紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

短歌の近況

留学中に短歌を趣味として始めてから、早5年近くが経った。感覚的には2-3年くらいのつもりだったので、改めて計算して驚いた。4年前にこんな記事を書いている。

5年やっているとはいえ、私が短歌に向ける熱量には波があり、コロナで実家にこもりきりで博論を書いていた時期には毎日のように作歌していたのに対し、就職して忙しい時期は何ヶ月か結社(歌人の集団、何百人単位)の月詠(月に決められた数の歌を提出して選歌を受ける)をサボったりもしてきた。

しかし他の文芸ジャンルと同様、短歌に全身全霊をかけている人というのは一定数いて、そうした人たちは歌会やオンラインの場での交流を経て瞬く間に上達していく。私はそうした人たちの熱量に追いつけない。そういう話を去年WEBアステイオンに書かせてもらった。

新人賞と年齢

私は今まであくまで趣味として(そしてそれを言い訳に)短歌をやってきたわけだが、でも一方でやはりもっと歌の道を極めていきたいという思いも最近強まっている。私の将来の夢はトップジャーナルを制覇することでも学長になることでもなく、「総合文筆家」になることなので、研究だけに閉じこもらないことも重要になってくるわけである。

短歌にも色々新人賞があるのだが、受賞者を見ていると早熟の人が多く、早い人は20歳前後で受賞するし、私の31歳というのは、ちょうど応募者全体の中央値あたりになる。これが(芥川賞系ではなく直木賞系の)小説だったら、人生経験を積んだ上で30代~40代(あるいはもっと後)にデビュー、なんていうこともざらにあるのだろうが、短歌で受賞しようと思うと私くらいの年齢の人にはそう多くの時間が残されているわけではない。もちろん、始めた年齢にもよるし、年齢制限があるわけではなくもっと年上で受賞することもあるから、ずっと応募し続けることは可能なのだが、長くやり続けていると自分が「新人」というのも何だか違うと、あるところで思うようになってくるのだろう。

なので私も35歳くらいまでチャレンジしてみて届かなければ諦めてそのまま歌集を出そうと思う。もし届いても歌集は出すわけだが、歌集を出してから新人賞に応募するということは稀なので、歌集を出すということは基本的に新人賞レースからは離脱するということを意味する。ちなみに歌集のほとんどはお金を出して出版するものなので、出すこと自体はお金さえあればできる。むしろそのために、何が何でも賞を取らないとデビューできないということがなく、だからいつまでも新人賞にこだわらない姿勢になるのかもしれない。実際、雑誌の新人賞を取っていない(といっても次席とか佳作には入ったことがある人が多いけれど)人が出した歌集が、出版された歌集に対する賞を受賞することはよくある。

賞レースに参加するということは、別に短歌をやっていくことにおいて本質的なものではないのだが、やはり出すことをきっかけにして集中して真剣に短歌に向き合い、上達するきっかけになるということが大きい。そうでなければずっと中途半端のまま終わりそうなので、きっかけとして重要視している。

現在地

そんなわけで、2023年はとりあえず頑張って3つの賞に出してみた。2つは短歌の雑誌が主催している大きな賞で、1つは結社内の賞。結果は雑誌の賞の方がどちらも予選通過で、結社の賞が次席と、思っていたよりもかなり健闘して嬉しかった。競争率は「内輪の賞」である結社の賞が一番低いので、合わせて考えればだいたい自分の位置というのがこれで見えてくるわけだ。

予選というのは選考委員に回る前に編集部が目を通して絞るというもので、そう聞くと大したことはなさそうなのだが、大きな賞だと応募総数500以上(近年の短歌ブームもあって増えている)から20-30くらいに絞られたりするので、これはこれで結構な倍率ではあるのだ。しかしそれでも受賞作や次席、佳作といった作品と比べればやはり自分の作品がまだまだ水準に達していないことが分かる。

