紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

学会ハシゴ紀行:LA→ホノルル→ナッシュビル

先月の下旬から昨日まで約2週間にわたって、2つの学会に出席するためにハワイとテネシーナッシュビルに行ってきた。数日毎に違うタイムゾーンに移動し、2週間も外泊するのはけっこう体力的にもしんどかったが、とても実りある時間だったので簡単に書いておこうと思う。

私は最初の対面国際学会が、PhD1年目の終わり(2018年)に行ったアメリ政治学会(APSA)で、それ以降コロナやら何やらがあって、一度も国際学会に行けていなかった。特に、2020年3月にホノルルで開催されるはずだったInternational Studies Association(ISA)は、とても楽しみにしていたのだがコロナで最初の学会キャンセルとなり、非常に残念に思っていた。

そういう事情もあって、ようやく少なくとも表面上は正常化しつつある今、行ける間に学会に行っておきたいということで、ナッシュビルで行われるISAに加えて、ハワイで行われるAASに応募したという次第である。ISAの方は出せばだいたい通るような感じなのだが、AASは個人で出すと採択率が低く、パネルで出すと高いということで、イギリスの日本研究関連の院生3人と組んで出すことになり、無事採択された。

出発できない

ただ、ハワイが大変なのは移動である。日本にいるとイメージが湧きにくいかもしれないが、イギリスとハワイはまあ日本とブラジルの関係にあり、要は地球の反対側なのだ。だから直接行こうとすると、20時間以上移動に費やすことになる。さすがにそれは嫌なので、ロサンゼルスで一休みしてからホノルルに向かうことにしていた。

しかし、出発初日からいきなりトラブルに見舞われた。いつも通りフライトの2時間ほど前にヒースロー空港のターミナル5に行くと、British Airwaysのチェックインカウンター前が大変な行列になっている。最初はまあ30分もすればチェックインできるかなと思っていたら、1時間経ってもほとんど進まない。私はオンラインでチェックインを済ませており、荷物を預けるだけなのだが、それでも同じ行列に並ぶ必要があり、抜け道がないままひたすらに時間が過ぎていった。同じような状況にある何十人のイライラが募るなか、なんとフライト時間の30分ほど前になって、係員が急に「LA行きの人たちは、もう間に合いません」と宣言したのだ。

今までフライトがキャンセルになったことは何度かあるが、チェックインカウンター前の行列のせいで飛行機に乗れないという馬鹿げた事態は初めてである。当然周りも意味がわからないという反応で、BAの社員に文句を言う人が続出したが、結局その後カウンターの外で1時間近く待たされた末に、明日の便に振り替えるから今日のところは帰ってください、と言われ帰る羽目になった。聞くところによると、BAはコロナ禍で大量の従業員を解雇したせいで、需要が戻ってきた今人員を確保できておらず、そのために今回のような混乱が発生したのだという。現在もこの問題は解決されていないため、今後しばらくヒースローでBAを利用する人はかなり早めに空港に行くことをおすすめする。私はその後乗るアメリカの航空会社の方をむしろ心配していたのだが、まさかBAに裏切られるとは思っていなかった。

LAからホノルルへ

アメリカ入国のためのコロナ検査を受け直したり、夜になるまで振替便の情報が来なかったりと、ストレスの溜まる一日を過ごしたが、翌日は無事アメリカン航空の便に乗ることができ、最初の目的地、LAに到着した。LAには、UCLA政治学社会学のPhDに在学している友人が1人ずついるのだが、後者が空港まで車で迎えに来てくれた。LAの滞在時間は24時間以内だったのだが、軽く近くを案内してもらった後、サンタモニカでその2人とシーフードを食べて、辺りを散歩したのは良いリフレッシュになった。

2人とも、以前は日本に帰国した際に時々会ったりしていたのだが、社会学の友人の方は日本人ではないので、彼女が日本を離れて以来会う機会はほとんどなくなっており、3年ぶりくらいに会うことができてよかった。LAはあまり観光する時間もなかったのだが、圧倒的な気候の良さを前に、ここで大学院生活を過ごしていたらどうだったかなー、などと考えさせられた。現実には、私のやりたいような研究をやっている人は西海岸の有力大学にはほとんどいないので進学の可能性はなかったわけだが、USC(南カリフォルニア大学)には少しいるので、いつか在外研究などで住んでみたいなと少し思った。

さて、息つく間もなく今度はホノルルに飛んだのだが、着いてまず驚いたのが、ホノルルのダニエル・イノウエ空港の古さと閑散とした雰囲気だった。私はハワイに行くのは初めてで、日本で流布している理想化されたハワイのイメージを先入観として持っていたのだが、その後も学会の空き時間に全然イメージと違うハワイを見て驚くことが多かった。どこまでがコロナの影響なのか分からないのだが、ホノルルのダウンタウンはかなり寂れていて、窓ガラスが割れていたり、空き店舗が多かったり、何らかの中毒を抱えているような感じの人が相当うろついていたりと、夜には来れないなという雰囲気だった。ワイキキはさすがに栄えているのだが、それでも空いている店舗がちらほらあったり、お土産を探しに行こうと思った雑貨屋が軒並みなくなっていたりした。また、そもそもワイキキは相当に商業化された感じで、あまりローカルな面白さのある場所はなかった。

ただ、自然の美しさはさすがなもので、ビーチはとても綺麗だったし、ダイヤモンドヘッドからの景色は比類ないものだった。意外にもビーチはそんなに混雑しておらず、のんびりと過ごすにはちょうどよい。ノースショアの方のビーチに行くと普通にウミガメがいてびっくりした。もし次回ハワイに行くなら、他の島かオアフ島の他の地域に滞在したいものだ。

