紅茶の味噌煮込み

オックスフォード留学記

犬も歩けば犬に当たるか?

犬派猫派論争というものがある。人々の選好を明確に二分することが可能であると信じる楽観的な思考の持ち主が、飲み会の席で一通り話題が出尽くした後、お代わりのウーロンハイを頼みつつ持ち出す、アレである。

個人的には、そもそもなぜ犬好きと猫好きが同一直線上の両端に位置づけられると考えられるのかまったく理解に苦しむが(私は紛う方なきペンギン派である)、政治学者もハト派タカ派などと意味不明な二分法を用いているので残念ながら人のことは言えない(?)。 

そんなことを朝9時のベッドの中で活動開始を先延ばしにするために考えているとき、ふと疑問に思ったのだが、犬というのは自分を犬だとどのように認識するのだろうか。そして、種類の違う他の犬を自分の同族だとなぜ認識できるのだろうか。いや、まあ「犬」というのは人間が勝手に付けたラベルであるから、もう少しニュートラルな表現を使った方がいいかもしれない。犬が犬を認識する概念として、仮に"qarw/?eq"%$jgosr"とでもしておこう。qarw/?eq"%$jgosrはなぜ自分がqarw/?eq"%$jgosrだと認識できるのだろうか。うーむ、面倒くさいので以下便宜上「犬」としよう。

昔小学校の友達の家に、ミニチュアピンシャーという品種の小型犬がいて、甲高い声でキャンキャン吠えて追いかけてくるので私の天敵だったのだが、例えばこの犬とセントバーナードが道で会ったとき、彼らはお互いを同族と認めることができるのだろうか。犬というのは特に、長年の品種改良(?)の結果、姿かたちが多様化しているし、例えばポメラニアンは、同じ犬であるシベリアンハスキーよりも、明らかにタヌキの方に似ているではないか。むしろあれはタヌキではないのか。

そもそも、犬は鏡に映った自分を自分だとは認識できないと聞く。自分がどんな姿をしているかさえ分からないのに、他人(他犬)が自分と同じ種類であるとなぜわかるのだ。匂いに鍵があるとかいう話もどこかで聞いたような気がするが、どうなのだろう。

また、多くの犬は人間に抵抗なく寄っていったり舐めたりするが、これも理解できない。鏡が見えなくても自分が四足歩行で毛に覆われていて、目線が低い生き物であることぐらいはわかるだろうから、わずか二本の足で立っていて毛もなく、なんだか上の方の空気を吸っている変な生き物に触られたりしたら気持ち悪くて逃げ出したくならないのだろうか。私なら逃げ出す。

まあ、こういうのは、詳しい人から見れば当たり前の答えがあるのだと思うが、専門外の知識にたどり着くのは門外漢には往々にして難しい。そのうち勉強してみたい。

ところで皆さんは、ビール派だろうか、それともワイン派だろうか。