紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

哀愁の街にカキフライが降るのだ

東京から関西の実家に帰ってきて数日が経った。御堂筋線には新しい車両が走り、大阪駅にはめったやたらとキレイなエリアができ、近鉄電車のえんじ色のシートはいつの間にかグレー勢力に駆逐されつつあった。もう7年近くも関西には住んでいないことになるが、さすがにそれだけ間が空くと色々なものが変わるようだ。ゆく河の流れは絶えずしてなんとやら。

実家で母親の料理を懐かしく食べていたら、今回の東京滞在中に行った食堂のことを思い出した。今回泊まったAirbnbの1つが巣鴨の近くにあったことから、巣鴨地蔵通り商店街の「ときわ食堂」という定食屋に行ったのだが、ここが美味しかった。昼食時は街のおじさんやおばさん、おじいさんやおばあさん、さらにはおじさんやおばさんなどの大変多様な人々で賑わっており、店員さんはてきぱきと注文とおじさんやおばさん、おじいさんやおばあさんをさばいていく。エビフライや唐揚げなどの揚げ物系、煮魚、刺し身など豊富なメニューがそろっており、どれも美味しい(といっても何個も頼んだわけではないので想像)。自分はカキフライを食べた。

人気店で、店全体の雰囲気が良い意味でテキパキしているので、回転率は結構良さそうであった。店員さんを呼び止めて注文を伝えるとそれほど待つことなく料理が運ばれてくるのも良い。

そうやって同行者とカウンター席でテキパキカキフライを口にしていたら、いつの間にかさっきまでいた隣の人が入れ替わっていて、外国人らしい人になっていた。テキパキしていたので気づかなかった。数分後、テキパキ食べていたので早めに食べ終わってしまい、ようやく周りを見渡す余裕ができたのだが、隣の彼はまだ何も注文していなかった。うーんこの人は何をしているんだろう、ひょっとして呼び止めて注文するというシステムが分からないのかな、助けてあげた方がいいかなと思っていたら、ふいに彼が私の方に向き直り、何やら話しかけてくる。どうやらその人はベトナム人で最近日本に来たばかりらしく、今私が食べているものが何か知りたいということらしかった。やはり来たばかりだからか、まだ日本語はこれから、という感じのようで、少し理解に時間がかかった。それで自分は、「カキフライ」とメニューを指し示したり、伝票の文字を見せたり、何度も言ったりして、この美しくも危険な貝の名前を認識してもらおうとし、彼もうんうんうなずいて理解している風であった。するとやってきた店員さんに彼が注文する風だったので、安心して席を立ったのだが、そこで聞こえてきたのは何と、「チャーハン」の一言であった。

チャーハン・・・

いや、多分チャーハンはメニューに載っていなかった。少なくともこの店の売りではなかったと思う。しかし店員さんは一瞬「え?」という顔をした後になぜか「OK」と言ってテキパキ去ってしまい、私はいたたまれなくなってテキパキと勘定を済ませて出てしまった。

やっぱり彼は私の「カキフライ」が分かっていなかったのだろうか。それとも、やっぱりあんまり美味しそうじゃないからと思ったのだろうか。後者なら良いのだが、前者なら代わりに注文してあげるところまですればよかった。まあそこまでしなくてもいいかなと思ってしまったのだが、結果的にそのせいで(?)彼はカキフライを食べられなかったではないか。なんということをしてしまったのだろう。後悔と反省の念に苛まれつつテキパキと店を後にした。外国でメニューの内容がよくわからなくて結果的にそこで食べる必然性のないものを頼んでしまった経験は自分にもある。つくづく悔やまれる出来事であった。

せめて彼のもとに美味しいチャーハンが届いたことを祈りたい。 

 

日本に帰ると「現実」に引き戻される。

やはり東京にベースがないと、お金を出してどこかに泊まることになり、そのため無駄に散財してしまう結果になる。今回は東京の滞在期間を長く設定しすぎたようだ。奨学金などはポンドに変えてしまっているため、日本円の口座からはお金が流出するばかりなのが少し悲しい。

