紅茶の味噌煮込み

オックスフォード留学記

「エスニック料理」とは何だ

飲み会続きの毎日である。今日は朝から(!)大学時代のサークルの友人たちとバーベキューをしてその後ランチで高校の同級生たちとタイ料理を食べ、その前は大学のクラスの友人たちと和食の居酒屋で飲み、さらにその前は東京にいるオックスフォードの友人で集まって沖縄料理屋で飲み、またその前はスカッシュをした後にイタリアンに行き、またまたその前は焼肉、ワインバー、その他諸々と、一時帰国中は連日何かしらの予定が入っている。まあありがたいことである。

さて、こうして人と飲みに行くときに、何を食べるか、どのような店を選択するかという問題は、言うまでもなく死活的に重要である。その選択如何によって、話が弾み笑顔が飛び交い、人類みな兄弟、心の友よ、といった言葉が交わされる至福の空間が生み出されることもあれば、皿が飛び交い料理が床に弾み、お前なんか顔も見たくない、英語交じりの日本語を使うな、これだから紅茶を味噌で煮込むようなやつに店を選ばせたらダメなんだ、しょうもない記事ばっかり書きやがって、などという罵詈雑言が浴びせかけられる凄惨な飲み会が展開される可能性もあるのだ。

そういうことを考えていたときに、これは今回の一時帰国の話ではないのだが、以前こうした店選びの文脈で友人から発せられた言葉に引っかかるものがあったことを最近思い出した。何かというと、エスニック料理」(あるいは「エスニックフード」)という表現である。

エスニック料理とは何か。「エスニック」とは英語のethnicのことであろうから、つまり直訳すれば「民族料理」となり、従ってありとあらゆる民族集団(民族とされるものも一様ではないとか、そもそも民族なるもの自体がsocially constructedなのだという議論は真っ当だがとりあえず脇に置いて)の料理がすなわち「エスニック料理」であるということになる。しかし、実際にはそういう風にこの語は運用されていない。フランス料理をエスニック料理と呼ぶ人を目にしたことはないし、中華料理に対しても使用されている印象はない。それでは一体何がエスニック料理で、何がエスニック料理ではないのだろうか。その謎を解き明かすため、取材班は現地へと向かった。

綿密な現地取材によって得られた情報(i.e. 適当にネット検索した結果)によると、「デジタル大辞泉」にはエスニック料理の定義として、「民族料理。特に、アジア・アフリカの料理のこと。」とあり、もう少し詳しい説明を載せている百科事典マイペディアでは、以下のように説明されている。

エスニックethnicは〈民族の〉という意味であるが,日本でエスニック料理という場合は,インドネシア,タイなど東南アジアの料理や,インド,西アジア,中近東といった地域の料理をさすことが多い。日本の料理とは異質な,そして従来から知られている中国や朝鮮などの外国料理とも違うエキゾチックな味や雰囲気を楽しみたいという人が増えて,近年,そうした国々の料理を専門とするレストランが多くなっている。

まあ要するに、外国料理のうち、香辛料を使っていたりする、一般的な日本人には馴染みがないような料理のことをぼんやりと呼ぶ言葉だということになるだろう。やはり思ったとおり、エスニック料理という言葉は全ての民族集団の料理を含む形では運用されていないのだ。そこにはフランス料理、イタリア料理といった西洋の料理は含まれず、また中国・韓国といった近隣の国々の料理も入っていないようである。ロシア料理なんかは微妙なところかもしれないと想像する。

つまり、「エスニック料理」という言葉は、字義通りに解釈した意味と、実際に使用される意味が異なっている、より具体的には、前者の中の一部が後者である、ということになる。私が気になるというか、この言葉に違和感を覚えるのは、このエスニック料理という言葉の使い方が、私たちの対外認識と重なっているような気がするからだ。つまり、「エスニック料理」という呼び方は、個々の差異を無視した(メキシコ料理とタイ料理の違いは、フランス料理とイタリア料理の違いよりも小さいのだろうか?)ある種乱暴な呼称で、しかも「何だか異質な、よく分からない、ちょっとこわごわ興味本位で冷やかしながら食べてみるようなもの」という印象が付きまとう。そうした印象がない、純粋にその料理を愛していて深く理解したいと言うのなら、タイ料理、インドネシア料理、ブラジル料理といった個々の名前で呼べばいいわけで、「エスニック料理」というような曖昧模糊とした変な言葉を使う必要はないはずだ。少なくとも私の感覚では(そして恐らく多くの人々の感覚とも離れてはいないと思う)、エスニック料理」という言葉には、(もちろんほとんどの人は意識していないにせよ)そのカテゴリに入れられる文化に対する、一種の軽侮があり、俗な言い方をすればそれを「下に見ている」という側面があるように思われる。だから気持ち悪いのだ。西洋も我々にとっては本来大いに異質であるはずなのにも関わらず、それは一つ一つ区別して、場合によっては「高級」イメージを付けたりしながら、他方で他のいわゆる「第三世界」の国々の文化は大雑把にまとめて軽く扱ってしまう、そうした心性がこの言葉にはうかがえる。

