紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

夜研究をしないということ

夕食後は一切研究をしないようになって、そろそろ2年が経つ。

多くの院生と同様、もともと私は昼夜の別なく、勉強や研究をやってしまう性質だった。考えてみれば中学受験の塾からして、学校が終わった後に始まり、夕食を挟んで夜まで授業が行われていたのだから、こうした習慣はかれこれ10年以上も続いていたことになる。もっとも、小学校から大学まで、学校というシステムは日中のほとんどの時間を拘束するものだから、宿題や予復習を考えれば、夜も勉強することが前提になっている。

その延長で、いわゆる研究者の卵として大学院に入り、毎日授業を受けるという意味での「勉強」から解放され、「仕事」としての研究に従事し始めてからも、私は昼夜を問わず研究活動に勤しんでいた。もちろん、四六時中研究をしていたわけではなく、休みも取っていたのだが、特に就業時間を決めずに、休みたい時に休んでいたのである。

やりたいときにやりたいことをやる、というアイデア自体は、私の性格にぴったりと適合する。誰かに何かをやれと言われることが何よりも苦手な私は、習い事もあまり続かなかったし、一番拘束の弱い部活動を選んで入り、大学の授業も時々サボっていた。始末が悪いことに、自分自身に命令されるのも嫌いなので、毎日この時間にこれをやる、というのも本来あまり好きではない。だから、就業時間を決めるなんて会社勤めじゃあるまいし、そういうのが嫌いだから研究者になったんじゃないか、と思っていた。

しかし、あるとき気づいたのは、ワーキングアワーを設定しないことは、労働時間の際限ない拡張に繋がるということだった。一見やりたいときにやりたいことをやっているように見えて、実際には自由な時間がほとんどなくなっていたのだ。ルールに縛られることのストレスを、研究以外のことが後回しになるストレスが、いつしか上回っていた。

その結果として、2つのことが起きた。

  1. 就寝と起床が遅くなる:夜10時・11時位まで研究をやって、ようやく今日はこれぐらいでいいか、という気分になったとき、襲ってくるのは「まだ今日やり残したことがいっぱいある」という観念である。観たいドラマ/読みたい本があったのにまだできていない、ちょっとリラックスタイムを取りたい、などと考え、「まだ寝られないぞ」と感じる。結果、その日やりたかった研究以外のことを深夜に詰め込んでしまい、夜ふかししてしまう。すると当然朝起きるのが遅くなり、一日のスタートが遅いので、予定していたタスクをこなすのがずれ込み、夜になる、という悪循環が起こる。さらに、寝る前まで研究をしていた場合、頭が冴え、かつ研究内容についてベッドの中でも考えてしまって、寝付きが悪くなる。
  2. 家事が疎かになる:昼夜の別なくいつでも研究時間であるため、上記のように余暇の時間が後回しになる。それでもストレスを発散するために、何とかどこかで余暇の時間は取る。しかし、それでは「やらなければいけないが、やりたくないこと」にしわ寄せが行く。代表的なものが家事である。家事が好きな人は別だが、そうではない私は、掃除とか洗濯とか、料理とかが疎かになっていた。

こうした問題が起きる根本原因は、大学院生にありがちな、「すべての時間は研究に充てられなければならない」という強迫観念である。明確なオンとオフの区別がなく、また仕事に「終わり」がない(論文を書く数には上限がない)研究者、特に就職のためにできるだけ研究業績を稼がなくてはいけない若手研究者は、常に研究をしなければいけないというプレッシャーを受けている。なので、研究していない時間も、「本来やるべきことをやっていない」という罪悪感を感じてしまうことになる。だから結果として、際限なく研究してしまうのだ。

遅まきながらこれらの問題に気づいた私は、博士課程の後半から、夕食後は一切研究をしない、そして週末は最低1日は完全にオフにする*1、というポリシーを設定した。すると、上記の問題は解決した。

まず、夕食後は研究をしないので、8時頃から完全なフリータイムになる。入浴時間などもあるが、2・3時間は何をしてもいい時間となる。ドラマを2・3話観たり、本を読んだり、ネットサーフィンをしていると、少なくとも私の場合、11時過ぎには「もう今日はやりきったかな」という気持ちになってくる。そうすればしめたものだ。日付が変わる前には寝られる。結果として、朝起きるのも早くなる、すると夕方までに研究も進捗する、という良い循環に変わる。さらに、人間いつまでも遊び続けることはできないもので、やがて、そろそろ生産的なことをしようか、という気分にもなってくる。すると自然に家事にも手が回るようになった。

より重要な点として、ワーキングアワーを設定したことで、「働かなくてよい時間」も当然設定されたことになる。なので、遊んでいる間も、「研究しなければ」という強迫観念に襲われなくなった。結果として、オンとオフの切り替えが明確になり、就業時間の無制限な拡大を防げるようになった。周りのオックスフォードの博士課程の院生に聞いてみると、私が思っているよりも多くの人が同様にワーキングアワーを設定していて、もっと早くそうしておけばよかったと思った。

ワーキングアワーを設定するという試みは、一見自分自身を縛り、自由を制限する行為に見えて、実際には自分自身にかけるプレッシャーを最小化し、自由を与える結果を生んだのである。私の場合、就業時間を設定したとはいっても、この時間は絶対仕事しかしない、と決めているわけではなく、この時間の間に外出したりもするし、時には長めに昼休みを取ったりもする。仕事中はスマホを見てはいけない、などというルールも設定せず、気が向いたら適当に気分転換している。スマホを見たくなったりする時というのは、往々にして集中が切れて休憩が必要な時であったりするので、無理に仕事を続けるよりも、一旦休みを取った方が全体としてうまくいくように思う。もっとも、気分転換の時間が長すぎてはいけないのだが・・・

断っておきたいが、以上はあくまで私個人の場合そうだった、という極めて属人的なストーリーであって、これが全員に当てはまる、などと言うつもりは毛頭ない。院生とはいっても、コースワーク中心の修士課程の人にとっては、こうした自由な時間の使い方はそもそも難しいと思われる。同様に、子どもがいる、アルバイトで忙しい、あるいはパートタイムの博士課程にいる人などは、どうしても余暇の時間を研究に充てなくてはいけなくなるだろう。また、夜ふかし云々は、そもそも夜型の人にとっては問題にならないし、逆に私のようなやり方では生ぬるい、もっと厳格なルールを設定しないと上手くいかない、という人もいると思われる。私自身、今後のライフスタイルの変化に応じて、研究スタイルも臨機応変に変えていかなければいけないと思っている。

重要なのは、その時の自分に合った仕事のペースを見つけるということで、それを見つけるのも、研究者としてのトレーニングの一つだと、博士課程の後半になって私もようやく学んだのであった。

*1:メールの返信や語学の勉強など、研究本体以外のことは随時行っている。