研究者を目指して博士課程に所属している、あるいはこれから大学院を選ぼうと考えている人ならば、その大学院を出た先にどのような未来が待っているのかを考えるのは自然なことだろう。自分のプログラムの出身者が、研究大学に良いポストを得ているのか、どの国で職を得ているのか、といったことは誰もが知りたいものだ。もちろんこうした情報はあくまで参考にしかならず、先人が良い就職を出来たからといって自分が同じようにできるわけではなく、逆もまた然りである。しかし傾向として、それを把握しておくことは(特に大学院を選ぶ段階において)重要である。
日本ではこうした情報は口コミ、人伝でしか得られないものだが、例えばアメリカならば、主要な大学のPh.Dプログラムのウェブサイトには、たいていplacement record(就職先一覧)が掲載されているはずである。しかし、イギリスではアメリカほどこれが一般的になっておらず、私の所属先(オックスフォード大学政治国際関係学部)もこれを公開していない。というか、多分記録してすらいない。オックスフォードはこのあたり伝統にあぐらをかいているというか、かなり適当である。
なので、まとまった形で先輩の就職先を知ることはできないのだが、この前WebLearnという、オックスフォードが使っている履修登録システムのようなものを見ていると、"Successful theses in International Relations since 1971"というExcelファイルが掲載されていることに気がついた。政治国際関係学部の博士課程はDPhil in PoliticsとDPhil in International Relationsの2つのプログラムに分かれているのだが、後者については、過去の修士論文や博士論文の一覧がまとめられているのだ。当然そこには取得年度や名前も載っている。
ということはつまり、ここに載っている人々の名前を検索すれば、少なくとも研究者になっている人はウェブサイトに名前が記載されているはずだから、自分でplacement recordを作成できるわけである!早速取材班は現地へと向かった。
データ自体は1971年から存在するのだが、あまり古い人を見ても特に今の自分の参考にはならないので、とりあえず2000年に博士号を取得した人から2016年の取得者まで、合計237人の現在の所属を調べてみた。中には検索しても名前が出てこない、あるいは所属がはっきりしない人もおり、すべてを把握できたわけではないが、とりあえず現在分かっていることをここに共有したい。なお、237人のうち、インターネット上で所属を確認できたのは、179人であった(約4分の3)*1。
- アカデミア以外への就職が多い
まず調べていて気づくのは、アカデミア以外に就職している人がかなりの割合を占めるということである。博士号取得者の就職先を①アカデミア(大学での研究職)、②シンクタンク、③政府関係(EU含む)、④国際機関、⑤その他(企業、NPOなど)の5つのカテゴリに分類してみると、以下のようになった。
① アカデミア:106人(59%)
② シンクタンク:25人(13%)
③ 政府関係:14人(8%)
④ 国際機関:10人(6%)
⑤ その他:24人(13%)
合計:179人
つまり大学での研究職についている人は、全体の6割以下で、残りの4割はアカデミア以外の職についているということになる。さらに、研究者はほとんどの場合大学のウェブサイト等に名前が載っていることから、所属が確認できなかった58人が研究者である可能性はかなり低い。つまり、実際には博士号取得者に占める研究者の割合は、45%程度になるだろうと思われる。
ここで研究者の卵として気になるのは、こうしたアカデミア以外の職についている人が、「アカデミアに残りたかったけれどそれが叶わなかった」人なのか、「アカデミアに残るつもりがなかった」人なのか、という点である。前者が多数なのであれば、オックスフォードのplacementについて重大な懸念が生まれるが、後者が多数を占めるとすれば、「残ろうと思えば残れる」ということになるので、安心できるわけである。
私の実感としては(希望的観測も含めて)、アカデミアに残らなかった人の大半は、初めからアカデミアに興味がなかったか、あるいはどっちか決めずに進学して結局アカデミア以外を選んだかのどちらかではないかと思っている。もちろん「研究者になりたい」と思っていたけれども叶わなかった人もある程度はいるとは思うのだが、ヨーロッパでは特に、(少なくとも政治学・国際関係論の分野において)博士号とアカデミアがそれほど直結していないというのは、有識者諸氏にも頷いて頂けると思う。特にドイツはその傾向が顕著なようで(イギリスの大学院にはドイツ人がかなり多い)、外交官になったりEUで働くという場合にも博士号を持っていることがプラスになることから、最初からそのつもりで博士に進学するという人が周りにも何人もいる。自分の同期でも、最初から研究者として就職を目指すと決めているのは少数派であり、他はシンクタンクや政府関係の仕事なども考慮しているようだ。