ところで、「エスニック」という言葉は直接的には英語からの輸入だと思われるが、英語でも "ethnic food / cuisine" という表現は使用されるのだろうか。試しにまた適当にGoogleで検索してみたところ、単にethnic foodと検索した場合は約 202,000,000 件、ダブルクォーテーションマークで囲んで検索した場合には約 4,300,000 件の結果が出てくることから、少なくとも日本語の「エスニック料理」(約 23,800,000 件/約 3,190,000 件)に匹敵する一般的な表現ではあるようだ(日本語の検索結果と英語の検索結果の母数がどれだけ違うのかはよく知らないのでこの数字にあまり意味はないのだが)。そして日本語と同じように、この言葉がどのように運用されているのかを調べようと思って情報を漁っていると、Washington Post紙のウェブサイトに面白い記事があった。

これはアメリカのニューヨーク大学のKrishnendu Rayという教員が書いたThe Ethnic Restaurateurという本に関するインタビュー記事らしいのだが、アメリカにおけるethnic foodの歴史とそれに対する認識について、面白いことが書いてある。

The word ethnic has this complex history of both trying to reflect changing relationships and understandings of culture and trying to avoid more taboo terms. It came into play mostly in the 1950s, and is most commonly used in the world of food to mark a certain kind of difference — difference of taste, difference of culture. But you will also see marketing absorb it as a less fraught term than race. You see it in aisles at stores, where products that are not for white people might be advertised as being for ethnic people. You see it in the grocery store. Food that isn't associated with whites will be called ethnic.

最後の太字部分に書いてあるように、アメリカ人にとっても、ethnic foodとは、マジョリティとしての白人にとって異質なものを意味するようである。ただ、何がethnic foodであるかの意味範囲は時代によって異なり、過去にethnic foodの代わりに使われていたforeign foodという言葉は、ドイツ料理やアイルランド料理に対しても使われていたという。さらに記事は続く。

When we call a food ethnic, we are signifying a difference but also a certain kind of inferiority. French cuisine has never been defined as ethnic. Japanese cuisine is not considered ethnic today. Those are examples of cuisines that are both foreign and prestigious. There is no inferiority associated with them.

上で我々が「エスニック料理」と言うとき、対象を下に見ているのではないかという話をしたが、ここでも同じようなことが書かれている。ethnicという言葉を付けるときは、劣等なものというイメージが付与され、それはフランス料理に対して使われたことはないし、日本料理は現在ではその意味範囲を脱しているが、他の多くのアジア・中南米・アフリカといった地域の料理には使用されるという。そして、その認識の違いは、アメリカ人が各料理に対して払う値段にも如実に反映されていて、 フランス料理や日本料理には数十ドルを払うのに、ethnic foodとみなしたものには10ドル程度しか払わない。

そうした差別化の背後には、他文化に対する理解の欠如や、自文化中心主義があり、人種差別的な要素も含まれ、それぞれの国から来る移民の社会経済的地位の違いなども関係しているとRayは述べている。結局のところ、日本でもアメリカでも、恐らくその他の多くの国でも、各国料理に対する見方はこうした文化的な「ヒエラルキー」を反映していて、また実はその構造は多くの場所で似たり寄ったりなのではないだろうか。別に「言葉狩り」をするつもりは毛頭ないし、多くの人は他意もなく使用しているわけだから、人がこうした言葉を使うことを一概に否定しようとは全く思わないが、個人的には、「エスニック料理」という言葉は使いたくないし、どうしても使うとすれば西洋料理にも、中華料理にも、全ての料理に対して使用したいものである。

「今日エスニック料理食べてくるよ。え?いや、フランス料理。」

 

一時帰国しました

帰国前後のバタバタで更新が遅れていた。イギリスからフィンランドヘルシンキに8月1日に飛び、そこで3泊して、4日の飛行機で日本に飛び、5日の朝に帰国した。成田空港内から一歩出ると、一瞬にして熱く湿った空気に全身を包まれ、日本の夏の底力をすぐに思い知らされた。

ところで、今回は一時帰国の帰路に、Finnairを使って中継地であるヘルシンキでストップオーバーする、という形で旅行をしたわけだが、この方法はなかなか使える。いちいちロンドンに戻ってからまた日本に飛ぶという二度手間をやらなくて済み、かつフィンランドからの方がイギリスからよりも日本に近いので帰りも楽だ。次回からも、別の航空会社を使って、その会社のハブ空港に数日滞在してから帰国する、というパターンで旅行をしてみたいと思う。エア・フランスとか、ルフトハンザとか、KLMとかあたりだろうか。ただ、私が行きたい国々は、こういう西ヨーロッパの国々よりも、バルト三国とか、クロアチアとかギリシャとか、あまり日本人にとってメジャーな旅行先でないところなので、そうした国々にはこのパターンでは行けないと思われる。

さらに、今回の旅での嬉しいサプライズは、帰りの飛行機が偶然ビジネスクラスにアップグレードされて、人生初のビジネスを堪能できたことだ。食事のクオリティは、ビジネスとは言っても所詮機内食だな、と偉そうにも思ってしまったが、足を伸ばせる、シートを水平にまで倒せる、そして隣や後ろを気にしなくていい、というだけでもう全く別世界であった。偶然でなくビジネスに乗れる身分になりたいものだ。