短歌は50首とか30首とかの連作で応募するわけだが、新人賞に出てくる作品は、テーマのユニークさで勝負する系(「人生派」)と修辞、つまり表現やレトリックで勝負する系(「コトバ派」)に大きく分かれるらしい。私はこれまで明確に前者で後者に弱く、講評で「説明的」とか「表現に奥行きがない」みたいなことをよく言われる。学者にとって説明的であることは美徳だが、歌人にとっては欠点なのだ。とはいえ、去年がまともに総合誌の賞に出し始めた最初の年だったことを考えれば、スタートとしては幸先が良いのかもしれない。

今年は結社の賞はスキップし、既に去年出さなかった賞に1つ出したので、少なくとも3つの賞には出したいと思う。今年はどこかで佳作ぐらいに引っかかればよいのだが。

インプットの大切さ

良い論文や本を書くためには、まず他の人が書いた良いものを大量にインプットしておく必要があるものだが、短歌もこれと同じところがあるなと最近よく思う。私はあまり研究においても自慢できるほどインプットをしてきていないので、全分野的に知識が傑出しているような人を見るとこうはなれないなあと気圧されてしまうところがあるのだが、それでもまあ研究をこなせるだけのインプットはしてきたつもりだ。

しかし短歌においてはまだまだこれが足りていなくて、まずはきちんと近代短歌以降の先人たちの歌を咀嚼していくことが必要だなと思っている。しかしそれには時間と体力と覚悟が必要なので、今年からは今までの片足突っ込み型の取り組み方を改め、本腰を入れて短歌にも向き合っていきたいと思う次第である。それで2-3年やってみたら、一応は自分がどの程度のものかが分かるはずだ。

 

柑橘あれこれ

突然だが、私はフルーツが大好きだ。嫌いな野菜はタマネギだが、嫌いなフルーツはなく、強いていえばイチジクは大して好きではないが、あれもジャムにしたりするとまあ食ってやってもよいかなという気になる。

「男の一人暮らし」とフルーツ

大学生のときなど、親戚やその他ランダムなおっさんに、「男の一人暮らしだから野菜とか果物とか食べないだろう」と言われることが多々あったが、私はほぼ毎食後何らかのフルーツを食べており、だいたい冷蔵庫には常時2-3種類のフルーツがあって、毎回同じものを食べなくても済むようになっている。

ついでに言えばもう一人暮らしを始めて10年以上になるが、野菜だって意識して食べてきたつもりだし、いったいこの「男の一人暮らし」に対する偏見って何なの、とずっと思っている。これはその対立概念としての「女の一人暮らし」に対する自炊プレッシャーとも表裏一体で、くだらなさで言うとだいたい地上波の午後のワイドショーと同程度だと言われている。

とはいえ、男女問わず一人暮らしの若い世代でフルーツを食べない人が結構いるのも確かであり、それはなぜかというとひとえに高い(+それに比して加工品のデザート類が安い)からだと思う。日本はフルーツが異常に高い。例えばイチゴ。日本では1パック相当安くても300円はするし、最近スーパーで見ている限り、今の季節は多くの場合500円くらいする。

私のいた物価高で悪名高い(まあ生鮮食品は意外と安かったりするのだが)イギリスでさえ、イチゴは季節を問わず年中1パック(それも日本より大きいパック)2ポンドで買える。まあパックを裏返してみると、底に接している部分が少し潰れてそこからカビていたりするから、きちんとチェックして買わないといけなかったりするが、それを補って余りあるコスパである。

もっと違うのはブドウで、日本ではブランドブドウがやたらと幅を利かせていて、1パック平気で1000円を超してきたりする。イギリスでは果物にブランドみたいなものは基本的になく、ブドウもすべて2-3ポンドで買えた。私の知っている国の多くでは、フルーツはある意味「基本的人権」であるのに対して、日本では高級化、ブランド化の方向に発展しており、これを打破する「フルーツの民主化」が急務だと思う。余談だが、日本では病人にお見舞いでフルーツをあげる風習があると言ったら他国の人にはずいぶん驚かれる。

