紅茶の味噌煮込み

オックスフォード留学記

一時帰国中のSIM問題

大学・大学院留学生にとっては、5・6月のこの時期は、大学の学期が終わり、長い夏休みに入る時期だ。この時期に、日本に一時帰国しようという人も多いだろう。私もその一人である。

普段外国に基盤をおいて生活している私たちが、日本に一時帰国した際に困る問題の1つが、SIMカードである。留学先の国で携帯電話を契約している場合、国内にいる間にデータ通信や電話をどうするか、これが意外と難しい。

私はイギリスで、Threeという新興の会社と契約していて、この会社は世界70以上の国と地域で、イギリス国内と同じ扱いで海外ローミングできるシステムがあり、ヨーロッパやアメリカ等に行くときには非常に重宝するのだが、残念ながら現在のところ日本はその中に入っていない。おそらく他の会社でも似たような仕組みはあると思う。

となると、日本国内で短期の通信手段を確保しないといけないわけだが、なかなかちょうどいいサービスがない。以下では私がこれまで何度かの一時帰国で試してきた経験をもとに、一時帰国中のSIM問題について書いてみる。下記は網羅的な内容ではないし、新しい情報があれば私も知りたい。なお、ここでは「そもそも一時帰国中は家と公共のWifiだけで問題ない」という忍耐強い方のことは想定していない。私のように、外出先でもデータ通信が手放せない、ひ弱な現代っ子が対象である。

SIMなしでポケットWifiSkypeという選択肢

上記のような特別なローミングサービスがある場合は別として、普通海外ローミングはかなり割高に設定されているから、1日2日ならまだしも、何週間もそれを使うのは現実的ではないだろう。しかし、だからといってSIMカードが即必要になるかといえば、そうでもないはずだ。

というのも、データ通信しかしない場合、ポケットWifiを借りることで解決できる。ポケットWifiなら、携帯電話だけでなく、家にネット環境がない場合にパソコンなどで使用することもできるし、かなり便利だからだ。料金も、短期のSIMカードの多くと比べて割安になる可能性も高い。

さらに、電話をしなければならない場合でも、Skypeクレジットを購入しておけば、国内外に安い料金で電話ができ、普通の電話よりもよっぽどお得である。こちらから誰かに連絡する場合には、これで問題ないはずだ。さらに、Skypeには電話番号を取得するというオプションもあって、これを使えば電話を受けることもできる。

これで問題解決!と思いきや、上記ではカバーできないものがある。それがSMS(電話番号を宛先にするショートメッセージ)である。最近、インターネット上の色々なサービスで、SMSによる認証手続きが要求されることが多く、日本国内のサービスだと日本の番号しか受け付けないという場合もままある。しかし、上記のSkype番号では、残念ながら今のところSMSの受信はできないのだ。

SMSってそんなに使うか?という感じもするし、近くに家族や友人がいれば、一時的に使わせてもらうこともできると思うのだが、自分のこれまでの経験だと、意外にSMS認証で、手続きをそれ以上進められない、ということが何回かあった。なのでSMSを使いたい、となるとこのオプションは使えないことになる。

多くの短期プリペイドSIMには電話番号がつかない

次に、短期(2週間とか1ヶ月とか)のプリペイドSIMを買うという手もある。各社が色んな日数、データ容量でプランを出しており、短期の滞在ならこうしたものを購入する人も多いのではないかと思う。私も何回か使用したことがある。空港や家電量販店で買える。

IIJ Japan Travel SIM for unlocked phone 3GB(nano/micro/標準SIMマルチ対応) IM-B257

IIJ Japan Travel SIM for unlocked phone 3GB(nano/micro/標準SIMマルチ対応) IM-B257

 
b-mobile VISITOR SIM (docomo) (Nano SIM) (21days) (Data only) (SIM inside)

b-mobile VISITOR SIM (docomo) (Nano SIM) (21days) (Data only) (SIM inside)

 

しかし、これらのSIMにもデメリットがある。まず、値段が割高だ。1ヶ月3GBで3000-4000円くらいする。まあ、日本だと通常のキャリアでもかなり高いので、それと比べると大したことはないのかもしれないが…。さらに、データ通信のみで電話番号がつかないものがほとんどなのも、問題だ。これらのSIMを入手しても、電話の機能がないので、当然SMS認証にも使えないことになる。ポケットWifiのように、返却の手間がいらないのはありがたいが、あまり多くのものを期待することはできないだろう。

HanaCellは使えそうな感じがする

それで何かいいオプションはないかと考えていたときに見つけたのが、HanaCellというサービスだ。この会社の「ジャパンSIMカード」は、39米ドルのSIM購入代金を払えば、あとは年額8米ドルで、日本の電話番号を維持できるというもの。これで、一時帰国してスマートフォンにこのSIMカードを挿入すれば、毎回日本の電話番号で電話やSMSができるということになる。データ通信に関しては、利用した月だけ59米ドルの料金がかかる仕組み。7GB以上の通信量だと速度制限がかかるらしい。

たとえ1MBしか使わなくても、59ドルかかるということだと思うので、通信量は高い。なので、データ通信機能はできるだけ利用しないほうがいいのではないかと思う。しかし、一年たったの8ドルで電話番号を維持できるのは、魅力的ではないだろうか。これとポケットWifiを併用すれば、データ通信、電話発信受信、SMSのすべてができるようになる。

