紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

泣き虫airpods

3ヶ月ほど前に、スマホをiPhoneからAndroidに変えた。特に大きな理由があったわけではないのだが、ずっと古いiPhoneを使ってきて、さすがにカメラやバッテリーの性能に物足りなさを感じるようになっていた。長年小さいiPhoneを愛用してきたのだが(SE→12 mini)、ここ数年の動きを見ていると、Appleは今後小さいiPhoneの新モデルを出す気がないらしい。

じゃあAndroidには小さい機種があるかというとそうでもなくて、Appleも含めて、どの会社も馬鹿みたいにデカいスマホばかりを作っている。一体何がしたいんだろうと思う。ほとんどタブレットじゃないか。俺たちの手はそんなに大きくなってないぞ。

だから大きさによって移行を決めたわけではないし、キャンペーンを利用するとiPhone 17にした方が安かったし、実は半年ほど前にiPhoneのバッテリーを交換したばかりだったのだが、とにかく何か気分を変えたい時期があって、この際Androidに変えてみようと思い立ち、SamsungのGalaxy S25を買った。といっても、2年で本体を返すタイプの契約なので、2年限りの付き合い。深入りはしない関係、それもまたいいだろう。

実際使い始めてみると、最初はけっこう操作に戸惑った。ホーム画面の構成も、ボタンの機能も違うし、データやアプリを移行するのも宣伝されているほど楽ではなかった。今まで慣れてきた環境を手放す、というのは大変である。しかし同時に、少しワクワクもする。でも多分実際にある機能の10分の1も使えていないと思う。

ただ、想定外のことが1つあった。

今年の頭に、それまで使っていたワイヤレスのイヤホンが片耳だけ聞こえなくなってしまい、買い替えざるを得なくなった。iPhoneを使っていたので、長年気になっていたAirPods Proを買ってみることにした。これはすごく良い買い物で、話し始めると音楽が自動的に止まって周りの音が聞こえるようになったり、ノイキャンや外音取り込みのレベルが非常に高かったり、いちいちbluetooth接続を選択しなくても自動的にペアリングされたりと、値段に見合うメリットがあった。

しかしながら、スマホをAndroidに変えると、こうした先進的な機能も手放さなければならないということを、変えてから知った。自動的に声を認識して音を止めてくれる機能はもう使えないし、自動ペアリングも基本的には使えない。外部アプリを使ったら一応これらの機能を使えるようにもできると知って、色々試してみたが、信頼できるレベルにはなく、iPhoneとの連動とは比べ物にならない。

こうした機能面以外に、ひとつ困ったことが起きた。AirPodsが泣き出すのだ。

AirPodsは他のアップル製品と同様、「探す」機能によってiPhoneなどの端末から位置情報をトラッキングできる。私はこれを元々iPhoneと結びつけており、両者を常に一緒に持ち歩いていたのだが、Androidに変えてしまって以降は、代わりに手持ちのiPadと結びつけるようにしていた。

ただ問題は、iPadは基本的に家に置いているので、「親」であるiPadと「子」であるAirPodsが外出先では離れ離れになってしまう。そうすると何が起きるかというと、「親」とはぐれたAirPodsが、盗難や置き忘れと認識してか、泣き出すのだ。もちろん泣き出すというのは比喩で、一定時間警告のような電子音を出すのだが、これを何度も聞いていると、寂しくて泣いているように聞こえてくる。それも大泣きではなく、控えめにすすり泣いている感じ。なんだか可哀想になってくるのだ。

そして今、親を亡くした我がAirPodsに、私はさらに残酷なことをしようとしている。実は、AirPodsがiPhoneと相性抜群なように、GalaxyとシンクロするSamsungのワイヤレスイヤホンが存在するのだ。上記のような先進機能は全部使える。Galaxyに変えてしまった以上、イヤホンも揃えるのが最適解になっている。

高額なワイヤレスイヤホンを、2つも所有しているのは無駄である。だから私は泣き虫AirPodsを、里子に出そうと考えているのだ。AirPodsはメルカリで出品すれば良い値段が付くようで、それを元手にSamsungのイヤホンを買えば、そこまで損にはならない。ただ問題は、AirPodsの購入時に調子に乗って名前を刻印してしまったせいで、市場価値が低下してしまうことだが、まあそれは仕方がないとしよう。もしかしたら、「N. Mukoyama🐯」と刻印されたAirPodsを落札するのは、あなたかもしれない。

