紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

夏の始まり(と終わり?)

先週の後半から週末にかけてはものすごく良い天気が続いた。驚くべきことに日中の最高気温が25度近くを記録し、街は半袖の男女であふれ、芝生という芝生が日光を逃すまいとするオックスフォード住民によって占拠されていた。なかには日光を効率よく浴びるために身体の表面積をできるだけ大きくしようと日頃から準備していたと思われる用意周到な人たちもいて感心した。

オックスフォードにはUniversity ParksとPort Meadowという2つの巨大な公園があるのだが、後者の端っこにはPerchというパブがあって、緑を眺めながらビールを飲める人気の店となっている。しかしそこにたどり着くには公園の中を20分ほど歩かなくてはならず、前日あるいは当日に雨が降ると足元はぐちゃぐちゃにぬかるむので、そうそう簡単に行けるわけではない。しかし先週末は幸いにもよく晴れた日が何日も続いたので、友人たちと散歩を兼ねてこのパブに行ってきた。

普段は人もまばらな公園は、いったいオックスフォードのどこにこんなにいたのかと思うほどの人で溢れかえっており、若者がグループに分かれて、酒を飲んだり音楽をかけたりして思い思いに楽しんでいた。まあ平和といえば平和な光景なのだが、あたりにマリファナの匂いが立ち込めていて、彼らが去った後にはゴミが散らばっていたのには少々閉口した。といっても、日本でも、花見の後の公園はなかなか悲惨なものなので、特にこちらの人がマナーが悪いとは言えない。

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この川はあまり水自体は綺麗ではないのだが泳いでいる人がいて、阪神優勝時の道頓堀川の様相を呈していた。

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トンネルを抜けると・・・

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そこは穴場的パブ、The Perchであった。

しかし、この記事を書いている今は、雨がしとしとと降り続き、10度台前半の中途半端な気温に逆戻りしている。ほんとうにつかの間の夏であった。次にあのような気候になるのは果たしていつだろうか。

この一瞬の夏を経験して思ったのは、いかに天候が人の気分に強い影響を与えるか、ということだった。信じられないほどの好天候が続いた数日の間は、朝起きると明るい日差しがカーテン越しに指していて、カーテンを開けると真っ青な空が目に飛び込み、一歩外に出れば夏の香りが街に満ち満ちており、何も特別なことをしなくても気分が浮き立った。とはいっても、気候が悪かった時期も別に気持ちが落ち込んでいたわけではないのだ。別に普通に過ごしていた。しかし、数日晴れただけでこんなに気分が良くなることを考えると、実は気づかないうちに気候は精神に対する負担になっていたのではないかと思えた。これは冬から春、夏への変化がゆっくりと進行している場合には大して意識しないのかもしれないが、今回のように急激な変化が起きると、はっきりと気分の違いが分かるのだ。

人生の選択をする時は、環境面をゆめゆめ軽視しないようにしたいと思わされる経験だった。

 

ティッシュペーパーが異常に高くて硬いこの国で

前回はかなり真面目なことを書いて、今までで一番反響があり、驚くと共に嬉しかった。そこで今回も何か有意義なことを書いてブログの読者を繋ぎ止め、あるいは増やしていこうという欲に駆られそうになるが、そうは問屋が卸さない。今回は誰が見てもどうでもいいようなことを書くのだ。

タイトルが今回の記事の内容を端的に表している。要するにイギリスはティッシュが異常に高くて異常に硬いということを言いたいのだ。何をしょうもないことをという反応は至極もっともだが、一般に人の苦しみというのは当人にしかわからないものであって、それを外野が取るに足らないとか自分の方が苦労したとか言うのはとんでもないナンセンスである。まあでも今回に関しては別にどうでもいいのでそうした反応も許そうではないか。ついては寛大な心の持ち主として永く記憶して頂きたい。