2・3ヶ月だとmineoなどの格安SIMも使える

もう1つの選択肢として、プリペイドではない通常の格安SIMを利用する手もある。格安SIM会社は、大手キャリアのように「最低契約期間」を設けている場合も多いが、設けていないものもある。調べたところ、mineoやイオンモバイルといった会社はそうらしい。最低契約期間がなければ、短期の一時帰国でも、出国する際に解約すればいいわけなので、選択肢に入ってくる。

こうした会社には、データ通信専用のSIMと、音声通話機能がついたSIMがあるようで、値段は当然後者の方が高い。ただ、mineoの場合、よくわからないが、データ通信専用のSIMでも、SMS機能が使えるのだ。電話はできないが、電話番号が与えられる。そのため、mineoのSIMとSkypeを併用すれば、データ通信、電話発信受信(受信はSkype番号を取得した場合のみ)、SMSができるようになる。

値段も、3GBで月額900円と、プリペイドSIMよりはるかに安い。ただ、初期費用(契約手数料+SIMカード発行料)が3000円少々かかるので、1ヶ月では少し割に合わないが、2ヶ月以上使用するなら有力なオプションになるはずだ。

とまあ、私が必要に駆られて調べた限りでは、こんな感じだ。別に専門家ではないので、もしかしたら間違っている箇所もあるかもしれないが、ご容赦頂きたい。他の人がどうしているか気になるので、より良いオプションがあれば、ぜひ知りたい。なお、私はHanaCellやmineoの回し者ではない。

 

オックスフォードな人々①:ドミニク

ちょっと最近暇があるので、ブログでも書こうと思っていたら、もう随分と長い間オックスフォードのことについて書いていないことに気づいた。まあカタールに行っていたので当然なのだが、副題に「オックスフォード留学記」などという凡庸な名前を付けているからには、オックスフォードのことも少しは書かないと、不満を持った民衆による暴動が起きるかもしれない。天下の安寧の維持のためにも、今回はオックスフォードに関係する記事を書こうと思う。

ちょうどいい機会ということで、前から温めていたシリーズ記事の案を、今回ついにスタートさせてみることにした。名付けて「オックスフォードな人々」である。これまた凡庸なタイトルで恐縮だが、イメージとしては、ニューヨークの市井の人々のライフストーリーを記録した、かの有名な ”Humans of New York" を約3000分の1に縮小したようなものを想定して頂きたい。私の極めて個人的な人的ネットワーク(たいてい友達)の中から、一人ずつ選んで人物紹介をしていこうという企画である。そんなことをして何になるのだとおっしゃる方もいらっしゃるかもしれないが、ブログというのはそういうものなのだ。ここは黙って引き下がられたい。もっとも、私が黙って引き下がり、いつの間にか更新が途絶え、ある日このカテゴリの記事が削除されるという可能性はもちろん少なからず存在するわけであるが、その日までは更新を続けていこうと思う。なお、登場人物は一部仮名を使用する。

誰から始めるかという問題があるが、その点について私には迷いはなかった。私の周りの人々について書くなら、第一弾はこの男をおいて他はないからだ。それが今回紹介する、ドミニクである。ドイツ人で身長は170センチ台前半、がっしりした体格で甲高い笑い声が特徴的。ハイデルベルグ出身(たぶん)で、エジンバラに交換留学していた経験を持ち、(スコットランドではない)イギリス系のアクセントで話す。スポーツマンで、カレッジのrowing(オックスフォードやケンブリッジでは、カレッジ毎にボート部みたいなものがあって、年に何回か対抗戦をやっていて名物になっている)に参加したり、サッカークラブに所属したりしている。その一方でピアノを巧みに引きこなす腕前も持っていたり、なぜか卓球が異常に強かったりして、大変多才な男である。さらにはカレッジのイベント担当の委員をやっていて、交友関係の広いカレッジの中心人物といったぐあい。中東研究のMPhil(2年間の修士課程)の2年目。出会ってから1年ほどは大変なプレイボーイっぷりを見せていた彼だが、現在では落ち着く先を見つけたようだ。 

彼も私も2年目なので、出会いは2017年秋の入学当初になる。まだみんな手当たり次第に話しかけて、Where are you from?とかWhat do you study?とかいった基本的な質問を何十回もしあっていた時期だった。おそらく彼は私がオックスフォードで言葉を交わした、最初の10人には入っていたと思う。その夜はカレッジのダイニングホールで、たしかその前日くらいに会った2人(どちらも今は疎遠になってしまった)と一緒に食事をしていたら、私達のテーブルに順次人が加わっていったうちの1人が、ドミニクだった。最初に会ったときにはすごく印象が強かったわけではなかったが、その後カレッジのイベントで何度か顔を合わせるうちによく話すようになり、10月半ばのMatriculation(入学の儀式)の頃には既に、一番仲が良い1人になっていたと思う。

私に限らず、またオックスフォードに限らず、所属先が一緒の人ともう一段階仲良くなるステップとして、その所属先の外で一緒に何かをする、というものがあると思う。所属先の場だけで言葉を交わす「知人」になるのか、それとも本当の「友人」になるかの境界は、そういうところにある。私とドミニクは、カレッジのダイニングホールが空いていない日曜日に、外食することを通じて仲を深めていった。1回が2回、3回になり、やがてそれは毎週末の恒例行事となった。