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ダイヤモンドヘッドからの景色

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LAからホノルルの飛行機には、米軍の若い軍人がたくさん乗っていて、これからホノルルでの勤務を開始する、というような話をしているのが聞こえた。島を巡る中でも、基地や軍用地に出くわすことが多く、またイオラニ宮殿などに行って植民地化前後のハワイの歴史などを聞きかじっていると、観光地化、基地、併合、などといった要素で沖縄とハワイには共通性が多くあるように思った。次の次の単著プロジェクトでは沖縄について扱いたいと思っているので、ハワイとの比較も含めてその際にまた詳しく勉強したい。

ハワイで出席する学会は、アジア研究学会(Association for Asian Studies)で、正直私がメインとする学会ではなく、またこの時期の学会の常で、キャンセルが相次いでおり、あまり学会自体は活発なものではなかった。私にとっては次のISAが「本番」であり、AASの方は前哨戦という感じだった。それでも自分の研究は発表したし、Twitterでフォローし合っていた人と初めて対面で会ったりと、それなりに意義のある機会ではあった。

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AASのオープニングレセプションは屋外

ISAは楽しい!

一週間弱のホノルル滞在を終えると、次はテネシー州ナッシュビルに移動して、ISAに出席した。学会がなければナッシュビルという場所には一生来なかったと思うが、学会の開催地は郊外の何とも奇異なリゾートだった。Gaylord Oprylandという名前なのだが、巨大なホテルや会議場の全体が温室のようにドームに覆われていて、中は植物園になっており、人工の川が流れていたり滝があったりする代物で、中にいると、ここは世界の終末にあたって富裕層だけが逃れてきた核シェルターではないか、というような錯覚を覚えた。ダウンタウンからは離れていて、周辺にはほとんど何もないため、中で食事をせざるを得ないのだが、レストランのオプションが少なく、しかも物価がバカに高い。何が悲しくてこんなところでホリデーを過ごすのか、と私は思ったが、けっこう繁盛しているようなのが不思議だった。

しかし肝心のISAはめちゃくちゃ楽しかった。学会が楽しいものだという観念はあまり日本にはそぐわないかもしれないし、私もあまりそういうイメージは抱いていなかったのだが、ISAは非常に楽しい。何が良かったかというと、まず久しぶりの友達や知り合いにたくさん会える。オックスフォード→ケンブリッジと移動していると、両大学の出身者に知り合いがかなりできるので、色んなところに散らばっている彼ら彼女らと再会できるのもいいし、そこからまたネットワークが広がっていくのがさらにいい。他大学の院生やポスドクのような若手もたくさん来ていて話しやすい。また、毎日多くの分科会が夜にレセプションを開催しており、そこでは飲み物や食べ物が無料である(重要)。自分の所属している分科会のものに行けば、関連する分野の研究者と知り合うこともできる。

もちろん、初対面の人とその場で簡単な話をして、その後も続く「ネットワーキング」ができるほど世の中簡単ではないので、ここで行われているのは、「種まき」とその収穫である。どういうことかと言うと、まずここで初めて会う人とは、お互いの存在を軽く認知して、極めて緩く繋がったり、繋がらなかったりする。もしかしたらもう二度と会わないかもしれないが、もしかしたら数ヶ月後、相手が書いた論文を目にするかもしれない。あるいは、1年後のISAでまた出くわすかもしれない。そうしたとき、「あ、去年レセプションで会いませんでした?」という話になる。すると今度は、もう少し深い話をするようになり、それが繰り返されると、友達や広義の同僚と呼べるような存在になっていく。逆にその後一切出くわすことがないようなら、別にその相手とは(プロフェッショナルな意味で)ネットワーキングする必要がなかったということであり、それはそれで問題ない。

また、特に相手が自分よりもシニアである場合、レセプションで突撃してもまともに取り合ってもらえる可能性は低い。だが、自分のシニアな知り合いがその人に自分を紹介してくれれば、こいつの話を聞いてもいいと思ってもらいやすくなるだろう。既にいる知り合いというのは過去の「種まき」の結果であり、それがまた新たな収穫を生んでいくのである。博士課程の間は、あまりそういったネットワーキングができている感覚がなかったが、ポスドクになってから、特にケンブリッジの気さくで親切な教員たちのおかげで、また自分がHistorical International Relationsというアイデンティティを持つ分野を定めたことで、急激にネットワークが広がりつつあることを感じている。アカデミアは実力主義のイメージが強いが、実際には良くも悪くもとんでもない縁故主義の世界だと思う。前述のようにネットワークとは一朝一夕にできるものではなく、継続的な努力が必要で、私はまだその入口に立ったにすぎない。

今回の学会で一番の収穫は、自分の発表ではなく、某University Pressの某シリーズのエディターをやっている先生と会うことができ、自分のbook proposalに非常に好意的な反応をもらえたことである。博士号を取ってから1年が経ち、そろそろ出版社にコンタクトを取るべきだと思いつつ、一回トライすると二回目はないので、万全を期したいという思いから先延ばしにしていたが、今回ISAに行くからということでようやく重い腰を上げて動き始めた。まだまだ先が長いプロセスなのだが、とりあえず査読に出してもらえるところまではいけそうな見込みができて、非常に嬉しい。去年は博士号を取った以外はあまり運のなかった年だが、今年は今のところいい感じに進んでいる。このまま出版までたどり着けるように願う。

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ナッシュビルダウンタウン

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Post-apocalyptic nuclear shlterことGaylord Opryland