紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

「ソーダ味」とは何なのか?

梅雨も開け、猛暑がやってきた。私も10年ほど前までは毎日元気にテニスをしに学校に通ったり、さらにその5年前までは虫取り網を引っ提げて駆け回っていたわけだが、大学に入ってからはもっぱらインドア派になってしまった。運動をするにしても、ジムに行ったりスカッシュをしたりと、エアコンの効いた室内でできることばかりだ。

そんな暑い日の部活帰りに、コンビニに寄って、よく友達と買い食いをしたのが、アイスキャンデーである。最近はあまり食べなくなったが、「クーリッシュ」や「アイスの実」、「ピノ」など、よく食べていたのを思い出す。

中でもコストパフォーマンスの点で圧倒的だったのが、ガリガリ君である。メーカー希望小売価格70円(税別)という低価格で、しかも「当たり」がついているという、仮面ライダーウルトラマンにも劣らない、子供の味方である。そしてそのガリガリ君の代表的なフレーバーといえば、「ソーダ味」である。北極の氷を思わせる水色がかったアイスで、製造元の赤城乳業の公式ホームページの商品紹介にも「ソーダ味のアイスキャンディーの中に、ガリガリ食感のソーダ味のカキ氷を入れました。」と、暑苦しいほどのソーダアピールがふんだんに盛り込まれている。

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https://www.akagi.com/products/garigari/soda_stick.html

しかし、大人になってしまった私は、ガリガリ君ソーダ味を前にふと考えてしまうのだ。ソーダ味」とは何だろう、と。コーラ味はコーラの味、バナナ味といえばバナナの味だ。なので、ソーダ味といえば、ソーダの味に決まっている。では、ソーダは何の味がするのだろう?

まずそもそも、ソーダとは何かといえば、これは英語のsodaから来ているわけで、sodaとは炭酸水である。それ以外の何物でもない。つまり水に炭酸ガスを加えた、あれである。ウィルキンソンとか、ペリエとか。飲んでみればわかるが、あれ自体に味はない。ただの水+ガスである。つまり、ソーダ味とは、炭酸水味である。さらに、二酸化炭素に味はないから、ソーダ味とは、水味であると言い換えることができる。つまり、かの有名なガリガリ君ソーダは、語義的には水味でなければならないということになる。単なる水であるとしたら、70円(税別)というメーカー希望小売価格が、途端に怪しげなものに見えてくる。これは集団訴訟に発展してもおかしくない。

しかし、未だにそのような訴訟が起こっていないのは、実は私以外のすべての人は、水を飲むときにガリガリ君ソーダ味と同じ味を感じているか、それともガリガリ君ソーダ味はソーダ味ではないかのどちらかだということになる。前者である可能性を否定するわけではないが、その場合ガリガリ君ソーダ味をわざわざ買う必要はなく、氷をなめていれば同じ満足感が得られるはずなので、市場原理に沿って考えればガリガリ君ソーダなるものは既にこの世にないはずである。そうなっていないのは、やはり真実は後者であるということを意味しているのだろう。ここにおいて、ガリガリ君ソーダソーダ味ではないことが示されたと言ってよいのではないか。

もう一点問題となるのは、ソーダと言われて我々がイメージする、この水色である。ガリガリ君コーラ味はコーラの色、ガリガリ君グレープフルーツ味はグレープフルーツの色をしていることに鑑みれば、ガリガリ君ソーダ味のこの水色は、ソーダの色だと想定されているに違いない。しかしながら、ソーダすなわちsodaすなわち炭酸水には、色はない。無色透明である。つまり、ガリガリ君ソーダは、ソーダ色ではないことになる。

すなわち我々はこれまで、無意識のうちに、ソーダ味でもソーダ色でもない、「ガリガリ君ソーダ」なる食品を食べていたのである。これは恐ろしいことではないか。では一体なぜ、我々は「ソーダ味」と言うとき、特定の味や色をイメージすることができるのだろうか。

まったくの素人考えなので、実際の真偽はお近くのソーダ学者に聞いて頂きたいが、これは「ソーダ」の類似品、「ラムネ」に因るところが大きいのではないだろうか。ラムネといえばあの水色の瓶、そしてあの甘い味、これはまさしく我々のイメージする「ソーダ」の味と色と一致するではないか。これで決まりだ、と誰もが思っただろう。

しかし、念の為ラムネの定義を確認してみると、我々のはまった沼は思ったよりも深かったことがわかる。以下がトンボ飲料のホームページに書かれている、ラムネの定義である。

ラムネとは、ビン口をビー玉で栓をした炭酸飲料のことです。

ラムネの定義に、味は含まれていないのだ。またもや振り出しに戻ってしまった。ソーダ味とは何なのか、謎は深まるばかりである。もっとも、一定の収穫はあった。というのも、トンボ飲料のホームページには、こうも書いてある。

では、同じ炭酸飲料・サイダーとの違いはと言うと…入っている容器(栓)の違いです。

ラムネを定義づける特徴として、瓶(というかその中にあるビー玉)があり、その色は多くが水色なので、つまりラムネの色は水色だと考えられ、それがソーダに波及したと想像できるからだ(もちろん真偽は定かではないので、詳しくはお近くのラムネ学者に問い合わせられたい)。しかし、味に関してはまだ手つかずである。

さらに、読み進めるともっと恐ろしいことが書いてあった。なんと、ラムネの由来はレモネード、サイダーの由来はりんご酒のシードルだというのだ。(トンボ飲料のホームページは丁寧に音変化の過程を図解してくれている。ジャガイモ・カボチャ並みの大変化である。)

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http://www.tombow-b.jp/ramune/

つまり、ラムネは本来レモン味、サイダーは本来りんご味であるべきなのだ。しかしこの腑抜けたちはいつの間にか自らの本来の姿を忘れ、同化し、もはや瓶という他者によってしかアイデンティティを維持できない存在になってしまっているのだ。何より重要な点として、ソーダ味のみならず、ラムネ味、そしてサイダー味をも、我々は定義できないことが明らかになった。我々の日常の中にこれほどの底なし沼が潜んでいようとは、政府もまだ気づいていないに違いない。すべてが手遅れになる前に、一刻も早い対応が求められる。

最後に、そもそも論になるが、もう一つの説として、ガリガリ君ソーダ自体が、我々の「ソーダ味」や「ソーダ色」のイメージを規定しているという可能性も、否定できない。その場合、我々はみな赤城乳業の掌の上で転がされているということになる。恐るべき会社だ。

月3記事のペースを維持するために月末に無理やり書き始めた記事だが、思いの外筆が進んだ。私も、ソーダの見えざる泡によって操られているのかもしれない。