カレッジから数分のところに、ちょっといい感じのきちんとしたインド料理屋があって、我々はそこが街一番のインド料理屋だと自信を持っているのだが、その店が日曜日の夜の我々のたまり場になっている。去年は、もう卒業してしまったビクターというベルギー人の男がいて、彼と3人で行くのが恒例だったのだが、今年度になってからは、時に2人で、あるいは誰かその時時で変わる3人目を加えて、概ね毎週そこに行って、マンゴーラッシーを飲みながらエビとほうれん草のカレーか、ミートボールのカレーにチーズナンを食べて一週間を振り返り、帰りに近くのパブに寄ってヒューガルデンの生を一杯、あるいは飲めない日は紅茶を一杯飲みながらダーツで一勝負し、時間に余裕があるときはさらにそこからカレッジでビリヤード対決をする。これが我々の日曜日の夜である。

彼は本当に多才な男なのだが、ことビリヤードとダーツにおいては、下手なりに私の方が少し上で、ビリヤードの通算成績は(なんと統計をとっている!)81勝39敗である。なので日曜日の夜はたいてい私が気分良く帰り、彼の方は大げさに悔しがって、「次は俺が勝つ」なんて言いながら半分笑っている。他のスポーツではたいてい負けるだろうから、要は競う種目を上手く選択することが大事なのだ(非決定権力?)。

本人を知らない人に言ってもどうしようもないことなのだが、よく人から、ドミニクと私がなぜそんなに仲が良いのかわからないと言われる。彼は既に述べたように非常に外交的なタイプで、カレッジのイベント委員だから、クラブに行ったりもよくしている。彼の友人はヨーロッパ人が中心で、特にアジアに造詣が深いといったわけでもない。私は狭く深くが好きなタイプだし、クラブとかに行くタイプでもない。だから、人からなぜ仲が良いかわからないと言われるのも納得なのだが、客観的条件だけで人間関係は語れないもので、やっぱり我々の間には何かclickするものがあるのだ。それが何かは、言葉ではうまく説明できない。

長期休暇の間も折に触れて連絡を取ったり、私がフィールドワークに行くときにはカードをくれたりして、オックスフォードを離れた後も、こうした付き合いは続いていくんだろうな、続けていきたいなと思う。嬉しいことに、来年度から彼もDPhil(博士課程)を始めることになったので、あと何年か、日曜日の伝統は続くことだろう。ただ、ビリヤード台があるカレッジの建物が今秋から改修工事のため閉鎖されることになったので、ビリヤードをする場所を新しく探さなければならない。

 

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笑気ガス抜歯体験記

歯医者に行くのがキライだ。

まず混んでいるのが気に入らない。予約の電話を入れようとしても、空いている時間の方が少ないくらいだ。歯医者に行くのが趣味という人でもいるのだろうか。

次に歯医者に時々チャラチャラした連中がいるのが気に入らない。親や祖父の代からの歯医者で、無闇に日に焼けていかにも高級車乗り回して週末はサーフィン楽しんでますという風情の「ちょいワルおやじ」みたいな風貌で、常にタメ口でエラそうな歯医者に出くわしたことがある。蹴っ飛ばしてやりたいが、そんなことをしたら歯を5本ぐらい抜かれそうなのでやめておいた。

そして治療方法が気に入らない。私は注射を打つときも必ず自分の目で見ないと気が済まないタイプだが、治療中の口の中を見ることは不可能だ。自分の知らない間に何かをされるというのは、とても落ち着かないものである。それにあの音。「キーン、ギュルギュルギュル、ヒュイーン」みたいなあの音を聞くだけで冷や汗が噴き出す。もっとこう、聞いていて楽しいような、例えば「森のくまさん」みたいな音に変えることはできないのだろうか。

しかし、何年か前に親知らずを抜いたとき、私の歯医者観は修正を迫られた。その時私は、疲れがたまると右下の親知らずが腫れて痛むというサイクルを繰り返していた。まあこれは人間誰しもが経験するものであって、大人の階段には親知らずが何本か落ちていると物の本にも書いてあるので、大した事ではない。ただ痛いものは痛い。その痛みがとうとう我慢できなくなって、私は仕方なく歯医者に行った。

私が行ったのは、最寄り駅の一駅先にある、ビルの7階のけっこう大きめの歯医者だった。今となってはそこら中にある歯医者の中からなぜそこを選んだのかも忘れてしまったが、いずれにしても、担当してくれたその歯科医院の院長先生が、明るくて柔和で声のかっこいい(顔がかっこいいかはマスクを外さないとわからない)、スバラシイ人だったのだ。あまりに素晴らしい先生だったので、ついつい人生について相談してしまいそうになった。診察の結果、その院長先生が、「この親知らずは抜いた方がいいよ」と優しく仰る。私はついつい「あじゃあ抜きますー」と軽々しく返す。こうして抜歯が決定したのである。何しろ、あの院長先生に言われたら歯の5本や10本は抜いてしまいそうな勢いなのだ。もしかするとこの先生の影響で同院における抜歯数は有意に上がっているかもしれない。

