紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

捨てる神(×7)あれば拾う神あり:論文出版こぼれ話③(CP)

「1月は行く」などとその過ぎる早さを指して言われるが、2023年の1月は私にとってはかなり長かった。正月早々、実家から帰京しようと思った矢先に母親のコロナ感染が発覚して滞在を延長し、ようやく東京に戻ってきたと思ったら今度は手足口病のような発疹ができたり数年ぶりの偏頭痛に襲われたりしながら、そうした体調不良の元凶と思われる、所属先から(文系としては)大きめの外部資金に応募するための申請書書きをようやく終えて、やっと1月が終わった。正月は楽しかったのだが、あれがまだ1ヶ月前とは信じられない。

苦戦からの意外な幕切れ

色々大変だった1月だが、研究の面では予想外に、非常に報われる1ヶ月となった。それは1つには、半年ほど待っていた博論を改訂した英文単著書籍の査読結果が返ってきて次のステップに進めたということがあるが、そちらは内容はともかく、時期としてはそろそろかなという予想はしていた。しかし驚きだったのが、10月頃に投稿した論文が、査読1ラウンド目で(R&Rを経ずに)Comparative Politicsという雑誌にアクセプトされたことである。前回の記事で今年の抱負として挙げていたことの1つに、「論文1本出版+1本投稿」というのがあったが、その難しい方の半分、つまり論文1本の出版がなんと1月の時点で決定してしまった。

ここまで聞くと「このlucky bastardが」と思われる方もいるかもしれないが、確かにこの雑誌の査読結果はめったにない幸運だったものの、この論文が実に8誌目で採択されたことを付け加えれば、決して簡単な道のりではなかったことを分かってもらえるだろうか。最初にこの論文を投稿したのは2020年の終わり頃だから、2年以上は採択までかかっているわけで、しかもこの論文は私の博論の一部を切り出したものである。博論ベースの論文という、院生・ポスドク時代にはほとんどそれが唯一の武器であったものが、2年もリジェクトされ続ける精神的苦痛を想像していただきたい。賠償請求をしたいぐらいだが、あいにく誰に請求すればよいのか分からない。

Comparative Politicsという雑誌

8誌目といっても、Comparative Politicsが二流の雑誌なのかというとそうではなく、むしろ比較政治学をやっている人なら、おそらく誰でも読んだことはあるし、これが一流とみなされる雑誌であることは納得してもらえるだろう。私が生まれるより前の論文だが、中東研究あるいは政治体制、国家などを扱っている研究者ならだいたい読んだことがあるだろうLisa Andersonの"The State in the Middle East and North Africa"が、CPに出た論文として私の頭に真っ先に浮かんでくるものだが、その他にも沢山の有名論文がここに掲載されている。私が過去に出したDemocratizationという雑誌に採択されたブルネイの政治体制に関する論文は、オックスフォードに進学して間もなく投稿開始したものの、Comparative Politicsからはデスクリジェクトされてしまったので、数年越しにリベンジできたということになる。ちなみに同論文は最初にWorld Politicsに投稿して、「4ヶ月後にデスクリジェクト」された苦い思い出があり、それ以来WPという地雷原には近づかないようにしている。

近年、比較政治学の「トップジャーナル」とされる雑誌では質的研究が採択されにくくなっており、Comparative Political Studies、World Politicsなどのかつては質的研究を掲載していた雑誌も、近年は専ら量的研究ばかりを掲載するようになっている(もちろん例外はちらほらあるし、ことCPSのエディターは質的研究でも良いものなら採択してくれそうな感じはあるのだが)。質的研究にフレンドリーな比較政治のトップジャーナルというと、Perspectives on Politicsか、このComparative Politicsのどちらか、というのがだいたいの共通認識ではないだろうか。

七福神に捨てられる

何で8誌も出したのにまだトップジャーナルが残っているんだと思われるかもしれないが、それはこの論文を当初は主に国際関係論系の雑誌に掲載しようとしていたからである。植民地時代の石油と国家形成、というテーマは、国際関係論と比較政治学の中間的なテーマであり、イギリスに行って以来IRに傾いている私はできればこれをIRの雑誌に出そうと思っていた。博論の内容ということもあり、水準にそれなりに自信もあったので、適当な雑誌で満足したくはなく、トップから順番にチャレンジしていくつもりだった。

というわけで、満を持して最初は天下のInternational Organizationに出したのだが、無事査読には回り、査読者のコメントもタフではあったが「これR&Rでもいいのでは?」という感じだったものの、エディターは気に入ってくれずリジェクトとなった。次にInternational Studies Quarterly、American Political Science Reviewと出したのだが、いずれも査読には回ったものの、「事例が少ない」とか、「最近同じような論文を読んだ、〇〇とかMukoyamaとか」などと言われてリジェクトされた。