柑橘の冬

そんなフルーツ好きの私にとって、冬というのは今ひとつ気分が乗らない季節である。冬はフルーツの種類が少ない。フルーツの旬を紹介している適当なサイト(https://epark.jp/kosodate/enjoylife/sw-cake-fruits_17834/)を見てみると、8月が旬の果物は「巨峰、いちじく、桃、スイカ、梨、マスカット、プルーン、すももなど」と多種多様なフルーツが挙げられているのに対して、2月は「いちご、はっさく、デコポン温州みかん、ポンカン、きんかんなど」とあり、イチゴ以外全部柑橘である。

というわけで、私は冬の間ひたすら柑橘類を食べている。正直だんだん飽きてくるが、色々な種類を試していると、たまにびっくりするほど美味しいものに出会う。以下ではそれをいくつか紹介したい。

まず「甘み」という点で私の中での二大巨頭は、「紅まどんな」と「甘平」である。どちらも大きさは普通のみかんより一回り二回り大きいくらいで、どちらも外皮も内皮もかなり薄く、果肉がたっぷり詰まっていて種もないので食べやすい。紅まどんなはすぐに果汁が溢れ出す水気の多さなのに対して、甘平はわりとしっかりとした果肉で、少し歯ごたえのある食感。若干の苦味もある。紅まどんなはとにかく分かりやすい甘さとみずみずしさ、それに対して甘平は落ち着いた大人の味と言えるかもしれない。どちらも甘味が強いのは同じだが。

この紅まどんなの方に似ているのが、これよりは少しメジャーな「せとか」。紅まどんなと同じく皮の薄いジューシーな食感で、非常に甘い。学生のとき、一時期季節のフルーツが定期的に送られてくる頒布会に入っていたことがあるのだが、それであるとき届いてその美味しさに衝撃を受けたのが、せとかだった。そこから留学を挟んで帰国した昨冬、自主的に色々と柑橘を探し始め、出会ったのが紅まどんなと甘平である。個人的には、せとかも美味しいが、平均値としては紅まどんなの方が上だと思う。

後から知ったのだが、これまで紹介したせとか、紅まどんな、甘平の3つは、「愛媛の三大高級柑橘」と呼ばれているらしい。確かに価格としてはかなりお高めで、1個2-300円はする。満足感は高いし、高いと言ってもまあたかが知れているのだが、完全に上記の「フルーツの民主化」に反していることは認めざるを得ない。ブランドにこだわるのはフルーツに乏しい冬の柑橘だけなのだ、許してもらいたい。

忘れられないポメロ

最後に紹介したいのが、かつて頒布会でせとかに出会った衝撃と同じくらい、あるいはそれ以上の衝撃を私に与えた、「ポメロ」である。留学中、フランスで冬の一時期を過ごしたことがあって、パリの中華スーパーに買い出しに行ったときに、私はそれに出会った。直径20cmくらいはある巨大な柑橘が、何やら新年の飾りを付けて赤いネットに入って売られていたのだ。どうやら、旧正月に縁起物としてポメロを飾る/食べる文化が中華圏にあるらしく、私は運良くこのタイミングでスーパーに行ったらしい。

珍しいものが好きな私は迷わず購入し、未知のものだったので大した期待もせずに食べたのだが、これが美味しいのなんの。直径20cmもある果物だから、皮も分厚いとはいっても身もまた巨大であり、一房で通常のみかんの半分くらいの質量がある。必然的に何回かに分けて食べることになるため、満足度が高い。味はわりとあっさりめだが、はっきりと甘みはあり、酸味は少なくて、シャキシャキとした食感がある。多くの柑橘は「食べる」と「飲む」の中間くらいになるものだが、ポメロははっきりと「食べる」ものである。

