紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

研究発表にコメントするのは難しい

オックスフォードというところは、とにかく毎日随所で大量のセミナーが開催されており、興味があるものに全部行こうとすると生活が回らなくなる。私は今年は少々セーブしすぎた感があり、それほど多くに行ったわけではないが、それでも学部で開催されるものを中心にそれなりの数のセミナーやワークショップに顔を出してきた。

そこでいつも感じるのが、「研究発表に対して気の利いたコメントや質問をする」ことの難しさである。大体のセミナーというのは発表者が話した後、討論者がいる場合はその人がコメントして、最後にフロアから質問を受け付ける、という形になっている。そこで手を挙げて、良い質問をするというのが、英語の場合は特にだが日本語でも自分ではまだ上手くできる気がしない。

といっても、人の研究にコメントすること全体が苦手というわけではない。例えば「この原稿を読んでコメントして」と言われたらきちんとコメントできる自信はある程度ある。また、研究発表で事前にペーパーが共有されるものであれば、まあ何とかなると思う。同様に、自分が討論者だと事前準備をしなければならないので、しっかり読み込むことになるし、そうすればそれなりのコメントはできるだろう。

私がまだ苦手なのは、その場でのプレゼンテーションのみの発表に対してフロアからコメントや質問をするということである。研究発表の場での質問やコメントというのは、「AはBですか?」という一文で済まされるものではなく、大抵の場合、「発表ありがとうございました。あなたが言っているのはこういうことだと思いますが、私はこういう点について聞きたいと思います。これというのは誰々も書いているようにこういうことだと思いますが、あなたはこういう風に主張しています。この相違についてどう思いますか?」というような感じで、前置き+バックグラウンドの共有+本題、みたいな形で構成されている。

何が難しいかというと、まず第一に直接の質問文ではない部分を関係ある形で知識の片鱗を見せながらしかし長々と喋りすぎずにまとめる、という作業が難しい。ともすると自分の場合、質問文にほんの少し付け加えただけで終わってしまう。結果自分の意図が十分伝わっていない場合もある。

第二に、引き際が難しい。相手が自分の質問に応答して何かイマイチ違うかな、という時にどこまで食い下がるのか。あんまり突っ込みすぎて空気の読めないやつだと思われても困るが、逆に本来の意図が伝わらずにしょうもない質問をするやつだと思われるのも嫌だ。

第三に、他の人の質問とかぶっているのではないかと余計な心配をしてしまう。というのも、他の質問者の声が小さかったり、自分の英語力の問題で聞き取れなかったり、その人のプラスアルファの部分の話が長すぎて本題がどこかわからなくなってしまったりした場合、その後に自分が質問して、それと同趣旨だと受け取られると困るな、という気になってしまうのである。

こういうことを言うと、「そんなことは関係ない、好きなように質問ないしコメントすればよい」と言って頂くこともあるのだが、事はそう単純ではないと思うのだ。つまり第四に、大抵の研究発表の場において自分は質問しやすい立場にない、ということがあるのだ。どういうことかというと、大体セミナーというのはどこかの研究所が主催していて、シリーズ化されており、参加する「常連さん」も決まっている。そういう人が前の方に陣取っていて、始まる前に発表者と談笑していたり、質問の際に内輪ネタを入れてきたりするわけである。その場に自分のような「一見さん」が行くと、なかなか議論に入って行きづらい。

さらに年功序列的な側面も無視できない。これは別に「お前は新入りだから黙ってろ」と言われるなんていうわけではないが、やはり教員と院生の間には発言に対する心理的障壁の高さに差がある(例えば議論の途中に割り込むことのハードルが教員の方が低い)し、院生の中でも、シニアになればなるほどその場に知り合いも増えて、「ホーム感」を出せるようになり、結局発言がしやすくなるように思われる。ステレオタイプでは日本の方がそういう空気が強いように考えられていると思うが、イギリスでもそう変わらないように私は思う。

まあ結局、そのようなことを考える必要はないし、したいときにコメントすればよいのだ、ということは頭では分かっているのだが、私のような「ジャパニーズ」なヒラ院生は、無駄に自制してしまうことも多々あるのである。まあ努力しているうちに徐々に気にならなくなるだろうし、言っている間に自分も年を取るので、問題にならなくなってくるのではないかとは思うが…。