しかし、歯医者嫌いの私である、その日が近づくにつれて徐々に不安が高まっていった。少し前に親知らずを抜いた友達が「親知らず抜いてから何食べても血の味しかしない」とTwitterで言っていたことが、余計にその恐怖を高めた。

だが、いつかは抜かねばならぬ歯である。親知らずには悪いが、ここで抜いてしまうしかない。泣くな親知らず。私も大人である。一度決めたことは覆さないのだ。それに私には一つ秘密兵器があった。それが「笑気ガス」である。

笑気ガス(亜酸化窒素)とは何かというと、

亜酸化窒素(あさんかちっそ)または一酸化二窒素(いっさんかにちっそ)は窒素酸化物の一種で、吸入すると陶酔効果があることから笑気ガス(しょうきガス)とも呼ばれる。化学式はN2O。 紫外線により分解されるなどして一酸化窒素を生成するため、亜酸化窒素の増加もオゾン層破壊につながる。*1

というやつだ。オゾン層破壊に繋がるというのはけしからんことであるが、私もまた人である、オゾン層には申し訳ないが身の安全を優先してしまった。泣くなオゾン層

この笑気ガスを吸うと、何だか楽しい気分になって恐怖感が和らぐらしく、私が通っていたその歯医者ではこれを抜歯の際に使用しているのだ。ガスでハイになっている間に抜歯が終わる、こんなに良いことはないではないか。というわけで、私はようやく決心を固めたのであった。

さて当日、私は朝から大学院の諸々の手続きをしに行っており、それが1時半くらいに一段落した。歯医者の予約は4時半である。腹が減った。何か食べようと考え、思いついたのは駅の近くにあるうどん屋であった。このうどん屋、立ち食いではありながらかなりの有名店で、平日の昼は行列が絶えないほどの人気である。当然味も良い。ここに行こうと決めた途端私は他のことを一切忘れ、大盛りを一心不乱にかきこんだ。

満腹になった私は電車に乗って帰路についたのだが、何か頭に引っかかることがある。何だっただろうか、私は10分ほど考えた結果、ある恐ろしいことに気づいてしまった。抜歯の当日は、6時間前以降は食事禁止だったのである。これは抜歯中に気持ち悪くなってげろげろしてしまい、それが気管に入るのを防ぐためらしいが、あろうことか私は、抜歯3時間前に腹一杯のうどんを食べてしまった。院長先生に対する申し訳無さでいっぱいになってしまった。泣くな院長先生。吐くな俺。

それでも予約をキャンセルするわけにもいかず、病院に行って正直に申告した。食事禁止は大事をとってということであり、実際にはそれでも普通に抜歯は行ってくれるとのことで安心したが、しかしいよいよ本番である。

椅子に寝かされ、血圧計を取り付けられ、顎を何だかわからない器具で開かれ、固定された。まるでこれから拷問を受けるかのようである。不安が否応なしに高まってきた。心拍数が上がる。そこで登場するのが、笑気ガスである。やあやあよくきたまあ座れ。よくわからないマスクを付けられ、よくわからない気体が体内に流れ込んでくる。どんな効果があるのか、半信半疑だったのだが、しばらく吸っても何の変化もない。これでは不安なままではないかと焦った私は、肺いっぱいにそのガスを吸い続けた。

するとだんだん、何だかわからないが楽しくなってきたのである。それはもう、突然であった。抜歯が全然怖くない。これが終わったらブログに書いてやろうははは、タイトルはどうしようかなー、なんて歯をグイグイ引っこ抜かれている最中に考えていたのである。息を大きく吸い、それを吐き出すと同時に頭が椅子に沈み込んでいくような感覚で、それが何となく楽しい。寝ているわけではないのだが、まぶたは上がらない。声は聞こえるが、どこか遠くに感じる。でも何か楽しい。正直なところ自分は笑気ガスを吸ってもテンションの上がらない人間ではないかと危惧していたのだが、全然そんなことはなかった。私も人であった。

そうこうしているうちに抜歯は終わり、マスクが外されると、意外なほどすぐに頭がはっきりしてきた。あの数十分は一体なんだったのだろう、という、フシギ体験であった。この笑気ガス、普段吸ったらどうなるのだろう、などということは、良い子も悪い子も考えてはいけない。

2019年1月-3月に読んだ小説

あれよあれよという間に日本は新年度になってしまった。ピカピカの一年生も、ピカピカじゃない一年生も、ピカピカの三年生も、四年生も、かつてはピカピカだったかもしれない大人たちも、それぞれの感慨に浸りながら桜の木を見上げる季節だ。

3ヶ月前には「2018年に読んだ小説」というのをここにまとめてみた。自分が読んだ本を表にしてまとめるというのは、自分としても読書の記録になるが、意外と人から見ても、こんな小説があるのかというような気付きがあったりもするようで、読んでみますとか、こういうのもおすすめだよ、とか教えて頂くこともあった。

なのでまた書いてみようとは思っていたのだが、今年はカタールで自由時間の割に娯楽が少なかったこともあり、年始から読書が捗り、昨年をはるかに上回るペースで読み進めている。なので、今年は実験的に、四半期に区切って読書記録を取っていこうかと思い立った。

