紅茶の味噌煮込み

オックスフォード留学記

夢のフシギ

僕には夢がある。希望がある。そして持病がある。

そういうアフラック的な話をしたいのではなくて、夜寝ている間に見る夢の話だ。誰しも夢は見ると思うが、私は人と比べても夢をよく見る方だと思う。そしてその内容を比較的よく覚えている。

その夢について、長年不思議な経験をし続けている。何かというと、私は生まれてから中3まで大阪の生家に住んでおり、そこから奈良に引っ越して、さらに大学進学を機に上京したのだが、夢に出てくる「自分の家」は、必ず生家なのだ。何年たってもそれは変わらない。100%生家。カナダに留学していたときも、イギリスに留学している今も、夢での家は生家。

別にその家が特別好きだったわけではない。狭くて古い家であった。今の実家のほうがよっぽど良い環境であり、気に入っている。それなのに、夢で新しい方の家が出てきたことは未だかつてないのである。

普段生家のことを思い出すことはまずない。なのにたまに、生家の最寄り駅の線路沿いを不審者に追いかけられて家を目指して逃げ、家の玄関の引き戸を閉めようとするが閉まらない、というような変な夢を見ることがある。不思議なことに、それをずっと繰り返していると、夢の中で生家が出てきたとき、「あーまた設定この家だよ。変だなあ。」などと意識のどこかで思っているのだ、寝ているのに。最近はさらに「もうこの家住んでないし、そもそももう存在しないんだけどな」などと思っている自分を意識しながら夢を見ている。

同じような変な夢はもうひとつある。今になってもう一回大学受験をさせられるのだが、受験の記憶はもうないから苦戦して成績が低迷する、という夢である。この夢についても、ある時から、「もうこの大学に受かっているのだから、これで不合格になったとしても関係ない」という新設定が加わったのである。じゃあそんな夢見せるなよ、と思うのだが、なぜか定期的に見る。よっぽど大学受験がしんどかったのだろうか。

夢というのはフシギなものだ。

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夢を食べるというバク。変な夢を食べてほしい。

 

カタール日記 Week 2:世界一退屈な街?

カタールはドーハでの「フィールドワーク」生活も、もう3週間近くが経過しつつある。こちらでは、土日ではなく金土が週末なので、日曜日に大学に行くとついつい月曜日感覚になってしまう癖が抜けない。月曜日は火曜日感覚、火曜日は水曜日感覚・・・とずれていくので、ふとした瞬間に「あ、今日はアポイントメントがあったのに忘れてしまった!」と真っ青になった後に「いや、それは明日だった。」と気づくということを何度も経験しており、大変心臓に悪い(これを書きながらまた一回その勘違いが発生した)。

前回の記事では、新しい環境に満足している旨を書いた。

penguinist-efendi.hatenablog.com

2週目になっても生活は相変わらず快適だが、慣れてくると問題点も少しずつ見えてくる。真っ先に思い浮かぶのが、食事の単調さである。私が住んでいる大学のゲストハウスは、Education Cityという、カタール政府肝いりで作られた欧米の大学のブランチキャンパスが集まった地区の中にあるのだが、この地区は市内の中心部からは離れており、外食をするにもUberで20分ほど遠出をしなければいけないので、基本的に寮の食堂か、大学の食堂で食事をしている。寮の食堂はビュッフェ形式で、そう言うと聞こえは良いのだが、その内容が毎日ほとんど変わらない。米、温野菜、豆系の煮物、パン、パスタ、魚、チキン、ビーフと並びも決まっていて、マイナーチェンジはあってもほとんど同じ料理なのである。味自体は悪くないのだが、さすがに毎日食べていると飽きてくる。そのせいか、というか間違いなくそのせいで、現地の学生はあまり食べに来ず、広い食堂は毎日閑散としている。こういうところにも潤沢なはずの予算をもっと注ぎ込めばいいと思うのだが…

もう1つの問題は、娯楽の少なさだ。ドーハといえば「世界一退屈な街」というフレーズが「悲劇」の次くらいに連想されるという人も多いと思うが、その下馬評に間違いはなく、実際にドーハの娯楽といえば、ショッピングモールに行くというのが最大のもののようである。ドーハには数多くのショッピングモールが存在し、国民一人当たりショッピングモール数では世界トップクラスではないかと思われる。ところで、ドーハは世界一退屈な街である、という言説はいつどこで生まれたのだろう。オックスフォードの友達に英語でthe most boring cityと言ったら何で?と聞かれた。英語で"Doha  the most boring city"などと検索しても、あまり出てこない。日本だけなのだろうか?