ISQにハネられたのがちょうどケンブリッジポスドクを始めた2021年の夏前くらいで、カレッジでポスドク仲間の集まりに参加している最中だった。夕食を終えてもまだ燦々と降り注いでいる夏のイギリスの日差しの中で、ずいぶんと打ちひしがれた気持ちになったのを覚えている。ジョブマーケットも控えていたこの時が一番沈んでいたかもしれない。

ケンブリッジの牛たちが慰めてくれた。

次に考えられるのはEuropean Journal of International Relationsだったが、当時既にここで査読中の別の論文があり(後に採択)、全体の業績も少ないのに同じ雑誌に2つ出すのもなあ、と思って、思い切って安全保障系の内容に無理やり結びつけてInternational Securityに出すことにした。しかしやはり無理があったのか、ISからはデスクリジェクトされ、続いて同じような系統のSecurity Studiesに出したら、査読には回ったもののやはり「安全保障とは関係なくない?」と言われて落とされた。

ここまで来たら仕方ない、良い雑誌だがヨーロッパなど一部地域以外ではあまり認知度のないReview of International Studiesに出すか、などとナメたことを考えて投稿したらしっぺ返しのデスクリジェクトを食らい、このあたりでかなり諦めモードに入ってきた。もうこの論文は掲載されないのではないか、幸い書籍の方は順調に進んでいるので、そちらが出るなら論文はなくてもいいか、というメンタリティになっていたのである。

この時点で私のお気に入り雑誌、EJIRにまたトライしてもよかったのだが、別論文が採択されたこともあり、やはり同じ雑誌に2つ出すのもなあ、と思い、最後のあがきで、論文を比較政治寄りに構成し直すことにした。これでPerspectives on PoliticsとComparative Politicsをトライして、無理だったらEJIRに出し、そこでもリジェクトされたらもうトップジャーナルにこだわるのはやめてセカンドティアのジャーナルに出そうと決めた。

で、まずPerspectives on Politicsをトライしたのだが、残念ながらまたデスクリジェクトとなり、諦めモードが強まった。振り返ると、IO・APSR・ISQは一応査読まで回ったのに、その後の方がデスクリジェクトが多くなっているのは不思議である。フィットの問題なのだろうか。そして8誌目のComparative Politicsでついに採用、となったわけである。

不思議な査読結果

といっても、この査読結果もまた不思議で、2人のレビュアーのうち1人は非常に好意的で、修正すべき箇所も「踏まえていない先行研究がある」という程度だったのに対し、もう一人は逆に「この論文は間違っている。他にも色々要因あるから。」みたいな3文くらいの非常に短い(やる気も何の根拠もない)コメントで(だったら査読引き受けるなよと思った)、意見が両極端に割れていた。そうなるとエディターの判断になるわけだが、彼/彼女らがこの論文の価値を最終的に信じてくれたのだろう。ニューヨーク市立大学(編集元)に感謝。そして、肯定的なレビューの方は先行研究のことぐらいしか注文を付けていないので、R&Rにするにしても具体的な修正指示ができないため、一回目で採択となったのではないだろうか。

査読結果のメールが来たときは、「はいはいどうせ今回もダメでしょ」と思いながら期待せずに開けたので、「アクセプト」と書いてあってめちゃくちゃ驚いた。そうでなくても1回目でアクセプトされることなどほとんどないのに、これだけ苦戦した論文だから、まったく予想していなかったわけである。

教訓、のようなもの

将来のことは分からないが、たぶん今回の論文が、人生で一番苦しんだ論文になるのではないかと思う。これからもたくさんリジェクトされることはあるだろうが、自分の実力を証明しなければならないキャリアの最初期の段階で、最も心血を注ぎ込んだ博士論文の研究を、就職の心配をしながらリジェクトされ続けるというほどの苦しさは、もうおそらくないだろう。努力をしていればいつか報われる、というような月並みな人生訓は言いたくない。一定水準を満たしていれば、ジャーナルの査読結果など所詮は運なので、腐らずに、諦めずにガチャを引き続けていれば、そのうち当たりが出る「かもしれない」、というだけのことである。

 

旧年の振り返りと新年の抱負:2023

いつの間にか2022年も終わり、2023年になった。年をとるにつれて、1年が経つのが早くなるとはよく言う話だが、去年に限っては逆に随分長く感じた。というのも、やはり変化の大きい年であったということが一番の理由だろう。夏まではまだイギリスにいたのでそれ以前と変わらない生活であり、比較的時間も早く進んだように感じたが、それでも帰国を見据えるようになり、その準備やイギリスでやり残したことを一つ一つやっていく過程は普段よりも濃度が高かった。ましてや、帰国してからは教員生活のスタートと5年ぶりの東京での生活ということで、色々なことが新鮮であり、吸収すべきことが山ほどあった。

帰国してからまだ3ヶ月半ほどしか経っていないというのが衝撃的で、実際にはもう1年はいるような感じがしている。年を取ると時間の経過が早く感じるようになるというのも、生活がルーティン化して新鮮味がなくなることに起因するという話を聞くが、そう考えると2022年は経過が遅く感じたというのも、さもありなんという感じである。