しかし、「コメント全般が苦手というわけではない」というところから、何なら出来るかを考えているうちに、重大な事実にたどり着いてしまった。つまり、自分の興味関心に近いことなら上記の理由も関係なく質問やコメントができるような気がする、ということである。とすると結局問題は自分の興味の範囲なのかもしれない、と考えるとこちらの方が困ったことであるようだ。

 

オックスフォードカレッジ紀行②:Nuffield College

前回自分のカレッジであるSt. Antony'sを紹介してから実に2ヶ月以上も時が経ってしまったが、今回はNuffield Collegeを紹介したいと思う。このシリーズをあまり更新できていなかったのにはわけがあって、なぜかというと他のカレッジのことは記事にできるほどよく知らないのだ。授業等で行く機会があったり友達がいて招待してくれたりしない限り、他のカレッジの内部に入るのは難しく、外から写真を撮るぐらいしかできない。なので今後もなかなか更新は進まないと思うが、博士号取得までに最低10、できれば20(カレッジは全部で38あるのでこれでもまだ半分)くらいは紹介できれば良いなと思っている(目標が低い)。 

今回ナフィールドを選んだのには理由があって、自分がセント・アントニーズの次に知っているカレッジだからである。というのも、NuffieldはSt. Antony'sと同じく社会科学専攻の院生で構成されるカレッジで、政治学に関連するセミナーや授業が頻繁に開催され、立ち寄る機会が多いので、自然と情報もそれなりに持っていることになる。

ナフィールドは1937年に、自動車産業で身を起こしたWilliam Morris(ナフィールド卿 Lord Nuffield)が寄付した資金を基に、1958年にカレッジとして成立した。これはセント・アントニーズよりも5年早く、ナフィールドは最初の院生限定カレッジだったそうである。地理的には街の中心部から西にある駅に向かう道の途中にあり、新しくできたショッピングモールの近くに位置している。

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出典:http://conference-oxford.com/venues/conference/nuffield-college

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カレッジの建物は間違いなく弊カレッジよりも美しい。

ナフィールドを特徴づけているのは、院生の人数の少なさと、資金の豊かさである。大学が発表している数字によると、ナフィールドに在籍している院生はわずか90人で、セントアントニーズの459人と比べると5分の1に過ぎない。そもそも豊かな資金があることは前提として、少数精鋭であるため、一人当たりの資金は手厚く、ナフィールドに所属する院生は、何らかの形でカレッジからファンディングを受給していると思われる。反面選考は厳しいらしく、知り合いに応募したが落選したという人がちらほらいる。また、実際の数字は分からないが、カレッジからの研究助成も充実していると聞く。カレッジのウェブサイトには、院生一人ひとりのプロフィールまで公開されている。おまけに、食事も美味しいらしく、ランチは毎日無料で、午後にはお茶とお菓子が毎日無料で提供される。アコモデーションもカレッジから助成が出ているため極めて廉価であるらしい。極めつけは、ナフィールドにはセントアントニーズと全く同じコーヒーマシンがあるのだが、ナフィールドではこれは無料で、セントアントニーズではダイニングホールで(有料の)夕食を食べればもらえるコインを使わないと飲めないのである。

そういうわけで、こうした格差はAntonian(セントアントニーズの人の呼び方)のやっかみの種になっており、自分も出願の際に迷ったのだが、結局ナフィールドは希望しなかった。理由は2つあるが、1つは、両カレッジは学問分野はかなり重複しているものの、その特化した分野やアプローチには大きな違いがあるという点である。Nuffieldは政治学においてもどちらかというと経済学的なアプローチを用いる人が多く、計量分析や実験をメインに研究する人が多数派を占めている(もちろん例外はあり)。北米の政治学者にもかなり名前が知られており、分野的には、先進国の比較政治などの分野に強い印象がある。一方St. Antony'sは歴史的なアプローチを用いる人の割合が高く、国際関係や地域研究が中心的である(同上)。歴史的なアプローチを中心に国際関係を研究している自分には後者の方が合っていると思った次第である。この点については学部&カレッジの先輩にあたる池本大輔先生も同じようなことをブログで仰っている。

daisuke-in-oxford.at.webry.info

理由の2つ目は、コミュニティとしての魅力である。St. Antony'sはコミュニティの規模も大きい上、出身地が多様で非常に国際的である。Nuffieldはこの点についてはよく分からないが、人数が少ないと必然的に交友範囲は限られるだろう。要は施設などのハード面とコミュニティとしてのソフト面を天秤にかけ、後者を選んだわけである。

まあ、そうは言っても、Nuffieldはオックスフォード/イギリス/ヨーロッパの社会科学研究の中心の1つとして機能していることは間違いないだろうし、充実した支援、ネームバリュー等は大きな魅力であり、上記のような理由はあってもなお、自分もナフィールドが羨ましくなることはよくある。社会科学系でオックスフォードに出願する人は、私が挙げたような理由が問題とならなければもちろん、多少気になってもナフィールドに希望を出してみることは間違いなく良い選択肢だと思う。

何だかNuffieldの話だかSt. Antony'sの話だかわからなくなってしまったが、他のカレッジは研究上の関わりは全然ないので、次回から取り上げるカレッジは学問的な取り上げ方にはならないはずである。乞うご期待!