泣かないでくれ、AirPods。新しいお家で大事にされてくれ。恨むならAppleを恨め、自社の製品にだけ相性がいいようなイヤホンを作る狭量さを恨んでくれ。

 

ケンブリッジ a.k.a. 第二の実家

先週からイギリスに来ている。

去年ケンブリッジ大学の先生が持っているグラントを使って東京で研究会をやりたいという依頼を受け、ホストしてロジなどを担当したら、そのお返しということでその人のグラントを使ってケンブリッジに来ていいよ、ということになった。とてもありがたいことである。

滞在中はいくつかセミナーに出たり、6月頭にあるBritish International Studies Associationで発表したりする他は、ちょこちょこロンドンで資料収集をしたり、あるいはほとんど毎日こちらの研究者と旧交を温めて情報交換などをしている。

人生いろいろ

1週間ほど経ったのだが、自分がどんどん生き返っていく心地がする。まず、到着早々にIR & History Working Groupという、私がポスドク時代に運営に関わっていた歴史的国際関係論の研究グループが開催する、年1回のCambridge IR & History Conferenceというイベントに出たのだが、これがいつもながらにとっても楽しかった。

研究会自体はかなりゆるいフォーマットで、ざっくりしたテーマについて登壇者がそれぞれ15分ずつ喋り、討論者などはなしでQ&Aに移るというものだが、登壇者のレベルがものすごく高いので話を聞いているだけで面白い。イベント後にはレセプションがあり、前からの知り合いに加えて、現役のPhDの学生と話をして、自分も昔はこんなんだったなあ、などという老いた感慨に浸ったりした。

夜にはSpeakers Dinnerという登壇者と運営側のフォーマルディナーがカレッジの1つであるのだが、昔のよしみでそこに潜り込ませてもらい、フリーライドしてきた。ケンブリッジは私の研究関心にとってハブでありホームのような場所で、そこにいる人達が自分をメンバーと認識してくれているのが何より嬉しい。ケンブリッジの教員はもちろん、登壇者にも前から知っている人が結構おり、だいぶネットワークが広がったなと思う。ここまで来るのは長かったけど。

わりと久しぶりに会った人たちの中には、40歳を超えて最近初めての子どもを産んだ人、長年カナダにいる奥さんと遠距離をしていたが、それを終わらせるためにケンブリッジからカナダの大学に移るのを決めた人などがいて、人生いろいろだなと思った。

第二の実家

滞在中は、自分がもともとポスドク時代にフェローとして所属していたカレッジのゲストルームに泊まっている。学生が住むような普通のカレッジの部屋だが、特に不足はなく快適であり、掃除も入るし、何よりホテルに泊まるより安い。

そして、カレッジに滞在していることのもう1つのメリットは、ダイニングホールに行けば(味はどうあれ)3食食べられることである。別に私は料理が嫌いなわけでもないし、日本にいるときはそれなりに食べ物にこだわりがある方だと思うのだが、なんかケンブリッジのような環境にいるとそういうことがわりとどうでもよくなる。家事を気にせず、研究やソーシャルライフに集中できるということのありがたみが、卒業から5年経って身にしみる。

自分が受け入れられる心地よいコミュニティがあって、家事をしなくてよい楽な環境だという話をしていたら、ある人に「実家みたいだね」と言われた。その通りである。ケンブリッジをこれから第二の実家と呼びたい。まだしばらくこっちにいるのだが、早くもまた「帰省」したいなーなどと思っている。

住むということと一時滞在するということはまったく別だということは重々承知しているのだが、こっちにいると、もっとここに居たいという気持ちが頭をもたげてくる。イギリスというよりは、ケンブリッジやオックスフォードに。日本にいたらいたで別に日々不満を意識することもないのだが、こちらに来てから何かデトックスされた気分になっているところからすると、やはり何か普段の生活でストレスや悩みが澱のように溜まっていたのかなとも思う。何だか身の振り方を考えさせられる滞在である。