あまりの衝撃に私はイギリスに戻ってからもアジアスーパーを巡ってはポメロを探し、発見したら何個も買うという奇行を繰り返していた。そうして徐々に分かってきたポメロの欠点は、「当たり外れが激しい」ということである。当たりのポメロは、実の一粒一粒に中身がぎっしり詰まっていて噛むと甘味と旨味が溢れ出すのに対して、外れのポメロは非常にパサついていて味気なく、食べるのが苦痛である。最大の問題はポメロが巨大であることで、当たりに出会えばしばらく安泰なのに対して、外れを引いてしまうといつまで経っても不味いポメロと付き合わなければならない。しかし当たりのポメロは本当に美味しいので挑戦をやめられない。これがポメロ中毒者の末路である。

ポメロをネットで調べてみると、日本のいわゆる文旦のことだと書かれており、私も今年ふるさと納税で文旦を改めて食べてみたが、両者はまったくの別物だと言わざるを得ない。ポメロのほうがもっと甘みが強く、酸味が弱いように思う。サイズ的にもポメロの方が圧倒的に大きい。

もうポメロのことは忘れるしかないのかと思っていたら、今年になって、ポメロの代替品となりうるものを発見した。それが、「メロゴールド」である。緑色と黄色が入り混じった色の皮で、大きさとしてはグレープフルーツくらい。昔は見かけたことがなかった気がするのだが、なぜか最近スーパーや八百屋でよく見かける(私のポメロセンサーが働いていたのかもしれない)ので、物は試しと買ってみたら、これがポメロの味にけっこう近い。食感はポメロよりみずみずしく、あのシャキシャキ感を好む身としては物足りないが、十分代替品にはなるのだ。それもそのはず、メロゴールドはポメロとグレープフルーツをかけ合わせたものらしい。

と、ここまで書いて八百屋に行ったら晩白柚があって、買ってみるとこれがかなり本家のポメロに近いことが分かった。しかしこれも当たり外れの大きさにかけてはポメロと同様で、私が買ったものは大外れだった。こうして今私は冷蔵庫に巨大なバサバサの不良債権を抱えて途方に暮れている。

 

 

輪ゴムメーカーが心配で朝も起きれない

5年間住んだイギリスから帰ってきたとき、トランクルームに保管していた留学前の荷物を新居に移して、久しぶりの対面をした。あれ、こんなのあったっけと思うような物や、逆に何でこれイギリスに持っていかなかったんだろうと後悔するような便利グッズを発見した。その荷物の中に輪ゴムがあった。

5年間も放置すると、色々な物の耐久性というのが分かるもので、例えば体重計に入っていた乾電池は見るも無惨なボロボロの姿に変わり果てていた。乾電池というものは長期間放置してはいけないらしい。

一方で輪ゴムの場合、天然素材のゴムを使っているし、ただでさえ使い続けていたら突然切れて我々の身体を打ち呪詛の言葉を引き出すものであるから、5年間も置いていたらすぐ切れるようになっているだろうと思っていた。

実際、箱から輪ゴムを取り出す穴の付近に入っていた輪ゴムは伸ばすとすぐに切れてしまうように劣化していたのだが、その部分だけ除いて使ってみると、意外なことにまだまだぜんぜん使える。こうして私は少なくとも5年以上前に購入した輪ゴムを未だに使い続けている。iPhoneが数年でダメになるように設計しているといわれるリンゴ会社などは、輪ゴムメーカーを見習った方がいい。

そもそも輪ゴムというのは1箱に500本も600本も入っているようなものであって、普通の人にとっては毎日何本も消費するようなものではないから、必然的に年単位で使われることになる。でも輪ゴムは価格の安い商品であり、普通の100gの箱なら2、300円で買えてしまう。