日常会話と専門会話

ここ最近は、1年目の終わりに提出しなければいけない博論計画の締切が迫っていることもあってその執筆に追われている毎日であり、そのせいでブログの更新が滞ってしまっていた。博論計画を6月前半に提出した後、6月後半はIQMRという質的方法論のサマースクールに行って、7月はオックスフォードで研究し、8月は東京、9月は実家のある奈良で過ごし、9月末にまたオックスフォードに戻ってきて新年度を迎える予定でいる。

留学というと、やはり現地語の上達というのが1つの成果になるわけで、特に学部の交換留学だと専門よりもまず現地の生活に触れて言葉を勉強しましょうというのがメインになってくると思う。博士課程の留学は研究内容が一番だが、論文執筆や研究発表、そして日常のコミュニケーションにおいて現地語能力が問われる機会は数多い。というか生活全体が語学テストといったところだろうか。外国語の習得というのは一部を除いて誰もが苦労するところであり、自分もその例外ではない。日本語で言える表現が英語で言えずにもどかしいことは毎日のようにある。

語学の習得自体ではなく、何らかの技能の習得を目的として留学する場合、向上させるべき言語能力は2つのカテゴリに分かれるだろう。すなわち、日常会話と専門会話だ。普段生活していく上で必要な表現や語彙と、専門の議論をする際に必要な表現や語彙は大きく異なる。研究者を想定して後者を「専門会話」と呼んだが、ビジネスマンの場合は「ビジネス会話」になるだろう。いずれにせよ、2つのうちどっちが習得するのがより難しいのだろうか、ということを折に触れて考えてきた。

最近まで自分は、日常会話の方が専門会話よりも断然難しいと信じていた。日本にいても専門の論文を読んだり書いたりしているので、専門会話に必要な語彙はある程度持っているし、少々文法が違うとか表現が拙いとしても、相手は我慢して聞いてくれることが多い。なので「言語能力よりも内容」というのが比較的成り立ちやすいと考えていた。一方、日常会話では、日本にいては知る機会が無いようなイディオムや単語が沢山使われていたりするし、会話の内容が多岐にわたるので知らない言葉が沢山出てくる。また会話がどんどん進んでいき、即座に反応できないとか困ることが多い。現地のテレビ番組とか文化的背景を知っていないと理解できない話も多かったりする。

なので、私は言語能力を語る際にお決まりの「日常会話程度は…」という言い方を聞くと何というか、むず痒くなる。強めの言葉を使うと、多分そう言う人は、日常会話も出来ていないのではないかと疑ってしまう。外国語能力は、日常会話→専門会話という順序に向上していくわけではないのではないかと考えている。

というわけで天邪鬼の私は、「英語できるの?」と聞かれるごとに「まぁ専門会話程度は…」と答えたりしていた。日常会話ではまだ支障が多少あるけど、専門の会話をするのはほとんど問題ない、という意味である。つまり、外国語能力は専門会話→日常会話という順で向上していくと考えていたわけである。

しかし最近、これも正しくないのかもしれないなと思うようになってきた。というのも、研究上の議論をしたり、プレゼンテーションとQ&Aを経験したりすると、相手の言っているロジックを正確に追えなかったり、相手が使う概念の意味が頭にすっと入ってこなかったりすることがよくあって、それが議論の質や相手の理解度に影響してしまうことがあると感じるからである。その点日常会話ではまあ大して重要な話もしていないし、相手が理解できるまで話し続けることもできるのだが、プレゼンテーションは時間に限りがあったりすることがあるし、言葉や概念の意味に厳密でないと理解に齟齬が生じやすい*1

結局それで思ったのは、日常会話と専門会話の難しさに対する認識というのは、習熟度に従って絶えず変化するものではないかということだ。一方に慣れてくると、それと比較して他方は難しいと思うようになったり、あるいは逆に習熟度が上がったからこそさらに先にある課題に気づいて難しく感じてしまうのかもしれない。いずれにしても、外国語というのは難しいものだ・・・というわけで、いつもの通り結論は特にないのである。

