早速今回から、自分の大学院出願の記録を執筆していきたいと思うが、恐らく一連の記事はかなり長くなると思われるので、最初に私の基礎的情報と、出願全体の流れを記しておいた方が良いと思う。
- プロフィール
私は2015年に東京大学法学部政治コースを卒業した後、同大学院法学政治学研究科の修士課程に入り、国際政治と比較政治の間のような研究をして2017年に修士号を取得した。そして今年の10月からは、オックスフォード大学政治国際関係学部(Department of Politics and International Relations: DPIR)の博士課程(DPhil in International Relations)に進学予定である。博士課程の在籍期間は最短で3年であるが、4年が平均的な所要期間のようだ。
留学にあたっては、最初の2年間は経団連国際教育交流財団の大学院留学生奨学金とオックスフォード大学政治国際関係学部の奨学金を、後半の2年間はKDDI財団の奨学金を頂く予定である。
- 各種スコア
TOEFL: 115/120
GRE: Verbal 163/170, Quant 170/170, Writing 4.0/6.0
GPA: 3.7ぐらい(実際には東大はGPAシステムを採用していないのでこの数値自体はほとんど入力していない)
- 出願結果
多くの英米博士課程(あるいは修士課程も)出願者は、イギリスまたはアメリカ、どちらかの大学院に出願するのが通常だと思われるが、私の場合、アメリカで10校程度、イギリスで2校に出願し、アメリカで2校[1](ノースウエスタン大学・ブラウン大学)、イギリスで1校(オックスフォード大学)に合格して、その中から最終的にオックスフォードを進学先として選択した。後述のように、Ph.D留学の場合、受験校すべてに合格する人も、すべてに不合格となる人もおり(後者の方が恐らく多いだろう)、それが必ずしも「実力」(それが何かも定義できない)に比例しているわけではないため、この結果が成功なのか失敗なのかは判断に迷うところではあるが、個人的には不満足を感じながらも納得はしている。
- タイムスケジュール
博士課程での留学を思い立ったのは、研究者を目指すことを決定したのとほぼ同時期、つまり学部2年から3年のあたりであったかと思う。学部3年から4年次にカナダに交換留学していた際の志望理由書に、「大学院で留学する時に英語で困らないため」に留学すると記入した覚えがあるので、その時点で博士課程留学を考えていたのだろう。しかしこの時点では出願の仕組みや留学が果たして何を意味するのかなど、はっきりとしたことは何も分かっておらず(アメリカの大学で名前と位置を知っているのはハーバードとイェールぐらいだった)、実際に色々と調べ始めたのは、出願の1年前、つまり修士1年のあたりではなかったと思う。
以下表にして出願までのスケジュールを書き出してみる。
M1 | 秋頃 | 各大学のウェブサイトを回って情報収集、出願先を考え始める。 |
3月 | TOEFL受験、納得できるスコアが取れたので終了。 | |
M2 | 4月 |
GRE1回目受験、V159・Q169・W4.0 |
8月 |
GRE2回目受験、V163・Q170・W4.0 |
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夏頃 | 各大学のウェブサイトをもう一度見て回って出願先の選定にかかる。 | |
9月 |
志望理由書(Statement of Purpose:SoP)の下書きを書き始める。 |
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10月 |
志望理由書の添削を受け修正を重ねる。 |
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11月 |
フォームを埋める作業を続ける。 |
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12月 | 出願 | |
M2 | 1月 | ノースウエスタン大学合格 |
2月 | 同大学訪問、ブラウン大学合格、不合格通知も数多く届く | |
3月 | オックスフォード大学合格 | |
4月14日 |
オックスフォードから奨学金が出ることが決まり、進学決定。 |
[1] なお、シカゴ大学からはPh.Dには不合格だが修士課程には進学可能という奨学金付きのオファーを受けた。大学によっては修士課程には出願していない博士課程出願者に対してもこのようなオファーを出す大学もある(他にはコロンビア、NYUなど)。また、アメリカのジョージタウン大学とイギリスのLSEは、一応ウェイトリスト(補欠リスト、他に辞退者が出るとここから順次繰り上げ合格になっていく)になっていたが、どちらにしても進学するつもりはなかったので辞退した。(感覚的には辞退していなくても多分合格にはなっていなかったように思う。)