみごみしたガラの悪い町に住んでいたのかと思っていたら、司馬は猥雑な町に住むのが好きだったかららしい。蓼食う虫も好き好きというやつだ。

依然として文体には違和感もあり、ドハマリするというほどぴったりとは来ていないのだが、長くてまずまず面白いので、読むものを考えなくてよい安心感があってぼちぼち読み進めている。

 

そんなわけで今年も終わりである。2025年も楽しみ。

 

2024年のお仕事

2024年も終わりに近づいている。記事のカテゴリを選んでいて、去年の同趣旨の記事と同様「帰国後の日常」というカテゴリを選択したのだが、自分はまだ帰国後の日常を生きているのだろうか、と少し考えてしまった。日本での教員生活も慣れたのだが、やはりイギリス時代というのは自分の人生にとってインパクトが大きく、今でもその余韻の中に生きているような気もする。「もはや帰国後ではない」と宣言するときはいつになるだろうか。まあそれは置いておいて、今年の仕事を振り返ってみたい。

著書

今年はなんといっても、初めての単著を出した年であり、それに尽きるといってもよい。長年の夢であったケンブリッジ大学出版局から本を出せたというのは、自分のキャリアにとっても大きいし、感情的にも今年一番の嬉しさだった。

学術書を出しても、悲しいほどに経済的な見返りというのは少ないのだが、1冊目の段階では何よりも学術的な評価こそが問題なので、それは構わない。「反響」というものが分かるにはまだ早すぎるのだが、とりあえずいくつか引用は付いたし、書評もInternational Affairs誌に出た。Cambridge Review of International Affairsにもいずれ書いてもらえるようだ。

今年は本のプロモーションもあって、スケジュール的にもかなりこれに規定された年だった。5-7月のオックスフォード滞在中もブックトークの開催に奔走していたし、10月にもイギリスでブックトークをして、日本でも東京外大・慶應・神戸大・東大法学部・東大先端研でトークをさせていただいた。

日本語版が1月末に慶應義塾大学出版会から出る予定で、既に私の手は離れている。これが出たら所属先でブックローンチをやりたいと思っている。

論文

今年は本のために捧げると決めていたので、その他の研究においては成果が少なく、今年出たのはブック・チャプターが1つだけということになった。『世界の岐路をよみとく基礎概念』という書籍に入っている「第12章 政治学における質的分析」というのがそれである。タイトルの通り政治学における質的方法論の発展というのが、これまでどのように進んできて、どういった課題があって、質的研究の強みはどこにあるのか、といったことを議論している。オリジナルな研究というよりはレビュー論文に近いものだが、これから研究を始めようとする院生や学部生が、周りに流されるのではなく自分のやりたい研究を選択できるために、それが質的研究である場合に方法論についてどのようなことを踏まえておけばよいか、ということを念頭にかなり力を入れて書いたつもりである。

ブック・チャプターというのはなかなか微妙なもので、手はかかる割に、編者でない限り(あるいは編者であっても)業績としての見返りは少ない。尊敬するイギリスの研究者は、割に合わないから自分はブック・チャプターは書かないと宣言していて、それは1つのやり方だろうなと思う。ただ、この論集は恩師の藤原帰一先生のご退職記念と絡めたものであるので、自分も参加したいという思いがあり、また上記のような内容は、オリジナルな研究成果というわけではないので、独立した論文としては出版しにくい。結果的には、ちょうどいい落ち着き先だったといえる。

実は他にも英語で3件ブック・チャプターを抱えていて、1つは既に手を離れたもの、あと2つはこれから書かないといけないものだが、これらが出た後は、ブック・チャプターについてはかなり慎重に参加するか否かを検討しなければと思う。軽々に引き受けると、本来やりたい研究ができなくなってしまう。

教育・学務

今年は海外長期滞在があったこともあって、授業は担当していなかったのだが、公共政策大学院の院生の修士論文の指導を2人ほどやっていた。1人は新入社員として働きながらの修士2年目で、イレギュラーな事例+初めての経験ということもあり、論文が仕上がるのかと心配だったが、頑張りを見せてくれて無事に書き上がった。もう1人は今年から担当の留学生で、今テーマ選びの最中。

その他に諸々の委員やら、部門コーディネーターなる役割やら、シンポジウムの企画やら、総長と学生の対話の調整役やら、色々と学務があった。今いるセンターは学生がいないので教育義務はないのだが、その代わりに私の想像していた大学教員の業務とはかなり性質の違う学務がけっこうある。

その他

去年書いた日本近世の「国境」についての論文で、アメリ政治学会(APSA)のInternational History and Politics分科会から、Outstanding Article Award in International History and Politicsという論文賞を頂いた。ただ、残念ながらAPSAは行く予定ではなかったので、賞金と賞状だけを後日送ってもらうことにした。賞金はわりとすぐに振り込まれたのだが、賞状は今に至るまで送られて来ていない。テキトーである。やはり海外で何かを受賞した際には、実際に行って受け取らないと、せっかくの賞状をもらい損ねる場合が多いようだ。

最後に、著書に関連するブログ記事を2件ほど書いた。1つはオックスフォードの友人が運営に関係しているブログ。

もう1件は依頼を受けて今書いているところだが、驚くことに、私が著書の印税でこれまでに受け取った額よりかなり多い原稿料をくれるらしい。大きな財団がバックに付いているようなので、お金があるのだろうか。しかし、私の経験がたまたまそうだったのかもしれないが、どちらのブログも編集担当がめちゃくちゃ原稿に手を入れようとしてきたので、少しうんざりしている。

そんなこんなで、今年もあと1週間。良いお年を!