*1:とはいえ、日本語でも結局相手の言っていることが複雑過ぎて理解できなかったり、概念を十分分かっていなかったりすることはあるので、言語能力の問題と混同している面もあるとは思う。

交友関係における経路依存

今いる学部が客観的に見て学問的に最高の環境かどうかは大いに議論の余地があるが(自分の研究関心にとっては結構良いとは思うけど)、ソーシャルライフという意味でオックスフォードに来たことは間違いなく良い選択だったと言える。端的に言って毎日楽しい。ストレスも少ない。

その理由が、カレッジを中心に、毎日誰かと面白い話ができることである。ダイニングホールで食事をした後、上階のコモンルームで紅茶を飲みながら小一時間話す、そんな毎日のひとときがどれだけ自分の生活を豊かにしてくれているか!東大にいたときは、みんな学外のアパートに住んでいて、特に大学院に入ってからは大学の知り合いも減ってしまい、研究室と一人暮らしの自宅の往復で、誰とも話さずに1日を終えることもよくあった。その時代と比べて、毎日の主観的な充実度は明らかに上がっている。

カレッジ生活の魅力は、200人近くのコミュニティが同じ敷地内に住み、生活を共にするというところだが、もちろん入学前の小学生ではあるまいし、友達100人と富士山の上でおにぎりを食べたいなどという戯言を抜かすほど皆幼くはないので、ある程度の流動性はありながらも自然とグループが形成されることになる。

しかしそのグループが形成された経緯を思い返すと、社会科学用語(というか、歴史的制度論/比較歴史分析用語?)で言うところの、重大局面(critical juncture)における多分に偶然の要素を含んだ選択がその後の結果に長期的に重大な影響を及ぼすという、経路依存(path dependence)を意識せずにはいられないのだ。

まあ友人関係の始まりが偶然の選択によるというのは別にこの環境だけの話ではなく、何でもそうなのだが、この環境が面白いのは、友人関係が以前から知っていたとか、同じ部活をやっているとかいうことにほとんど影響されていないということである。自分の友人は、ほとんど最初の1週間のオリエンテーションで出会ったか、ダイニングホールで初めて話したかのどちらかだ。オリエンテーションのイベント会場に入ったとき、誰か話しかける相手を目で探して、ぱっと目についた人に話しかける。その人が後々までの友人になる。ダイニングホールで席を探して、たまたま隣に座る。ここには純粋な意味での偶然が沢山作用していて、つまり会場に着くのが5分遅かったら、違う席に座っていたら、全く別の相手と話していたはずである。

さらに面白いのは、一定期間が経つと、新しい人と話すのが急に難しくなるという点である。一定数友人ができると、それ以上の友人ができることによって新たに得られる効用がだんだんと下がっていき(また自己紹介から始めるのは面倒くさいし)、あまり友達作りに熱心でなくなる。また、知らない前提で話しかけて以前もし話したことがあったら失礼になる、などという理由で話しかけるのが容易でなくなるのだ。最初の数週間当たり前のように見られた、ダイニングホールの各テーブルで握手と自己紹介が繰り広げられる光景は、グループ内の盛んな会話とグループ間の交渉の不在に取って代わられる。交友関係のロックイン効果(lock-in effect)である。

つまり、最初の数週間に偶然に左右されてできた友人が、その後も自分の交友関係を構成し続けることになるわけであり、最初の時期に話さなかった相手とはどんどん距離が生まれ話しにくくなるのである(まあもちろん例外はあるけど)。『四畳半神話大系』という森見登美彦のオモシロ小説があったが、自分の「あり得た姿」について思いを馳せるのは、何というか面白いと同時に何となく感傷をもたらすものである。

もう1つ思うのは、大学はダイニングホールやコモンルームといった「場」を設けたり、すべての学生はカレッジに所属しなければいけないという政策を取ることで、学生の人間関係、ひいてはその後の人生に大きな影響を与えている。「場」をデザインする側の影響力は非常に大きい。これはもっと小さなレベルでもそうで、例えば授業にグループワークを導入すれば、学生は本来なら話すことのなかった相手と共同作業をし、場合によっては個人的な交友関係にも繋がったりする(私はグループワークはあまり好きではないけど…)。誰かの何気ない(?)意思決定によって、多くの人の人生が知らず知らずのうちに影響を受けているのだと考えると、面白いような、怖いような、自分が何かを逃してしまったのではないかというような焦燥感に襲われたりもする。

