紅茶の味噌煮込み

オックスフォード留学記

日本に帰ると「現実」に引き戻される。

やはり東京にベースがないと、お金を出してどこかに泊まることになり、そのため無駄に散財してしまう結果になる。今回は東京の滞在期間を長く設定しすぎたようだ。奨学金などはポンドに変えてしまっているため、日本円の口座からはお金が流出するばかりなのが少し悲しい。

まあそれでも懐かしい(といってもたった数ヶ月ぶりだが)友達に何人も会うことが出来て、やたらと(物理的な意味で)貫禄がついた友人や、東北に赴任して日本酒を飲みまくっていつの間にか高度な知識を蓄えていた(と同時に肝臓を痛めていた)友人、驚くほどに何も変わっていない友人などと他愛もない話をするのはとても楽しかった。

しかしそうした会話の中で感じたのは、「自分がいない間にも日本社会では確実に時間が流れている」ということだった。もちろん当たり前のことだし、イギリス社会にも時間は流れているのだが、自分はイギリス市民ではないしイギリスで生まれ育ってもいないため、彼らの社会に共有されている価値観やライフスタイルを共有しておらず、またオックスフォードという大学街で、各国から集まった自分と同じ大学院生を主に相手にしているために、周りと自分とのズレをあまり感じることはなく、ある意味時間が「止まって」いるような感覚を持っていた。

だが日本に戻って旧友と話してみると、まだ多くはないが誰々が結婚したとか、仕事がどうとか、(学部生時代よりは確実にグレードの上がっている)あの店に最近行ったとかいう話が出て、否応もなく自分が25歳で、その年齢では世間では「普通」、仕事にもそろそろ慣れてお金もある程度溜まってきて、人生を徐々に落ち着け始める時期なのだな、ということを意識させられることになる。ふわふわと心地良く浮遊していた気分に一気に紐を付けて地上に降ろされるような感じ。そんな風に生きたいと思うわけではないし、自分がやりたいようにやっていて満足しているわけだが、学部を出てすぐ就職していたら周りとの間にこういうズレを感じることはなかったのだろうな、とは思う。

それは日本社会が他と比べてどうというよりは、自分が紐付けされている社会から離れているときのストレスのなさと、その社会に一時的に戻った時の再認識とのギャップに戸惑っているのだろうと思う。留学生活が心地良いのは、日本における準拠集団のことをあまり考えなくていいからかもしれない。