  

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港にあるマーケット

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スオメンリンナという島まで船で行く。

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大聖堂

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街並み

 

夏の終わりと始まり

今日からちょうど1週間前はTransfer of Statusという、博士論文計画のディフェンスだったのだが、この1週間はぼーっとしていたようであまりこれといった記憶もない。大した仕事をしていなかったのか、あるいは何かしていたが記憶を失っているだけなのか、どちらにしてもあまり良いものではないのである。だがまあそんなことはよい。

Transfer of Statusというのは、同じことを何度も書いている気がするが、博士課程の第一関門的なもので、2人の指導教員以外の教員が審査をし、面接でディフェンスしなければならない。極稀にしか落とされることはないのだが、やはりそれでも緊張する。しかし、審査員のAndrew Hurrell先生とLouise Fawcett先生は、どちらも自分の研究内容に関心を持ってくれ、好意的なコメントをくれた。面接も終始和やかな雰囲気で進んでよかった。それでも部屋を出たときは汗をかいていてちょっと頭がぼーっとしていたけど(どうやら自分はよくぼーっとしているようだ)。

Hurrell先生はオックスフォードのIRのボス的な存在で、Fawcett先生は学部長で正真正銘の「ボス」であるから、2人共シニア教員なわけだが、私の経験則ではシニアの先生の方が若い先生よりも優しいので、この2人を審査員に選んだ指導教員と自分の選択は間違っていなかったようだ(もちろん専門分野が近いというのが一番の理由だが)。

何にせよ、6月に年度が終わった後に1ヶ月オックスフォードに残っていた主な理由であるトランスファーが終わって、肩の荷が下りた。明後日にはヘルシンキ経由で東京に向かって出発することになる。

しかし、この1ヶ月は振り返ってみるとなかなか楽しかった。やはり夏だから気候は他の季節より良いし、特に今年はよく晴れて暖かかった(ちょっと暑すぎたくらいだ)。多くの友達は既に各々の国に帰ってしまっていたけれど、残っていた友達と毎日のように夜は出かけていたし、日中は学部のデスクで朝は博士論文関連の論文を読み、昼は投稿予定の論文を書く、という比較的規則正しい生活ができたので満足だ。特に、一緒に残っていた日本人の2人とはほとんど毎日のように会っていて、一緒に食事をしたりパンティングに行ったりテラスハウスを観たりしていて、この2人のおかげで今月はとても楽しかった(そして2人ともこのよく分からないブログを読んでくれている。笑)。

しかし、そのうちの1人は卒業して明日帰国してしまうし、自分も明後日オックスフォードを発つ。また、3週間ほど雨もふらずに太陽燦々だった天気が、先週から崩れ始め、最近は毎日曇っていて気温も下がってしまった(こちらが本来の天気なのだろうが)。そうした複数の要素が相まって、現在絶賛「夏の終わり」モードである。森山直太朗が脳内で連続再生されている。最近ジムに行くときに時々聞いているフジファブリックの曲に「茜色の夕日」というのがあって、その中の歌詞に「短い夏が終わったのに今子供の頃のさびしさがない」という部分があるのだが、今の私には子供の頃のさびしさがある。数日前に26歳になったが、少年の心を失っていないのだと好意的に解釈しておく。

だがよく考えてみれば、もうすぐ帰る日本は夏真っ盛りで、うんざりするような暑さが続いているはずだ。そしてこの先まだ「夏休み」(といっても、研究を志す人間にとって休みとは休みなようで休みでないものだということは繰り返し強調しておきたいが)は2ヶ月もあって、まだ3分の1しか終わっていないわけである。言ってみればこれから夏が始まるようなものだ。日本で食べたいものも行きたいところも会いたい人もやりたいことも沢山ある。そう考えれば楽しみだ!虫かごと虫網を持って野山を駆け巡った(想像上の)夏休みのウキウキ感が戻ってきた。

というようなとりとめのないことを書いていて、どこかでこの記事のタイトルを見たことがあるような気がして探してみたら、ほとんど同じようなタイトルの記事がネット空間に転がっていた。誰だか知らないが、どこかにセンスの良いやつがいるようだ。

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パンティングしてパブで休憩という最高の遊び。

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新しい友だちもできた。

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自然史博物館はちょっとしょぼい。

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「刑事モース」の撮影をやっていた。



「自己防衛」としての質的方法論ー2018年7月時点での暫定的見解のまとめ

  • はじめに

以前2回に分けてIQMRサマースクールの体験記()を執筆したが、今回は、オックスフォードで授業を履修する中で感じ、IQMRに参加してある程度まとまった、政治学の質的方法論に対する私見というか、私なりの理解をまとめたいと思う。もっとも、以下は私の2018年7月時点の認識で、おそらく欠落している視点も多いであろうし、また将来的に同じ考えを維持しているかも不明である。むしろ、今後議論の中で考えを修正、発展させていきたいと思う。