2018年に読んだ小説は、合計68冊で、その43%が山本周五郎というたいそうな偏りようであったが、2019年第一四半期に読んだ小説は、45冊で、著者は結構バラけている。以下がそのリストである。 

日付 タイトル 著者
1/8 君の隣に (講談社文庫) 本多 孝好
1/8 みかづき (集英社文庫) 森 絵都
1/8 グラスホッパー (角川文庫) 伊坂 幸太郎
1/12 火喰鳥 羽州ぼろ鳶組 (祥伝社文庫) 今村翔吾
1/14 九紋龍 羽州ぼろ鳶組 (祥伝社文庫) 今村翔吾
1/14 夜哭烏 羽州ぼろ鳶組 (祥伝社文庫) 今村翔吾
1/19 菩薩花 羽州ぼろ鳶組 (祥伝社文庫) 今村翔吾
1/19 鬼煙管 羽州ぼろ鳶組 (祥伝社文庫) 今村翔吾
1/19 夢胡蝶 羽州ぼろ鳶組 (祥伝社文庫) 今村翔吾
1/23 狐花火 羽州ぼろ鳶組 (祥伝社文庫) 今村翔吾
2/3 つまをめとらば (文春文庫) 青山 文平
2/3 あの家に暮らす四人の女 (中公文庫) 三浦 しをん
2/3 銀河鉄道の父 門井 慶喜
2/6 伊賀の残光 (新潮文庫) 青山 文平
2/6 鬼はもとより (徳間文庫) 青山 文平
2/7 白樫の樹の下で (文春文庫) 青山 文平
2/8 かけおちる (文春文庫) 青山 文平
2/14 乾山晩愁 (角川文庫) 葉室 麟
2/14 春山入り (新潮文庫) 青山 文平
2/14 マチネの終わりに 平野 啓一郎
2/15 エイジ (新潮文庫) 重松 清
2/21 戸村飯店 青春100連発 (文春文庫) 瀬尾 まいこ
2/21 幸福な食卓 (講談社文庫) 瀬尾 まいこ
2/21 図書館の神様 (ちくま文庫) 瀬尾 まいこ
2/21 春、戻る (集英社文庫) 瀬尾まいこ
2/21 天国はまだ遠く (新潮文庫) 瀬尾 まいこ
2/24 吉原手引草 (幻冬舎文庫) 松井 今朝子
2/24 コンビニ人間 (文春文庫) 村田 沙耶香
2/25 しずかな日々 (講談社文庫) 椰月 美智子
2/26 卵の緒 (新潮文庫) 瀬尾 まいこ
2/28 おとこの秘図(上) (新潮文庫) 池波 正太郎
2/28 おとこの秘図(中) (新潮文庫) 池波 正太郎
3/2 おとこの秘図(下) (新潮文庫) 池波 正太郎
3/3 タルト・タタンの夢 (創元推理文庫) 近藤 史恵
3/3 ヴァン・ショーをあなたに (創元推理文庫) 近藤 史恵
3/5 バビロンの秘文字(上) (中公文庫) 堂場 瞬一
3/7 バビロンの秘文字(下) (中公文庫) 堂場 瞬一
3/10 まんぞく まんぞく (新潮文庫) 池波 正太郎
3/10 あかね空 (文春文庫) 山本 一力
3/10 オー!ファーザー (新潮文庫) 伊坂 幸太郎
3/21 損料屋喜八郎始末控え (文春文庫) 山本 一力
3/22 男振 (新潮文庫) 池波 正太郎
3/23 恋愛寫眞―もうひとつの物語 (小学館文庫) 市川 拓司
3/25 ふがいない僕は空を見た (新潮文庫) 窪 美澄
3/27 忍びの旗 (新潮文庫) 池波 正太郎

ここ数年時代小説にはまっていた私は、藤沢周平池波正太郎山本周五郎を順に片っ端から読むという「蝗害型読書」を行っていたため、読むものがなくなる、という危機に瀕していた(と思っていた)。しかし、改めて調べてみると、池波正太郎についてはまだいくらか読み残しがあったことが判明し、それを順に読み進めている。また、池波正太郎については、小説以外にも食に関するエッセイがあり、こちらも味わい深くてよいので、少しずつ読み始めた(だが小説ではないのでここには含めていない)。

また、新たな時代小説の書き手を開拓することができたのも収穫である。それが、今村翔吾と青山文平だ。前者は、知り合いに勧めて頂いたのだが、「ぼろ鳶」シリーズという、江戸時代の火消しを題材にした小説が人気を呼んでいる。この著者、Wikipediaを引用すると、「ダンスインストラクター、作曲家、守山市での埋蔵文化財調査員を経て、専業作家に。」という相当異色の経歴を持っている。「ぼろ鳶」シリーズは、話し言葉ややりとりも現代的で、情景や人物の描写も、良くも悪くも「今風」な印象を個人的には受け、最初は藤沢・池波・山本の重厚な小説群に戻りたいという「ホームシック」にかかったのだが、読み進めていくと、ストーリー展開が巧みで、ぐっと引き込まれる仕上がりになっており、感動と爽やかな読後感を与えてくれる。このシリーズはハイペースで刊行されており、他にも色々な作品があるので、今後も読み進めていきたい。 