まあそれでも懐かしい(といってもたった数ヶ月ぶりだが)友達に何人も会うことが出来て、やたらと(物理的な意味で)貫禄がついた友人や、東北に赴任して日本酒を飲みまくっていつの間にか高度な知識を蓄えていた(と同時に肝臓を痛めていた)友人、驚くほどに何も変わっていない友人などと他愛もない話をするのはとても楽しかった。

しかしそうした会話の中で感じたのは、「自分がいない間にも日本社会では確実に時間が流れている」ということだった。もちろん当たり前のことだし、イギリス社会にも時間は流れているのだが、自分はイギリス市民ではないしイギリスで生まれ育ってもいないため、彼らの社会に共有されている価値観やライフスタイルを共有しておらず、またオックスフォードという大学街で、各国から集まった自分と同じ大学院生を主に相手にしているために、周りと自分とのズレをあまり感じることはなく、ある意味時間が「止まって」いるような感覚を持っていた。

だが日本に戻って旧友と話してみると、まだ多くはないが誰々が結婚したとか、仕事がどうとか、(学部生時代よりは確実にグレードの上がっている)あの店に最近行ったとかいう話が出て、否応もなく自分が25歳で、その年齢では世間では「普通」、仕事にもそろそろ慣れてお金もある程度溜まってきて、人生を徐々に落ち着け始める時期なのだな、ということを意識させられることになる。ふわふわと心地良く浮遊していた気分に一気に紐を付けて地上に降ろされるような感じ。そんな風に生きたいと思うわけではないし、自分がやりたいようにやっていて満足しているわけだが、学部を出てすぐ就職していたら周りとの間にこういうズレを感じることはなかったのだろうな、とは思う。

それは日本社会が他と比べてどうというよりは、自分が紐付けされている社会から離れているときのストレスのなさと、その社会に一時的に戻った時の再認識とのギャップに戸惑っているのだろうと思う。留学生活が心地良いのは、日本における準拠集団のことをあまり考えなくていいからかもしれない。 

 

ポルトガル旅行:2017年12月

東京からこんにちは。昨日の飛行機で東京に到着し、これから10日間くらい東京に滞在した後関西の実家に帰る予定である。時差ボケで朝5時頃に目が覚め、仕方ないので朝早くから大学に来て作業していた。これまであまり時差ボケというものを意識してこなかった(ならなかったのか気づいていなかったのかは定かではない)のだが、最近イギリスから日本に帰るとなぜか時差ボケになって数日は治らない。年を取ったのだろうか…老け込むには早い、ということを言うにはあまりにも早い。

まあそんなわけで、慣れ親しんだ母国に戻ってぬくぬくと(といってもイギリスよりも日本の部屋は断然寒い)生活しているわけだが、帰国の直前にはポルトガルを旅行していた。留学を開始して初めての海外旅行である。今後はヨーロッパの色んな国に行くことになるのだろうなあ。楽しみ楽しみ。

ポルトガル旅行は大学の友達とその知り合いと行ったのだが、振り返って(脳と胃と肝臓の)満場一致で「楽しかったなあ」と思える良い旅行であった。何が楽しかったのだろう。

まず1つには、ポルトガルという国、といってもリスボンポルトしか見ていないが、この国の雰囲気が自分にとってなかなかに心地良いものであったことがあるだろう。特にリスボンは天気が良く、町並みが綺麗で食べ物も美味しかった。リスボン空港に到着し街までタクシーで向かっていると、開いた窓から入ってくる風と陽光が、イギリスの寒さと曇り空によって知らず知らずのうちに固まってしまった心と身体をほぐしてくれるようであった。