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ヴェネツィアを模したショッピングモール。この運河は実際に舟で渡れるらしい。

その他で印象に残っているWeek 2の出来事といえば、インタビューのためにお会いしたカタール人の方の車(BMW)がとんでもなく豪華だったことだ。外観からして只者ではない車なのだが、内装も高級感に溢れていて、車に詳しくない私でもモノの違いが一目でわかるような車だった。高級車だと普通なのかどうか、中産階級の出身なのでわからないが、車が動き始めるとシートベルトが自動で調整される、という機能もついており、また凸凹の多いドーハの道路を走っていても衝撃がほとんど伝わらない。車に限らず、バッグであるとか、(私が見た範囲の)カタール人の人が所有しているものは、おしなべて高級で驚く。同じ豊かな産油国でも、例えばブルネイに行った時に見たものと湾岸を比べると、歴然とした差があるように思える。

もう1つの出来事は、なんといってもサッカー、アジアカップの決勝戦カタールvs.日本であったことだ。結果はご存知の通り、カタールが3-1で勝利したわけだが、私は市内中心部にはいなかったものの、大学の近くでのパブリックビューイングに行った。応援は大層なもので、老若男女、旗を振りながら熱心にカタールを応援していた。興味深いのは、選手もそうだが、観ている人々も、明らかにカタール人ではない人々が大いに盛り上がっていたことだ。「国民」「ネイション」とは何かを考えさせられる光景だった。

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サッカーのパブリックビューイング

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そういう日常生活における体験も、またフィールドワークの意義の1つなのだろう、という都合の良い解釈をしていたら、また一週間が過ぎた。 

カタール日記 Week 1:砂漠の国の豊かな暮らし

カタールはドーハに着いて、10日が過ぎた。実感としては、まだ10日しか経っていないのか、という方が近い。もう1ヶ月くらいいるような気がする。

以前の記事では「出国前症候群」について書いた。ああいう文章は、決まって夜に、少し目を細めて心持ち斜めを向いて、感傷を掘り起こしつつ書くので、普段はあまり書かない。一方で普段は無闇矢鱈に面白がらせようと書いているきらいもあるので、その揺り戻しでこういうものが書きたくなるときもある。文体というのは難しい。「本当の自分」なるものがあるとして、それが純粋に表出している文章はここにはないのかもしれない。などと言っている自分は「本当の自分」なのかもしれない。

いずれにせよ、いくら出国前はセンチメンタルな気分になっていても、一旦現地に着いてからは頭がすっと切り替わるのが、多分自分がまだ海外でやっていけている理由の1つで、今回のドーハ生活にも大体慣れてきた感がある。

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砂漠っぽい写真。ジョージタウン大学の外観。

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ある日のランチ。移民労働者が調理を担っているからなのか、インド系の料理が多い。

そもそもドーハに何をしに来ているかというと、「フィールドワーク」である。「フィールドワーク」と鍵括弧付きで書いたのは、フィールドワークというと山に分け入り、森をかき分けて奥地の村に行き、現地の人々と2年間共同生活を送る、みたいなイメージが私の中にあるからだ。私のこれをフィールドワークと呼ぶのはおこがましいので、「なんちゃってフィールドワーク」と呼称している。英語なら例のカニさんマークを使う。

こちらには2月末まで1ヶ月半ほど滞在し、アーカイブで資料調査をしたり、政策担当者へのインタビューができればな、と思っているが、どれだけ実現するかはわからない。そもそも、私のテーマ(天然資源と国家形成の関係)だと、植民地期を扱うので、資料はほとんどイギリスにあり、湾岸の人々はほとんど文字資料を残していない。Qatar National Libraryという、それはそれは美しい建物があるのだが、そこで所蔵の一次資料について聞いてみると、まだ図書館ができたばかりで、どのような資料があるのかアーキビストも把握していないとのことだった。

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Qatar National Library

というわけで、私の研究滞在は比較的気楽なもので、アーカイブで地図や写真を入手したり、インタビューのアポ取りのメールを出したりする他は、イギリスにいる時と同じく、文献を読んだり論文を書いたりしている。それでもやはり、自分が対象としている地域に実際に足を運んで、現地の空気を吸い、生活を体験し、人と話すことには何らかの意味があるのではないかと、半ば無理矢理に今回の滞在を正当化している。