しかし、教員の端くれになってみて感じるのは、やはり同じ大学内にいても、教員という立場になって見える景色はそれまでとかなり異なるということである。それまでの数年は、目先の研究と将来の就職の心配というのが頭の大部分を占めていたわけだが、今は就職の心配がとりあえずは消えた代わりに、研究にプラスして学務とか職場の人間関係とか、今年度は授業はしていないのだが来年度以降の教育活動とか、おまけに人の雇用の心配まで考えることになる。まあ院生~ポスドク時代の、来年再来年の仕事がどうなるかわからないという状況のストレスは相当なものであったから、それがなくなったというのはかなりポジティブな材料なのだが、立場とか責任というようなものはどっと増えた感じがする。

そんなわけで、1年後の自分がこうなるとは必ずしも分かっていなかった昨年の自分が立てた目標を振り返り、今年の目標を設定したいと思う。

晦日東大寺

昨年の目標:達成状況

さて、昨年立てた目標は、以下の5つであった。

  1. 単著書籍の出版契約を結ぶ:✕ 残念ながらこの目標はまだ達成できていない。設定時点でも書いていた通り、大学出版会からの英語書籍の出版には、こちらでコントロールできない理由で論文以上に時間がかかる。査読があるというのがまず日本の学術出版との違いで、それに下手すると1年くらいかかったりする。その結果が出ても多くの場合そこから査読へのレスポンスレターを書いて、原稿を改訂してようやく契約がもらえる。私の場合、運良く最初の出版社でエディターの関心を引くことができ(これが実は最大の関門とも言われる)、査読に回ることになったのだが、7月下旬に原稿を提出して5ヶ月あまり、まだ査読結果は出ていない。リマインドしつつ、気長に待つ必要があるだろう。少なくとも私の手は一旦離れているので、未達は私のせいではないということにしておく。
  2. 論文を最低2本出版する:△ こちらは、半分達成だろう。幸い、一番のお気に入り雑誌であるEuropean Journal of International Relationsに、新しいプロジェクトの論文を出すことができた。これは個人的にすごく嬉しいことで、ようやくメジャーな場所に論文を出せたという喜びがあったが、もう1本ぜひ出さねばと思っていた論文はまだ出せていない。こちらの方がかけている時間は長いのだが、残念なことにリジェクトが続いている。博論/書籍の一部でもあるので、もはや書籍が出るならこっちはもういいかという若干の諦めモードに入っているが、現在査読中なので結果を待ちたい。というか去年の自分、野心的すぎでは?

  3. たくさん旅をする:◯ これは自信を持って達成したと言える。ケンブリッジでのティーチングや諸々の仕事が終わり、帰国が迫ってきた6月頃からヨーロッパをできる限り旅行しようということで、そこから3ヶ月でスペイン、ポーランドアイルランドラトビアリトアニアギリシャに行った。スペイン(とポルトガル)は私の中で殿堂入りなのだが、ポーランドは事前の印象はそれほど強くなかったが、行ってみると思いの外よかった。ギリシャアテネで学会だったので、今度は島巡りをしたいと思っている。まだ行けていない国があるが、今後はアジアを開拓して、イギリスに長期滞在するときなどにまたヨーロッパを旅したいと思う。
  4. ライフの充実:◯ 多分去年の今頃の自分の中には、出版プレッシャーとジョブマーケットの大変さ、ティーチングの忙しさなどで余裕がなく、それ以外の生活を十分に楽しめていないという危機感があったのだと思う。今でも忙しいのは変わらないが、就職が決まってからはある程度その他の部分も重視した生活ができていたと思う。帰国前にたくさん旅行したのもそうだし、帰国後はぼちぼち諸々の趣味も再開している。
  5. 将来設計:△ 長期的な人生の見通しを立てたい、ということであったが、それに関しては今も立っているとは言いがたい。去年30になって、まあ一般的な日本社会で言えば色んな意味でライフステージが進んでいく人が多いのだろうが、研究者としてはまだようやくキャリアのスタートラインに着いたばかりだし、帰国したとはいっても、必ずしも今後一生日本で生きていくということにコミットしているわけでもない。まあ結局、なんとなくこうなりたいという像は持ちつつ、5年周期くらいで修正していくことになるのかな、と思う。