どうやら私は腕が短いらしい

ブログを更新しよう、更新しようと思いつつ、なんと3ヶ月も経ってしまった。忙しいというのもさることながら、研究者という職業上、本業でも文章を書きまくっているので、自由時間にまたブログを書こうというインセンティブが働かないという実情もある。

まだ院生の頃はガチガチの研究の文章しか書いていなかったので息抜きにもなったのだが、最近はありがたいことにもう少し一般向けの文章や、ブログ並みに自由に書いていい連載があったりしたので、どうもブログにまで手が回らなかった。とはいっても「ネタ帳」みたいなところに日々思いつくブログ記事のアイデアなどは書き留めており、ネタばかりが増えていく毎日である。誰か私の代わりにブログを書いてくれないか。

さて、2026年の記念すべき第一回の記事にすべき内容とはおよそ思えないが、最近eye-openingな気づきがあった。33年生きてきて初めて知ったのだが、どうやら私は腕が短いらしいのである。人に言われるまで全く気づかなかった。

なぜ今まで分からなかったかというと、私は身長自体は高めで、脚の方も普通より多少長いようなので、当然腕も同様に長いはずだと思い込んでいたからである。テニスやスカッシュをやっていても、高いボールに届いたりして「長い!」と言われることがあったりするので、腕が長いものだと思っていた。しかし考えてみれば、腕の長さと脚の長さは絶対比例するというものではなく、脚が長くて腕が短い人もいれば、腕が長くて脚が短い人だっているはずである。

どれくらい短いのかというと、よく身長と、両腕を広げて端から端までの長さがほとんど同じということを聞いたりするが、私の場合、身長に対して、腕を広げた長さはそれより10センチ近くも短かった。びっくりした。

とはいえ、片腕あたり数センチ程度の違いなので、そんなに見た目には分からないのかもしれない。自分で33年間気付けなかったくらいである。そんなことがあるのか。

しかし考えてみると、イギリスでよくシャツを買ったときに、肩幅や胴回りに合わせてサイズを選ぶと、袖が少し長過ぎると感じることが何度もあった。日本ではそういう経験はなかったので不思議だが、イギリス人は腕が長いのか?などと思っていた。違ったのだ、イギリス人の腕が長いのではなく、私の腕が短かったのだ。

原因というのははっきりわからないが、基本的に遺伝で、あとは巻き肩や猫背によって測定値が短くなるらしい。まあ自覚はある。

いくつになっても、自分のことを知るというのは案外難しいものだというありがたい教訓を得た。しかしこの事実を知ったところでそれをどう使ったら良いのかわからない。とりあえずブログにしてみた次第である。

 

2025年のお仕事

さて、2025年もどうやら終わりが近いようだ。今年は色々忙しく様々なことがあったので長く感じたが、何とか無事1年を終えることができそうだ。というわけで今年の仕事を簡単に振り返ってみたい。

著書

去年は英語で単著を出したのだが、幸いなことに今年はその日本語版を出すことができた。もうだいぶ前のような感じがしているのだが、1月出版なので今年である。タイトルは『石油が国家を作るとき』。英語のFueling Sovereigntyを直訳しようとするとうまくいかないので別のタイトルを考えたのだが、タイトルは英語の方が気に入っている。逆に装丁に関しては日本語版の方が良いデザインだと思う。

朝日新聞日経新聞などの全国紙に書評を載せていただけたのはとても嬉しかった。昨日は同門の兄弟子にあたる佐橋亮先生が読売新聞で「今年の3冊」に挙げてくださった。感謝である。

そして英語・日本語での学術書出版の経験に基づいて、出版プロセスについてのエッセイ「英語 de 学術書」を1月から10月まで東京大学出版会のPR誌、『UP』に連載した。ちなみにこれはアップではなくユーピーと読むので注意。ブログもそうだが、私は本来カタい文章よりもふざけた文章を書くのが好きなので、このエッセイは好き勝手に書かせてもらえて毎回楽しかった。なお、この連載は書き下ろしを何編か追加した上で来年書籍化される予定なので、乞うご期待。この年末年始に何とか原稿を書き進めたいと思っている。