火喰鳥 羽州ぼろ鳶組 (祥伝社文庫)

火喰鳥 羽州ぼろ鳶組 (祥伝社文庫)

 

一方、青山文平は、本格派の時代小説の書き手である。60歳を超えてからのデビューということで、まだ小説家としてのキャリアも長くはなく、作品数も比較的少ないのだが、直木賞を受賞した『つまをめとらば』は、文章も、ストーリーも、上記の3人の巨匠に勝るとも劣らないだけのクオリティがあると思う。葉室麟の『蜩ノ記』もすごいと思ったが、葉室麟の場合作品数が増えるにつれ質が下がり気味になってしまったのと、著者が亡くなってしまった。なので青山文平の今後の作品にはとても期待している。

つまをめとらば (文春文庫)

つまをめとらば (文春文庫)

 

さて、この四半期は、時代小説以外のジャンルも比較的よく読んだ。その中でも自分が気に入ったのが、つい先日本屋大賞の受賞が発表された瀬尾まいこである。瀬尾まいこといえば、有名なのは『卵の緒』や『幸福な食卓』などだと思うのだが、私は『戸村飯店 青春100連発』を推したい。仲の悪い兄弟が、高校卒業後別々の道を歩み、色々な人と出会う中で、お互いのことを大事に思っていることに気づいていく、という話なのだが、大阪出身の彼らにとっての東京のイメージとか、東京に引っ越したときの感じ方とか、自分にも少々覚えがあって面白かった。瀬尾まいこは、独特のシュールなユーモアと、誰も悪人が出てこない、優しい描き方が素晴らしい。

戸村飯店 青春100連発 (文春文庫)

戸村飯店 青春100連発 (文春文庫)

 

もう一つ、平野啓一郎『マチネの終わりに』は、評判が良かったのと、犬猫インスタがおもしろい石田ゆり子が主演で映画化されるということもあって、 前々から読んでみたいと思っていた。文庫化されるまで待とうと思っていたのだが、あるときAmazonがセールをやっていて、Kindle版が安くなっていたので、期待に胸を膨らませて読み始めた。しかし、結論から言うと、驚くほど自分には合わなかった。内容というよりは、書き方が自分には響かなかったのだと思う。読むまでこういうものだと予想していなかったのだが、過剰なまでに飾り立てられた文体や、登場人物の「教養」がちょっと嫌味なくらいに強調されているところが、自分の価値観とは相容れないという気がした。パリで現地人のように暮らす、(西洋の)芸術にも思想にもワインにも造詣が深いフランス語ペラペラのお洒落な主人公、みたいな人間像が「理想型」みたいに描かれているように見えるけれど、「おいおい本当にそれでいいの?それって少し古くない?」と感じる。ちょっとむず痒くなってしまう。もう少し、等身大の我々を肯定してもいいのではないかと思ってしまった。

似たような小説として辻仁成江國香織の『冷静と情熱のあいだ』を思い出したけど、そっちは1999年の小説で、辻仁成は59歳、江國香織は55歳、一方『マチネの終わりに』は2016年出版で、平野啓一郎は43歳。2010年代後半でもまだこういうものが共感を呼ぶのか、と少し意外に思った。実際世間の反応はどうなのだろうとAmazonのレビューなどを読んでみたら、(概ね好意的な反応の中に)どこかに「一昔前のトレンディドラマみたい」という感想があって、ああそうそう、と納得感があった。多分自分がこのように受け止めてしまうのは、西洋と東洋、非西洋から見た西洋、といったテーマに強い関心があるからなのだろうなとも思う。もちろん優れた小説なのだと思うし、だからこんなにも評判になっているのだと思うけど…。

マチネの終わりに

マチネの終わりに

 

自分は芥川賞的なものよりも、直木賞的なものの方が圧倒的に好きで、また読書好きとは言いながらブンガク的なものが苦手なので、平野啓一郎はその苦手なものだったのかもしれない。得意なものだと思って買ったら苦手なものだったということで、それは気づかなかった自分の責任であり、作品自体が良いとか悪いとかいう問題ではない。イカリングだと思って食べたらオニオンリングだった、というような話だ。いや、オニオンリングは明らかに本質的に邪悪な食べ物なので、一緒ではないか。まあ自分に合うものを各人見つけていくのが平和だろう。と言いつつ、他の作品がどんな感じなのかも気になるので、もう1つ2つ読んでみるかもしれない。

カタール日記 総集編:ドーハでわしも考えた

約2ヶ月半に及んだカタール、ドーハでのフィールドワークを終えた。この間の生活について、ブログでも毎週まとめようと思っていたのだが、最初の2週間しか続かなかった。この点に関しては誠に慚愧の念に堪えないのだが、言い訳をすれば、毎週更新するほどの材料がなかったのだ。下記の記事を見れば分かる通り、第2週の時点で既に退屈を感じ始めていたのだが、その後も一発逆転で刺激的な毎日になる、ということは特になかった。

もっとも、刺激的でなかったからといって、何か不快な体験があったとか、この国が嫌いになったとか、そういうことではない。ゼロはマイナスではないし、阪神が優勝しないということは巨人が優勝するということではないのだ。