今年の抱負

以上を踏まえて、今年は以下のような目標を立てたい。

  1. 単著書籍の出版契約を結ぶ:これは去年からの継続。私より1年先に博士課程を終えたケンブリッジポスドク仲間は、査読に大変な時間を経て査読が返ってきたのだが、それでも1年なので、さすがに今年の前半には結果が出るだろう。もちろんだからといって良い結果とは限らないわけだが、書籍はデスクリジェクト率が非常に高くレビュー後のリジェクトは少数派と聞くので(と言いつつこの間会った人がそのリジェクト経験者だった)、期待したいところだ。
  2. 論文1本出版+1本投稿:去年がちょっと野心的すぎたのと、書籍を最優先にしたいので、論文に関しては少し控えめな目標にしておく。1年に1本論文を英語で出し続けるというのが、私のこれからの努力目標。ただ単著でフルペーパー、歴史的研究となるとなかなか量産するのは難しく、コロナ以降査読にかかる時間も伸び続けているから、これでも簡単な目標ではない。
  3. 研究の種まき:やはり就職の上で業績が必要、ということでここ1年ほどは既にやった研究をどうにかして出版する、ということに集中せざるを得ず、新たなテーマの発掘は十分にできていなかった。英文書籍を出した後の日本語版なども含めると博論関係の研究を出し切るにはまだ数年かかるとは思うが、その後研究者として自分をどのように売り出していくかということも考えなければいけない。第2の単著プロジェクトは非西洋国際関係論の視点から日本近世を扱うと決めているが、同時にこれまで研究してきた資源やエネルギーの問題をもう少し現代的なテーマで掘り下げていくようなこともしたいとは思っている。新しい分野を開拓するためには、すぐに論文に結びつかないような勉強をする時間を確保していく必要がある。
  4. 仲間探し:研究者なら誰しも、自分の論文をこの人たちに向けて書いているとか、この人の論文は出たら読むという、狭い範囲のコアな研究者コミュニティがあると思うのだが、こうした仲間は私の場合今のところ英・欧・豪あたりに集中している。どのみち英語で書いて読んでもらうのだからそれでいいとも言えるが、やはり頻繁に会えるわけでもないので、身近な国内にそうした仲間を増やしたいというのも正直なところである。シンパシーを感じる人と連携しつつ、院生など下の世代とも繋がりを作りながら、研究者コミュニティを国内に作っていきたいと思う。これは来年の目標というよりもう少し長期的な目標になるだろう。
  5. 複数の短歌新人賞に応募する:私は数年前から短歌を趣味の1つとしているのだが、結社に所属して何とか歌を作り続けてはいるものの、海外では歌集を入手しにくい(+本を増やしたくない)とか、賞に応募するにも郵送が必要とかいう事情があって、必ずしも「本腰」を入れて取り組んでいるわけではなかった。何であれその道に懸けている人が注ぐ熱量というのは半端なものではなく、私はその熱量の総量は有限だと思うので、既に研究という対象がある私が短歌に注げる熱量というのは、それに懸けている人が注げる熱量には及ばないというのがこの数年の実感ではある。しかしそれでも数年後には歌集を出したいと思っているので、モチベーションにするためにも、結果はどうあれ、帰国を機に短歌の新人賞にいくつか応募してみたいと思う。

  6. 趣味と運動の時間を確保する:東京に帰ってきたことの大きなメリットの一つは、趣味をやれる環境が揃っているということである。上記の短歌もそうだし、最近ハマっているビリヤードも、ちょくちょくやっているスカッシュもそう。イギリスでも、例えばジェントルマンズクラブにはビリヤード台もスカッシュコートもあるだろうが、そんなところに平民の私は入れないので、できる場所を探すのに苦労した。テニスコートはその辺に沢山あるのだが、ロンドンのように縁のない都市において同じくらいのレベルで一緒にやる人を探すのは簡単ではなかった。そう考えると、既に何年も住んだ経験のある都市で、だいたい何をやる環境も近場に揃っている東京という場所は非常にありがたい。最低2週間に1回くらい、テニスまたはスカッシュができる環境を確保できればと思う。

そんな感じで今年も楽しんでいきたい。

 

ゾウの時間、査読の時間:論文出版こぼれ話②(EJIR)

先月頭にEuropean Journal of International Relationsという雑誌に、新しい論文が掲載された。私は博士課程まで、「天然資源が主権国家の独立過程に与えた影響」というテーマを研究していて、事例としては東南アジアのブルネイ、中東のカタールバーレーンなどを扱っていたのだが、博論の次の大きなプロジェクトとして、近世日本(主に江戸時代)を藩などで構成される国際システムとして捉え、それを国際関係論の観点から解釈することで、従来の理論で前提とされてきたことを問い直す、というような研究に現在取り組んでいる。元々これは博士課程の途中から、サイドプロジェクトとしてやり始めた研究なのだが、今後数年(これを書籍として出版するまで)は、これを自分のメインの研究としてやっていくつもりだ。

今回出た論文はそのプロジェクトの最初の論文で、主権国家の構成要素の1つである領土、それを構成する1つの要素であるところの直線的な国境(linear borders)というものが、従来はヨーロッパで誕生し、他地域にはその後ヨーロッパから伝播したと考えられていたものの、実際にはヨーロッパにおける発展と同時期に日本でも同じようなものが発達しつつあったのだ、ということを示している。詳しくはぜひリンク先を読んでみてほしい。
https://doi.org/10.1177/13540661221133206