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城から見たリスボンの街

特に高台から見下ろした街の風景はとっても綺麗で、いくらでも眺め続けられそうだ(が、空腹だったので5分で撤退した。)どこに行っても出てくるバカリャウ(タラ)はイギリスで散々タラ攻撃に遭っている自分にはうんざりする代物であった(まあ美味しいのは美味しいのだけれどそういうことではないのだ)が、エビや貝などの他のシーフードは、イギリスではなかなか気軽に味わうこともなかっただけに大変なごちそうであった。

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フランセジーニャというトーストに肉を挟んでチーズを載せたやつ。通称「豆腐」

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皆無言でがしがしと食った。

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デザートはパステル・デ・ナタ(エッグタルト)


街の人々も結構親切で、英語も達者だったのでコミュニケーションにも問題がなかった。興味深かったのが、ポルトガル人の多くはスペイン語を話せる(逆は真ではない)のだが、スペイン語で話しかけられるのをあまり喜ばない人が多いらしい、ということだった。両国の微妙な「力関係」、そしてアンビバレントな相互認識などが垣間見えた気がして面白い。もちろん英語だって他国の言葉なわけだが、もはや国際言語としての英語は「イギリス/アメリカetc. の言葉」という以上のものであって、ある意味ニュートラルな存在になっているのだろう。

もう1つは、旅のペースがちょうどよかったということかもしれない。自分は細かくスケジュールを区切って朝から晩までできるだけ沢山の観光地を回る、というような慌ただしい詰め込み旅行が嫌いで、極端な話何もしなくていいからゆっくり過ごしたいというタイプなのだが、同行者が同じようなタイプの人達でストレスがなかった。いくら仲の良い友達でも、旅行のスタイルが違うと旅の道連れとしては好ましくはない。かといって一人旅は長いと寂しい。なかなかベストな仲間というのは難しいのである。今回はうまくペースが合って幸運であった。

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リスボンの街角

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ポルトの夜景

などと振り返りながらポルト空港で帰りの便を待っていたら、飛行機が暴風雨によって欠航になってしまった。リスボンとは対照的にポルトは滞在中ずっと雨で、特に最終日は昼からものすごい風と雨になっていたので危惧していたが、まさか欠航になるほどとは思わなかった。ポルトは映画『魔女の宅急便』のモデルになった場所らしいが、こんな天候ではキキも宅急便を配達するのは無理だろう。しかしそういえば「宅急便」というのはヤマト運輸の商標である。本来は「魔女の宅配便」とすべきところを、「宅急便」という言葉を使って問題ないのだろうか、いや待てよあの映画には黒猫が出てくるが、あれは実はヤマト運輸の陰謀なのか!などと考えているうちに、TAPポルトガル航空が素早くホテルと翌日の航空券を準備してくれた。その日はオックスフォードでも大雪が降っていたらしく、広範囲で天気が荒れた日だったようだ。まあこうしたトラブルは時々はあることで、それに動じなくなっている自分にちょっと嬉しくなったりもする。ただそういえばリスボン空港でのパスポートコントロールは恐ろしく非効率で、2時間ほども列に並ばされたことを思い出した。これは自分史上最悪の入国審査であった。

そういえば以前高田馬場早稲田松竹で、「リスボンに誘われて」という映画を観た。あまり内容は覚えていないが、リスボンに実際行ってみた後に観返したら面白いだろう。今度観てみよう。

行き帰りに久しぶりに椎名誠のエッセイを読んでいたので若干影響された文体になってしまった。ではまあそういうことで。

 

今学期の雑感(MT 2017)③:来学期の課題

前回の記事はこちら

ポルトガルからこんにちは。ポルトガルといえばイギリスよりも暖かいイメージで、実際気温的にはオックスフォードより5度以上高いのだが、それでもタイやインドネシアに行くのとはわけが違って、一応冬は冬である。日本でも北国の人はよく言うが、本当に寒い国では建物の防寒対策がしっかりしているので一旦家の中に入ってしまえば寒さは気にならない。トロントにいた時は、外がマイナス20度の世界なのに中ではみんな半袖半ズボンで過ごしていた。(カネディアンの中には外にも半ズボンで出て行く猛者もいたが、それはさすがに例外。)しかし、中途半端に寒い場所では、建物が寒さに耐えうるように設計されていないため、建物の中にいても底冷えのする寒さに襲われる。ポルトガルがまさにそれのようである。現に今宿泊先のairbnbの部屋でキーボードを叩く手は冷え切っている。過酷なブログ執筆環境を物ともしない筆者に拍手を頂きたい。