論文

今年も年内に刊行までこぎつけた論文は、英語のブックチャプターが1つという、若干物足りない結果になった。粕谷祐子先生らが編集されたRoutledge Handbook of Autocratization in Southeast Asiaに寄稿した、ブルネイに関する章がそれである。autocratization(権威主義化)といっても、ブルネイは建国以来常にトップクラスの権威主義を突っ走っているので、近年権威主義になったとかそういう次元の事例ではない。なので、そもそもなぜこういう体制が生まれたのかという歴史的な視点から、自分のこれまでの研究に依拠してレビューしたものになっている。

今年はあと2つ英語でブックチャプターの執筆を行った。1つは既に手を離れ、うまく行けば来年出るのと、もう1つは以前参加したワークショップから派生した編著本に1章書いており、こちらももうすぐ手を離れる予定。

しかし3つブックチャプターの執筆をして感じるのは、編者の性格によって負担は大きく変わるというか、編者がマイクロマネジメントをするタイプだと大変だということである。上記のハンドブックや、残り2つのうち1つは熟練の先生が編者で、生産的な修正提案をしつつ、最終的な決定はあなた次第ですよ、という形を取ってくださり、非常にやりやすかった。指摘も頷けるものばかりであったし、これだけの大家が自分の原稿を評価してくれて、こちらの決定を尊重してくれるのはありがたいことである。一方で、残り1つの編者は、若手で張り切りすぎているのもあるのかもしれないが、原稿を「自分がこうしたい」という方向性で書かせようとしてきて、非常にストレスだった。正直なところ、それが出ようが出まいが私にとって大した違いはないため、「修正提案(というより指示)の大半には従えないので、それが必須であれば私は降りた方がいいと思う」という趣旨のメールを送って、最終的にはほぼ修正しないことを納得してもらった。

去年も同じようなことを書いているのだが、研究にかけられる時間は有限ということもあり、今後はよほど大恩のある人からの依頼や、純粋に興味の持てるプロジェクト以外のブックチャプターについては、かなり慎重に参加を検討することになると思う。そろそろ適切にNoと言う訓練をしないと、本質的でない仕事に忙殺されることになる。もちろん読者が多いと期待されるハンドブックや、興味の持てるものに関しては今後も参加するだろうけど。

一方、今年は逆に自分が編者側になるという経験もしている。とあるジャーナルの書評特集号の編集者をやっているのだが、これはこれで大変だ。というのも、寄稿をOKした人が、締め切り直前になって「時間が取れなかったからやっぱり無理!」と言ってきて、それを何とかなだめすかして1ヶ月延長したら、結局書けなくてバックレたり、締切が過ぎた別の著者にリマインドしたら「2ヶ月先なら出せる」と言い出して、結局延長した締切も連絡なく守らなかった上に、私のリマインドメールに対して「何回もやめようと思ったが、あなたのためにやり遂げることにした」などという(クソ恩着せがましい)メールとともに、規定語数の半分程度の書きかけ原稿を送ってきたりするからである。一方で早期提出してくれた人たちは、このような事情で延長をせざるを得ないことを謝罪する私のメールに対して心温まる返信をくれたりと、まあ悪いことばかりではないのだが、こういうunpaid laborについては色々と考える1年だった。

それ以外に、まだ出ていないというか、出るかわからないのだが、今年は非常に重要なR&Rが1件あり、今月修正版を再投稿したところだ。何とか来年モノにしたいと思っている。

教育・学務

今年は公共政策・法学政治学研究科・法学部の合併で後期に1つゼミを担当している。2年前に英語で教えた授業を日本語で教えるという試みだが、英語で教えた時とはまたかなり違う経験になっている。学生に自発的に活発な議論をしてもらうというのは、かなり難しい。決まったフォーマットの論文を読んで内在的な議論をする、という場合はもう少しやりやすいのかもしれないが、本の一部を何冊かアサインして大きなテーマについて議論する形になるとやはり難しいようである。もう少し現実的に、文献の数を絞ってじっくり読んでいくような形にした方がいいのかもしれない。まだまだ私には教育経験が少ないので、教訓になったが、一方で自分が教育をわりと楽しめる方だということに気づけたのはよかった。来年度はいくつか新たな授業の準備をしなければならないので、頑張らないと。

