紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

輪ゴムメーカーが心配で朝も起きれない

5年間住んだイギリスから帰ってきたとき、トランクルームに保管していた留学前の荷物を新居に移して、久しぶりの対面をした。あれ、こんなのあったっけと思うような物や、逆に何でこれイギリスに持っていかなかったんだろうと後悔するような便利グッズを発見した。その荷物の中に輪ゴムがあった。

5年間も放置すると、色々な物の耐久性というのが分かるもので、例えば体重計に入っていた乾電池は見るも無惨なボロボロの姿に変わり果てていた。乾電池というものは長期間放置してはいけないらしい。

一方で輪ゴムの場合、天然素材のゴムを使っているし、ただでさえ使い続けていたら突然切れて我々の身体を打ち呪詛の言葉を引き出すものであるから、5年間も置いていたらすぐ切れるようになっているだろうと思っていた。

実際、箱から輪ゴムを取り出す穴の付近に入っていた輪ゴムは伸ばすとすぐに切れてしまうように劣化していたのだが、その部分だけ除いて使ってみると、意外なことにまだまだぜんぜん使える。こうして私は少なくとも5年以上前に購入した輪ゴムを未だに使い続けている。iPhoneが数年でダメになるように設計しているといわれるリンゴ会社などは、輪ゴムメーカーを見習った方がいい。

そもそも輪ゴムというのは1箱に500本も600本も入っているようなものであって、普通の人にとっては毎日何本も消費するようなものではないから、必然的に年単位で使われることになる。でも輪ゴムは価格の安い商品であり、普通の100gの箱なら2、300円で買えてしまう。

急に私は心配になった。輪ゴムメーカー、やっていけているのだろうかと。あんなに安くて長持ちする物を何百個単位で売っていては、商売にならないのではないかと。もしかしたら、必需品としての輪ゴムの供給を維持するために国庫から莫大な補助金が出ているのではないか、あるいは5個に1個は掴んだ瞬間に切れるようにできているのではないかと疑ってしまう。

もっとも、そもそも輪ゴムを何百個単位で売るのが普通、という発想は輪ゴムメーカーが自分で決めない限り誰も外部から決めつけることはできないはずで、そういう意味では自分の首を絞めているのかもしれない。もしかしたら、「今日輪ゴム、終わっちゃったんすよ。明日また並んでもらえば、もしかしたら10個くらいなら買えるかも。値段はちょっと張りますけど、うち月賦もできるんで。」みたいな世の中を実現できたかもしれないのに、もったいない。

いずれにせよ、我々に大量の輪ゴムを安価で提供してくれている輪ゴムメーカーを少しでも助けるためには、むしろ5年も放置していた輪ゴムを箱ごと新しいものに買い替えてしまって、売り上げに貢献した方がいいのではないかという考えが頭に浮かぶ。

しかし一方でやはり環境的な観点から考えると、限られた天然資源を有効に使うには、切れない限りは個々の輪ゴムを捨てずに使い続けるべきではないかとも思う。これは誰にも知られたくないことなのだが、所属先で私はなぜかSDGs研究ユニット長なるものをやっている(やらされている)ので、その観点から見てもやはり望ましくない。実に悩ましいことだ。そんなことをつらつらと考えていても夜はちゃんと眠れるが、朝は寒いのでなかなかベッドから出られない。

そんなわけで私は今日も、輪ゴムメーカーの将来を憂いながら、ポテトチップスの袋を縛るのに使っていた輪ゴムをハリボーの袋に再利用している。