その要諦を先に箇条書きにまとめると、以下のようになる。

政治学の質的方法論は、従来、体系化・定式化されないまま研究者の「職人技」「名人芸」によって暗黙のうちに用いられてきた。
・しかし、量的方法論側からの批判を受けたことで、質的方法論自体を対象とする研究が発展した。
・そのため初期からのほとんどの研究は、量的方法論と比した場合の質的方法論の独自性とその長所を主張する、量的研究者からの「攻撃」に対する「自己防衛」としての側面を持つ。
・その目的がある程度達成されつつある状況下で、自衛の域を出て、質的方法論の新手法の開発、あるいは従来用いられてきた手法のさらなる定式化や再解釈を行おうとする研究も生まれているが、そうした研究は実証研究者によって広く受容・応用されるまでに至っていない。
・質的手法を用いる実証研究は、長年方法論を体系化せずに行われ、それで成立してきたために、多くの質的研究者は、質的研究の価値さえ「自己防衛」によって示されてしまえば、それ以上の定式化を行うことに特に価値を見出していない。
・そのため質的方法論者が議論する方法と質的研究者が実際に用いる方法との間には乖離があり、「方法論者の独り歩き」的状況が見られる。
・結局、質的方法論は量的方法論からの批判への対処に非常に大きな功績を挙げたが、それ以上の独自の発展の可能性は不透明である。

  • 「自己防衛」としての質的方法論

政治学における質的方法論に関する研究が顕著に増加するきっかけとなったのは、King, Keohane, Verba (1994) (以下KKV)の発表によるところが大きい。逆にそれまでは、質的方法論がそれ自体として体系的に論じられることは稀であった*1。KKVは、質的方法論と量的方法論は同じ目的とロジックを共有するとの前提のもと、量的方法論の立場から、現在の質的研究をどのように改善できるか、を論じたものである。同書は政治学者の間に非常に大きな反響を呼び、現在に至るまで、政治学方法論における最重要文献とされ、同書の出版以降にトレーニングを受けた研究者なら誰もが一度は目を通したことがあるはずだ。

KKVの貢献は広く評価されたが、同書は質的研究者に危機感を抱かせ、また彼らの大きな反発を呼ぶことにもなった。結局のところ、KKVがいかに「質的研究も重要だ」と言ったところで、彼らは量的方法論の立場から質的研究の方法論的問題点を指摘し、量的方法論の枠組みの中に質的研究を統合し、それを劣位に位置づけようと試みているのだと受け止められたのである。

KKVという「黒船」の到来によって存在論的不安にさらされた質的研究者は、「質的研究には独自の価値があり、単なる量的研究の下位互換などではない」ということを示す必要に迫られ、そのために質的方法論を対象とした研究を行うようになる。KKVの出版翌年の1995年には、早くもAmerican Political Science Review(APSR)上で同書に対するレビューが特集され、David Laitin、David Collier、Sidney TarrowといったビッグネームがKKVへの評価と反論を行った。その後も数多くの政治学雑誌や書籍において質的研究に関する議論が行われ、とりわけBrady and Collier (2004)やGeorge and Bennett (2005) はKKVとセットでアサインされる必読文献になっている。

こうした諸研究によって、量的研究に還元できない質的研究の役割が明らかにされ、量的方法論の立場からの質的研究への批判の幾つかは当たらないことが示されつつあると言ってよいだろう。具体的には、質的研究は特定の事例における政治現象の原因を分析するもので、全体での変数間の関係を解明しようとする量的研究とは性質が異なる、質的方法論は、量的方法論では分析できない因果メカニズムや、複雑な因果関係(causal complexity)、そして同じ結果へと結びつく複数の因果経路(equifinality)の解明を行うことができる、質的方法論はDSO(Data-Set Observation)ではなくCPO(Causal Process Observation)に則っている、といった主張が展開された。

個々の研究の質的方法論の独自性に関する見解は必ずしも一致しているわけではないが、質的方法論の研究者の中では、大まかに質的方法論の、量的方法論と比した場合の相違についての共通理解が形成されているように思われる。こうした質的・量的方法論の比較という意味での質的方法論の研究は、Goertz and Mahoney (2012) に至って1つの完成を見た。彼らは、量的方法論が確率論的なロジックに基づいているのに対し、質的方法論は集合論(set-theory)のロジックに基づいており、両者はそのバックグラウンドにある数学的な考え方から異なっているのだという。前者は変数間の相関に注目するが、後者は変数が必要条件あるいは十分条件であるかに関心を持つ。XがYに与える影響を推定することを目的とする前者に対して、後者はYから出発し、複数ありうるXを発見し、それがYをもたらす必要条件なのか、十分条件なのか、はたまたINUS(Insufficient but Necessary part of a condition which is itself Unnecessary but Sufficient for the result)やSUIN(sufficient, but unnecessary part of a factor that is insufficient, but necessary for the result)なのかを同定することを目的としている(集合論的な考え方についてはSchneider and Wagemann (2012)やRagin (2008)に詳しい)。