というわけで、今回はカタール生活の全体を振り返って、考えたことをまとめたい。

研究上の成果 

さて、私がなぜカタールに滞在していたかというと、 博士論文の研究(天然資源と国家成立過程の関係)でカタールを事例の1つとして扱っていたためであった。そう、お忘れかもしれないが、私は研究のためにカタールに行っていたのである。私自身が一番お忘れである。

研究上の目的は2つあって、1つは、カタールの脱植民地化期の一次史料を収集すること、もう1つは、独立期を知る人にインタビューすることだった。ただ、前者に関しては、既存の研究のほぼ全てが、イギリス側の一次史料のみを用いており、実際現地にどれだけ史料があるか疑問であったこと、後者に関しては、カタールの独立が1971年であることを考えると、当時のことを知る人が存命である可能性が低いこと、またいたとしてカタールの重要人物にそう簡単にアクセスできるのかという疑問があり、フィールドワークで何ができるのかについては、自分でも懐疑的だったのが正直なところだ。それでも、研究対象としている以上、一度現地に赴いて、生活を体験し、現地の研究者とのネットワークを築くことも必要であろうと思ったため、行くことにしたわけである。

結局、(残念ながら)私の予想は当たり、直接的なフィールドワークの成果はあまりなかった。まず、Qatar National Libraryという巨大な図書館に何度か通い、一次史料の所在について聞いたら、まだ組織自体が新しく、所蔵資料のカタログ化も進んでいないため、何があるか自分たちでも把握していないと言われた。展示ブースの資料も、多くがイギリスから借りているような状況であった。現在政府が公文書館を整備しようとしているという噂を耳に挟んだが、まだ先のことであるらしい。

インタビューに関しては、数人に一応話を聞くことができたが、いずれも政策担当者として当時活動していた人ではなく、二次的な情報を持っている人であった。かつ、現在のカタールの周辺国との関係を反映してか、何の話をしてもblockadeに結び付けられることもあり、そういう時はとても対応に困った。同時期にフィールドワークをしていたレバノン人のケンブリッジのPhDの友人がいたのだが、彼は色んな研究者に頼んでも、全然インタビュー相手を紹介してもらえず、フラストレーションが溜まっているようだった。私達のように、2・3ヶ月ふらっと来て、すぐに色んなものにアクセスができるほど、カタールは甘い国ではないようである。とはいえ、負け惜しみを言えば、「何もないことを確認した」ことも一つの成果とも言えるかもしれない。

まあ、厳密に言えば収穫はゼロではなく、QNLで独立期の写真を結構な数収集することができたのと、今後取り組めるかもしれない研究テーマを1つ思いついたのは、一応の収穫であった。そして何よりの収穫は、このケンブリッジの友人であったかもしれない。以前の記事でも書いた通り、オックスフォードでなかなか関心の近い院生を見つけられないというのが私の不満であったのだが、今回出会った彼は、中東が対象地域でIR専攻という、私と共通点の多い関心を持っていて、また性格も合った。今後一緒に研究することもできるかもしれないし、そうでなくても良い友人ができたことは糧になるだろう。

ハードの充実とソフトの不足

研究面では大して面白味のあることも言えないので、生活面に移ると、カタールの生活環境は、何事も「ハードの充実とソフトの不足」でまとめられるような気がした。以前の記事でも書いた通り、ドーハで見るものはどれも、ふんだんに資金が投入されていることをうかがわせるようなものが多かった。ホテル、美術館、ショッピングモール、車、街行く人が持っているハンドバッグ・・・。私が所属していたジョージタウン大学カタール校の設備も、素晴らしいものであった。いわゆる「ハコモノ」の充実度には、目を瞠るものがある。

ただ、その空間を埋めるべき中身については、まだかなり発展途上という印象である。食事のクオリティ、観光地とされる場所のコンテンツ、大学における研究・教育、などなど。巨大で壮麗な建物を有している一方で、所蔵資料のリスト化も行っていない前述のQNLなどは、その最たる例と言えるかもしれない。

そもそも、カタールという国家が成立してからまだ50年弱しか経っていないし、現在のような形でドーハの街が発展し始めたのは、それよりもさらにはるかに最近のことである。それを考えれば、いわば「天から降ってきた」(地から湧いてきた)石油・ガス収入を利用して、「形から入る」という今の状況は当然だと言える。ハードもソフトも充実していない状況と比べれば、余程マシというものだ。

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海岸沿いに立ち並ぶ高層ホテル群も、稼働率は低いという話を聞く

人は優しいが・・・

カタールで暮らす中で驚いたことの第一は、出会う人の親切さであった。私が滞在していた大学の寮の従業員は、フロントの人から清掃係、セキュリティに至るまで皆非常に礼儀正しく、にこやかで親切であった。レストランに入っても笑顔で質の高いサービスを提供してくれるし、滞在中病院にお世話になることがあったのだが、その時の看護師や医師もとても優しかった。何より、私が大学でお世話になった先生方は、ほんとうに素晴らしい人達だった。特に、Zahra Babar先生とMehran Kamrava先生、この2人には、一方ならぬお世話になった。

