紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

Twitterが終わったらブログで会おう

Twitterがもうすぐ崩壊するかもしれないという話がにわかに現実味を帯びてきて、フォローしている海外の研究者の中にはMastodonという別のメディアに移動するという人もちらほら出てきた。かと思うと日本の政治学界隈では、そんなことなどどこ吹く風でまた方法論やアプローチの話で恒例の対立が繰り返されていて、変わらない日常の価値とは何かを教えられる。

Twitterを実名で仕事用アカウントとして使い始めてからもうすぐ5年が経つ。Twitterというのはあまりの手軽さと反応の即時性からついつい何か言いたくなってしまうのだが、それに気を許して意見を投稿してしまうと、そのあまりの手軽さと反応の即時性からついつい何か言いたくなってしまった他人の貴重なご意見を頂戴することになり、またこちらもついつい何か言いたくなってしまうという無限ループに入ってしまうのが危険なようである。中には本当に重要な問題提起を、考え抜いた上でしている人もごく少数いるわけだが、私にはまだそこまでの自信もリスク許容度もないので、Twitterでは基本的に仕事上の報告と、人畜無害な小ネタとブログの転載しか投稿しないことにしている。

それでもTwitterを使い続けているのは、やはり研究上の情報収集やネットワーキングに非常に役立つからである。誰かが出した論文の情報が、雑誌のアカウントからも著者のアカウントからも流れてくるし、自分の論文について投稿したツイートが知り合いでもない研究者にリツイートされたりいいねされたりして、どんどん読まれるようになる。会ったこともない研究者がTwitterを通じて自分のことを認知してくれていたりする。こういう媒体は今のところ他にないので、そういう意味ではTwitterにはなくなってほしくない。

一方で、自分が何か思っていることを思っているように書く場という意味では、私はTwitterを今のところそのような目的には使っていないので、まあそれがなくなっても別に痛くはないかなという気がする。入ってくる情報量は少なくなるだろうが、不要な情報が流れてこないのはかえって望ましいのかもしれない。フォロワーの中で一番多いのは、私が知らない人が使っている日本語の匿名アカウントだと思うが、知らない人なので別にそれがなくなっても何かを感じることはないだろう。問題なのは(海外の)研究者との仕事上の繋がりが消えてしまうことだけで、それ以外は特に惜しくもないということになる。

そして何より、好き放題に書く場として私には5年来続けているこのブログがある。別に大した読者数がいるわけでもないが、意外に自分の知り合いの知り合いくらいの範囲で認知してもらっていることもあるようで、それくらいの規模感が心地良いのかなとも思う。完全に外向きのことはもっとフォーマルな書き方で書くし、完全に内向きのことはネット上には書かない。普段考えていることの中で、これくらいなら外に出してもいいかなという程度のことを、たまに書いてみる。ブログとはそのくらいの付き合い方ができる都合のよい媒体である。

だから、Twitterが終わったらまたブログで会おう。