強欲な出版社とオープンアクセス

少し脱線するが、この論文はオープンアクセスなので無料で誰でも読める。学術誌を出版している商業出版社は強欲で、学術論文をいくら書いたところで、あるいは査読したところで研究者には1円も入ってこないのは周知のところだが、読者にとっては、通常論文は掲載されている雑誌を所属大学が購読しているか、あるいは自費で一本ごとに購入しないと読むことができない。それを誰もが読めるようにするためにオープンアクセスという仕組みがあるのだが、それがなぜ可能かというと、研究者の側が出版社にお金を払うからである。つまり、自分は無償で論文を発表した上に、さらに金を払って公開するということだ。なんという馬鹿げたシステムだろう。冗談は顔だけにしてほしいものだ。

そしてこのオープンアクセスにかかる費用は何十万という単位なので、普通の研究者は自分では負担できない。だが欧米の有力大学では、大学が各出版社と包括契約を結んでいて、所属研究者のオープンアクセス代をまとめて払っており、個別の研究者は無料で(あるいは相当割引された価格で)論文をオープンアクセスにできる。私の場合、論文がアクセプトされた時点ではケンブリッジに所属があり、ケンブリッジがSAGEと契約していたため、この費用を免除されたのである(後に公開される際には東大に所属を修正しているが)。国内の大学でそういう契約を広範にしているところはあるのだろうか。いずれにしても、万国の研究者は団結していつかはこのアンフェアなシステムを打破するべきだと思う。

EJIRという雑誌

さて、この論文が掲載されたEuropean Journal of International Relationsという雑誌は、European International Studies Associationという学会と、European Consortium for Political Researchという学会の国際関係分科会とが共同で出しているもので、私が国際関係論で一番好きな雑誌である。私が現在取り組んでいて、この論文もその範疇に含まれる歴史的国際関係論(historical international relations)という領域は、このEJIRという雑誌をその中心的な発表先として展開しており、また非西洋の事例に関する研究も比較的多く発表されている。お気に入りの雑誌に論文が掲載されて、正直とても嬉しい。

ヨーロッパの雑誌だということもあり、また掲載される研究の方向性がアメリカの動向とは違うので、残念ながらEJIRはアメリカではあまり重視されていないようだが、ヨーロッパ(以下イギリスはヨーロッパに含まれることとする)では掛け値なしにトップジャーナルの1つとみなされている。どれくらいかというと、国際関係論の最高峰はヨーロッパでもInternational Organizationと認識されているのだが、その次にEJIRとInternational Studies Quarterlyが来るぐらいである*1。ISQはアメリカ的な雑誌であって(Daniel Nexonがエディターをやっていた時は違ったと言われているが)、EJIRの方がヨーロッパでは読まれているといっても間違いではないと思う。

というわけで、多分日本の人はあまり気づいてくれていないだろうけど、EJIRに論文を載せるというのは結構大きなことで、これだけでイギリスならオックスブリッジやLSEは無理だが、それ以外の大学の専任講師職はどこか引っかかるだろうというくらいの業績にはなる。実際に知り合いで、PhDの間にEJIRに単著論文1本を載せ、修了と同時にロンドン近郊の大学の専任講師になった人がいる。まあ自分でそんなことを言っていても仕方ないのだが、相場感を分かってくれる人がどうも日本には少ないのでこんなところでアピールしてみる。

査読が長い

しかし今回の出版経験で辟易したのは、査読にかかる時間の長さであった。この論文は幸いにして最初に投稿した雑誌にアクセプトされたのだが、投稿したのは2021年の8月である。つまり出してからオンライン掲載されるまで1年3ヶ月かかっている。8月に投稿してから2ヶ月経ってもステータスが「査読者選定中」のままで、業を煮やしてmanaging editorにメールしてみたら、1人は既にレビューを提出したのだが、2人目が途中で断ってきたので代わりを探しているとのことで、結局4ヶ月かかった。そこから3ヶ月で原稿を再提出して、今度はすぐに結果が出るかと思ったら、またそこから4ヶ月も待たされた。それも何度かmanaging editorに問い合わせをしてせっついてもらった結果である。この人は毎回すぐに返事をくれて、嫌がらずにリマインドなどもしてくれたのだが、担当のエディターが問題で、この人がレビューが出揃ってもずっと仕事をせず、なかなか結果が出なかった。ようやく結果が来たと思ったら、査読者自身もそこまでこだわっていないような些細なコメントがまだ残っているからといって、conditional acceptanceではなくminor revisionにされて、そこからまた3ヶ月ほどかかった。どうせ査読者のコメントをそのまま横流しするだけなのに何ヶ月も仕事を止めるなら、なぜ義務でもないエディターの仕事をするのだろうと苛立ってしまう日々だった。

特に就職がかかっている若手研究者の場合、査読の遅れはキャリアを左右しうる重大な問題である。コロナになってから、ジャーナルはどこも査読者の確保に苦労していると言われており、査読にかかる時間は全体的に延びる傾向にある。同じレベルの研究でも、どのタイミングで業績が出るかは運の要素が非常に強く、それによって就職も左右されるわけだから、アカデミアにおける成功も失敗も、随分と相対化して見なければならないと思った。