急に私は心配になった。輪ゴムメーカー、やっていけているのだろうかと。あんなに安くて長持ちする物を何百個単位で売っていては、商売にならないのではないかと。もしかしたら、必需品としての輪ゴムの供給を維持するために国庫から莫大な補助金が出ているのではないか、あるいは5個に1個は掴んだ瞬間に切れるようにできているのではないかと疑ってしまう。

もっとも、そもそも輪ゴムを何百個単位で売るのが普通、という発想は輪ゴムメーカーが自分で決めない限り誰も外部から決めつけることはできないはずで、そういう意味では自分の首を絞めているのかもしれない。もしかしたら、「今日輪ゴム、終わっちゃったんすよ。明日また並んでもらえば、もしかしたら10個くらいなら買えるかも。値段はちょっと張りますけど、うち月賦もできるんで。」みたいな世の中を実現できたかもしれないのに、もったいない。

いずれにせよ、我々に大量の輪ゴムを安価で提供してくれている輪ゴムメーカーを少しでも助けるためには、むしろ5年も放置していた輪ゴムを箱ごと新しいものに買い替えてしまって、売り上げに貢献した方がいいのではないかという考えが頭に浮かぶ。

しかし一方でやはり環境的な観点から考えると、限られた天然資源を有効に使うには、切れない限りは個々の輪ゴムを捨てずに使い続けるべきではないかとも思う。これは誰にも知られたくないことなのだが、所属先で私はなぜかSDGs研究ユニット長なるものをやっている(やらされている)ので、その観点から見てもやはり望ましくない。実に悩ましいことだ。そんなことをつらつらと考えていても夜はちゃんと眠れるが、朝は寒いのでなかなかベッドから出られない。

そんなわけで私は今日も、輪ゴムメーカーの将来を憂いながら、ポテトチップスの袋を縛るのに使っていた輪ゴムをハリボーの袋に再利用している。

2023年のお仕事

2023年もあとわずかとなった。今年は大学教員として完走した最初の年ということもあり、1年の間に行った仕事についてまとめたいと思い立った。年中何か思い立っていれば毎日が吉日なので、チョロいもんである。これがライフハックというやつに違いない。

学術論文

最初は学術論文から。今年は幸いなことに、2本の英語論文を以前から目標にしていたジャーナルの一部に掲載することができた。正確にはアクセプトが去年のものもあるのだが、issue numberが付いた時点で都合よく判断している。何なら去年もカウントしたかもしれない。

  1. Mukoyama, Naosuke. (2023). The Eastern cousins of European sovereign states? The development of linear borders in early modern Japan. European Journal of International Relations, 29(2), 255-282. https://doi.org/10.1177/13540661221133206 
  2. Mukoyama, Naosuke. (2023). Colonial Oil and State-Making: The Separate Independence of Qatar and Bahrain. Comparative Politics, 55(4), 573-595. 

    https://doi.org/10.5129/001041523X16801041950603

2の方は数年前からリジェクト続きだった論文なので、今年業績が出たというのははっきり言って偶然に過ぎない。毎年複数英語で評価の高いジャーナルに査読論文を出し続けるというのは、私のやっている研究の性質からもあまり現実的ではない。

査読の時間も長くなっているし、運良くスムーズにアクセプトされてもそこからissue numberが付くまでに数ヶ月は待たされるわけだから、1誌目で修正無しで通ったりするミラクルが起こらない限り、論文が最初に投稿した年を発表年として出版されることはあまり期待できない。

そう考えると、現在査読中の論文はないので、2024年に出して年内にアクセプトというのはあり得ても、おそらく来年を最終的な発表年とする英語査読論文は出ないと思う。まあ来年に関しては、単著書籍が出るので業績なしの年にはならないから、来年中に投稿して2025年の出版年が付く論文を準備することで何とか切れ目のない業績を維持していきたいと思っている。その他では、多分book chapterが日英1つずつ出る予定。

