紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

政治学ポスドク就活体験記③:オックスブリッジの特殊システム

前回の記事はこちら

Junior Research Fellowとは

前回の記事で、オックスフォードとケンブリッジは独自のポスドクの制度を持っている、という話をちらっと書いたが、今回はそれについて説明したい。オックスフォードとケンブリッジ(+ダラム)は、「カレッジ」という仕組みが大学において大きな地位を占めていて、それは何かというと、「共同体」と言えるのではないかと思う。

法学部とか経済学部とか、日本でもおなじみの「学部」というのはオックスブリッジにもある。これは分野ごとに分かれた学問上の組織であって、一般に生活と結びついてはいないのに対し、カレッジというのは、そこでセミナーが行われたり研究センターが付属していたりすることはあるが、特定の専門とは結びついておらず(社会科学専攻だけのカレッジ、とかいうパターンはある)、むしろ食堂や宿舎、バーやジムといった生活と結びついた施設があり、学生および教員の共同体、コミュニティとして機能する枠組みである。

オックスブリッジではすべての正規学生とすべての正規教員(たぶん)は、学部の所属の他にカレッジの所属を持っているのだが、ポスドクに関しては必ずしもそうではない。プロジェクト単位のポスドクや、外部のフェローシップを利用してのポスドクの場合、研究上の所属、つまり学部の所属だけがあれば問題ないからである。ゆえにポスドクには、自動的にカレッジの所属が与えられることはない。

しかし、各カレッジが独自に募集するポスドクや、あるいは外部資金を得ている場合でも、自分で応募して採用されればカレッジのフェローになることができる仕組みがある。それがJunior Research Fellow(以下JRF)である。

Stipendiaryとnon-stipendiary

多くの場合、JRFのポジションは、jobs.ac.ukのような公募情報サイトに出ることはなく、オックスフォードまたはケンブリッジの、それぞれの大学のウェブサイトにだけ掲示される。ちなみに、オックスフォードの下記のサイトでは、external vacanciesという欄にケンブリッジの募集情報も載っている。オックスフォードとケンブリッジというのは、世間のイメージとして対立的に語られがちだが、実際にはほとんど同じようなもので、むしろオックスブリッジとそれ以外との間に大きな断絶があるのだ。

JRFには大きく分けて2種類あって、stipendiary JRFと、non-stipendiary JRFがある。違いはstipend(給与)が発生するかどうか、つまり前者は給料つき、後者は給料なし(=所属+カレッジに住めるとか、無料で食事ができるとか、若干の研究費がついたりするというベネフィットのみ)のポジションになる。外部資金を持っている人は、併給禁止などの決まりがあるので、主に後者に応募することになるが、前者でも、外部資金を持っている人の応募を妨げない、というところもある。

募集の時期と、海外学振が決まる時期が前後したので、私は前者も後者も、合計7つのカレッジに応募した。結局採用されて所属することになったのが、Wolfson Collegeというところで、設立年度が新しく、国際的で平等主義的な院生中心のカレッジという、私が博士課程時代に所属していたオックスフォードのSt. Antony's Collegeとよく似たカレッジである。実際、採用後に知ったのだが、両者は姉妹カレッジという関係にあるらしい。

競争相手は全分野

stipendiaryとnon-stipendiaryだと、後者は既に資金を持っている人しか出す意味がないので、当然前者の方が倍率は高いはずだが、じゃあ後者は誰でも通るかというとそうではなくて、普通のポスドクポジションと同じように、書類を提出して一次審査が行われ、そして二次審査で面接があって選ばれる。私が経験した面接は、カレッジ所属の教員とJRF、合計5人程度の面接官(分野は近い人と遠い人が両方いる)に研究内容をプレゼンし、質疑応答という形で、スタンダードな面接審査という印象だった。給料を払わなければいけないわけでもない枠に対して、ここまで時間をかけて選考するというのは、やはりオックスブリッジが、カレッジという共同体の質の維持に強いこだわりを持っていることの表れなのだろう。

JRFの募集は、大々的に宣伝しているわけでもないのに、実際には数十倍数百倍の倍率になったりするようなのだが、それはごく限られた枠に対して、全分野を対象に募集をかけることが多いからだろう。各カレッジで雇われるのは合計わずか数人なので、必然的に倍率が上がるわけだ。実際には社会科学で1人、人文科学で1人みたいに枠が決まっているのだと思うが、特にstipendiaryのポジションに通るのは、何というか宝くじに当たるようなもので、身の回りで通った人を見たことがない。

給料は激安:JRFは名誉職?

そうやって倍率の高い選考を経て選ばれるのだから、さぞかし待遇が良いのだろう、とお思いかもしれないが、驚くなかれ、JRFの給料は激安なのである。ほとんどのカレッジで、JRFの給料は20,000~30,000ポンド、日本円にして300~400万円程度に過ぎない。イギリスの若手研究者の待遇は概して良くないのだが、それでも普通のポスドクの給料は30,000ポンド台なので、だいたい10,000ポンドも安いことになる。

これには一応理由があって、JRFは無料でカレッジの部屋に住めたり、毎食無料で食べられたりするので、その分を給料に換算すると、だいたい普通のポスドクと同じくらい、という体になっているのである。とはいっても、カレッジ内の部屋は基本的に学生が住むように作られているので、共用の設備なども多く、アラサーが快適に住める環境では必ずしもなかったりする。だが外部に部屋を借りると自費になるので、やっぱりJRFの待遇は良くないと思う。

でもJRFを経験しているというのは、一応エリートコースとされており、たとえばオックスフォードの私の指導教員も、ケンブリッジでの博士課程の終盤から博士号取得後にかけてケンブリッジでJRFを経験し、その後オックスフォードに職を得ている。おそらく、この「博士課程の終盤から」というのがミソで、一応JRFは博士号未取得でも応募可能になっており、実際かつては博士論文を仕上げている段階の院生がこうしたフェローシップを得て論文を書き上げ、その後2,3年かけて業績を積んで職を得る、というパターンになっていたのだと思う。

つまり、未検証だが、もともと純然たるポスドクというよりは、オックスブリッジの修了生に対して、キャリアのスタートを支援する、そういう制度だったのではないかと思われる。しかし近年は、必ずしもオックスブリッジの出身者ではない人たちも海外も含めてたくさん応募するので競争が激化し、実際には博士号所得者しか通らないような状況になっているにもかかわらず、待遇面では以前のままポスドク未満の水準に留まっている、ということではないだろうか。

私がかつてノースウェスタンとオックスフォードで、PhDの進学先を迷っていたとき、オックスフォードで修士をした友人から、「オックスブリッジでは、JRFという制度があって、博士を取った後も面倒を見てくれるから、オックスフォードがいいよ」と勧められたのだが、それは半分正しくて、半分間違っていた。確かにJRFというのはあるし、その存在を知っている時点でオックスブリッジ出身者はある程度有利ではあるのだが、これも異常な競争になっているので、最初から取れることをアテにできるような代物ではないのである。 

この前もTwitterで、アメリカの研究者が、数十年前の教員が論文を書かなくても就職できて、テニュアを得るために論文を一本書かないといけないことに恐れ慄いている、みたいな手紙をポストしていて笑い話になっていたが、アカデミック・ポストをめぐる競争は、一昔前と比べても世界的に異常なほど激化している