こうした文化は日本のそれとはかなり異なるし、おそらくアメリカとも異なるのだと思う。自分の知識は限られているので誤っているかもしれないが、アメリカの政治学の博士課程に入学する人は、少なくとも当初の時点ではほとんどがアカデミアへの就職を意識しているのではないだろうか。
- イギリスとヨーロッパへの就職が多数派
ここからはアカデミアへの就職者に対象を絞って話を進めていく。アカデミア就職の割合の次に気になるのは、どういった国のどういった大学に就職している人が多いのか、という点であろう。ここでもまず、国・地域別の統計を取ってみたい。
① イギリス:41人
② ヨーロッパ:22人
③ アメリカ:20人
④ オーストラリア:8人
⑤ カナダ:4人
⑥ アジア:6人
⑦ ラテンアメリカ:3人
⑧ その他:2人
合計:106人
やはり、イギリスの大学に就職している人が一番多く、内訳もオックスフォード8人、LSE9人、SOAS3人の他、KCLやSt. Andrews、Queen Maryなどイギリス国内の有力大学に幅広く就職しているようだ。
その次に多いヨーロッパでは、German Institute of Global and Area Studies(GIGA)やEUI、Leidenを始めとして、各国に散らばっている。イギリスへの就職は別として、ヨーロッパへの就職はその国の出身者が自国に戻る、というパターンが多いように見受けられる。この傾向は、アジアやラテンアメリカの各国に就職する場合も恐らく同じであろうと思われる。
- アメリカでの就職は可能なのか
第三位は意外にもアメリカだ。「意外にも」と書いたのは、政治学(や社会学)では、アメリカでPh.Dを取るとイギリスでも就職できるが、イギリスでPh.Dを取るとアメリカでは就職できないというのが定説になっているためである。ところが、この統計によれば、アカデミアに就職した人の20%近くがアメリカに就職していることになる。
しかし注意しなければいけないのは、このplacement recordは2018年現在の所属を調べたものであり、ポスドクからフルプロフェッサーまですべて含んでいるという点である。なので、現在アメリカでポスドクをしている人(ポスドクはアメリカ外のPh.Dでも教授職に比べればまだ得やすいと聞く)がその後ヨーロッパで教授職に就くことも大いに考えられるわけで、現在の一時点から一般化しようとすると齟齬が生じる可能性が高い。また、Adjunct Professorial Lecturerなどの非正規職(?)も含まれているので、割引いて考える必要がある。
また、周りでもアメリカでの就職を検討しているor実現している人は何人か見たことがあるが、彼らはほとんどがアメリカからの留学生である(なぜアメリカに戻りたいアメリカの人がわざわざイギリスに来て博士号を取るのかはちょっとにわかには理解できないところがある)。過去の例を見ていると、Ph.D期間中にアメリカのどこかの大学にvisitingで滞在する、あるいはpredocをやるなどすると、アメリカで就職することも不可能ではないようである*2。しかしアメリカ出身者以外はあまりアメリカでの就職をそもそも目指していない人が多いようにも感じる。
大学別で見てみると、複数人教授職がいるところだと、New School for Social ResearchとSwarthmore CollegeにAssistant ProfessorとAssociate Professorが一人ずつ、あとは色んなところに散らばっていて、例えばStanfordやHarvardにポスドクが何人かいるようだ。
- おわりに
以上が大まかな概要である。論文題目一覧のファイルがInternational Relationsの方しかなかっのでPoliticsの方はどういった状況なのかわからないが、今後入手することができればそちらも調べたいと思う。予想だが、Politicsの方がIRよりもアカデミア志向の人が多いのではないかと想像している。また、もう少し年度を遡れば、卒業生がテニュアを獲得して落ち着くのがどこかについてもより突っ込んだ議論ができるかもしれない。