「この道しかない」ことはない

EJIRが日本ではあまり認知されていないという話をしたが、日本では、「海外の研究」とか「世界水準の研究」などという話が展開されるときには、どうもアメリカばかりを参照した話がなされがちである。これは国際関係論においては「北米」ですらなくて、というのもカナダではトロント・マギル・ブリティッシュコロンビアといった超有名校以外では、アメリカよりもむしろヨーロッパに近いタイプの研究が行われているからである。確かに学界に占めるアメリカの比重は他国より大きいし、彼の地における動向に気を配っていることは重要ではあるのだが、間違ってもすべてをアメリカに還元できるほど大きなものではない。「世界=アメリカ」という発想は当然のごとくアメリカ経験者から出て来がちであり、私の意見ももちろんヨーロッパ経験者のポジショントークという側面はあるわけだが、違いは前者が必ずしもそれ以外の地域で行われていることに通じていない(知る必要性を感じていない)のに対して、後者は「メインストリーム」としてのアメリカでの動向を一応は踏まえた上で、それにプラスしてヨーロッパや他地域の動向を把握しているということだろう。

良くも悪くも、「第一」の国以外にベースを置く者は、そこを見据えた上でそことの距離を測っていかざるを得ないわけであるので、そうした立場にいる人間は、「自分の周りで起きていることが世界を代表するもので、それが遍く世界の標準であるべきである」という発想にはたどり着きにくい。「そういう世界もあります」と「それが世界です」は全然違うのだ。今他でもないヨーロッパで、国際関係論におけるヨーロッパ中心主義に対する見直しが進んでおり、非西洋/グローバル国際関係論が盛り上がっているのも、やはり少なくとも学界において、自分たちの帝国主義的発想を見直さざるを得ない立場に置かれているからではないだろうか。そう考えると、没落するのも悪いことではないのかもしれない。

もちろん世界にはアメリカとヨーロッパしかないわけではなくて、これからはもっと他地域からも独自の研究潮流が出てくればいいなと思う(なかなかまだ難しいようではあるが)。日本の歴史や地域に根ざした「伝統的な」国際関係論コミュニティは、アメリカよりむしろヨーロッパと親和性が高いのではないかと私は思うのだが、ヨーロッパに留学する人もあまり多くないので、情報が伝わらないのか、身の回りに同志はあまり見つけられておらず、この辺が最近の悩み(というほどでもないが)である。まあ別にこれはどちらかと繋がらなくてはならないという話では全然なくて、もしどこかと学び合うとすれるならば、ヨーロッパで行われていることは私たちの参考にもなるのではないか、さしあたり彼らのフォーマットを利用すれば英語で研究も出しやすいのではないか、という程度のことである。

政治学や国際関係論では、どういうわけかその人の立場にかかわらず、英語で書くことと量的手法を用いること、そして査読論文至上主義が不可分とみなされがちなようである。そこでは英語で研究を発表するということが、すなわちアメリカに行って最新の手法を身に着けて査読付き論文に専念するということと半ばイコールにされている。それに肯定的な人も否定的な人も、そういう前提をなぜか共有しているように見える。しかしそうすると、学術論文は英語をメインに書きたいがアプローチは質的・歴史的、日本語で学術書や一般書も書きたいという私のような人間はどこに居場所を見つければよいのかよくわからない。

でも実際には、英語で書くということは、特定のアプローチや媒体を選択することと全然同義ではない。質的な研究を多くの研究者がリスペクトする媒体に掲載することは、わざわざ言うのもバカらしいほどありふれており、いやでもトップジャーナルには載っていないと言うならば、それはその人のトップジャーナルの定義が狭すぎるか、見ている範囲が違うのである。例えば私のいる領域の研究者は、American Political Science Reviewを自分の学問分野のトップジャーナルとは思っていない*2が、Review of International Studiesはトップジャーナルだと思っている。いやでもそういう方向性では就職できないと言うならば、見る国を変えれば全然そんなことはないことは上記の通りだし、APSRを読んでいないなら政治学者ではないと言うならば(さすがにそんな人はいないだろうけど)、そんな了見の狭い学問はこっちから願い下げだが、まあ言ってしまえばイギリス・ヨーロッパなどでは政治学と国際関係論は、関連のある別の学問という程度なので実際に私は政治学者ではないのかもしれない。

要するに、私はみんなやりたいようにやればよいのでは、と思う。私も普通の人間なので、人の研究がつまらないと内心思うことは正直あるが、別にそれを当人に言う必要はない。英語で書けば読者は増えるよな、とは思うが、日本語で書かないとアプローチできない読者層だっているのだろう。何事も、diversity and inclusionが大事だ。マナー講師じゃないのだから、他人の家に入っていって生活指導をする必要はないだろう(マナー講師もそんなことはしないか・・・)。