教育

今年は初めて東大で授業を担当した。後期に公共政策+αで自分の取り組んでいるテーマ(Non-Western International Systems in Historyという題目)で英語のゼミを教えていて、少人数+自分の関心ど真ん中の内容+大学院生ということで、チャレンジングだが楽しんで教えている。

もう1つ、今年だけピンチヒッターで頼まれて駒場の英語プログラム、PEAKの政治学・法学入門の政治学部分を急遽教えることになった。イントロの授業というのは範囲が広すぎて何を教えるか(何を教えないか)決めるのが難しい。そして自分が1年生だったのが10年以上前なので、学生が何を知っていて何を知らないものなのか、見当もつかない。教員としての経験を積めば教師として分かるようになるのだろうが、今の私はその相場感がない一方で学生としての記憶もないので、戸惑うのみである。余談だが、学内非常勤が無給であるのにははっきり言って衝撃を受けた。

ところで、かなり久しぶりに駒場に足を踏み入れると、本郷との雰囲気の違いに驚く。駒場には今でも立て看板があふれていて、student activismがほとんど目につくことのない本郷とは大きく異なる。教員として知っているべきなのかもしれないが、この違いはどこから来るのだろう?また、自分が学生だった時と比べて、明らかにキャンパスが国際化しているのが分かる。英語や他の外国語がそこかしこで飛び交っているのだ。本郷は大学院生も多いため以前から比較的多様であったが、駒場はこんな感じではなかった。今の1・2年生が羨ましい。

その他の書きもの

今年は学術論文以外にも、2つほど記事を執筆する機会を頂いた。

  1. 「研究者が短歌と出会うとき──湯川秀樹永田和宏に学ぶ「趣味」と「本業」への向き合い方」WEBアステイオン 
  2. 「国家が死なない世界」『公研』10月号

私は博士のときにサントリー文化財団から「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」というものを頂いたのだが、そのご縁で去年『アステイオン』本体に執筆依頼を頂き、今回はウェブ向きの記事をということで、悩んだ末短歌を取り上げた。『公研』の方も今回が2回目の執筆となったが、考えてみればこちらもサントリー文化財団助成の中間報告会をきっかけとするご縁なので、サントリー文化財団様には足を向けて寝られない。今確認したが、自宅のベッドは北に足を向けるようになっていたので、大阪には向いていないようで安心した。

受賞など

今年は極めて幸運なことに、賞を頂くこともあった。

  1. Merze Tate Prize for Best Article in Historical International Relations 

  2. 東京大学卓越研究員 

1の方は、私の「ホーム学会」であるInternational Studies AssociationのHistorical International Relations分科会の論文賞。一応キャリアステージを問わない論文賞だが、実際は若手を優先しており、去年の受賞者も一昨年の受賞者も知っている人。ISAは巨大な学会だが、分科会レベルになるとかなり顔見知りの世界になり、それが心地良くもある。1年に1回、この分科会の人たちとキャッチアップするのが楽しみ。

実は数年前に、この分科会の院生論文賞にもノミネートされたことがあるのだが、そのときは佳作で、本受賞ではなかった。そのときには佳作には盾や賞状などはなかったのだが、去年は佳作にも盾が与えられていて羨ましかったので、今回は本受賞で盾が必ずもらえるのが嬉しい。

2は東大が毎年若手教員に与える、賞というよりは研究助成である。5年間比較的自由に使えるまとまった研究費がもらえるというありがたい制度。特に文系は科研以外に複数年度の一定額以上の研究費が本当に少ないので、これをもらえたおかげで研究費応募に汲々としなくて済むのは大変ありがたい。といっても、研究ユニットの運営等の自分の研究以外の理由から外部資金を取ってこなくてはならないという状況は依然としてあるのだが・・・。

そんな感じで、今年ももうすぐ仕事納めである。

 

