カタールはドーハに着いて、10日が過ぎた。実感としては、まだ10日しか経っていないのか、という方が近い。もう1ヶ月くらいいるような気がする。
以前の記事では「出国前症候群」について書いた。ああいう文章は、決まって夜に、少し目を細めて心持ち斜めを向いて、感傷を掘り起こしつつ書くので、普段はあまり書かない。一方で普段は無闇矢鱈に面白がらせようと書いているきらいもあるので、その揺り戻しでこういうものが書きたくなるときもある。文体というのは難しい。「本当の自分」なるものがあるとして、それが純粋に表出している文章はここにはないのかもしれない。などと言っている自分は「本当の自分」なのかもしれない。
いずれにせよ、いくら出国前はセンチメンタルな気分になっていても、一旦現地に着いてからは頭がすっと切り替わるのが、多分自分がまだ海外でやっていけている理由の1つで、今回のドーハ生活にも大体慣れてきた感がある。
そもそもドーハに何をしに来ているかというと、「フィールドワーク」である。「フィールドワーク」と鍵括弧付きで書いたのは、フィールドワークというと山に分け入り、森をかき分けて奥地の村に行き、現地の人々と2年間共同生活を送る、みたいなイメージが私の中にあるからだ。私のこれをフィールドワークと呼ぶのはおこがましいので、「なんちゃってフィールドワーク」と呼称している。英語なら例のカニさんマークを使う。
こちらには2月末まで1ヶ月半ほど滞在し、アーカイブで資料調査をしたり、政策担当者へのインタビューができればな、と思っているが、どれだけ実現するかはわからない。そもそも、私のテーマ(天然資源と国家形成の関係)だと、植民地期を扱うので、資料はほとんどイギリスにあり、湾岸の人々はほとんど文字資料を残していない。Qatar National Libraryという、それはそれは美しい建物があるのだが、そこで所蔵の一次資料について聞いてみると、まだ図書館ができたばかりで、どのような資料があるのかアーキビストも把握していないとのことだった。
というわけで、私の研究滞在は比較的気楽なもので、アーカイブで地図や写真を入手したり、インタビューのアポ取りのメールを出したりする他は、イギリスにいる時と同じく、文献を読んだり論文を書いたりしている。それでもやはり、自分が対象としている地域に実際に足を運んで、現地の空気を吸い、生活を体験し、人と話すことには何らかの意味があるのではないかと、半ば無理矢理に今回の滞在を正当化している。
良い意味で予想外だったのは、滞在先が、研究にうってつけの環境だったことだ。ドーハでは、指導教員のつてで、ジョージタウン大学カタール校に、Visiting PhD Studentとして受け入れて頂いているのだが、この大学が素晴らしい設備を持っていて、なんと生まれて初めての個人オフィスを与えられ、また、大学の敷地内にある宿泊先のゲストハウスも、ホテルのような施設で非常に快適だ。正直、ハード面では、オックスフォードでの生活よりも水準が高いとすら言える。逆に言えば、気候が良いとはお世辞にも言えない砂漠の真ん中にある、後発の国に人材を呼び込むには、これくらい思い切った投資が必要になるということだろうか。カタールにはそれを支えられるだけの資金力があるが、それのない国は、一体どうすればよいのだろう。
ともかく、今のところ、想定していたよりも遥かに快適な生活を送ることができている。少々退屈な街だというのは前評判通りだが、会う人会う人良い人ばかりだし、生活条件も申し分なく、何よりとても暖かい。現地に誰も知り合いらしい知り合いがいなかったのが気がかりだったが、同時期にケンブリッジから同じくVisiting PhD Studentとして滞在しているレバノン人の院生がいて、かなり気が合うので孤独感も特にない。とりあえず順調である。カタール生活については、また定期的に更新したい。