 

スムーズな出張

バタバタしたイスタンブール・イギリス出張から1週間空けて、今度は台湾へと出張することになった。自分は何かと予定を詰めたがるタイプで、特に海外出張などは機会があるととりあえずサインアップしてしまうのだが、前週の出張で風邪を引いたので、今回は詰め込んだことを少し後悔していた。だが結果としては、今回の台湾出張は体調も問題なく、非常にスムーズな出張となった。

なぜ台湾に行ったかというと、今年の前半に台湾の嘉義にある国立中正大学の先生方が東大の我々の研究ユニットを訪問され、私は当日祖母の葬儀などで行けなかったのだが、今度は私たちを台湾へと招待してくださったのである。ちょうどこの時期に台湾では国際関係の学会である中華民國國際關係學會の年次大会が開かれるということで、中正大学訪問と学会参加をセットとして出張することになった。参加したのは、ユニット長の先生と台湾出身の研究員と私の3名だった。

諸々の歴史的経緯があるから、無邪気に言うべきことではないのだが、やはり台湾というのは日本出身者にとって非常に快適で身近な、「ほどよい異国」なのだと思う。危険を感じることもなく、漢字で何となく意味がわかって、食事も美味しく、(少なくとも旅行者としては)諸々の手続きにもストレスが少ない。ヨーロッパも好きだが、やはり歩いていて感じる「自分がここでは異物である」という緊張感が少ないのは、アジアを旅することの大きな魅力だと思う。今度は研究と結びつけて月単位で滞在してみたいものだ。

台北の何気ない路地裏

お土産文化

同時に今回の出張のなかで、日台の興味深い相違点もいくつか見つけることができて面白かった。まずは、今回会った先生方の驚くほどのホスピタリティである。とりわけお土産文化がすごい。私たちも一応ちょっとしたお土産(東大グッズ)を持っていったのだが、中正大学の先生に会うとまず烏龍茶やらパイナップルケーキやらを持たせてくれ、大学の総長に表敬訪問すると、今度は大学の35周年記念のお酒を頂き、もっとこちらも色々持ってくるんだったと後悔した。

そして学会に行っても参加者それぞれに何やら大きな包みが渡され、何だろうと思って包装を開けると、なんと弁当箱だった。え、弁当箱?いまだかつて学会に行って弁当箱をもらったことがなかった私はかなり当惑したのだが、学会企画の過程で誰かが「参加者へのお土産は弁当箱がいい」と発言したのだと思うとちょっと面白い。

同行していた台湾出身の同僚によると、台湾(中華圏?)では「お土産は大きければ大きいほどいい」という価値観があるらしく、極端な話、小さくて高価なものよりも、大きくて安価なものの方が喜ばれるとのことである。どこまで一般に当てはまるのかわからないが、確かにパイナップルケーキもお酒も弁当箱も、包みとしてはかなり大きく、機内サイズのスーツケースとリュックだけで来た私は荷物を入れるスペースに苦労した。中正大学の先生方、ならびに中華民國國際關係學會の先生方は非常に歓待してくださり、頭が上がらない気持ちである。

学会があった台中の市場

学会文化

最終日には学会で討論者をやったのだが、そこでも日本とは違う(学会によっても異なるのだろうが)運営方式を見つけて興味深かった。まずパネルが始まる前に、パネリスト全員で記念撮影をするのである。日本や欧米では、終わった後に誰かが言い出して写真を撮ることはあるが、今回の学会では運営側が最初にパネリストを集めて写真を撮っていた。

もう1つ面白いのは、各部屋には2人の運営要員(たぶん学生)がいて、1人がスライド係、もう1人がタイムキーパーとして、何分前かになると、机に置いたベルを機械的に鳴らす。日本や欧米でよくあるのは、司会者が何分前という紙を掲げて合図をするとかだが、これもやるかやらないかは司会者次第である。だが今回の学会では、運営側が全員に対して機械的にベルを鳴らすのである。これを失礼と感じる人もいるのだろうが、学会というのは時間超過して喋り続ける人の展覧会みたいなもので、個人的にはこれに辟易しているところがあったから、この仕組みは気に入った。ただ、ベルを聞いたからといって話すのをやめるかというとそうではなく、依然として喋り続ける人もいたので、効果のほどは分からない。

ニッポンの異国

個人的に、一番日本とは違うなと思った点は、諸々の精算をすべて現金でやるということだった。今回は招待していただいたのだが、航空券や電車賃など、立て替えておいて現地で精算する、という手続きがあった。日本であれば後日振込み、というのが普通だと思うが、台湾では今でも全部現金で手渡しなのである。なので10万円以上の札束を日本に持って帰って、両替屋で両替して、銀行に預け入れるという、少しリスキーな行動をすることになったが、振込を何週間も待たなくていいという意味ではありがたい仕組みでもある。これとは対照的に、ケンブリッジの研究費から出るはずのイスタンブール出張の経費は、1ヶ月以上経つのに未だに支払われていない。イギリスの大学事務のひどさにはつくづく嫌気が差す。

そんなわけで楽しい出張を終えて帰国後に、事務の人と雑談していて「台湾では経費精算が全部現金でびっくりしました」という話をしたら、「向山さんが若いから知らないだけで、ちょっと前までは日本もそうでしたよ」と言われてまたびっくりした。海外だけではなく、自国の過去にも「異国」はあるのだ。

お決まりの魯肉飯