以上はかなり大雑把なまとめだが、質的方法論の1990年代以後の飛躍的な発展は、少なくともGoertz and Mahoney (2012) に至るまでの間、KKVを初めとする量的方法論の側からの批判に対して、質的方法論は単なる「量的方法論の観察数が少ない劣化版」などではなく、独自の価値を有しており、質的方法論の方が向いている分析がある、そして統計手法が発展しても質的研究の意義は失われない、という反論を(明示的にあるいは暗黙のうちに)主旨として展開してきた、と理解している。そしてそうした主張は一定の説得力をもって受け止められているといってよいだろう。その証拠に、例えば現在では多くの研究者が、統計分析によってXとYの全体としての相関を検証し、XからYに至るメカニズムを過程追跡(process tracing)によって確かめる、といった、混合手法(multimethod)を採用して研究を行うようになっているが、これは質量にまたがる複数の手法を別々の目的で用いるアプローチであり、質的方法論と量的方法論がそれぞれ別々の強みを持っているという前提に立たなければあり得ないものである(Seawright 2016)*2

ここに至って、KKVから質的研究者が受けたショックはある程度緩和され、「自己防衛」としての質的方法論の当初の目的は一定程度達成されたといえる。問題はその先である。

  •  独自の発展の限界

量的研究と比較する形で質的研究の独自性を主張する、という形の質的方法論研究が当初の目的を達成して一段落すると、次に目指されるのは、量的研究との差別化の文脈を離れた、質的方法論それ自体の発展、つまりその定式化・体系化である*3。周知のように、量的方法論の分野では日々新しい統計手法が開発され、Political Analysisのようなジャーナルに論文が掲載されている。それと同じように、質的方法論の開発を進めていくことを志向する研究者も現れた。

発表される雑誌は必ずしも決まっておらず、Comparative Political Studiesのような方法論に特化していないジャーナルに掲載されることもあるが、近年ではSociological Methods & Researchという社会学の雑誌が質的方法論の主要な掲載媒体となっているようである*4。ただ、同誌は質的方法論に特化しているわけではなく、量的方法論の論文もあれば、方法論ではない論文も掲載されている。

そうした近年の質的方法論の研究でどのようなことが議論されているのかという実例を幾つか挙げてみたい。ぱっと思いつくのは、Bayesian process tracingというもの。これは過程追跡(process tracing)、つまり原因から結果へと至る因果メカニズムを事例分析によって明らかにするという研究方法を、単に事例を分析するのではなく、ベイズ統計の論理、つまり事前確率と事後確率という考え方を用いて行うというものである。あるcausal-process observationがあったときに、それが出てくる前の研究者の中での「仮説が正しい確率」が、その証拠によってどのように変化したかを評価する。と聞いてもそれだけでは何のことだか分からないと思われるが、私は後で述べる理由からこれをきちんと勉強したわけではないので、詳しい説明はTasha Fairfield(やAndrew Bennett)の研究(Fairfield and Charman (2017)など)をご参照頂きたい。

もう1つは、James Mahoneyが院生と共著している一連の論文が挙げられる。例えばBarrenechea and Mahoney (2017)は集合論の考え方を用いてBayesian process tracingを行う、という内容で、Mahoney and Barrenechea (2017)は従来事例研究で用いられてきた反事実分析(counterfactual analysis)をより体系的に集合論を用いて説明している。また、IQMRでアサインされた未発表論文は、critical event analysisなる方法論を提唱していた。

しかしながら、こうした量的方法論との比較の文脈から離れた質的方法論の研究は、本来それを応用する存在である質的研究者によって幅広く認知され、受容・応用されているとは言い難い。Bayesian process tracingを、「その方法論の実例を示す」という目的以外で利用した論文はまだ見たことがないし*5、hoop testやsmoking-gun testといった過程追跡の用語が実証論文で用いられているのはほとんど見ないし、Mahoneyによる最近の論文は、質的方法論と量的方法論との違いを議論する研究よりも参照されていない*6。そもそも、質的研究者が、方法論ではなくサブスタンスに関する自分の研究の中で方法論の論文を大量に引用することはあまりない。事例選択に関してバイアスがあるだろうという批判に予め対処するとか、計量分析を用いないのはなぜかということを正当化するために引用するということは想像しやすいが、方法論自体に割かれる紙幅は量的研究者よりも平均して少ないだろう。また、方法論自体を研究対象としない実証研究者で、質的方法論に関する議論に通暁している人自体も少ない印象がある*7。なぜこのような状況が生まれているのだろうか。

  • 「方法論者の独り歩き」

それは質的方法論の出自に関係があるのではないかというのが、IQMRを含めて質的方法論を勉強するなかで至った私の理解である。つまり、上記のように質的方法論が盛んに議論されるようになった背景には、量的方法論の側からの挑戦があり、その危機感によって動かされてきた側面がある。もしそうした脅威がなければ、従来のように方法論に高い関心が寄せられないまま、現在に至っていたかもしれないのである。

というのも、事例研究というのは、それを行うのに必ずしも方法論の厳格な定式化を必要としないし、また定式化されずに十分成立してきた。もちろん、選択バイアスを最小化できる形で事例を選択すべきとか、因果メカニズムを図式化するとか、自分が今因果推論の中の何を目的として分析を行っているかに自覚的であるべきとかいうのは、質的方法論の議論が進んだ現在においては当然だが、事例研究を行うのに数学の公式やソフトウェアは必要ではない。

