GW明けにイギリスに来てから早くも2ヶ月が過ぎ、日本に帰国してしまった。
この2ヶ月を振り返ってみれば、特に最初の数週間は色々と詰め込みすぎた感もあって、怒涛のように過ぎ去っていった印象がある。来て早々にケンブリッジの研究会に行き、オックスフォードに戻ってきて生活のセットアップをし、色んな人と再会しつつロンドンにも何度か足を運んだ。5月末にはウィーンでワークショップがあり、6月半ばにはクロアチアで学会があった。
ブックトークはこちらから頼む
英語圏では本を出したら色々な大学に出かけていってブックトーク(本の宣伝を兼ねた講演)をやる場合が多い。私は漠然とそういうものは人に招待されて行くのだと思っていたから、どこからか声がかかるかなとただ待っていたのだが、いくつか招待は頂いたものの、せっかくイギリスにいるのにイギリス・ヨーロッパではそんなにではなかった。
それもそのはず、もう少し早く気づくべきだったのだが、ブックトークというのは知り合いを中心にこちらからお願いして招いてもらうのが普通で、ネットワークと積極的な運動が物を言う代物だったのだ。
もちろん私は英語で本を出したことがなかったので、そういった文化についても承知しておらず、イギリスに来てからそれを知って慌てて準備をすることになった。到着したのが学期の途中ということもあり、既に多くの場合その学期のセミナーの内容は決まってしまっていたためなかなか思うに任せなかったが、何とかSOASとオックスフォードで行うことができた。秋にもう一度一瞬戻ってきて1つ2つトークを行うかもしれない。
とはいえ、既に博士から数えれば7年、修士から数えれば9年もやっているプロジェクトについて話すのは、さすがに少々飽きてきた感もある。
再体験と喪失感
やっぱりオックスフォードに戻ってくると、半分忘れかけていたものも含めて、博士課程の色んな記憶が蘇ってくる。建物や通りの一つ一つに何らかの思い出があり、そこを通ればその場所に結びついた感情までが思い起こされる。そのうちに現在と過去の境界線が曖昧になってきて、「戻ってきてどう?」と聞かれると "I feel like I never left." などと答えるようになっていた。
でもまあ当然、何もかもが新鮮であった博士課程の前半や、自分の実力を証明しようともがいていたそれ以降の時期と完全に同じ気持ちであるわけはなく、やはりあの時期はもう過ぎ去ってしまったのだというか、同じ場所にいても私はもう同じではないという、諦めに似た感情が高揚に水を差す。
当時の自分から見れば、業績や就職の意味である程度目標を達成することもでき、だいぶ先には進んでいるのだとは思うのだが、前に進もうとしていた渦中こそが、一番楽しかったのかもしれないなとも感じるところもある。それは当時も想像していたのだけれど。
帰国にあたってこちらで買ったモニターを売ったのだが、売った相手が修士の学生で、その人とスモールトークをしていると、自分にもこんな時期があったなあ、などと年寄りめいた感傷を抱いてしまった。
もっとも、時期がまだ比較的近いから余計にそういった懐かしさを覚えるのかもしれない。その点、例えば40年ほども前に人生で唯一の「自由」な時間としてオックスフォードで時を過ごした例のお方の感慨とは、当然まったく性質が違うものなのだろう。
どこで生きていくか
日本にベースを戻してから2年近くになるわけだが、今のところ職場環境も大変恵まれていると思うし、生活も楽しいが、イギリスに戻ってくるとやはりこちらもいいよな、と思う。研究関心が近い人が多いし、肩の力を抜いて話せる相手も多くいて、色々と気楽である。マイノリティとして生きるのは大変でもあるが、逆に逆境に打ち勝ってやるぞ、というような気持ちが芽生えたりもする。
もちろんイギリス全体が住みやすいかというとそうではなく、大学教員の置かれた環境は厳しいし、イギリス社会自体が様々な問題を抱えていて、この国で恒久的に暮らしていくという選択肢は考えにくいなとは思う。
しかし、イギリスで私が生きてきた場所やコミュニティの居心地は、日本で私が生きてきた場所やコミュニティと比べても遜色ないというか、ある面では上回っているのに加え、さらにまだ自分が経験していないような新しい体験もあるように思われ、何だか今の自分がmiss outしているように思えてくるのも確かである。
経験上こうした気分は日本に戻れば程なく薄まり、結局は現状維持バイアスに回収されていく。イギリスにいるときはそのままイギリスにいたくなり、日本にいるときはそのまま日本にいたくなる、ということである。まあ、現状にある程度満足できているという意味では、それでいいということにしようか。