紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

一次資料面白発言集:湾岸編②

前回の記事はこちら

さて前回は、私が読んでいる一次資料から、イギリス植民地官僚や湾岸の現地政治家の面白発言をご紹介したが、今回はその第二弾ということで、新たに6つのエピソードをご紹介する。では早速見ていこう。

⑤盗人のパキスタン人と、 安心と信頼のクウェート人?

前回の記事では特定の人物に対しての評価を見たが、今度は偏見丸出しの特定国民に対する評価を見てみよう。

Rashid interjected "I don't agree, the Pakistanis are terrible thieves."

- TNA, FO 1016/740, Henderson to Weir, 11 May 1970.

The Union will obviously wish to set up a foreign service eventually and on the mechanics of this we agree that the Kuwaitis will probably be the best source of advice.

- TNA, FO 1016/751, McCarthy to Weir, 17 April, 1969.

湾岸諸国というのは、砂漠であまり開発も進んでいない地域だったから、国家を運営していく人材に乏しい。なので、独立後の運営のために、外国から人を呼ぶ必要があったのだが、どこから呼ぶかが問題であった。パキスタンから呼ぶという話が出ると、ドバイの首長Rashidは、「パキスタン人はひどい盗人だ」というとんでもない暴言を吐く。Rashidさん、レッドカードです。

一方で、クウェートは同じ湾岸でも、一歩進んで1961年に独立を遂げており、これから独立しようとする連邦諸国の「お手本」として見られていたようだ。

⑥食事をめぐる暗闘

首長たちが会合をすれば、必然的にその合間に食事をしなければならないわけだが、その食事シーンにも交渉のドタバタが反映されていて面白い。

The Palace dinner, sandwiched between two meetings, was sumptuous enough but was eaten in almost total silence within fifteen minutes.

Zaid had intended to show us all a film of the first meeting but the tablecloth erected outside as a screen flapped too much in the wind.

Lunch in the Palace guest house today was disorganised, even by Abu Dhabi standards. Tony Reeve and I were invited for between 1 and 1.30 p.m. but when we arrived on time we discovered that the meal had been put forward and consumed half an hour before we arrived.

- TNA, FO 1016/748, Treadwell to Weir, 7 July 1968.

アブダビで開かれた会合では、会議の合間に宮殿で夕食が給仕されたわけだが、豪華な料理だったにもかかわらず、みんな無言でわずか15分で食べ終わってしまったのだそう。よっぽどお腹が空いていたのか、会議でお互いに腹を立てて話す気にもなれなかったのか・・・

一方、ハンティングで部下に苦痛を与えることで有名なアブダビの首長Zaidは、ホストとして皆を喜ばせようとして、初めての会合を記録したフィルムを再生しようとしたのだが、スクリーン代わりにしようとしたテーブルクロスが強風ではためいてしまい、用をなさなかったとのこと。記念日を演出しようとするZaidはなんか可愛いけど、オイルマネーあるんだから、ちゃんとしたスクリーン買おうよ。そんなことだからカタールバーレーンにフラれるんだ。

そして翌日のランチは、アブダビ基準でも」めちゃくちゃだったらしい。さらっと辛辣な皮肉を言うイギリス人官僚。1時から1時半の間に来いと言われていたのに、その時間に行くと30分前に既に食事は終わっていた、という始末。それは確かに怒る。ご飯にありつけなかったイギリス人官僚はこの後どうしたのだろうか?まずいサンドイッチでも作って食べたのかもしれない。

そして上記の文章の直後はこうなっている。 

Ahmed had meanwhile disappeared, apparently by car f'or Dubai to catch an aircraft.

カタールの首長Ahmed、ランチの混乱の中なぜか会合の途中で帰る!いや待てよ、もしかするとこのランチの混乱はAhmedの陰謀だったのかもしれない。みんながあたふたしているうちにこっそり抜けるという。まあ会議の途中で帰りたくなることは誰しもある。わかるぞAhmed。でも帰って何したんだろう。

⑦国境を超えた風邪の移し合い 

the Ruler is now suffering from a severe cold, caught I think from Sheikh Zaid, who was cheerfully and noisily blowing his nose throughout his three-days here!

- TNA, FO 1016/749, Boyle to Crawford, 27 October 1968.