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リスボンの街を見下ろす

しかし「防寒対策」という言葉はおかしくないか。「◯◯対策」という言葉は、この「◯◯」に対して向き合うために何か手段を講じるということであり、例えば「害虫対策」は害虫が来ないように農薬を撒くとかいうことを指しており、「税金対策」は払う税金を出来るだけ最小限に留めるために何らかの手続をすることを意味している。しかし翻って「防寒対策」というのは、これに沿って考えれば「防寒」に対する対策、つまり人間どもがコートやらヒーターなどで武装してくるのに対抗してもっと強い北風を吹かせてやろうとか、窓を吹き飛ばしてやろうとかいうことになる。いや、待て。これは我々人間が寒さを軽減するための策ではなく、冬側の戦略ではないか!我々は騙されているのだ。

このままだとこの記事がどんどん「どうでもいい話」カテゴリに突き進んでいきそうなので、このへんで軌道修正して、今回の本題に入っていこう。今回は、これまでの2回の記事を踏まえて、今学期十分にできなかったこと、来学期やるべきことについて書いていきたい。

  • 研究関心の合う人を探す

今学期あまり研究活動が出来なかったのは2つ前の記事でも書いた通りだが、来学期からは自分の研究を本格化せねばならない。研究は基本的に指導教員とマンツーマンでやるというのがイギリス式だが、とはいっても、日常研究について色々と話すことのできる院生仲間や、指導教員以外の教員がいた方がより研究への多様な示唆が得られるし、人の研究からも参考にできることが多くなる。なので研究関心が会う人を見つけたいのだが、これがなかなかどうして簡単ではない。1つには自分の研究関心がIRのメインストリーム(安全保障研究とかIPEとか)とは離れている一方で、オックスフォードのIRの同期は大半がこうしたテーマを研究していること、もう1つは、あまりPolitics専攻の院生や、先輩、指導教員以外の教員と話をする機会がないことが原因としてある。東大にいた頃も周りと研究関心が合わずにかなりフラストレーションが溜まっていたのだが、この時はそもそも研究関心が合う人が研究科内にほぼいなかった。もちろん「研究関心」の範囲を広げればその網にかかる人はいるわけだが、その距離もそれなりに遠い割にそれでも人が少ない。今の研究科は、母集団も多いし、ある程度重なる人も多いのではないかという気がしている。幸い指導教員は面談のたびに「この人に会いに行け」という人を挙げてくれるので、教員の中では少しずつ広げていくことができそうだが、できるだけ情報通になって、時には研究科の枠を超えつつ、まずは学内で研究面での知り合いを増やしていくことが大切だと思われる。

  • ジョブマーケットを見据えた活動をする

先日学内の"Academic Job Seminar"なるものに出てきた。担当の教員がアカデミアの就職について概説するというもので、なかなか参考になったのでまた記事に書くかもしれないが、そこで「3・4年後にはジョブマーケットに出なければならない」という事実に改めて気付かされ、危機感を抱いた。現在査読中の論文が1つあるが、まだ英語での業績はないし、国際学会も審査中のものが1つあるもののまだ経験はなく、就職市場の仕組みについてもよく知らない。日本におけるそれについては少しずつ理解が深まってきてはいるのだが、海外のアカデミアについてはまるで土地勘がないのが現状である。しかし周りの院生を見てみると自分以上に知らない人も多いし、そもそもPh.Dを取っても全員がアカデミアに進む(を目指す)わけではないのがオックスフォードとアメリカのプログラムの違いである。正直に言ってオックスフォードの院生は少々のんびりし過ぎている感があり、それが良いところでもあるのだが、自分もついつい流されて「まあまだいいか」などと思ってしまいそうになる。しかし就職は最終的に人が何とかしてくれるようなものでもないので、自分で意識して早くから動き出さなくてはならない。アメリカのPh.Dはイギリスよりも長い時間をかけていて、就職に関する情報もより多く得ていると言われているから、彼らとの競争に負けないように自分も十分武装しなければならない。

