紅茶の味噌煮込み

東京駆け出し教員日記

冷やし中華と野球

阪神タイガースペナントレースをリードしている。2年前もシーズン途中まで首位を走っていたのだが、後半ヤクルトに追い越されて優勝を逃した。そもそも阪神はこの18年間、優勝していない。最後に優勝したのは、なんと私が小学校を卒業した年である。

だから今年も「どうせ最後は逆転されて優勝を逃すんでしょ」と思いながら、期待を高めすぎないように、常に気持ちをコントロールしながら観戦している。だから5月に19勝5敗で独走体制に入っても、6月に急失速して8勝14敗になっても、私は一喜一憂しない。というか、落ち込まないために、負け始めたら試合を観ないようにする。辛いことからは逃げてもよいのだ、ということは最近色んな人がよく言っている。

阪神夏の甲子園の期間、ホーム球場が使えないので、毎年ここで失速する。毎年同じなのだから、対策できそうなものなのに、毎回そうなのだ。野球はやっぱり夏が似合うのに、我がチームはいまいち夏にピリッとしない。

私は、世の多くの少年たちと同様、子供の頃は夏が大好きだったのだが、それは殺人的な猛暑がデフォルトになる前のことで、近年は真夏がこわい。特に今年は、6年ぶりに日本の本格的な夏を日本で過ごすことになるので、冷房をかけた部屋の中で戦々恐々としている。私が好きだった夏は、もう概念としてしか存在しないのだ。私も夏にピリッとしない。

それでも私の胸の高まりを呼ぶ夏の要素はいくつか残っていて、その1つが冷やし中華だ。街を歩いていて「冷やし中華、はじめました」という文言を軒先のメニューに見ると、商業主義のテンプレだとは思っていても、つい心惹かれてしまう。やはり冷やし中華というのも、桜の開花と同じように九州・沖縄から始まって、西から東へと広がっていき、最後に東北から北海道に到達するのだろうか。最近テレビを観ていないのでわからないのだが、やはりNHKのニュースなんかでも、6月くらいになると梅雨前線と共に冷やし中華前線の移動が話題となり、各地の開「華」予想が発表されているのだろうか。

とはいっても、私は東京に出てきた18歳のときまで、「冷やし中華」なる言葉を発したことはなかった。私の家ではこれを、「冷麺」と呼んでいた。調べた限り、やはり関西というか西日本では冷やし中華などという呼び方はしないらしく、冷たい麺は韓国冷麺であっても、いわゆる冷やし中華であっても、冷麺と呼ぶらしい。だから私も、「冷やし中華、はじめました」に心躍らせるとき、東京に染まりやがって、と冷ややかに遠くから見つめているもう1つの自分を感じている。

いや、冷麺だとどんな冷麺かわからないじゃん、と思った関東人の方もいるかもしれない。しかしもう少しよく考えてみれば、冷やし中華というネーミングの大胆さが分かるだろう。だって、冷やした中華である。中華料理の幅広さと奥深さをナメているとしか思えない。つまり、よだれ鶏もバンバンジーピータンも、冷やし中華の定義に入るはずである。何なら、食べきれなかった麻婆豆腐を明日食べようと思って冷蔵庫に入れておいたやつさえ、翌日には冷やし中華になっているはずだ。

確かに、冷やし中華は「冷やした中華『麺』」だから冷やし中華なんだろう。しかしだったらこれが麺であることをもっと強調しなければいけないのに、あろうことかその麺を省略してしまうなど、言語道断ではないか。でも「冷やし中華麺」って長いじゃん、と思う人は自らの怠惰さを恥じなければいけない。「めん」の2音を厭っていては、あと数世紀もすれば人類は「あ」とか「お」とかしか言えなくなってしまうだろう。一事が万事、である。

そのようなことを考えていたらお昼の時間になったので、昨日買ってあった冷やし中華を食べることにした。「誰にも教えたくない冷し中華」という名前だったが、あなたには教えてあげよう。しかし具がなかったので、近くのスーパーに行って、トマトときゅうりとハム、という3品を買った。レジの人もおそらく、「こいつ今から冷やし中華を作るな」と思ったはずである。

私は普段、朝食べるサラダのためにミニトマトを常備している。普通のトマトと違って包丁で切る手間がかからないので忙しい朝に便利なのと(といっても私はほとんど朝出勤しないのだが)、味の平均値が高いと感じるからだ。一見美味しそうに見えて食べてみると全然味がないトマト、というのは一定数存在するが、あまり見た目より大幅に不味いミニトマト、というものには遭遇しない気がする。逆に、びっくりするほど美味しいミニトマトに出くわした経験はあまりなく、飛び抜けて美味しいものが出てくるのは普通のトマトの方だ。失敗したくないときには、安定のミニトマトを食べるのが確実だが、やはり冷やし中華には大きなトマトがふさわしい。その日買ったトマトは当たりだった。

野球に例えるならば、ミニトマト安打製造機阪神なら近本光司であり、トマトは一発狙いのホームランバッター、阪神なら佐藤輝明である。私はどちらかといえば安打製造機型の選手の方が好きだ。しかし先日、阪神ミニトマト、近本は肋骨を折って抹消されてしまい、一方阪神のトマト、佐藤輝明は不振による2軍調整から近本と入れ違いに戻ってきたが、いまだにパッとしない。阪神も私も、夏はまだまだこれからだ。