海外出版局の編集者と会う

現在の勤務先に着任してから1年余りが経ち、この大学が持っているリソースが世界とも戦えるなと思う部分と、これが自称世界レベルとは・・・と思ってしまう部分の両方が垣間見える出来事がそれなりにあったが、個人的に前者の代表格ともいえるのが、社会科学研究所をベースに行われている、「英文図書刊行支援事業」である。

これは東大に所属する教員等による英文での書籍の刊行を、プロセス全体を通して支援するというものだが、私が実際に体験したのは、11月頃に開催される「University Press Week」というイベントである。これは、英語圏のメジャーな大学出版局等の編集者が東大を訪れ、英文図書の刊行についての講演を行ったり、何より1対1で自分の出版プロジェクトについて話を聞いてくれるというまたとない機会である。

どんな出版局が来るかというと、去年はCambridge University PressやOxford University Pressをはじめとする世界でも「ザ・トップ」の出版局から、publishing directorという、個々の編集者を束ねる立場の人が来たりしていて、「こんなことが日本の職場で実現できるの??」とめちゃくちゃ驚いた。今年は純粋な学術書に加え、学術書と一般書の中間みたいなジャンルも視野に、Stanford UPやColumbia UPなどの編集者が来ていて、個人面談を数日にわたって行っていた。

自分も1冊目の本が来年出ることになっているので、英文書籍出版のプロセスについてはいつかブログでまとめたいなと思っているのだが、まず確実に言えるのは、出版プロセスの中で(書くこと自体を除けば)一番難しいのは、編集者からの最初の返信をもらうことだということである。特に有力出版局の場合だと、エディターのもとには日々何十という著者からの売り込みが来るので、いちいち返事することは難しく、特にまだ一冊も本を出したことのない若手は、誰かから紹介してもらわない限りエディターの関心を引くことができない。

それなのに、このイベントではほぼ無条件でエディターが会ってくれて、出版のプロセスについて基礎から教えてくれ、1時間も自分のプロジェクトについて話を聞いてくれるのである。若手の著者にとっての一番のハードルを、大学が超えさせてくれるのだ。こんなイベントは、オックスフォードにもケンブリッジにもなかった。ここに関しては東大はものすごいことを実現していると思う。

私は1冊目の本については着任前に進めていたので別の経路を使ったが、それでも査読結果がなかなか返って来ずにやきもきしていたときにCUPのpublishing directorにこのイベントでお会いしたら、担当編集者に確認を入れてくれたり、さらにはここで会った出版局の人と次の単著の話を始めたりすることができた。

今年は申し込んだ時点で特にプロジェクトはなかったのだが、見切り発車で申し込み、その間にあったワークショップで付け焼き刃で発表した内容が思いの外一般向け研究書に発展させられそうな感じがしたので、その話を売り込んで反応を見たりした。まだ1冊も出ていないくせに、今後数年で書きたいものがどんどんと溜まっていく。

私のやり方は「蛮勇」に近いかもしれないが、こういうなかなかない機会には、「まだプロジェクトが発展していないから」などと尻込みするのではなく、何でもいいからとりあえず参加してみることも重要である。特にこの場合、失うものはないわけだし。

そしてこの「またとない機会」は、どうやら文字通りの意味で「またとなく」なってしまうらしい。期間限定の予算でやっているので、その終了とともに一旦打ち切られるという話を聞いた。他部局が引き継ぐみたいな話も噂で耳にしたが、どうなるのだろうか。ぜひ継続していただければ嬉しいが、一方で人事にしろ予算にしろ、期間限定で打ち切られてしまうという事例は今や日本にも世界にもあふれているので、もったいないとは思うがあまり期待しすぎない方がよいのかもしれない。とりあえず去年自分が参加して、今年は自分だけでなく周りの若手研究者にも知らせて参加してもらうことができたので、最低限滑り込めてよかったと思う次第だ。素晴らしいプログラムを運営されてきた社研の関係者の方々に感謝である。