具体的には、①学会情報をまとめて発表の予定を立てる、②博論以外にも論文を執筆して投稿する、③研究を通じて学内外にネットワークを作る、④将来自分がどの科目を教えられるようにするのか、方向性を定める、などの努力が必要になるだろうと思う。 

  • オックスフォード/イギリス/ヨーロッパをよりよく知る

今学期は生活も交友関係も、カレッジが中心になり、外に出る機会はあまり多くはなかった。 それ自体は悪いことではなく、異国の地で生活する上でまず自分の「ホーム」を確立する、つまり基盤を築くということは非常に重要であると思う。それがなければ生活が落ち着かないし、不安や寂しさといった感情に支配されやすくなる。今学期を通じてホームの確立には十分成功したと感じる。

しかし、基盤を形成する段階が過ぎると、今度はいつまでもそこだけに留まっているのではなく、積極的に外に出て行くことも必要になるだろう。自分のカレッジでずっと過ごすのではなく、学部のデスクでも研究し、街のレストランやパブを開拓し、他のカレッジも見学し、時には近郊の街に足を伸ばし、さらにイギリスの他の都市にも旅行し、ヨーロッパ各国も見て回る。コンフォートゾーンを出て色々なものを吸収することを心がけたい。

  • 運動をする

もう1つ今学期あまりやらなかったのは、運動や課外活動である。日本にいた頃は週に1・2回ジムで軽くだが筋トレをして、週1回スカッシュのレッスンに行っていた。しかしこちらに来てからは、荷物にスカッシュ・テニス用品が入らず道具を持ってこなかったこともあり、運動からは遠のいてしまっていた。また、博士課程になってサークルに力を入れるのもどうかと思ったのと、週何回練習があるというような拘束が煩わしく思われて、あまり課外活動にも力を入れなかった。

しかしやはり運動不足は身体的にも精神的にも良くないし、やろうと思えばジムくらいはすぐに行けることを考えると、行かなかったのは単なる怠慢だとも言える。年末の帰省の際にはスカッシュ・テニス用品も持ち帰る予定なので、来学期からはまた運動を再開していきたい。

 

今学期の雑感(MT 2017)②:生活面

前回の記事はこちら

試験期間というのは嫌いだ。もう準備できているので他のことをしても良いはずなのだが、何か試験が終わるまではその対策をしていないといけないような気になる。なので結局時間を無駄にしてしまう。できればもうペーパーテストは受けたくないものだ。

中途半端に時間が余っているので、ここで前回の続きとして生活面に関する記事を書いておこうと思った次第である。

  • カレッジという制度は素晴らしい

生活面で特筆するべきはやはりオックスブリッジ独特の「カレッジ」(ちょっとカッコつけて言うと(?)コレッジ)制度であろう。オックスフォードはカレッジの集合体みたいな話は既にどこかで書いたような気がするし毎回説明するのも面倒なので省略するが、大学院生にとってカレッジとは生活基盤であり、コミュニティであり、「家」である。友達の多くはカレッジででき、カレッジで食事をし、カレッジで眠る。おやすみ。

