紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

年齢確認のたそがれ

博論を書いている。それはそれはもう博論を書いていて、率直に言って驚いているほどだ。最近では博論を書きすぎて、「博論を書き博論を書いて読むまた博論を書いてまた読む」という、短歌史上に残る名歌を生み出してしまった。その上でポスドクのアプリケーションをしたり、オンラインの学会発表があったり、査読が回ってきたりするのだから、なかなかのてんてこ舞いになっている。それでもなんとか毎日8時間寝て、夕食後は仕事をせず、土日は片方は完全にオフにできているので、個人的にはそこを一番自分で褒めてあげたい。

まあしかしコロナというのは、人間の生活から、「何が何でも生きるために必要というわけではないけれど、人生を豊かにしてくれていたもの」をことごとく奪い去ってしまったので、私もこうして否が応でも博論に集中しなければいけなくなっているわけである。本来ならばこの時期のオックスフォードというのは、新しくやってきた学生たちが期待に満ちた目をキラキラさせながら、視界に入る人全てと握手を交わし、What do you study? Where are you from? Which college are you at? などとスモールトークを街中いたる所で繰り広げるにぎやかな季節なのだが、今年はそんなことができるはずもなく、街は閑散としている。

私が入学した3年前のこの時期は、本当に楽しかったことを思い出す。毎日のようにカレッジのダイニングホールで夕食→コモンルームでコーヒーを飲んでビリヤード→カレッジのバーが開いたらそこで一杯やる、というのを延々と繰り返した、素晴らしい季節だった。しかし時間が経つのは一瞬で、4年目ともなれば元いた友人もだいぶいなくなってしまうし、新しい人に会うモチベーションも下がってしまう。歳を取ってしまったものだなあと、1年目からいる友人と嘆いていた。

歳を取ってしまったのは確かなのだが、こちらの国では日本人などは若く見られがちだ。この前も、TwitterでMarks & Spencerのクリスマス限定ジンが秀逸、という話を聞いて買いに行ったのだが、当然のごとく年齢確認をされた。余談だが(そんなことを言ったらこのブログは全部余談なのだが)、英語では年齢確認をされることを"get ID'ed"などと俗に言う。ID(身分証明書)という名詞を動詞化しているわけだが、英語の口語は名詞を動詞化したり形容詞化したりすることが多い。

イギリスでは店でアルコールを買えるのは18歳からということになっているが、スーパーなどでは、"Under 25?"などと書かれたポスターが貼ってあって、要するに、25歳未満に見えたら年齢確認をされますよ、ということらしい。じゃあ25歳以上であれば年齢確認をされることに抗議してもいいのだろうか、しかし実際に25歳以上であることを証明するにはIDを見せなければいけないし・・・などと考えていたら、重大なことに気づいた。IDを持ってきていなかったのだ。

だいたい外国で生活していると、年齢を証明できる書類にいつも困る。パスポートなんか毎日持ち歩くわけにはいかないし、日本の免許証などは日本語で書かれているし元号表示だから役に立たない。イギリスの在留許可証(BRP)はカードサイズなので、持ち歩くことはできるのだが、重要な書類なので本来はそのへんに行くときに持ち歩くことは推奨されていない。なにかちょうどいい書類があれば教えてもらいたいものだ。

いずれにせよ、IDを持っていなかったので、遵法精神にあふれた善良な市民である私は、レジ係のおばさんに、その旨を正直に申告した。するとである。おばさんはにわかに周りを見回した後、「今回は見逃してあげよう」と鷹揚に述べたのであった。次からは持ってくるようにと言われたが、今までこうした場面で見逃されたことがなかったので、少々驚いた。なので感謝していると、「実際は何歳なの?」と聞かれた。28歳だと答えると、ふーむという顔をしていたので、「アジア人は若くみえるからね」と言ったら、「たしかに」と答えが返ってきたのだが、そこで一瞬私は止まってしまった。

というのも、多分南アジア系と思われるそのおばちゃん(推定50代)は、"Yes, WE do"と言ったからだ。"Yes, YOU do"ではなく。私は別にそのおばちゃんが若く見えないと思ったから驚いたわけではない。私がAsianと言ったとき、想定していたのは東アジア系であったのに対し、南アジア系のおばちゃんが、Asianに自分を含めて答えたから少し驚いたのである。なるほど、と思いながら家路についた。

考えてみれば、実際には、これは何も驚くことではない。 イギリスではAsianと言えばSouth Asianを指すのが普通で、我々がアンケートなどでethnicityを答えるときは、Other Asianというカテゴリになるのが通常である。彼女がAsianと言われたときに自分を入れて考えたのは普通のことであり、むしろ私が自分をAsianと呼んだことを奇異に思ったかもしれない。

最近博論で忙しすぎて全然進められていないものの、人々の認識における「アジア」の範囲を探る、という研究もしているのだが、その研究のことを思い出したのと、早く博論を出してしまって他のことがしたいなと思った夕暮れ時であった。ちなみにM&Sのジンは、まあまあだった。