良い意味で予想外だったのは、滞在先が、研究にうってつけの環境だったことだ。ドーハでは、指導教員のつてで、ジョージタウン大学カタール校に、Visiting PhD Studentとして受け入れて頂いているのだが、この大学が素晴らしい設備を持っていて、なんと生まれて初めての個人オフィスを与えられ、また、大学の敷地内にある宿泊先のゲストハウスも、ホテルのような施設で非常に快適だ。正直、ハード面では、オックスフォードでの生活よりも水準が高いとすら言える。逆に言えば、気候が良いとはお世辞にも言えない砂漠の真ん中にある、後発の国に人材を呼び込むには、これくらい思い切った投資が必要になるということだろうか。カタールにはそれを支えられるだけの資金力があるが、それのない国は、一体どうすればよいのだろう。

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マイ・オフィス

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滞在先の大学ゲストハウスのエントランス

ともかく、今のところ、想定していたよりも遥かに快適な生活を送ることができている。少々退屈な街だというのは前評判通りだが、会う人会う人良い人ばかりだし、生活条件も申し分なく、何よりとても暖かい。現地に誰も知り合いらしい知り合いがいなかったのが気がかりだったが、同時期にケンブリッジから同じくVisiting PhD Studentとして滞在しているレバノン人の院生がいて、かなり気が合うので孤独感も特にない。とりあえず順調である。カタール生活については、また定期的に更新したい。

 

意欲的な学部生のためのアウトプット媒体―懸賞論文という選択肢

研究者の最も重要な仕事は、研究成果を論文や本の形で出版することだろう。どの学問分野にも実に様々な雑誌が存在して、各国の研究者がその研究成果を発表している。研究者志望だと言うと、よく「勉強が好きなんですね」という、恐らく悪気のない、しかしあまり良い気分にはならないコメントを頂くことがあるが、研究者という「プロ」が発表する成果は、オリジナリティがなければならず、単に勉強して調べた結果のまとめではいけないのは、言うまでもないことだ。

しかし、学部から修士、博士へと至る長い期間の中で、最初から誰もがオリジナリティのある「研究」ができるわけではない。というより、最初からできる人などいないと思った方がいいだろう。何かのテーマについて調べ、整理してまとめるという「勉強」あるいは「調べ学習」の段階から、徐々に独自の視点や分析を行う能力を獲得し、最終的にオリジナリティのある研究を行える段階へと移行していくのだと思う。かく言う自分も研究者としてはまだ半人前もいいところだ。

もちろん、早い段階からオリジナリティのある研究成果を出せた人は、それを学術誌に投稿していけばよいわけだが、まだそこまではいかないものの、何か独自の視点が光るものを書けた、あるいは学術論文とまでは言えないが、情勢分析や政策提言の良いものが書けた、という場合には、どうしたらいいのだろうか。単に先生や友達に読んでもらう、というだけでは満足できない。もっと自分の書いたものを世に広く問うてみたい。卒論を本棚の肥やしにしてしまうのはもったいない。そういう意欲を持った学部生、あるいは修士の院生などにとって、1つのオプションは、懸賞論文に応募することだと思う。

懸賞論文とは、様々な財団や公的機関、学会等が主催し、主に学生を対象として何らかのテーマに沿った論文を募集するものである。「懸賞」論文であるため、入選すると賞金や賞品がもらえることが多い。 自分の書いたものを世に問うことができて、しかも賞金までもらえる、まさに一石二鳥とはこのことだ。履歴書の「賞罰」欄に書けるという利点もあるので、三羽目の鳥も降ってくるかもしれない。私自身も、学部生の頃はよく懸賞論文に応募していた。

こうした懸賞論文は、ある程度テーマが限定されていることが多いが、その範囲の広さは賞によってまちまちだ。しかし、様々な分野で募集されているので、自分に合うものがきっと見つけられるだろう。学期末のレポートや、卒業論文など、何かどうせ書かないといけないものがあるという学部生は、もし自分のテーマに適合するようなものがあれば、それを後で懸賞論文に出すことを検討してみてはいかがだろうか。もちろん、賞のために新しく論文を書き下ろすのも良いだろう。

私の専門である国際政治の分野を中心に、以下にいくつか例を挙げてみたいと思う。以下に挙げるものは何年も続いているものだが、それ以外にもアドホックに開催されるものもある。前の「海外院生が応募できる国内研究助成リスト」のように、公開リスト化してもよいのだが、まあそれはもし要望があればということで。