この時期、日本在住の皆様におかれては、花粉という植物の非効率的な生殖活動によって大いに頭と目と鼻と喉を悩ませているに違いない。海外に行けば花粉症にならないと思っている人も多いかもしれないが、世の中そんなに甘くはない。確かに日本よりは軽い場合も多いと思うが、こちらでも、持っているアレルギーの種類によっては花粉症が発症しうるのである。詳しくはこちらを参照。 

tg.tripadvisor.jp

何らかの花粉によって、私も現在寝起きは少し目が痒かったり、鼻水が出たりする。となると重要なのが、ティッシュである。ティッシュの質が悪いと鼻が荒れる。逆にティッシュの質が良いと花粉症さえも美しい日常の一コマと化す。それほどティッシュは重要である。

しかしイギリスのティッシュは異常に硬いし異常に高い。硬さを言葉で伝えるのは難しいが、例えば最もメジャーなスーパーであるTescoで一番安いティッシュを買うと、これを鼻に入れるのは段ボールを鼻に入れるのと同じようなものである。まあそれは言い過ぎにしても、本当にごわごわでがさがさでこれがティッシュだとはおよそ思えない。ティッシュを定義せよと言いたい。その上そんなものが1個1ポンド近くしたりする。日本のように4個パックで298円、というのではなくて、1箱で100円以上するのだ。

しかもこれは最低級のものの話であって、より質の高いティッシュともなると1ポンドでは済まない。イギリスで売られているティッシュの中で、自分が試した結果唯一花粉症であっても使用に耐えうると判断できるのは、KleenexのUltra Softである。これは鼻セレブほどではないにせよ、日本で売られている一般的なティッシュ程度には柔らかい。驚くのはその価格で、一度ドラッグストアでこれを1箱買ったときは、1つ2ポンド以上した。つまり1箱で300円以上。日本なら4、5倍の量が買える。衝撃であった。

なぜこんなにイギリスではティッシュが硬くて高いのかについて考察するほどの時間はないが、目下の悩みは、価格を優先して鼻を鍛えるのか、健康を優先して価格を我慢するのかということである。たかがティッシュ、無論多少高かろうが買うことはできる。しかしこの国で生きていきたいのならば、この硬いティッシュを甘んじて受け入れ、訓練の末に「イギリスの鼻」を手に入れるべきではないのか。それが異国で生きるということではないのか。そんな葛藤に悩まされ、Amazonの注文ボタンを押せずにいる。

 

文献ノートの取り方問題:日本語で取るか英語で取るか

論文は先行研究の積み重ねの上に成立するものであって、論文を書くには論文や本を読まねばならない。そして読んだ文献を引用しなければならない。分野や引用形式にもよるだろうが、「~ということが従来言われてきた(Takahashi 2010; Tanaka 2011; Suzuki 2013)」みたいな引用方法の場合は、最低限大雑把にその論文が何を言っているものか覚えていればいいとしても、直接引用をする場合やもう少し詳しい議論の内容を引用するなどという場合には、論文の内容について詳しく記録を取っておかないと書く時に出典を探してあたふたすることになる。そこで文献ノートを作成する必要が出てくる。

しかしどうやって文献ノートを作成すればいいのかということは、大学の授業では普通教えてくれない。少なくとも自分の場合、大学院に行ってもそういうことを誰かから教えてもらったという記憶はない。ではみんなどうやっているのかということは自分にも分からない。知りたい。なので今回はまず自分がどういう風に文献ノートを作成しているのかを公開して、他の人の反応を待ちたいと思う。

色々と試行錯誤してきて、一応自分にとって論文を書く上でどういう情報が必要になるのか、ということは大体わかっている。自分の流れは、重要だと思う箇所に線を引きながら文献を読む→読み終わる→Evernoteに線を引いた部分をメモする、というもので、ページ数は必ず記録するようにしており、内容もできるだけ原文に忠実に載せるようにしている。手間はかかるが、どうせ一回読んでもすぐに忘れてしまう文献の内容を後日参照するには、重要な部分をできるだけ見やすい形で詳細に記録しておく必要があると思う。

