紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

大陸旅行2019夏:ドイツ・ベルギー編

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さて、前回はパリとストラスブールについて書いたが、今回は旅行の後半、ドイツ・ベルギー編である。余談だが、私はあまり自分の旅行に「旅」という言葉を使う気になれない。というのも、「旅」というのは、長い期間、行きあたりばったりを楽しみつつ、ディープな現地の文化に入り込み、安食堂で現地の人と同じ飯を食い、ローカルバスに行き先も確かめずに乗り込み、野宿か安宿にのみ泊まり、時には騙され、時には野犬と戦い、時には見ず知らずの人からの親切に涙しながらするものだというイメージに強く囚われているからだ。毎朝シェーバーを使ったりしてはいけない。スーツケースなんか持っていてはいけない。ボロボロのバックパックかボストンバッグだけしか許されない。宿にチェックインするときに真っ先にwifiのパスワードを聞くなど、以ての外だ。荷物を置くなり通りに繰り出して、その辺の兄ちゃんと飲み明かしながら情報を仕入れなければいけないのだ。あるいは歳を取ってから、2人の子分を従え、時に印籠を振りかざして悪党を懲らしめつつ、全国を行脚するかのどちらかである。いずれにしても、私の旅行など、「旅」と呼ぶなんておこがましいのである。と言いつつ、過去に自分の旅行を「旅」と呼んでいないかどうかについては、責任を負うつもりはない。それでは本題に入ろう。

ハイデルベルクは美しい

ストラスブールからまず向かったのは、ドイツの南西部にある都市、ハイデルベルクである。ここの移動だけ鉄道ではなくバスを利用したのだが、Flixbusという会社で、わずか6ユーロという驚きの安さだった。800円程度で国境を越えられるのだ。しかも座席は快適、窓の外の景色も楽しめるし、非常に満足度が高かった。

ハイデルベルクで合流したのは、以前ブログにも書いた、マイクである。彼は1年の修士課程を終え、既に帰国していたので、会うのは久しぶり、かつこれがしばらく最後ということになる。ハイデルベルクはマイクが医学生時代を過ごした場所で、またお兄さんが同じく医者としてハイデルベルクで働いているらしく、ちょうどその日が夜勤だったので、彼のアパートに泊めてもらうことになっていた。

車で駅まで迎えに来てくれた彼と合流する時は、久しぶりにオックスフォードのベストフレンドの1人と会うということもあって、とても嬉しかった。キャッチアップすべきことも多く、まずは市内でランチをした後、Philosopher's pathという、山の尾根を横切る道を散歩した。マイクによると、「哲学の道」というこの名前は哲学者に由来するというよりは、昔大学の学生(ハイデルベルク大学はドイツ語圏最古の大学らしい)は皆哲学を学んでおり、彼らが恋人を連れてここにやってきてデートを楽しんだというところから来ている(本当かはわからないが)らしく、以後カップルを見つけるたびにphilosophersと呼ぶことにした。

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Philosopher's path

高台から眺める街の景色は息を呑むほど美しい。ヨーロッパの街並みにはあって、日本の街並みのほとんどからは失われてしまったものは、「統一感」ではないだろうか。もちろん、ヨーロッパ各都市も新市街に行くと日本と大差はないし、地震や洪水が多く木造建築が中心の日本では保存が難しいのは当然ではあるのだが、旧市街が多くの都市できちんと今なお保存されていることには感銘を受ける。山を下りて次はハイデルベルク城に向かい、さらに旧市街を散歩した後、パブでマイクの兄も加わって夕食を取った。

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美しいハイデルベルクの街

翌朝は、マイクの兄が夜勤から帰ってくるのを待って、3人でベーカリーに朝食を食べに行った。彼らは、ドイツのパンは世界一だと熱心に主張していて、あまりパンが美味しいイメージのなかった私は少し驚いたが、実際にその日食べた朝食は、今までの中で最高の朝食の1つであったと言ってもよいだろう。泊めてくれたお礼に、マイクの兄に日本から持ってきたお土産を渡したのだが、とても喜んでもらえた。何かをもらった時に、大げさなくらい喜んで見せるというのは、大事なことだなと思った。自分はあまり感情を大きく表現するタイプではないだけに、学ぶところが多い。

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夜のハイデルベルク

ドイツ西部周遊

その日は一気に北上して、フランクフルトに寄り道をしつつ、レックリングハウゼンという小さい街にあるマイクの実家にお邪魔した。長時間のドライブをこなしてくれた彼には感謝しかない。

フランクフルトは滞在時間も短く、前にも来たことがあったので特筆すべきことはないのだが、今回の旅で一番驚いたことは、ドイツの高速道路には、一部を除き速度制限がないということだ。特に一番左の車線は飛ばし屋が使うようになっていて、200キロとか、ひどい場合はもっと速度を出して走るらしい。日本では最高でも100キロしか出せないと告げると、皆目が点になっていた。

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時速180kmで夕焼けに近づく

翌日はレックリングハウゼンを出て、ケルンに向かい、大聖堂などを観光した上で、ドミニクと合流した。そこから3人でボンに向かい、ミュージアムを見て夕食を一緒に食べる。ここでマイクとはお別れになり、ドミニクの車で彼の実家のあるコブレンツへと向かった。ドミニクは今年から博士課程に入ったので、まだ3年以上いるのだが、マイクはもう卒業してしまったので、次にいつ会えるかは分からない。ちょっと感傷的な気分になった。