例えば上記のような「メインストリーム」の方向性を志して、アメリカでやっていきたいという人がいれば、それはもう go for it 以外の言葉が浮かばない。そういう方面でお手本になる人は既にたくさんいらっしゃるし、発信も多くされているので、情報には困らない状況が既にできているだろう。だけど私が個人的に最近危惧しているのは、留学したいし英語で研究もしたいが、アプローチは質的・歴史的というような学生が、自分には日本に留まるのか、アメリカに行ってバリバリAPSR的な研究をやるのかの二択しかないと思ってしまうのではないかということである。実際には「第三の道」があるにもかかわらず。

質的研究、歴史研究、地域研究をやって、英語でハイレベルな媒体に研究を発表することは当たり前に可能であり、そういう人は既に結構たくさんいる。こうした研究を志向して留学したいと思う院生や学部生が、自分を曲げなければいけないと思い込まないように、今後私自身が、周囲とも協力しながら「こういう道『も』あるよ」という「布教活動」をしていかなければいけないのかな、と思っている。自分も日本で修士をやっていた頃は、周りの人とやっていること、やりたいことが違いすぎて「本当にこれでいいのかな」と思い続けていた記憶がある。なので、これから微力ながら、私が進んでいる(途上の)道について、できる範囲で「道案内」をしたいと思う。まあ結局は、他人が何をやっていようと自分はこれをやる、というくらいの頑固さとこだわりが必要、という話になるのかもしれないが。私も別に自分がやっているようなことをみんながやるべき、とは全然思っていなくて、というか人と違うことをやるのが好きなので、みんながやり出したら興味を失ってしまうかもしれない。来る者拒まず去る者追わず、mind your own businessでいきたい。

12月に入ってから、どんどん寒くなってきた。今夜は鍋にしようと思う。

 

*1:International SecurityはIR全体を扱っている雑誌ではないのでここには入れていない。

*2:私も長らく読んでもいなかったが、少し前に編集チームが変わってから、色々な意味で多様性を重視するという方針になり、実際に質的研究で出版される例も出てきたので、多少読むようにはなった。

Twitterが終わったらブログで会おう

Twitterがもうすぐ崩壊するかもしれないという話がにわかに現実味を帯びてきて、フォローしている海外の研究者の中にはMastodonという別のメディアに移動するという人もちらほら出てきた。かと思うと日本の政治学界隈では、そんなことなどどこ吹く風でまた方法論やアプローチの話で恒例の対立が繰り返されていて、変わらない日常の価値とは何かを教えられる。

Twitterを実名で仕事用アカウントとして使い始めてからもうすぐ5年が経つ。Twitterというのはあまりの手軽さと反応の即時性からついつい何か言いたくなってしまうのだが、それに気を許して意見を投稿してしまうと、そのあまりの手軽さと反応の即時性からついつい何か言いたくなってしまった他人の貴重なご意見を頂戴することになり、またこちらもついつい何か言いたくなってしまうという無限ループに入ってしまうのが危険なようである。中には本当に重要な問題提起を、考え抜いた上でしている人もごく少数いるわけだが、私にはまだそこまでの自信もリスク許容度もないので、Twitterでは基本的に仕事上の報告と、人畜無害な小ネタとブログの転載しか投稿しないことにしている。

それでもTwitterを使い続けているのは、やはり研究上の情報収集やネットワーキングに非常に役立つからである。誰かが出した論文の情報が、雑誌のアカウントからも著者のアカウントからも流れてくるし、自分の論文について投稿したツイートが知り合いでもない研究者にリツイートされたりいいねされたりして、どんどん読まれるようになる。会ったこともない研究者がTwitterを通じて自分のことを認知してくれていたりする。こういう媒体は今のところ他にないので、そういう意味ではTwitterにはなくなってほしくない。

一方で、自分が何か思っていることを思っているように書く場という意味では、私はTwitterを今のところそのような目的には使っていないので、まあそれがなくなっても別に痛くはないかなという気がする。入ってくる情報量は少なくなるだろうが、不要な情報が流れてこないのはかえって望ましいのかもしれない。フォロワーの中で一番多いのは、私が知らない人が使っている日本語の匿名アカウントだと思うが、知らない人なので別にそれがなくなっても何かを感じることはないだろう。問題なのは(海外の)研究者との仕事上の繋がりが消えてしまうことだけで、それ以外は特に惜しくもないということになる。

そして何より、好き放題に書く場として私には5年来続けているこのブログがある。別に大した読者数がいるわけでもないが、意外に自分の知り合いの知り合いくらいの範囲で認知してもらっていることもあるようで、それくらいの規模感が心地良いのかなとも思う。完全に外向きのことはもっとフォーマルな書き方で書くし、完全に内向きのことはネット上には書かない。普段考えていることの中で、これくらいなら外に出してもいいかなという程度のことを、たまに書いてみる。ブログとはそのくらいの付き合い方ができる都合のよい媒体である。

だから、Twitterが終わったらまたブログで会おう。

 

イギリス企業との仁義なき戦い

日本に帰ってきてから1ヶ月半あまりが過ぎたが、国を越えた引っ越しというのは大変なもので、5年間で溜まった荷物や家具などを整理するのも一苦労だったし、5年間住んでいなかった国で新たな生活を立ち上げるのもなかなか骨の折れるものだった。