佐藤栄作記念国連大学協賛財団が国際連合大学と共催している賞で、歴史も古く、2018年で第34回を迎えている。テーマは、国際社会の中での国連のあり方、といったものが多い。なぜか第34回だけ応募数が少ないが、例年競争率も高い。最優秀賞には50万円、優秀賞には20万円、佳作には5万円がそれぞれ贈られる。

  • 外交論文コンテスト

外務省が都市出版から発行している「外交」という外交専門誌が主催している論文コンテスト。今年が第7回とのこと。テーマは日本外交関連。最優秀作は誌面上に掲載されるということで、とても夢のある賞である。また、副賞として最優秀論文に5万円、優秀賞に2万円の賞金が授与される。

  • 昭和池田賞

コネクタやリモコンなどを製造しているSMKという企業が母体になっている昭和池田記念財団による論文賞。テーマは複数あって毎年変わるが、毎回「日本の針路、この考えはどうだ!」というテーマが入っていて、その下位区分で「その他」を選べるので、実質的に大体何についても書ける。副賞として、最優秀賞は50万円と奨学金、優秀賞は20万円と奨学金が与えられる、とても太っ腹な賞である。

  • その他 

全部挙げていくときりがないので、他にいくつかまとめてリンクを貼っておく。 

NRI学生小論文コンテスト

税に関する論文

日本貿易会懸賞論文

ヤンマー 学生懸賞論文

  • 最後に

こうした賞は、見返りも大きい分、競争率も高くて、出したからもらえるというものでは当然ない。なので、かける時間と天秤にかけて応募することになるわけだが、たとえ入選しなかったとしても、そこにかけた努力とその過程で得た知見は、決して無駄にはならないはずだ。 

なお、最後に注記しておくと、まず、懸賞論文に応募する際には、その賞がどのような背景を持ち、どのような団体によって、何を目的として設けられているのかを、入念に確認しておく必要がある。すべての賞が名誉になるとは限らない。

 

出国前症候群

「あと3日で日本を出発して、留学先に戻る。次に帰国して家族や友達に会うのは、半年後だ。」―そういう夜に、「それ」はやってくる。

留学先にも大事な人達はいるし、生活も楽しいけれど、帰国した時のような心からの安心感、心の内奥に張り巡らせている膜が自然と溶けていくような心地よさには、やっぱり及ばないと思う。/行ったり来たりの繰り返しで、どこにいても「仮」の生活のような気がする。/こうやって生まれ育った場所から遠く離れて、人と全然違うことをして、1人で頑張ったその先に何があるというのか。/日本に落ち着いて根を下ろした方が、結局幸せなんじゃないだろうか。/留学先に戻っても楽しいのは分かっているけど、なんだか気が進まない…

日本に一時帰国して、また留学先に戻る直前の数日間に現れる、後ろ髪を引かれるような諸々の感情―これを「出国前症候群」と呼びたい。留学や海外生活自体が辛くて辛くて仕方がない、というのとは違う。辛くはない、というかむしろ、色々あっても向こうの生活を存分に楽しんでいて、またそういう自分を誇りに思っている。だから、帰国前にも留学生活中にも、症状が出てくることはない。今回も、飛行機に乗って、向こうの空港に降り立ってしまえば、現地の生活にすっと頭が切り替わるだろうということは分かっている。でも、だからといって、なんとも思わずに去ることはできない。自分の生き方とか将来のことについて、やっぱりなんだか色々考えてしまう。―そういう複雑な思いを帰国する度に抱くのは、自分だけではないと思う。留学先に戻る直前の数日だけに現れる、だから「出国前症候群」。

例えば遠距離恋愛カップルが、久しぶりに会うとなんだかお互いぎこちなくて、思っていたのと違う、本当にこれでいいのだろうか、なんて疑問を持ってしまうことがあるように、きっとこれは自然な反応で、数日もすればまたきれいに元通り、なんていう他愛もない一時の心の「あや」みたいなものなんだろう。 

ただ、だからといって、その一時の気の迷いに真実がないのかと言ったら、そうとも限らないはずだ。「それ」を感じていない360日と、感じている5日は、単純にその日数だけで比べられるものではない。 きっと心の奥底には、ずっと「それ」が潜んでいて、年に数日だけ、ひょっこりと表面に顔を出すのだ。「それ」をなだめすかして、360日の生活を続けるのか、それとも「それ」に耳を傾けて、5日を365日にする選択をするのかは、人それぞれだと思う。

「それ」をなだめ切れなくなったとき、あるいは、「それ」に自ら歩み寄りたくなったとき、自分は日本に帰るんだと思う。そんなことを考えていた。