ちなみに、文献ノートの作成に使用しているEvernoteとはこちら。おそらく研究者界隈ではこれを使っている人が比較的多いのではないかと推察するが、もっと便利なものがあればぜひ知りたい。というか、こういったサービスが無かった時代、もっと言えばパソコンが無かった時代にはどうやってノートを取っていたのか、想像するだけで恐ろしい…。便利な時代に生まれてよかった(?)。

だが、最近ノートの取り方に大きな変化があった。日本語から英語にノートを切り替えたのである。自分が普段読む文献は基本的にすべて英語で、日本語の文献を読むことはかなり稀である。そのため、ノートを日本語で取るというのは当然のことではない。というのも、日本語が母語で英語が母語でない自分のような人間にとっては、日本語でノートを取った方が、後日参照する際にぱっと見て理解しやすいという面がある一方、日本語でノートを取るには英語の原文を訳さないといけなくなり、余計な時間がかかってしまうという問題がある。つまり、ノートテイクの時間と、後日の理解にかかる時間がトレードオフの関係にあるのだ。これをいかに解決するかというのが悩ましい。

従来は、やはり現在の苦労を忍んで未来の自分を楽にしてやろうという殊勝な心であくまで日本語でノートを取っていた。例えばこんな感じ。

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これは大事な文献だったのでかなり細かくノートを取っている方だが、大体これが従来の自分のテンプレート。ページ数を書き、内容を書き、特に重要だと思う内容は太字にする。内容の日本語は、ほぼ原文の逐語訳になっていると思われる。多分日本語がおかしいところが結構あると思うのだが、さすがに清書している時間がもったいないのでそれは基本的に放置するようにしている。どうせ原文は英語であり直接引用には使えないので、内容が大まかに分かればよくて、引用するときは原文を参照すれば良いのだ。

しかし、渡英後、読む文献の量がさらに増える中で、これをやるのにかかる時間が惜しくなってきた。そこで、迷ったのだが結局、とりあえず期間限定で英語でのノートテイキングに切り替えることにした。その結果以下のようになった。

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ページ数を書いて、内容を書いて、特に重要な部分を太字にするという構成は変わっていないが、内容の部分は英語の原文をそのままコピー&ペーストすることにした。文章を引用する時にいちいち原文を参照しなくてもここから切り貼りできるのと、翻訳している時間が圧倒的に削減できるためである。ただその結果、コピペが楽なので、そこまで重要でないことでも一応載せておこうということになって、日本語の時よりも内容が増えて分かりにくくなったかもしれない。そして何より、やっぱり自分には日本語と比べて、パッと見たときに頭に入って来にくい。「確かあの文献にこんなことが書いてあった」というときに、最初からノートを読んでいかないと目的地にたどり着けない可能性が高い。後からかかる時間が増えてしまったわけである。

そこでまた考えた結果、「英語の抜き出しの前に、日本語の見出しを一言つける」という苦肉の折衷案を取ることにした。このような感じ。

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これが自分の現時点でのノートの取り方についての1つの答えである。見出しを付けることによって、その部分が何についてなのか、雑にでも分かるようになった。一方見出しを付けるのにかかる時間は、一言一句訳している時間に比べれば圧倒的に短いので、日本語でノート全体を作成するよりもかなり時間の削減にはなる。しかしこれはとりあえずの局所最適解でしかないので、そのうちもっと良い方法を思いつくかもしれない。それより何より、他の人がどのようなノートを取っているのかぜひ知りたいです。きっと自分のやり方よりもよっぽど効率的でかつ実用的なやり方があるに違いない!