次の日はコブレンツを観光した。あまりメジャーな街ではないのだが、コブレンツは古城が散在していたり、ライン川のクルーズがあったり、ロープウェイで川を横断して向かう要塞があったりと、観光のコンテンツとしてとても優秀だった。ホテルなどがあるのかは分からないが、意外におすすめの街である。マイクは酒を飲まない人だが、ドミニクは飲む人なので、この日ようやくドイツビールを味わうことができた。

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コブレンツの古城

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ビールを飲みながらクルーズ

ベルギービールを飲んでお別れ 

ドミニクの家にも2泊させてもらって、最終目的地のブリュッセルに移動した。ドミニクとは2週間後にまたオックスフォードで会えるので、別れるのはまったく辛くはない。ブリュッセルでは、1年目にドミニクと3人で仲良くしていた、ビクターという友達に会うことになっていた。彼のことも、「オックスフォードな人々」で近いうちに紹介しようと思う。

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ケルンから電車でブリュッセル

ビクターとはブリュッセル中央駅で会おうということになっていたのだが、私が乗った電車は、チケットによるとブリュッセル北駅までで、そこから乗り換えて中央駅まで行かなければならないと書いてあった。なので北駅で降りようとしたのだが、周りの乗客はあまり降りない。ここが終点だと思っていた私は、急いでその辺にいた係員にこの電車が中央駅まで行くかどうか聞いたところ、行くというので急いで電車に戻った。次が終点のBrussels-midi駅だったので、そこで降りてビクターに待ち合わせ場所の確認をすると、どうも話が噛み合わない。実は、Brussels-midi駅は中央駅(central)とは別で、ブリュッセル南駅だったのだ。意味がわからない。midiって真ん中=中央だと思うではないか。しかし調べてみると、フランス語でmidiは正午→正午の太陽の位置で南を指すらしい。紛らわしい連想ゲームはやめてほしい。しかし、私が聞いた係員は確かにcentral駅に行くといったのだが…

いずれにせよ、結局ビクターがmidi駅まで来てくれ、無事合流することができた。ブリュッセルは、4年ほど前に、ドイツでのサマープログラムに参加した際に一日だけ来たことがあるので、がっかりスポットの小便小僧などは見たことがあった。なので街を適当にぶらぶらしていたら、偶然その日開催されていた、ベルギービールフェスティバルに遭遇するというラッキーな出来事があった。ドイツビールにもベルギービールにも色々とあるので、国単位で比べるのはナンセンスだとは思うのだが、個人的にはヒューガルデンに代表されるベルジャンホワイトが大好きなので、ベルギービールに軍配を上げたい。悪いなドイツ人の友たちよ。

三者三様の家族

ということで、ベルギービールを締めとして今回の旅行は終わったわけだが、旅の後半では、3人の友達の家に泊めてもらい、その家族とも話をした。どの家族も素晴らしい人々だったが、当たり前だが、みんな雰囲気が違っていて、それが非常に面白く感じられたので、最後にそのことを書いておきたい。

社会経済的バックグラウンドとしては、マイクの家は医者、ドミニクの両親は教師、ビクターのお父さんはEU官僚と、どの家庭も教育熱心なアッパーミドルクラスと言って良い。しかし、マイクのお父さんはシリア出身で、医師としての教育を母国で受けた後に渡独してきた移民であるので、絨毯が敷かれた家の内装にも、振る舞って頂いた料理にも、随所にアラブの面影が色濃く残っていた。マイク自身はかなりドイツ的だが、親戚は今もシリアにいたり、彼自身自分のバックグラウンドに対して色々な思いがあるようだ。

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振る舞ってもらったアラブ料理

これに対してドミニクの家庭は、ドイツ人ドイツ人した感じで、両親ともコブレンツ周辺の出身であり、そこに住み続けてきた人々であった。真っ白な壁に囲まれた、大きな窓のある明るい家で、庭で野菜や果物を育てていたり、お母さんが絵を描くのを趣味としていてそれが飾ってあったり、落ち着いた丁寧な暮らし、という感じである。少し驚いたのが、オックスフォードにいるドイツ人は皆結構英語が上手い傾向にあるのだが、マイクの両親も、ドミニクの両親も、どちらもあまり英語を話さない、ということだった。2人自身は非常に国際的な経歴なので、てっきり家族もそうなのかと思ったら、そうではないらしい。そういう意味でも自分との新たな共通点を見つけることができた。

ビクターの家庭は、お母さんしか会う機会がなかったのだが、この人が強烈な個性を持っていて、ガラガラな声でハイテンションで話しだしたら止まらない、いわゆる「大阪のおばちゃん」みたいな面白い人だった。チリ人で、アメリカで教育を受けたということもあって英語はペラペラ。ビクター自身は物静かな男なので、このお母さんは予想しておらずびっくり。彼はお父さんの仕事の都合でアフリカに長くいたこともあり、家にはそういった雑貨が色んなところに置かれていて、多文化的でエキゾチックな雰囲気でこれもまたよかった。(あほ)犬を一匹飼っていて、すごく人懐っこいのだが、これが夜中にトイレに行こうとすると走り寄ってきて吠えかかったりしてきて、なかなか大変だった。ちょうど最近『ストレンジャー・シングス』を観ていたので、demodogを思い出してちょっと怖かった。

考えてみれば、高校までの友達というのは、一応親しい相手ならその家族にも会ったことがあったものだが、大学以降では、一人暮らしが多いこともあってか、ほとんど相手の家族との交流というものはなかった。それが異国で一気に3人の家族と会ったのだから、面白いものだ。行く先に友達を訪ねる旅行というのは、とても楽しい。

新年度に向けて、心からリフレッシュできる素晴らしい旅行だった。