不動産屋との戦い

私がロンドンの部屋を引き払ったのは8月の末であったが、今頃になってようやく解決した問題がある。デポジットの返金である。ここで言うデポジットとは日本で言ういわゆる敷金のことで、賃貸契約時に一時的に支払わなければならないが、大きなダメージなどがない限りは退去時に返金されるお金である。ちなみにイギリスには日本の謎ガラパゴス慣習である礼金はなく、仲介手数料も大家からもらうことになっているので借り手は払わなくていい。

私の場合デポジットとして契約時に1500ポンド払っていたのだが、部屋を退去した直後に不動産屋からinventory reportという、家の家具や壁や設備の詳しい状況報告が送られてきて、それに基づいてデポジットの返金額を後ほどお知らせします、というメールが来た。しかし待てど暮せどそこから一向に先に進まない。帰国前後は私も大変忙しく、返金のことをあまり考え過ぎるとストレスになるので棚上げしていたのだが、1ヶ月もメールを無視され続けたところでさすがに堪忍袋の緒が切れて、10日以内に返事がなければ、仲裁機関に訴えるという通告を送った。

デポジットは日本の敷金同様揉め事になることも多いらしく、その仲裁機関が存在していて(というかデポジットの管理をしているのが中立の機関で、そこに訴える)、金額などで意見が一致しないときはそこに訴え出て仲裁を受けることができるようになっている。一向に連絡がないのでこのままでは返金が受けられないと思った私は、それがどれだけ効力があるのかは分からないながらも、上記のような「脅し」を送ってみたのである。

しかしその後も一週間返事がなく、期限が迫ってきたので、メールを諦めて直接電話してみると、なんと私のデポジットの手続きを行う担当者が最近退職し、手続きが棚上げになっているということだった。放っておけば一生何も動かなかったかもしれないのである。これには呆れた。イギリスのダメな企業というのは本当にダメで、こちらから相当強く言わなければ、それをいいことにいつまで経っても何もやらない。この点、その弊害はありつつも、日本の諸々の手続きというのは、やはり比較的スムーズである。(他方で日本のシステムは硬直的で融通が利かない、あるいはサービスのために働く人が多大なプレッシャーを受けているという面もあるが…)とにかく、この会社の対応はひどかった。

とにかくふざけないでくれという意味のことを言って、当初に設定した期限以上には待たないからそれまでに手続きを完了してくれと強く出ると、そこからは急ぎで対応されるようになり、数日後に無事デポジットが全額返金された。結果全額返金されてよかったものの、こうした本来戦わなくてもいいようなことについて戦わざるを得ないというのは、イギリス生活で消耗するところである。

まだまだあるダメ企業

イギリスのダメ企業の話は他にもいくつもあって、例えば私が契約していた電気会社だが、ここはある日突然400ポンドくらいの請求書を送ってきて、あなたは支払った額よりも電気を使っているので追加で払ってくださいと言ってきた。意味がわからなかったので問い合わせしたら、間違いだったと言ってキャンセルし、今度はなぜか数字上私が払いすぎていることになっていた。契約が終了したとき、最後のメーターの値を入力する必要があるのだが、以前の高額請求をされたときのメーター値がベースになっていたので、正しいメーター値を基準にして計算してくれと言ったら、最初そういうふうになっていたのだが、またある日突然300ポンドくらいの請求書が来て、案の定以前のメーター値をベースに計算していた。それに対してまた文句を言うと、再度調整されて払わなくてよくなった。呆れるくらいいい加減なのだが、こういうダメ企業はこちらが間違いを指摘すると意外なほどあっさり引き下がったりする。結局ミスを防ぐためにコストをかけるよりも、ミスがある前提でそれを言われたら修正する、という方がある意味合理的なのだろう。

実は大学事務もかなり壊滅的で、オックスフォードやケンブリッジの場合、カレッジの事務は対応も早めである程度優秀なのに対し、学部の事務は返信が非常に遅かったり対応が悪かったりすることが多い(もちろんそうでない人も沢山いるのだけど)。これは多分カレッジの事務職員の身分が比較的安定しているのに対し、学部の事務は入れ替わりが激しく、待遇も悪いことが原因だと思うのだが、私が受けた被害は、2月に教えていた授業の給料が、8月になっても支払われない、というものだった。

事務担当者に何度連絡しても返事がなく、来ても2週間後とかで、ある時点で業を煮やして強い口調で言ったら、ようやく別の事務の人が代わりに手続きをやってくれて、それでその1ヶ月後くらいにようやく支払われた。イギリスから支払いを待っていたものがようやくすべて受け取れたのは、10月も半ばになってからであった。まあ本当に気疲れするものだが、こういうところから来ると、日本の大学事務の方々は本当に仕事の水準が高くて逆に驚いたりする。

私がイギリスで出会った中で歴代1位のクソ企業は、とある保険会社なのだが、その話は別の記事で書こうと思っていることと関わるので、また後日にしたい。