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そうして出会った友達とオックスブリッジ名物、パンティングをしてきた。

 

オックスフォード国際関係論Ph.Dの就職状況

研究者を目指して博士課程に所属している、あるいはこれから大学院を選ぼうと考えている人ならば、その大学院を出た先にどのような未来が待っているのかを考えるのは自然なことだろう。自分のプログラムの出身者が、研究大学に良いポストを得ているのか、どの国で職を得ているのか、といったことは誰もが知りたいものだ。もちろんこうした情報はあくまで参考にしかならず、先人が良い就職を出来たからといって自分が同じようにできるわけではなく、逆もまた然りである。しかし傾向として、それを把握しておくことは(特に大学院を選ぶ段階において)重要である。

日本ではこうした情報は口コミ、人伝でしか得られないものだが、例えばアメリカならば、主要な大学のPh.Dプログラムのウェブサイトには、たいていplacement record(就職先一覧)が掲載されているはずである。しかし、イギリスではアメリカほどこれが一般的になっておらず、私の所属先(オックスフォード大学政治国際関係学部)もこれを公開していない。というか、多分記録してすらいない。オックスフォードはこのあたり伝統にあぐらをかいているというか、かなり適当である。

なので、まとまった形で先輩の就職先を知ることはできないのだが、この前WebLearnという、オックスフォードが使っている履修登録システムのようなものを見ていると、"Successful theses in International Relations since 1971"というExcelファイルが掲載されていることに気がついた。政治国際関係学部の博士課程はDPhil in PoliticsとDPhil in International Relationsの2つのプログラムに分かれているのだが、後者については、過去の修士論文や博士論文の一覧がまとめられているのだ。当然そこには取得年度や名前も載っている。

ということはつまり、ここに載っている人々の名前を検索すれば、少なくとも研究者になっている人はウェブサイトに名前が記載されているはずだから、自分でplacement recordを作成できるわけである!早速取材班は現地へと向かった。

データ自体は1971年から存在するのだが、あまり古い人を見ても特に今の自分の参考にはならないので、とりあえず2000年に博士号を取得した人から2016年の取得者まで、合計237人の現在の所属を調べてみた。中には検索しても名前が出てこない、あるいは所属がはっきりしない人もおり、すべてを把握できたわけではないが、とりあえず現在分かっていることをここに共有したい。なお、237人のうち、インターネット上で所属を確認できたのは、179人であった(約4分の3)*1

  • アカデミア以外への就職が多い

まず調べていて気づくのは、アカデミア以外に就職している人がかなりの割合を占めるということである。博士号取得者の就職先を①アカデミア(大学での研究職)、②シンクタンク、③政府関係(EU含む)、④国際機関、⑤その他(企業、NPOなど)の5つのカテゴリに分類してみると、以下のようになった。

① アカデミア:106人(59%)
② シンクタンク:25人(13%)
③ 政府関係:14人(8%)
④ 国際機関:10人(6%)
⑤ その他:24人(13%)
合計:179人

つまり大学での研究職についている人は、全体の6割以下で、残りの4割はアカデミア以外の職についているということになる。さらに、研究者はほとんどの場合大学のウェブサイト等に名前が載っていることから、所属が確認できなかった58人が研究者である可能性はかなり低い。つまり、実際には博士号取得者に占める研究者の割合は、45%程度になるだろうと思われる。

ここで研究者の卵として気になるのは、こうしたアカデミア以外の職についている人が、「アカデミアに残りたかったけれどそれが叶わなかった」人なのか、「アカデミアに残るつもりがなかった」人なのか、という点である。前者が多数なのであれば、オックスフォードのplacementについて重大な懸念が生まれるが、後者が多数を占めるとすれば、「残ろうと思えば残れる」ということになるので、安心できるわけである。

私の実感としては(希望的観測も含めて)、アカデミアに残らなかった人の大半は、初めからアカデミアに興味がなかったか、あるいはどっちか決めずに進学して結局アカデミア以外を選んだかのどちらかではないかと思っている。もちろん「研究者になりたい」と思っていたけれども叶わなかった人もある程度はいるとは思うのだが、ヨーロッパでは特に、(少なくとも政治学・国際関係論の分野において)博士号とアカデミアがそれほど直結していないというのは、有識者諸氏にも頷いて頂けると思う。特にドイツはその傾向が顕著なようで(イギリスの大学院にはドイツ人がかなり多い)、外交官になったりEUで働くという場合にも博士号を持っていることがプラスになることから、最初からそのつもりで博士に進学するという人が周りにも何人もいる。自分の同期でも、最初から研究者として就職を目指すと決めているのは少数派であり、他はシンクタンクや政府関係の仕事なども考慮しているようだ。

