紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

種をまく:「コロナ時代」をどうしのぐか

「コロナ時代」を生きている。2ヶ月前には、中国が何だか大変なことになっている、という程度の認識だった。1ヶ月前には、日本を含むアジアに感染が広がり始めたことが心配になり、一方でヨーロッパではアジア人に対する差別や偏見が散見されるようになった。しかし3月になって、事態は急激に展開し、あっという間にヨーロッパが感染の中心地になって、各国が外出禁止や国境閉鎖などの大胆な措置を取り始めた。私は、迷ったがもはやアジアにいる方が現状では安全だと感じ、現在日本に一時退避している。だが、ここ数日の国内の動きを見ると、そうとも言っていられなくなりつつあるのかもしれない。

今回のパンデミックには、色々な形で私も影響を受けているし、今後も受けるだろう。小さな話では(当初はこれも私にとって大きな話だったのだが、今となっては些事に過ぎない)、3月末にハワイで開催予定だった、国際関係論の大きな学会が中止になり、6月に予定されていたイギリスの学会も中止になった。4・5月にシンガポールブルネイで行うはずだったフィールドワークも延期せざるを得ず、いつ行うことができるかもわからない状況だ。イギリスでの感染拡大を受けて一時帰国したが、次いつ向こうに戻ることができるかはわからない。オックスフォードでは、私の学部の建物も閉鎖されてしまったようだ。帰国中は日本で研究活動を行うことになるだろうが、古巣の東大を拠点にしたくても、今後東大自体が(あるいは東京が)閉鎖されてしまう可能性も十分にある。今回の危機が経済の停滞に繋がれば、ジョブマーケットは冷え込むだろうし、また収束まで1年半以上かかるとすると、仮に私が国外で何らかのアカデミックポジションを得たとしても、物理的に着任できない可能性すらある。

感染を防ぐ、パンデミックを収束させるということについては、私は何ら専門知識を持っていないので何も言うことはない。個人として、粛々とsocial distancingを行い、手を洗い続けるのみだ。それよりも、考える余地があるのは、この非常時をどうしのぐか、である。いつかは必ず終わるが、いつ終わるかはわからない、この危機の中で、自分はどういう風に過ごしていけばよいか、と考えていた。というか、私個人としては、自分ではどうしようもない事情でこのような大きな変更を強いられるのは初めてではないので、以前考えたことの焼き直しとも言える。

まずは、普段と比べて生産性が上がらなくても気にしない、ということが大切だろう。大学院生目線になってしまうが、ニュース等が気になって、あるいはこの危機について心配で色々考えてしまって、研究が手に付かない、ということは私も大いにある。特に帰国する前は、急激に変化する情勢を毎日ニュースで追って、帰るか帰らないか、そしていつ帰るかを検討しなければならず、それは大変ストレスフルで、結果として研究はおろそかになってしまった。それでも仕方ない、と割り切ることが重要だ。新しい状況に慣れるのに、時間は当然必要だろう。まずは生産性を気にせず、心と身体を慣らしていくのがよいと思う。

そして、今受けている制限やキャンセルされてしまったものたちについて、諦められる限り諦め、新しい状況を可能な限り肯定的に評価するということも大事ではないだろうか。私の例で言うと、学会は2つキャンセルされてしまったが、9月・12月にも別の学会が今のところ予定されているし、博士論文はフィールドワークは最悪しなくても書けるようなテーマで、延期になったことによって書き進める時間ができたとも言える。日本に帰ってきたことで、今年は桜が見られそうだ(実家の前の公園には桜が沢山植えられている)。ジョブマーケットはどうなるかわからないが、これは私だけの不幸ではないので、文句を言っても始まらないだろう。

その上で、個人的に何より意識したいと思っているのが、今を「種をまく」期間だと捉えるということだ。今やっていることは今すぐには実を結ばないかもしれない。これは別にコロナ時代に限らず当てはまるのだが、今は特に物理的な制限が大きいため、そもそもやりたいことができない状況にある、という人が多いだろう。戦争とは違って、この危機には、そこまで遠くない未来に終わりが見えている。1年と少し、遅くても2年以内にはワクチンが開発され、そこから世界は徐々に落ち着きを取り戻していくはずだ。その時のために準備をしていければと思う。仕事もそうだし、これを機会に新しい趣味を始めたりするのもいい。私の場合だと、それは2年後ぐらいに出版できそうな論文を書き進めるとか、1・2年後にフィールドワークに持っていけそうな研究プロジェクトを始めるとか、長らく放置していた語学の勉強をするとか、家でストレッチや筋トレを習慣づけるとか、小説を読みまくるとか、溜まっていたテラスハウスを観るとか、短歌を作るとかそういうことになるのかなと思う。

もちろんそんな余裕がなく、明日をどう生きるかに苦慮している人も世の中にはたくさんいると思うし、そうした人にとってはそんな悠長なことは言っていられないだろう。なのでこれはあくまで自分と、自分に似た状況の人にしか当てはまらないかもしれないが、この危機が終わったとき、それ以前よりも高い位置にのぼっていけるように、今は種をまいて、水をやって過ごそうと、自分に言い聞かせる毎日である。

f:id:Penguinist:20200328205822j:plain

この記事のためにわざわざひまわりを調達して写真を撮ったわけではないことは、ここに注記しておく。