そもそも、量的方法論が発展する以前に優れた量的研究は存在しないのとは対照的に、質的方法論の議論が発展する以前から優れた事例研究は無数に存在している。質的方法論研究者が優れた事例研究の例としてほぼ100%(!)引用するSkocpol (1979) を初めとして、Moore (1966)、Luebbert (1987) など、こうした研究は必ずしも方法論に関する議論を前提とせずに書かれており、にもかかわらず現在においてもその重要性を認められている。近年書かれる事例研究においても、「なぜ他ではなく事例研究を用いるのか」という意味での自己防衛のために方法論に言及されることはあっても、それ以上方法論が議論されることは稀で、でもそれに関わらず研究の内容は評価されていることが多い。実際の質的研究は、質的方法論研究者が定式化するような形では、必ずしも書かれていないのである。例えば、Skocpol (1979) の因果メカニズムを質的方法論の議論を元に定式化しようとすると、あまりに複雑なことになって無理が出てくると言われる。

私見では、質的方法論というのは、結局「我々は何をやっているのか」の確認である。これまで無自覚に何となく見よう見まねでやってきた(なので見よう見まねで学べない人は研究ができなかった)ことを、明確な形で、一般的な言葉で表してみようという試みなのである。そうしなくてもこれまで成立してきたが、量的方法論の側から「お前たちがやっていることは俺たちのやっていることの劣化版だ」と言われたので、「いや、我々がやっていることはこういうことで、君たちがやっていることとはここが違うのだ」と言い返すために、まず自分たちのやり方を振り返ってまとめてみたということであると理解している。

そう考えると、質的研究を行う実証研究者から見れば、質的方法論の議論というのは、量的方法論との比較だからこそ、その存在意義を遺憾なく発揮できたが、比較という文脈を外れると、「別に確認しなくてもやってこれたんだからわざわざ必要ない」ということになる。本来の役割を一旦終えているのだから当然である。そもそも、質的実証研究者の間には、「方法論にこだわりすぎるよりも、新しいアイデアや理論的枠組みを提示することの方が重要だ」という価値観があるのではないかと思われる。

しかし、質的方法論の研究者から見れば、もちろんそうは見えない。やっと批判を退けることができた、じゃあこれから自分たちの独自の発展を希求していこう、ということになる。さらに、彼らの視野の中にはおそらく量的方法論があって、そこに引けを取らないレベルの体系化に達したい、対等なものとして質的方法論研究と量的方法論研究を成り立たせたい、という願望や規範があるのではないだろうか*8。その結果、元々、質的方法論研究者は質的研究者と同じ世界にいて量的方法論主義者と戦っていたはずが、いつの間にか質的研究者と質的方法論研究者の間に溝ができ、後者はむしろ量的方法論研究者と近づいている、同じ価値観を共有しているという状況が、生まれているのではないかと思われる*9

量的方法論においては、方法論の開発→応用という順序で進むのが通常だが、質的方法論は、「我々がやってきたことの確認」なので、使用→方法論的に見た解釈、という逆の順序で進む。必然的に、後者においては実証研究者が方法論に関する議論を参照する必要性が低くなるわけである。量的研究においては、実証研究が方法論を引用するが、方法論の側が実証研究を引用する必要性は必ずしもないのに対し、質的研究では逆に、方法論は実証研究を引用するが、実証研究が方法論を引用する必要性はさほど高くない。このように、量的方法論と質的方法論は、そもそもその性格というか意味付けが全く異なるのである*10。もっとも、例外として質的比較分析(Qualitativev Comparative Analysis: QCA)などは方法論が先に来て、ソフトウェアなども使用した分析を行うものだが、こちらは純粋に方法論としての有効性があまり広く認められていないといえる*11

  • まとめ

以上をまとめれば(冒頭にまとめを書いたので特にまとめる必要はないかとも思うが)、政治学における分析手法としての質的方法論は、量的方法論の側からの批判をきっかけに「自己防衛」の手段として発展し、量的研究と比した場合の質的研究の独自性を明確にする、という目的を持って当初発展した。しかし当初の目的がある程度達成されてしまうと、それ以上の目的が不明確であるため、今後の発展が見込まれるかは不透明な状況である。質的方法論の研究は「これまでなされてきたことの意味付け」という性格が強いため、実証研究者にとっては、量的研究との相違さえ示してしまえば特に方法論の議論を参照する必要性も薄れてしまう。そのため、質的方法論の独自の発展を希求する質的方法論研究者と、質的な実証研究者の間に乖離が生まれ、「方法論者の独り歩き」状況が発生しているのが現状である*12。量的方法論との相違を議論する中で台頭してきた第1世代の質的方法論研究者が今後退場していくなかで、質的方法論が新しい世代の研究者によって新たな発展を見せるのか、あるいは下火になってしまうのかは注目に値する。

