紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

文献の4つの読み方:勉強、探索、引用、沈潜

1年少々前に、文献ノートの取り方について記事を書いたが、それなりに反響があり、このブログの中では比較的よく読まれている記事の1つになっている。やはり、自分のプロフィールから考えると、沢山書いているふざけた記事や身辺雑記的な記事よりも、こういう研究関連の記事や、留学ための英語力向上みたいな実践的な記事を書いた方がPV数なんかも上がったりするのだろうが、このブログは自分のために書いているので、気が向いたときに気が向いたことについて書いていきたい。

まあそれはいいとして、記事の中でも、まだ試行錯誤している途中だと述べているが、それは現在でも変わっておらず、日々より良いやり方はないか考えながら研究している。それで最近気づいたのだが、文献ノートを取る前の段階、つまり文献を読んでいる段階で、自分は読み方を幾つかの類型に区別しているようなのだ。その結果として、文献ノートも幾つかのパターンに分かれている。今日はその気づきを記事にしたいと思う。私の中では、「勉強」、「探索」、「引用」、「沈潜」の4つの読み方がある。

読み方①:勉強

第一は、「勉強」としての文献購読である。これはその名の通り、当該文献から、何かを学び取るために読むという方法である。私の専門である国際政治の分野でも、スタンダードな教科書というものがあって、それを使って初学者は学習するわけだが、研究者であっても、方法論については教科書で勉強することも多い。

たとえ教科書であっても誤りがあることは確かだが、先行研究を読む場合と比べると、ある程度既に確かめられた知見が掲載されていることが多いのと、そもそも自分がよく知らない領域について読む際にこうした読み方をするので、反論する余地を探して読む、というような後述するような読み方はそこまで重視しない。

一方で、こうした読み方をする文献については、あまり文献ノートを取ることはない。それは重要でないからではなく、むしろ重要だからである。というのも、文献ノートというのは基本的に、要点をまとめることで、後でまた読み直す手間を省くために取るのだが、教科書の場合、きちんと内容が理解できるまで読み直すことが肝要だからである。どのみち読み直すのであれば、文献ノートを取っている必要はないというわけだ。なので、私は教科書的なものについては文献ノートを作っていない。

読み方②:探索

第二は、「探索」としての文献購読である。第一の読み方が、いわば「学生」としての読み方であるのに対して、ここから先の3つは、「研究者」としての読み方になる。つまり、論文を書くための読み方ということだ。

「探索」というのは、何か新しいテーマを見つける、あるいは最近どういった研究が行われているのかを緩やかに把握するために読むということを意味する。もしくは単に面白そうな学術文献を見つけたので読む、場合もここに入るかもしれない。研究者なら自分のテーマを持っているのが当然だが、一生同じテーマで研究することはまずないので、「次何をするのか」を考えている必要がある。また、最近世間ではどういう研究がなされているのかという、研究動向を把握するためには、自分に関係するジャーナルにアラートをかけて、最新論文の情報が送られてくるように設定することが多い。そうした、今やっている研究に直接関係はないが、将来何か役に立つかもしれないことを、定期的に引き出しに入れておく必要がある。それが「探索」だ。

こういう目的なので、細かいところまで詳しく読んでいる必要はない。いわゆる「スキミング」が適している。最初のアブストラクトを読み、イントロを流し読みして、中心的な主張を読み取り、検証方法をちらっと見て、結果を軽く読む、という程度。

こうした目的で文献を読む場合、細かい点についてノートを取っている必要はあまりないだろう。ただ、全く何もメモしなければ、すぐに内容を忘れ去ってしまう。どういうことが書いてあったかを覚えておくために、こうした文献については、数行程度のメモを取っていくのがよいと思う。何についての論文か、そして読んだ感想や気づきがあればそれも少し書いておくといった具合。下記は一例。

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読み方③:引用

ここまでの2つとは異なり、最後の2つは、今やっている研究のための文献購読である。必然的に、文献ノートの分量は多くなる。第三の「引用」とは、その名の通り、自分が書いている論文に引用することを考えて読む、というやり方である。こうしたやり方で読む際には、肯定的に引用するにしても、批判的な意味で引用するにしても、単に読むのではなく、「自分の論文の中でこれをどの部分に活かすことができるか」を考えながら読む必要がある。つまり、ある意味で「自分本位」に読むのである。その著者が重要と考えているポイントよりも、自分の論文にとって重要だと思われる点の方が大事なのだ(もっとも、両者は往々にして重なるだろうが)。変な話だが、著者に流されすぎてはいけないということになる。もちろん、自分のテーマに関係すると思って読み始めたら、実は関係なかったというようなこともある。そうした場合は、将来何か役に立つかもしれないということで②の読み方に変えるか、あるいは役に立たなさそうであれば読むのをやめる。4つの類型は完全に固定されたものではなく、都合によって行き来するものだ。

こうした場合、文献ノートは下記のような形になる。以前の記事で取り上げたものとほとんど同じである。私の場合、引用の際に必要になるページ数を書き、内容はまず日本語で一言ポイントを書いて、その後に英語の当該箇所をコピペしている。さらに、思ったことがあれば矢印をつけてその後にコメントを書く。

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読み方④:沈潜

最後は何と呼ぼうか迷ったのだが、あまり良いものが思いつかなかったのでここではとりあえず「沈潜」と呼んでおく。要するに、③よりももっと文献の中に深入りして、要点だけでなく、論理の流れも含めて内容を完全に把握するための読み方である。これは、自分の論文にとっての最重要文献、あるいは理論を援用する元文献、もしくは書評を書く際などに適しているといえる。自分の論文にとって必要な部分だけではなく、その文献の流れに沿って、内容を理解していく必要がある。必然的に読む時間も長くなる。②や③が「自分本位」な読み方なのに対して、①やこの④は、「文献本位」な読み方になる。

実際の文献ノートは、私の場合見た感じは③と変わらないが、ただ分量が多くなる。一冊まとめるのにかなりの時間がかかるので、正直④の方法ではあまり沢山の本をまとめたくない。しかしやはり特定の場合にはこのように読む必要がある。①のように、文献ノートなしで後で見直せばいいのではないかと思われるかもしれないが、④のような文献は、実際に論文執筆上用いるものであるので、引用しやすい形にまとめておくことは必要なのだ。

まとめ

以上をまとめると、下記の表のようになる。①と他の3つの違いが一番大きいが、残りの3つも少しずつ異なる。言うまでもなく、ここで挙げたようなやり方は、あくまで私個人の見解であるし、もしかするともっと良い方法があるのかもしれない。一例として見て頂ければと思う。

  学生/研究者として ノートを取る/取らない 現在/将来の研究のため 自分/文献本位
①勉強 学生 取らない 将来 文献
②探索 研究者 取る 将来 自分
③引用 研究者 取る 現在 自分
④沈潜 研究者 取る 現在 文献