おはよう。そう、それでカレッジの何が良いかというと、自分の同期以外に広く交友関係を築けるところである。Ph.Dの院生というのは、自分の研究にこもりがちになるし、自分の日本での経験から言うと、少しの例外を除いて同期や学部の先輩後輩との関係は「友人」というよりは「同僚」に近く、リラックスして話せるとは限らない。というかそもそも母集団が小さいので気の合う友人を見つけられる可能性は高くない。さらにアメリカのPh.Dプログラム等だと、他のプログラムの人と繋がる機会はなかなかない(伝聞)から、交友範囲は狭くなりがちである。その点、カレッジというものがあることで、同じ敷地内で起居する100人単位の多様な人々の中から友人を作ることができるという環境はやはり得難いものがある。少なくとも、日本にいて一人暮らしの部屋と大学を往復していた時と比べると、より生活は楽しく、ストレスも少ない。

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カレッジの食堂に設置されたクリスマスツリー
  • 適応がかなり早く済んだ

おそらくはこうした環境のお蔭もあって、こちらでの生活に適応するのはかなり早く済んだ。トロントの時は、記憶がある限りでは初めての海外生活ということで、最初戸惑うことも多かったし、住んでいた寮の周りがほぼ全員ネイティブの1年生の中で英語もまだまだな3年生という状況であったため、周りとのギャップも感じることが多かった。しかし今回はそのトロントの経験があるし、周りの人々も多くはノンネイティブで、専門分野もある程度近く、かつ全員が同時に外国で新しい生活を開始している。そのため話題も多いし、周りに置いていかれる感じも少ない。

  • 英語は上達したのか分からない

言語習得というのは直線的にやればやるほど上達するというものではなくて、階段状にあるときポンと飛躍するようなものだと聞く。自分はこの2ヶ月あまりで飛躍したのかどうかは正直なところ分からない。周りがノンネイティブということは、話しやすいのは確かだが、同時に「ミスしてもいいや」というメンタリティが生まれてしまうことも確かである。どうせお互い完璧ではないのだから、肩肘張らなくてもいいというか。なので「甘え」が生じる面はある。

特に自分がまだまだだなと感じるのは、スラングをあまり知らないことと、あまり英語圏の音楽・テレビ・芸術といったものに触れてこなかったためこうした分野の語彙が少ないことである。あと食べ物や生物の名前なども、分からないことが多い。よく言語のレベルを言う時に「日常会話程度は…」などと言う人がいるが、私見では、ある程度以上のものを求めると、日常会話の方が遥かに専門的な会話よりも難しい。自分のレベルの低さを特に実感するのは、例えばクイズに参加したときである。クイズというのは一般常識+αみたいなことを問うわけだが、こちらで共有されている一般常識を自分があまりに知らなすぎて、全然答えられないことになる。まあ、こうした話は別の機会に改めて書きたいと思う。

一方、もしかしたら成長したかもと思ったのは、「相手によって自分のレベルがばらつくことがなくなった」ということである。以前は、自分と同じくらいまでのレベルの人と話す時は自信を持って話せるものの、自分より上のレベルの人、あるいは緊張を要する先生と会話するときなどは、普段の自分よりも何倍も詰まったり言葉が出てこなかったりしたものだった。しかし最近気づいたのだが、いつの間にか相手によって自分のレベルが変わることはほとんどなくなっていて、これに気づいた時はとても嬉しかった。まあしかしまだまだである。

  • ロンドンには行かなかった

オックスフォードはロンドンから電車で1時間、バスで1時間半程度であり、普通に買い物でぱっと行ける距離なのだが、結局今学期は一度もロンドンには行かなかった。ロンドンには知り合いもいるので、週末に行ったりするだろうなと思っていたのだが、予想に反して行きたいともあまり思わなかった。新たにショッピングモールができたりして買い物は市内とAmazonで完結するし、空港に行く際もオックスフォードから直通バスがある。わざわざロンドンに出向く用がなかったのだ。要はそれだけオックスフォードに満足していたということだろうが、まあしかし資料調査もあるし、そのうち行くようになるだろうとは思う。

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友達のカレッジ(St. Catherine's College)のクリスマスディナーに招待してもらった。