なお、ここでは、研究対象としての質的方法論に現状では限界があるように見えるという趣旨のことを述べたが、質的研究(質的手法を利用したsubstanceに関する実証研究)に無理があるとは、私は露程も思っていないことは明確にしておきたい。私自身も、質的手法を主に利用する研究者の卵であり、既に第一期の質的方法論研究によって示されてきたとおり、質的研究には独自の価値が存在し、それは政治学の発展に欠くことのできないものであると確信している。ただ、質的方法論というものの付き合い方についての自分の考えとしては、「自己防衛」としての質的方法論、プラス最近は何が議論されているかぐらいは把握して教えられるようにしておきたいが、自分で方法論を研究対象にするところまで深入りしたいとは思っていない、というところである。方法論者にも満足されるようなデザインで研究したいとは思うが、あくまで対象はサブスタンスとしたい。

ずいぶん長くなってしまった割に、質的方法論に詳しい人なら当たり前の話、あるいはとんでもなく間違った話だったりするのかもしれないが、とりあえず自分の現在の理解をまとめるために記事にしてみた。

  • 参考文献

Barrenechea, R., & Mahoney, J. (2017). A set-theoretic approach to Bayesian process tracing. Sociological Methods & Research.

Brady, H., & Collier, D. (2004). Rethinking social inquiry : Diverse tools, shared standards. Lanham, Md. ; Oxford: Rowman & Littlefield.

Fairfield, T., & Charman, A. E. (2017). Explicit Bayesian analysis for process tracing: guidelines, opportunities, and caveats. Political Analysis, 25(3), 363-380.

King, G., Keohane, R., & Verba, S. (1994). Designing social inquiry : Scientific inference in qualitative research. Princeton, New Jersey.

George, A., & Bennett, A. (2005). Case studies and theory development in the social sciences. Cambridge, Mass. ; London: MIT Press.

Goertz, G., & Mahoney, J. (2012). A tale of two cultures [electronic resource] : Qualitative and quantitative research in the social sciences. Princeton, N.J.: Princeton University Press.

Luebbert, G. (1991). Liberalism, fascism, or social democracy : Social classes and the political origins of regimes in interwar Europe. New York ; Oxford: Oxford University Press.

Mahoney, J., & Barrenechea, R. (2017). The logic of counterfactual analysis in case-study explanation. The British Journal of Sociology.

Moore, B. (1966). Social origins of dictatorship and democracy : Lord and peasant in the making of the modern world. Boston: Beacon Press.

Ragin, C. (2008). Redesigning social inquiry : Fuzzy sets and beyond. Chicago ; London: University of Chicago Press.

Schneider, C., & Wagemann, C. (2012). Set-theoretic methods for the social sciences : A guide to qualitative comparative analysis. Cambridge: Cambridge University Press.

Seawright, J. (2016). Multi-method social science : Combining qualitative and quantitative tools. Cambridge: Cambridge University Press.

Skocpol, T. (1979). States and social revolutions : A comparative analysis of France, Russia, and China. Cambridge: Cambridge University Press.

 

*1:そもそも質的なものに限らず、方法論が研究の対象とされること自体がある時期までは稀であったとも言えるのかもしれない。

*2:以前は複数の手法を同じ分析に使用し、同じ結果が出ることを確かめるというtriangulationと呼ばれる形の複数手法の併用が行われていたが、これは質的方法論と量的方法論が同じ目的を持ち同じリサーチクエスチョンに答えるものであるという仮定に基づいており、Seawrightが主張するような現在の混合手法とは異なる。

*3:もっとも明確にどの時点から変わったという時期区分ができるわけではない。今なおどちらのタイプの研究も共存しているだろうし、どちらも目的としている研究も存在するだろう。あくまで大まかな区分として2つに分けた。

*4:IQMRでAndrew Bennett先生に聞いてみたらそういう答えが返ってきた。

*5:手法が新しくて発展途上というのはあると思うし、私が知らないだけかもしれないのだが…

*6:もちろん新しい論文の方が引用数が少ないのは当然だが、それにしてもという感はある。

*7:そもそも量的研究との相違を議論する研究すらもほとんど参照しない人も多いのではないか。質的研究者のコミュニティ内だけで生活していると、方法論に関する指摘をあまり受けない状況はあると思う。

*8:これはIQMRに参加して強く感じたことである。

*9:例えばこのような状況の例として、DART(Data access and research transparency)に関する議論を挙げることができるかもしれない。DARTは質的研究についてもインタビューなどのデータを公開し、再現性を高めることを主眼とした取り組みで、Collin ElmanやDiana Kapiszewskiといった質的方法論に強い関心を持つ研究者が中心に入って推し進めている。IQMRはまさにこうした人々が組織しているもので、サマースクールの期間中にもDARTに関するセッションがあった。しかし質的研究者の一部には、研究の足かせになるものとしてDARTに反対する人も多い。

*10:ただ、質的方法論の中でも、インタビューやフィールドワークの技法などに関しては、独自の発展に成功しているのではないかと思う。もっとも、これらはデータ収集の方法論であり、これまで議論してきたのはデータ分析の方法論である。ここでは後者だけを議論の対象にしていることに注意したい。