イギリス人官僚が、会議を途中で抜けることで有名なカタールの首長Ahmedを訪ねたところ、風邪でダウンしているという。どうやらこの風邪は、カタールでの滞在中ずっと「元気よく」鼻をかんでいた、ハンティングで部下に苦痛を与えることで有名なアブダビの首長Zaidから移されたのではないかとのこと。

カタールアブダビはことあるごとに意見が対立していたから、これはもしかすると、風邪を移して公の場に出てこられないようにするZaidによる陰謀かもしれない。ただ、ここで代わりに応対した副首長のKhalifahは、Ahmed以上に強硬な人だったので、Zaidはこちらにも風邪を移しておくべきだった。

⑧日本の天皇に調停してもらおう!?

I wondered whether [...] the two parties could not perhaps agree on some indisputably distinguished but wholly irrelevant figure, such as Ayyub Khan or the Emperor of Japan, to act as an arbitrator.

- TNA, FO 1016/749, Graham to McCarthy, 12 November 1968.

当時、近隣のイランが、バーレーンに対して領有権を主張していて大きな問題になっていたのだが、行き詰まっているこの問題を打開するための方策として、とあるイギリス人官僚が考えたのが、「全然関係ない著名人に調停してもらう」ことであった。この時点でツッコミどころ満載だが、その例としてパキスタンの大統領Ayyub Khanと共に挙げられているのが、なんと昭和天皇である。日本のソフトパワー、ここに極まれり。なお、もちろんこんな素っ頓狂な案は採用されなかった。

⑨ハリーファ違い

次にご紹介するのは、「よくある名前」が招いた悲喜劇である。

At one point, they sent for Shaikh Khalifah (meaning the Qatari Prime Minister) but, owing to a misunderstanding, Shaikh Khalifah bin Sulman was summoned instead. He arrived to find two very embarrassed Rulers explaining to him that the wrong Prime Minister had been sent for.

- TNA, FO 1016/741, Treadwell to Weir, 27 October 1970.

さきほど③で "the two Khalifahs" という表現が出てきたが、これはカタールバーレーンの副首長が同名であることによる。カタールのハリーファバーレーンのハリーファがいるわけだ。

ここでは、アブダビとドバイの首長が話をしていて、カタールのハリーファを呼ぼうということになった。しかしどこで間違ったのか、現場に現れたのは、バーレーンのハリーファだったというわけ。「ごめん、ハリーファ違いだったわ」と2人は平謝り。ドバイとバーレーンなどは、かなり対立することも多かったのだが、これは少しほのぼのとしたエピソード。というか"wrong Prime Minister"って。

⑩プレゼントで心をつかむ日本人

最近でも、可愛い秋田犬を血も涙もない政治家に差し出して「犬」身御供にしていた日本政府だが、「プレゼント外交」は1960年代にも盛んだったようで、こんなエピソードがある。

In Abu Dhabi he had found the guest house unsuitable and had insisted on being put into an hotel. He had however made a considerable hit with Shaikh Zaid by giving him a walkie talkie set.

- TNA, FO 1016/750, Stirling to Crawford, 16 March 1969.

Naotomo Takaseという、駐クウェート日本大使がアブダビを訪問した際のことである。ゲストハウスが良くないからといってホテルに変えさせるなどというワガママ対応をしていたTakase大使だが、アブダビの首長Zaidにウォーキートーキーをプレゼントしたことで、見事彼の心をつかむことに成功したという。オイルマネーで何でも変えるようになってもなお、プレゼントというのは嬉しいらしい。

このウォーキートーキーセットをZaidが何に使ったか?決まっているだろう、ハンティングでの部下との連携である(完全なる妄想)。かわいそうなSuwaidi・・・!これが1969年、①のハンティングが1970年だから、もしかしたらZaidのハンティング熱を煽ったのは、日本人だったかもしれない、なんて。

 

お楽しみ頂けただろうか。湾岸シリーズは今回で終了の予定だが、現在ブルネイ関連の資料を読みながら面白発言を収集中なので、ご期待いただきたい。しかし、湾岸関連資料の面白さに比べると、ブルネイ関連資料はそこまでツッコミどころが多くないので、同じだけ集まるかどうかは定かではない。