学務としては、諸々の日常的な業務の他に、東大が毎年やっているTokyo Forumというシンポジウムで、パネルの企画と司会を1つ担当した。経緯から言えば自分からやりたいと言ったわけではないのだが、NHKエンタープライズの人たちの仕事の舞台裏をちょっと垣間見たり、多少新たなつながりが生まれたりと、これはこれで面白い経験ではあった。大変だったけど。まあ我々は研究者であると同時に、「大学官僚」や「大学社員」でもあるのだろう。

その他

ありがたいことに、英語版の著書に対して、第46回「アジア経済研究所発展途上国研究奨励賞」を頂くことができた。アジ研にはもともと知り合いの先生方も多いが、授賞式や懇親会では新たに色々な方とお話ししたところ、楽しそうかつサポートも充実してそうで、職場環境として素晴らしい場所に見えた。

英語版に対しての賞のため、日本語版の帯に書いたりできないのが残念。日本語版は国際開発研究大来賞という賞の最終候補に残っていたようだが、そちらは受賞には至らなかった。

あとは、今年はやたらと書評をする年でもあった。上記の書評特集号もそうだが、その他に英語で1件、Liquid Empireという本の書評をPolitical Science Quarterlyに書き、日本語で1件、Worldmaking After Empireという本の書評を『国家学会雑誌』に書き、そして『UP』で半年に1回の書評を担当することになった。

そんなこんなで、年の暮れ。良いお年を!

 

あるトップス至上主義者の転向

ある媒体で年2回ほど書評を担当することになって、少し前まで原稿を書いていたのだが、今回対象に選んだ本が、日本のファッション史というか、具体的には男性のTシャツの歴史についての本だった。私の親世代はTシャツの裾はインしていて、それが非常にダサく見え、自分たちは常にアウトしていたわけだが、逆に今の10代・20代はインに回帰している。

ファッションのトレンドは循環するということだが、同じことはパンツの裾(太さ)にも言える。10年ほど前まではスキニージーンズが当たり前だったが、今はNGアイテムになっており、若者たちはこぞって太身のパンツを履き、トップスもビッグシルエットが全盛である。

まあそういうわけで服装についてしばらく考えていたわけだが、私個人としても、去年から今年にかけて、1つ大きな変化があった。元々私はシャツとかセーターとかコートとか、上半身の服装についてはわりとこだわりを持っていたものの、パンツについては変でなければいいや、という程度で、ユニクロジーンズやチノパンなんかを適当に履いていた(いいと思うけど)。靴も割と好きなのに、なぜかボトムスだけ興味がなかった。他は加点法、ボトムスだけ減点法で見ていたのである。

それが最近になって大きく変化し、ボトムスこそがファッションの要ではないか、などと思うようになってきた。これまではトップスから服を選んでいたのが、このパンツを履きたいからこのシャツにしよう、という逆の順番で服選びをするようになった。私のクローゼットは大半がイギリス時代にサンプルセールなどで買った服で構成されているのだが、去年イギリスにいた時に買ったリネンやコーデュロイのスラックスを履くようになったり、バーンストーマーやPt. Alfredのチノパンを買ってみたり、スーツのパンツもタックを入れてベルトループをなくしてサイドアジャスターにした方がかっこいいな、などと思うようになった。

ついには、ボトムスさえこだわりの一品を履いていれば、上半身などユニクロで良いのではないか、などと極端なことを考え始めている。まだまだレパートリーが足りないので、ボトムスをもっと集めたい。ある程度融通が利くトップスのサイズと違って、ボトムスは長さや太さが合わないと致命的だし、後から詰めてもらったりするのが面倒なので、どうしてもネットショッピングでは買いにくいのが難点ではある。でもこれまでほとんど素通りしていたボトムスのセクションを丹念に見るようになったのは、面白い変化である。

たしか4-5年前までは、靴にも大したこだわりがなかったのだが、イギリス時代にノーサンプトンという街にある有名な革靴メーカーのファクトリーショップに買いに行ってから、急速に興味が生まれ、こだわるようになった。トップス→靴→ボトムス、と来て、次は何にこだわるようになるのだろうか。メガネ?時計?アクセサリー?人生は長いので、変化を楽しみながら生きたいものである。

そういえば、3年前に「ロンドンでメンズ服を買う」というシリーズ記事を書こうとして、怠惰さゆえに導入で終わってしまっているので、できれば近いうちに復活させたいと思う。さて、実現できるだろうか・・・。