一応、以下にまとめとして自分が文献ノートを取るにあたって気をつけている点について箇条書きでまとめておきたい。

 

自分なりの工夫

  • ページ数を必ず記入する。後で引用する時のため。
  • 見出しを日本語で書き、内容を元の英文からコピー&ペーストする。
  • 特に重要な部分を太字にする。
  • Abstractがある場合は、そこのコアの主張と結果の部分を抜き出してノートの最初に載せておく。後で見直したときここだけ読めば大要がつかめるように。f:id:Penguinist:20180404050550p:plain
  • 自分の気付きや反論などを、「改行+矢印」の後に書き入れておく。矢印の後の部分は自分の言葉、それ以外は元の論文の言葉という区分になるように。f:id:Penguinist:20180404050714p:plain
  • ノートの末尾に「文献」という欄を作って、その論文ないし書籍が引用している、重要そうな文献を記録しておく。f:id:Penguinist:20180404050428p:plain

 

本文化と論文文化

研究者として、研究成果を発表して世に問うのは最も中心的な仕事である。自分も良い研究をして、できるだけ多くの読者を獲得したいと思っている。だが、その研究をいかなる媒体で発表するかという点においては、分野やアプローチによって大きな隔たりがある。具体的には、大きく分けて本文化と論文文化という2つがあるように思う。

例えば自然科学において、最新の研究成果が書籍として発表されることはまずあり得ないだろう。本になるのは教科書か、一般向けの概説書くらいなもので、あとはすべて雑誌への掲載が研究発表の媒体となっているはずだ。

人文社会科学の多くの分野では、本文化と論文文化が混在していて、どちらも発表先として重視されている。ただ、経済学などは自然科学に状況が近く、専門的な研究成果が本として出版されることはほとんどないという。他の分野については、その度合いに差があって、例えば政治学社会学などでは、博士課程の在籍中にも(量より質とは言われるが)論文の出版をすることが望ましいと考えられているし、博士論文の代わりに3つの雑誌論文程度の長さの論文を提出することで博士号を取得できる制度が多くの大学で整備されつつあり、オックスフォードでも一部の院生はこれを利用している。他方で、博士論文を書籍として出版するのが目標であり最初の成果であるとされている分野も多いだろう。

自分の観測する限り、政治学においては、まだ多数派的見解では「博士論文を提出した後、数年後に書籍として出来るだけ良い出版社から出版する」というのがゴールとされているような印象を持っている。論文を出すのも推奨されているが、それには必ず「沢山のそれなりの論文よりも、1つの素晴らしい論文の方が上」という留保が付けられる。そういう場合、本文化と論文文化の折衷案(?)として、本の出版に先駆けてまずその内容を切り取ったものを雑誌論文として投稿する、というパターンがよく見られる。もっとも、方法論を専攻する人やかなり高度な計量分析を使用する研究をしている人にとっては、これは当てはまらないだろう。そうした人々の多くがモノグラフではない論文ベースの博士課程をやっており、書籍の出版は眼中にないと思われる。

特にこの話にオチはないのだが、自分の場合は、やはり今後数年の目標として、博士論文を提出した後、それを良い書籍にしたい、というところに大きな目標がある。その過程でもちろん論文は出すだろうが、それはあくまで露払いであって、本番は書籍だ、という価値観を持っている。そういう意味では、自分は本文化に近いところに位置しているのだろう。論文程度の分量で言えることは限られていて、本格的な研究テーマは書籍になるような分量が必要だと考えている。しかし論文は出さないといけないので、論文にする研究はそこまで広がりがないもの、あるいは大きなプロジェクトの一部ということになる(というほど今の段階で沢山プロジェクトを持っているわけではないけど)。

ただ、読み手としての立場からみると、上述の「今後書籍になるものの一部」という論文を読んでも、消化不良感を拭えないことが多い。本来300ページ程度の本になるもののエッセンスを30ページくらいにまとめているわけだから、スケールの大きさに反比例して細部は粗くなり、それだけ読んでも全体を把握できたという気にならない。本物はその次に出される書籍であって、論文を完結編としては見ない。そういう論文を読んでいると、ついつい、商家の店先で「てめえなんざ相手にしてねえ、主人を出せ主人を」と番頭に怒鳴る破落戸のような気分になってしまう(藤沢周平池波正太郎山本周五郎の読みすぎ)。