*11:QCAは米英、特に前者ではかなり懐疑的に見られていてほとんど誰も使わないが、大陸ヨーロッパでは比較的使用されているらしい。

*12:このような状況はもしかすると、量的方法論と量的研究の間にも多少はあるのかもしれない。方法論研究者と同じレベルで方法論を理解できる研究者は必ずしも多くはないと思われるので、メソッドの発展に比して応用がそれほど進まない、という状況はありそうだとは思う(が量的方法論を一人前に語れるほど詳しくないので断定的なことは言えない)。

ロンドンの一番長い日

昨日はロンドンに行ってきた。ロンドンはオックスフォードから電車で1時間ほどなのだが、オックスフォードという街は大きくない割に大抵の基本的なものは何でも揃うこともあって、この1年、留学前に予想していたほどには行かなかった。面白いのは、大阪という世界有数の巨大がちゃがちゃ都市に生まれ、東京という世界有数の巨大ごちゃごちゃ都市で6年も暮らしていたのに、ロンドンに行くと都会疲れするということである。別にロンドンが東京よりごった返しているとかいうことはないのだが、ロンドンからオックスフォードに帰ってくるとなぜかとても安心する。

昨日行った目的は、ロンドンにいる友達とランチをすることで、別の友達に教えてもらったソーホーの「Koya」といううどん屋に行ってきた。自分は日本食にそれほど強いこだわりがあるわけではないのだが、夏になってから冷たいうどんがどうしても食べたくなって、帰国したらまっさきに食べようと思っていた。しかしロンドンでフライングしてしまったのである。美味かった。

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生姜焼きなんちゃらうどん

うどんを食べたあとは中華街をぶらぶら歩いて、Sir John Soane's Museumという変な建築家の変なコレクションを集めた美術館に行って、その後バブルティーを飲みながら2時間ぐらいとりとめもない話をしていた。その友達は自分とは何のバックグラウンドも一致していないのだが、なぜか不思議と波長が合って、話題が尽きない。定期的に会いたくなる友達である。

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中華街のゲート。この街がどうやって形成されてきたのか、その歴史が気になる。

さてさて、問題はここから。ずいぶん長く話していたので、オックスフォード行きの電車が出るパディントン駅についたのが5時過ぎになってしまった。オックスフォード行きの電車を確認して改札を通ろうとすると、ゲートが開かない。一瞬戸惑った後、自分がやらかしてしまったことに気づいた。

私が買ったのはoff-peak return ticketで、ピーク時以外の電車にはどれでも乗れるというもの。しかし朝と夕方のピーク時には乗れない。で、5時台・6時台というのはまさにラッシュ時なのだ…

チケットオフィスに行って聞いてみると、ピーク時に乗るための追加料金は、新しいチケットを買うよりも高いらしい。なんじゃそれ。しかも、次のオフピーク電車は2時間後とのこと。万事休すと思われたが、もうすぐDidcot Parkwayという駅までのオフピーク電車があるので、余分に時間はかかるがそこから乗り換えればオックスフォードに行けるという。調べてみたら普通の倍の時間がかかるようだったが、背に腹は代えられない、それに乗ることにした。

電車は混雑していて、途中の駅まで30分ほど立っていなくてはいけなかった。1時間ほどでDidcot Parkwayに着いたのだが、そこでオックスフォード行きの電車を探していると、掲示板にプラットフォーム番号の代わりにBusと書いてある。意味がわからなくて係員に聞いてみると、今線路が工事中だかなんだかでバスで代替運行をしているという。何とかバス停を探して乗る。

30分ほどでオックスフォードに着いたが、ふと外を見るとどうも雲行きが怪しい。7月になってからほとんど毎日晴れていて、雨らしい雨は全然降っていなかったので、傘など持ってきていなかった。そもそもイギリスで傘が絶対必要になるような雨が降ることはあまりない。しかしみるみるうちに雨脚は強まり、バスを降りる時には日本のゲリラ豪雨並みの大雨になってしまった。

急いで雨宿りをして、どうやって帰るかを考えていると、もうすぐBanburyまでのバスが出る、とそのへんにいた係員が言っている。自分はBanbury roadの近くに住んでいるので、これは幸いと待ってバスに乗りこんだ。

しかし乗ってみて数秒後、ふととある疑惑が頭をよぎった。係員はBanburyとは言っていたが、一度もBanbury roadとは言わなかった。もしかしてこれはBanburyという道ではなく、Banburyというどこかの街へ行くバスではないのか…?急いで隣の人に聞いてみると、まさにその通りだという。Google mapで調べてみるとBanburyは35キロも先。バスはまだ発車していなかったので、急いで降り、辛くも難を逃れた。あぶない…

さてこれでバスで帰るというオプションはなくなってしまった。仕方なく、雨の中をずぶ濡れになりながら帰った。

友達に「みんなイギリスの電車ダメって言うけど俺はまだトラブルにあったことないんだよね」などと言っていた帰り道に、トラブル続きになってしまったわけだが、どういうわけかストレスは感じず、あー仕方ないなあ、という気持ちで対処できたのは、自分を褒めてあげたい。