こうした文化は日本のそれとはかなり異なるし、おそらくアメリカとも異なるのだと思う。自分の知識は限られているので誤っているかもしれないが、アメリカの政治学の博士課程に入学する人は、少なくとも当初の時点ではほとんどがアカデミアへの就職を意識しているのではないだろうか。

  • イギリスとヨーロッパへの就職が多数派

ここからはアカデミアへの就職者に対象を絞って話を進めていく。アカデミア就職の割合の次に気になるのは、どういった国のどういった大学に就職している人が多いのか、という点であろう。ここでもまず、国・地域別の統計を取ってみたい。

① イギリス:41人
② ヨーロッパ:22人
③ アメリカ:20人
④ オーストラリア:8人
⑤ カナダ:4人
⑥ アジア:6人
⑦ ラテンアメリカ:3人
⑧ その他:2人
合計:106人 

やはり、イギリスの大学に就職している人が一番多く、内訳もオックスフォード8人、LSE9人、SOAS3人の他、KCLやSt. Andrews、Queen Maryなどイギリス国内の有力大学に幅広く就職しているようだ。

その次に多いヨーロッパでは、German Institute of Global and Area Studies(GIGA)やEUI、Leidenを始めとして、各国に散らばっている。イギリスへの就職は別として、ヨーロッパへの就職はその国の出身者が自国に戻る、というパターンが多いように見受けられる。この傾向は、アジアやラテンアメリカの各国に就職する場合も恐らく同じであろうと思われる。

第三位は意外にもアメリカだ。「意外にも」と書いたのは、政治学(や社会学)では、アメリカでPh.Dを取るとイギリスでも就職できるが、イギリスでPh.Dを取るとアメリカでは就職できないというのが定説になっているためである。ところが、この統計によれば、アカデミアに就職した人の20%近くがアメリカに就職していることになる。

しかし注意しなければいけないのは、このplacement recordは2018年現在の所属を調べたものであり、ポスドクからフルプロフェッサーまですべて含んでいるという点である。なので、現在アメリカでポスドクをしている人(ポスドクアメリカ外のPh.Dでも教授職に比べればまだ得やすいと聞く)がその後ヨーロッパで教授職に就くことも大いに考えられるわけで、現在の一時点から一般化しようとすると齟齬が生じる可能性が高い。また、Adjunct Professorial Lecturerなどの非正規職(?)も含まれているので、割引いて考える必要がある。

また、周りでもアメリカでの就職を検討しているor実現している人は何人か見たことがあるが、彼らはほとんどがアメリカからの留学生である(なぜアメリカに戻りたいアメリカの人がわざわざイギリスに来て博士号を取るのかはちょっとにわかには理解できないところがある)。過去の例を見ていると、Ph.D期間中にアメリカのどこかの大学にvisitingで滞在する、あるいはpredocをやるなどすると、アメリカで就職することも不可能ではないようである*2。しかしアメリカ出身者以外はあまりアメリカでの就職をそもそも目指していない人が多いようにも感じる。

大学別で見てみると、複数人教授職がいるところだと、New School for Social ResearchとSwarthmore CollegeにAssistant ProfessorとAssociate Professorが一人ずつ、あとは色んなところに散らばっていて、例えばStanfordやHarvardにポスドクが何人かいるようだ。 

  • おわりに

以上が大まかな概要である。論文題目一覧のファイルがInternational Relationsの方しかなかっのでPoliticsの方はどういった状況なのかわからないが、今後入手することができればそちらも調べたいと思う。予想だが、Politicsの方がIRよりもアカデミア志向の人が多いのではないかと想像している。また、もう少し年度を遡れば、卒業生がテニュアを獲得して落ち着くのがどこかについてもより突っ込んだ議論ができるかもしれない。

 

*1:調べていて面白かったのが、クリントン夫妻の娘のChelsea Clintonという人が、オックスフォードで国際関係論の博士を取っているということ。現在の所属がよく分からないので、"Clinton's child"としておいた。

*2:オックスフォード出身でアメリカで教授職についている人としでおそらく一番有名なのは、Anne-Marie Slaughter。