質的研究と量的研究が対立しながら分離しつつある現在の政治学の状況を見れば、いずれ政治学は投稿先の雑誌が別々になってしまうのみならず、媒体も前者が書籍中心、後者が論文中心という風に完全に2つの文化に分かれてしまうのだろうか、などということを最近考えていた。このようにアウトプットの仕方が多様な状況では、業績評価の基準も難しくなるだろう。他の分野の話も色々と聞いてみたい。

 

オックスフォードカレッジ紀行①:St. Antony's College

以前の記事で「これから色んなカレッジを順番に紹介していきます」などと言ったにも関わらず、結局その後1ヶ月近くも更新していなかった。というかブログの更新自体にかなり間が空いてしまっている。博士課程1年目の終わりに出す研究計画書のドラフトを春休み中に書き上げたいと思っていて、結構集中してやっているため、なかなかブログに手が回らず。

いずれにせよ、やっと今日思い立ったので、第一回、紹介するのが一番楽な自分のカレッジ、St. Antony's Collegeを紹介したいと思う。まず、名前はAntonyであってAnthonyではないことに注意されたい。他のカレッジの人も含めてあまりによくされる間違いだし、地図などにも誤記されているのを見かけたことがある。なお、頻繁にカレッジ入口の壁の"St. Antony's College"の字からAとnが剥がれ落ちるので、St. tony'sになってしまうこともある。Aとnがなくなった場合の対処法としては、お隣のSt. Anne's CollegeのAとnを剥ぎ取ってくるのが一番手っ取り早い。しかし、そもそもうちのAとnがなくなったのはSt. Anne'sに取られたからだという可能性も否定できない。

同カレッジは、1950年に、Antonin Besseというフランス人商人によって設立された、かなり新しい部類に入るカレッジである。歴史の長い有名カレッジとは違い、院生だけが所属できるカレッジで、かつ専門分野は社会科学と一部の人文科学に限定されている。なので比較的専門の近い院生が集まることになる。新しいカレッジは全般的に市の中心部から離れた場所に散財しているものなのだが、St. Antony'sもご多分に漏れず中心部よりはかなり北に位置している。スーパーに買い物に行ったりするには10~15分歩かなければいけない。

このカレッジが特殊なのは、カレッジ内に日本研究所、中東研究センター、アフリカ研究センターといった地域研究のセンターが設置されていて、国際関係論と地域研究に強い点である。手元にある資料によれば、現在政治国際関係学部に所属しているIRの博士課程76人のうち、24人がSt. Antony'sに所属している。カレッジは全部で38あることを考えれば、この割合がいかに高いかが分かるだろう。日本人研究者でもこのカレッジ出身の方は数多くおられて、ちょっと考えただけでも政治学関連で10人近く思いつく。 

専門分野を反映してか、非常に国際的で、イギリス人の割合は限りなく低い。学部生がいないのである程度落ち着いた雰囲気で、フレンドリーな人が多く、ソフト面では非常に満足できるカレッジであると思われる。もっとも、財政面ではあまり恵まれておらず、奨学金やグラントなども弱いので、その点ではあまり満足できないかもしれない。また、写真で分かるように、建物は図書館を除いて現代的で、いわゆるオックスフォードの通俗的なイメージとはかなり異なるだろう。というわけで、人が訪ねてきた時に自分のカレッジを案内する優先度はかなり低くなる。

というわけで以下写真集。以前に載せたものもあるかもしれない。

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中庭

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食堂

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コモンルーム

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唯一自慢できる建物、元教会の図書館

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マタタビ学の世界的権威