ただ、上記の人々は皆、カタール人ではない。カタールだけではなく湾岸諸国に共通だが、国内に居住している人のうち、その国の国民の割合は非常に低く、サービス業に従事しているのはほとんど外国、特にインドやフィリピンからの出稼ぎ労働者である。大学においても、カタール人の教員は少なく、特に私の所属していたジョージタウン大学では、おそらくゼロだったのではないだろうか。外国人として、外国人らしい生活をしている限り、日常生活の中でカタール人と接することはほぼないといってよい。カタールにおいては、カタール人の社会と、外国人の社会は二分されている。さらに言えば、外国人の社会の中でも、いわゆる「ブルーカラー」の社会と「ホワイトカラー」の社会は断絶しているようである。そこには、「移民の統合」などという問題は生じ得ない。彼らは短期間、仕事のために滞在しているだけであって、その仕事が終わればカタールに留まることなく自国に帰ることを要求されている。一度、所属大学の先生に「退職した後もここに留まるんですか」という無知な質問をしてしまったことがあったのだが、大学教授であろうが何であろうが、退職してしまえば即出国しなければいけないわけである。こうした移民労働者の扱いについては、湾岸各国で問題になっているし、働いている人から不満の声を聞く機会もあった。

他方で、カタール人と会う機会も何度かあった。インタビュー相手が中心であったが、一度その1人が主催する、「マジリス」に招待して頂くという貴重な経験もできた。マジリスというのは、週に1回ほど、誰かの家の応接間で開催される社交の場である。親族や友人が集まって、(男女別で)お茶や食事を共にしながら、近況を報告し合ったり、諸問題について議論したりする。私が参加させて頂いたのは、引退した元大学教授の方のマジリスで、来ているメンバーは元大使とか、元大学学長とか、石油会社の重役とか、そういうお偉いさんばかりで、ゲストが到着するごとに全員立ち上がって一人ひとり挨拶していくのだが、来る人来る人みんな「何だこの若い東洋人は?」という感じで戸惑いながら挨拶されるのでとてもアウェーな雰囲気であった。本来親しい人が集まる場に迷い込んでしまったのだから、まあ当たり前かもしれない。そして、会の最後に、「このマジリスでは毎回誰かが短いスピーチをして議題を提供し、議論することになっている。今回はせっかくだから君が何か言ってくれ。」と突然無茶ぶりをされ、何か適当な話を急ごしらえですることになった。その日はへとへとになって帰路についたのを覚えている。

しかし、驚いたのが、インタビュー相手のカタール人と街を歩いていると、そこかしこで元大使とか、会社の重役といった人と出くわすことだ。これはこのインタビュー相手の人がそもそも顔が広いというのもあるのだろうが、小さな国で、少ない国民で要職を回しているからこそ、「みんな知り合い」のような状況が生まれるのだろう。

カタールの人を観察していると、やはりカタール人は「特権階級」なのだなと思わされる。ショッピングモールに行けば、カタール人家族にフィリピン人メイドが付き添って買い物に来ているのをよく目にするし、外国人のドライバーが運転する車で大学に来るカタール人学生を目にすることも多く、マジリスではインド人とみられる使用人がお茶を給仕していた。 使用人に対する態度などを見ていても、そうした対等でない関係に疑問を持っていない人も多いのではないか、と想像される。もっとも、私はたかが2ヶ月、外国人の立場から社会の表層をちらっとのぞき見しただけなので、何も断定的なことを言う資格はないし、そのつもりもない。上記は、別に誰かを批判しているわけではない。ただ、カタールが相当特殊な社会であるということは、言えるのではないかと思う。

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カタールでのアカデミックキャリア

上記のケンブリッジの院生とは、オフィスも隣で、寮も同じだったこともあり、色んな話をした。その中でよく話題に上ったのが、「この国で研究者として働きたいと思うか」であった。博士号を取得した後、ポスドクあるいはAssistant Professorなどの身分で、カタールに就職するのは選択肢になりうるか、という話である。私達の回答は共通で、「待遇は良いだろうけど、ちょっと・・・」というものだった。

私達が所属していたジョージタウン大学は、ハード的には申し分ない設備を有しているし、資金も潤沢にあると思われる。おそらくだが、教員の給与も相当高いに違いない。そうでなければ、砂漠の真ん中に人を呼べないだろう。なので、きっと給料の安いイギリスの研究職と比べれば、条件面では恵まれているということは想像に難くない。

ただ、この国で何年も生活していくのは、容易なことではないなと2人の意見が一致した。夏は外を出歩けないほど暑くなるし、街には緑がほとんどなく、娯楽にも乏しい。街を歩いていて歴史や文化を感じることもあまりなく、社会的な制約も厳しい。食事が美味しいわけでもない(※これはイギリスも同様)。

何より、紛う方なき権威主義体制の下にある社会で、政治学の研究を行うということには相当な困難が伴う。カタールは他の周辺国と比べれば、格段にオープンで縛りも緩いとは言えると思うのだが、そうは言っても、日本やイギリスと比較できるものではない。何を言ってもOKで、何がNGか、明確な基準があるわけでもなく、というかそれが恣意的に決まってしまうのが権威主義体制なのだ。私にはそのようなストレスに耐えられる自信はない。

 

とまあ、こういうことを色々と考えた2ヶ月間であった。ところで、もちろんこの記事のタイトルはここから来ている。

インドでわしも考えた (集英社文庫)

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